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第56章

暇乞い

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「暇を頂きとう御座います。」
 その日の夜、さくは大殿に元親の教育係を辞する考えを述べた。
「元親様、立派にご成長なされ、さくの役目は終わりました。暇を願いたく思います。」
「待て待て。確かにさくのお陰で元親は一人立ち出来た。だが、あ奴には未だ、さくが必要じゃ。」
「・・・・・・。もう、元親様は一人でやっていけます。」
「元親はそなたを好いている。さくを助けに敵陣深く分け入って槍を振るった事、覚えておろう。」
「・・・・・・。」
「元親と夫婦になってはくれぬか。」
「・・・・・・。」
「元親は好かぬか?」
「好いております。」
「ならば是非、頼む。」
「好いておるから夫婦にはなれぬのです。」
「???。どういう事だ?」
「引き籠りの弥三郎様とならば、さくと娶せて、宮脇家との絆を強めるのは有りだと思います。ですが・・・・。」
「なんじゃ。」
「元親様の器、この国一国だけには収まらぬと、さくは見ております。」
「・・・・・・。」
「この国どころか、四国、日の本、海の外と元親様は我らには思いも寄らぬ高みを見据えてお出でです。ならば、どこか上方から由緒ある家柄のおなごを元親様の正室に迎えるのが宜しいかと。」
「・・・・・・。遠くと結び、近くをせめろと云う訳だな。」
 国親はさすが察しが良い。さくの言わんとする所を直ぐに理解した。
「本山は近いうち、元親様に屈する事必定。その後の事を見据えるのです。」
「・・・・・・。それは宮脇家の人間としての意見か?」
「はい?」
 さくは大殿の言ってる意味が分からなかった。
「それは如何なる?」
「そなたは父に命じられていたであろう。元親と情を交わし、正室に収まれば、宮脇の家が長曽我部家中で権勢を振るえるようになるからそうせよと・・・・・。」
 これにはさくは心の臓を冷たい手で鷲掴みされた様に驚いた。大殿は全てお見通しであったか・・・・・。
「仰る通り。父はその様に考えておった由に御座います。ご存じで御座いましたか。」
「儂を甘く見たな。そんな事は先刻、お見通しだ。」
 国親はニヤリと笑った。
「父の企みを分かった上で、何故さくを教育係のままになされたのですか?」
「元親が引き籠りだったからの。儂もこの先、どうなるか分からなかった。宮脇の家が力を持つ事になっても、縁戚になるのは悪い事ではないであろう。」
「・・・・・・・。大殿の慧眼、恐れ入りました。それでは何も知らなかったのは弥三郎・・・・いや、元親様だけだったのですね。」
 宮脇家は長曽我部家当主・国親の掌で踊らされていただけだったのか。ところが、国親は意外な事をさくに言った。
「いや、元親もそなたらの企みは承知していた。」
「えっ!・・・・・。」
「元親がさくを教育係にしたいと言って来た時の事だ。儂が宮脇の家はお家の乗っ取りを図るかもしれぬと話したのじゃ。すると弥三郎は自分が宮脇の家を心服させてみせるからどうしてもと、そちを望んだのだ。」
 さくは驚いた。大殿ばかりか元親までもが全て承知の上で、さくを傍に置いていたとは・・・・・。
「何故、元親様はそこまで承知の上で、さくを望んだので?」
「愛していたのだ。さくの事を。一目見たときからな。理屈ではないのだ。」
 それを聞き、さくの目から大粒の涙が零れ落ちた。あれ程、戦が、死が、血が怖かった元親がさくの為に敵陣深く分け入り、返り血で真っ赤になりながら槍を振るったのは・・・・。さくを愛していたからなのだ。
「さくよ。考え直してくれぬか。そなたは元親が命を捨ててでも守りたいと考える唯一人のおなごなのじゃ。儂は元親にそなたと結ばれ、幸せになって貰いたいのだ。」
 顔を伏せ、涙にくれるさくに、大殿は優しく語りかけた。国親は確信した。さくも元親を愛している様だ。考え直してくれるだろうと。今の元親なら宮脇家の専横を招く事はないだろう。さくを娶っても何ら害はないのだ。親心として2人を娶せてやりたかった。のだが・・・・・。さくは顔を上げると驚くべきことを言ってのけた。
「大殿は、女々しゅう御座います。」
 これには国親も驚いた。
「な、なに?・・・女々しいとな?」
「今は乱世の世、才覚有るものは世を鎮める為に力を使うのが務め。元親様はその選ばれた方なのです。自らの幸せなどは二の次。まずは天下国家の事を第一義に考えるのが使命に御座います。お分かりになられないのですか。」
「・・・・・・。」
「親ならば、その使命に付いてよう言い聞かせるのが筋。然るに大殿は元親様に幸せになって貰いたい等と宣う始末。それでも親なのですか。」
 予想もしないさくの切り返しに国親は唖然とする。
「そ、そなたも元親を好いていると言ったではないか。」
「はい。好いております。しかし、この乱世に好きだの嫌いだのと言うてる場合ではありません。利があるか無いか。国主に求められるのはそれのみ。上方から嫁を獲るのが上策。さくを獲るのは下策。分かり切っているではありませんか。何故、さくに元親様との婚姻は認めんと言って下さらないので。」
「・・・・・・。」
 国親は心の中で唸った。自分の感情に左右されず、客観的に物事を判断できる、さくにである。もし、さくがおのこであったならばと考えずにはいられなかった。確かにさくの言う事は正しい。だが、この様なおなごを元親の傍に置いておくことは必ず将来の力になる。国親はさくの事を諦めきれないでいた。
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