2 / 5
新しい春の風は、まだ冷たいまま
しおりを挟む時を戻そう
中学の卒業式が終わり、約1か月
新しい環境への期待に胸を膨らませ、待ちきれない思いで前日あまり眠れなかった..ことも無かった。
「忘れ物はない?おかぁちゃんも後から見に行くからね!」
「昨日の夜ちゃんと確認したから大丈夫だよ。いちいちうるさいなぁ..あと入学式は来なくていい!」
どこのお宅もこんな感じですよね?学校行事にはなるべく親に来てほしくないんだよ..だって恥ずかしいし!
「じゃあ、いってきます。」
「車には気をつけるんよ!あっ電車、乗り間違わんようにね!」
「わーってるよ!」
ほんとうに親って心配症だなぁと思うのは俺だけではないだろう。むしろ心配しすぎてこっちが心配になる。その優しさにつけこまれて将来詐欺に遭わないかとか?
「あっ、新しい制服似合ってるゾ⭐︎」
「今更かぃ..そして⭐︎が古い」
「えー」
悲しむフリをする母を背に俺は家を出た。朝からよくあのテンションでいられるもんだとつくづく思う。
「おー、さぶっ..」
春の陽気..とはまだ言えない冷たい空気が肌を包む
太陽は登っているのになかなか気温が上がらない、田舎あるあるの常連だろう。
近場の駅まで自転車で約15分、これから3年間のルーティーンになる。近いのに越したことはない。
視界に広がる緑の田畑は見慣れた風景だ。みんなには毎年放送されるあの不思議な生き物の映画を思い出していただきたい。となりの...
おっと、危ない。自己紹介がまだだった。
俺の名前は、花咲つぼみ。どこにでもいる平凡なピカピカの高校一年生だ。身長は171cmくらい。運動はそこそこだが、勉強は中の下といったところか。黒の短髪に気持ち整えた眉毛、鼻はそんなに高くないけど、顔のバランスはまぁまぁ..だと思う。まぁモテた実績はないんですけどね。
両親によると、いつかつぼみが満開の花を咲かせるよう大きく成長してほしい、一応そういう願いが名前に込められているらしい。名字が違かったらどうしてたんだよ。
名前のせいで女の子とよく間違えられることもあるけど、男の子です!というのが俺のテンプレの自己紹介だ。まだあまりウケたことは無いので、そろそろ考え直そうと思う。
少し古びた駅の改札を通り抜けると、朝の憂鬱に呑まれるサラリーマンの姿や、おそらく新入生であろう学生がホームを賑わせる。
イヤホンをつけて音楽を聴きながら登校...中学生では許されなかったことが解禁され、俺は少し優越感に浸っていた。高校は福岡市内の方なので、大体30分くらいかな?朝の通勤ラッシュに揉まれることが毎日続くって普通に考えてしんどいよねぇ..うわ、一気に現実に戻ってきたわ。
福岡の高校受験は大体中学校のある学区によって受けられる県立高校が限られている。地元っ子が多いのはそのせいか?とも思わなくもないが、中学の同級生も多くは学区内の高校へ進学した。
かという俺は私立学校へ進学するわけだが..いや、別に受験に落ちたわけじゃないんだからね!同級生にも誘われたけど、違う学校に行きたかったの!とでも言っておこう。
かわいい女の子にでも誘われたのなら話は別だが、昔の野球チームの仲間の誘いだったので断ってしまった。
あの敗戦の日を境に、野球から離れてしまった俺は、甲子園を目指して高校野球を一緒にやろうと言ってくる仲間を避けていたのかも知れない。
野球を嫌いになったわけではない..が、高校でもやろうという気力が湧かないまま進学しても、学校での居心地が悪いだろう。ならいっそ野球部のない学校へ進学でもしてみようと、気持ちの整理がついていなかった当時の俺はなんとなく考えたわけだが...
「うーむ、余計な事を考えすぎたかねぇ...」
寂しさもあったが結局、チームの男子達と同じ高校へ進むことはなかった。
「なーにが考えすぎなのかな?」
後ろから可愛らしいような女性の声がした。
イヤホンをしていたのでそんな気がしただけである。
「コラ、無視すんなし」
軽く蹴られ、仕方なく後ろを振り向いた。
「げっ」
「げってなによ、失礼な!」
綺麗な黒髪ショートカット、二重でハッキリとした目つき、ちょっとふっくらした肌と唇、発展途上の二つの山は中学の頃とあまり変わらない..
「え、なに私のこと見過ぎじゃ無い?若干目がキモいんやけど..」
「いや、この世界にお前を説明してたんだよ。」
「なるほど、たしかに美少女の説明は最重要事項ね。」
なにを言っているか分からないが、そう返してきた女子。
名前は...大...何だっけ?
「斉藤ですぅ!斉藤夏葉(さいとうなつは)ですぅ!ひとっつも掠ってないじゃん!」
「茶番にお付き合い頂きありがとうございます。」
斉藤夏葉、中学校が同じ女子。以上
「え、紹介短すぎるでしょ、ヒロインはもっと丁寧に扱ってよ!」
ほんとに何を言っているのか分からんが、ほかに付け加えるとするなら、同じ野球チームだったことくらいだろうか?
「そうそう、それをしっかり説明しておかなくちゃでしょ?私は美少女野球選手、高校でもスーパースターになる存在なんだから。」
「へーへー」
斉藤は福岡中央ボーイズで俺達男子に混じり野球をやっていた。力では男子に劣るものの、プレーの堅実さや打撃センスを買われレギュラーを掴んだ。
ただ、一番はやはり精神力の強さだろう。周りの男子に負けないという思い、周りを盛り上げる明るい姿勢、そういったものを人一倍持っていたような気がする。
ポジションはセカンドが多く、ライトのレギュラーだった俺も、彼女のプレーには助けられたことも多い。
「このくらいでよろしいでしょうか?」
「うん、ありがと..」
黙っていればそこそこかわいいんだけどなぁ..
「ねぇ、それよりみてよこの制服!似合ってるでしょ?」
前のボタンを止めていない紺色のブレザー。輝く白シャツに赤のネクタイ、胸には校章のワッペンが目を引く。膝上で調整されたチェックのスカートは少し風が吹けばいい景色が見られそうだ。
「いや、入学早々着崩しすぎだろ...」
「大丈夫、学校の前でちゃんと治すから。」
目をつけられたくないので同じ中学であったことは周りに知られないようにしておこう。
「花咲もなかなか制服似合ってるじゃない!まぁ私には到底及びませんけどね?」
「そりゃどーも。」
私立星翔(せいしょう)学園高等学校
元々はお嬢様学校として福岡では広く知られていた。学校のホームページによると理事長が交代になったとかで最近になって男女共学化が進められたそうだ。
福岡では未だに星女で通るくらいの有名校だが、そんな伝統を軽くひっくり返してしまった新理事長はおそらく頭がぶっ飛んでいるのかもしれない。
普通科の他には機械科、英語学科、女子校の名残から服飾科や、音楽科があったりもする。
この春から俺は星翔の普通科に進学する。ちなみに横にいる斉藤も同じ星翔の普通科である。
ただ一般受験で進学した俺と違うのは、彼女はスポーツ推薦で進学したことだ。
星翔には女子野球部が存在する。おまけに全国レベルの強豪校である。
昔に比べると、全国で高校に女子スポーツチームが創設されるということは珍しいことでは無くなってきたが、野球となるとやはり高校では男子の印象が強いだろう。
日本の女子スポーツは、オリンピックや世界選手権で結果を出してはブームになり、一定の時を過ぎることでまた世間からの光を浴び無くなっていく、そういった印象がまだまだ強い。
メディアに取り上げられるのは男子スポーツの方が多いことは確かだ、女子スポーツも負けじと活動を行ってはいるものの、なかなか厳しい現状が続いている。
斉藤は高校で何のために野球を続けるのだろうか。その先の道に彼女は何を見据えているのだろうか。
まぁ、野球を離れた俺には到底関係のない話ではある。
「花咲は..さ
ほんとうに星翔でよかったの?」
突然尋ねられた内容に、おそらく野球を続けないのかという質問である事を俺は悟った。
「あぁ、高校ではもうやらないよ..」
星翔にはそもそも男子野球部がない。彼女自身もそのことを分かっていただろう。
「やっぱりまだ引きずってるんだねぇ..」
「多分なぁ」
俺がそうであるように、彼女自身もあの日は忘れるはずがないだろう。
周りに話をしたことはないが、俺はあの試合でひとつ鮮明に覚えていることがある。
最後までただ一人、彼女が相手に立ち向かっていたことを、
そして試合に負けた後、チームの輪を離れて陰で一人、大粒の涙を流していた事を
本人に言うと線路に突き落とされかねないので、心の中に留めておこう。
「そっかぁ。でも、たまにゃ昼休みとか、キャッチボールにでも付き合ってよ。」
「まぁ、それくらいならな。」
電車がホームへ入るアナウンスが鳴る。
「また、みんなで一緒に野球できる日が来るといいなぁ。」
俺は答えることはなかったが、彼女は振り向いて
「しっかりスタンドで私の応援よろしくね。」
そう言って前を向いた。
電車の風に吹かれる彼女の後ろ姿はどこか寂しそうにもみえた。
まぁ応援くらいならいくらでもしてやるさ。
「ほら、何ぼーっとしてんの。遅刻するよー。」
そんな彼女の後を追うように俺は電車に乗り込んだ。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる