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第44章
覚醒
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弥三郎たちは戸の本西方に無事離脱した。左月の他、20騎余りが付き従っている。弥三郎の騎馬は歩みを止めた。左月が賺さず声を掛ける。
「弥三郎様。馬を止めてはなりません。ここはまだ、危険です。もっと遠くまで逃れなければ・・・・・。」
「・・・・・さくはどうなった?」
「・・・・・。おそらく、自決なされたかと・・・・。」
「・・・・・・。私は守られてばかりだ。父上に守られ、さくに守られ、初陣も大敗、さくは自分を犠牲にしてまで私を守ったが、果たして私にそんな価値はあったのか。」
「・・・・・・。」
左月は沈黙した。こんな状況で泣き言を言う様な不甲斐ない馬鹿殿の為に命を犠牲にしたさくが理解できなかった。弥三郎にはいっその事、死んで貰いたいとまで思う。いい加減にしろと怒鳴ってやりたいのをグッと押し殺し、口を開いた。
「弥三郎様は自分に価値が無いと?」
「・・・・・無い。」
虫の鳴くような小さな声であった。
「いい加減にしろ!」
弥三郎を一喝した左月に皆、唖然とする。もう我慢が出来なかった。左月は弥三郎を叱り飛ばした。
「こんな状況で自分を卑下して同情を買おうとするのは止めろ。いつまでウジウジウジウジとしているんだ。この馬鹿が。お前がしっかりしないから姫様が身代わりになったのではないか。お前は自分に価値が無いと思ってる様だが、少なくとも姫様はお前に価値があると思うから身代わりになったのだ。てつはう隊も農民たちもお前の為に戦に参加した。今も戦っておる。そんな事を言って皆に申し訳ないと思わんのか。」
「私は・・・・・。」
「五月蠅い!話を聞け!口を挟むな!」
左月は弥三郎の反論を許さず、悲しみとうっぷんを全て吐き出す。
「死ぬのが怖いのか。殺すのが怖いのか。そんなことは些末な事だ。本当に怖いのは、一生ウジウジと引き籠って、何も成せずに死ぬる事じゃ。」
「・・・・・・。」
「いい加減にしろよ、お前。出来ない出来ない言ってないで、やってみれば良いであろう。やらないで死ぬよりもやってみて死んだ方が納得がいくだろうが。そんな事も分からんのか。この愚図は!」
左月は毒々しい口調で弥三郎に思いの丈をぶつけた。うっぷんを吐き出した事で我に返る。やっちまった。主筋に対し面と向かって罵倒するとは。しかもかなり辛辣な事も言ってしまった。どうしよう・・・・・。切羽詰まった左月は傍らの騎馬武者を指差して言った。
「恐れ多い事に、こやつが先程、その様に暴論を吐くので驚いてしまいました。」
なんと、左月は傍に居る騎馬武者に暴言の責任を擦り付けようとした。罪を擦り付けられた武者は堪らない。そんな事をいつ言ったのかと、左月と口論を始めた。弥三郎は2人を尻目に何事か考え込んでいる。そこへ、味方の騎馬武者が4騎程、こちらへ向かって来た。
「弥三郎様~~~。」
息せき切って駆けつけてきた武者に、これ幸いと口論を打ち切った左月が声を掛ける。
「弥三郎様は無事じゃ。本陣はどうなった?」
「さく様は本陣をお捨てになった。」
「捨てた?」
「うむ。本陣に残っている兵を集め、撃って出られた。」
「なんだと!」
左月は驚いた。あの状態で兵を率いて撃って出るとは・・・・・。死を覚悟した特攻である事は明白だったが、なんと男勝りな。弥三郎同様、さくも戦場に出るのは今日が初めてなのである。
「では、さくは未だ、生きているのだな。」
弥三郎は訊ねた。
「はい。先頭に立って、獅子奮迅のお働きに御座います。」
「大変だ。直ぐに助けに行かねば。」
弥三郎は先程まで蒼ざめていたのにも関わらず、殊勲な事を言った。左月は鼻白んだ。助けに行くだと。お前にそんな力量はないだろうに。罵倒したいのを堪えて、言葉を選んで言う。
「なりませぬ。我らの兵の数では残念ながら姫様を救出するのは無理です。ここは退くのです。姫様のお気持ちを無駄にしてはなりません。」
「・・・・・・。それでは、さくはどうなる。殺されてしまうのだぞ。」
「姫様は女。しかも器量がよう御座います。殺されはしますまい。」
「本当か。囚われるだけで済むのだな。」
「おそらく・・・・兵たちの乱取りに遭うかと・・・・・・。」
「乱取り?乱取りとは何だ。」
左月は口籠った。とても言いづらい事であったが、現実は直視しなければならない。
「敵の兵士たち皆に犯されるでしょう。何十人、何百人。その後、奴隷として売り飛ばされるのです。」
「何だと!」
さくが何百人の男達に犯される。弥三郎にくれる筈だった処女が奪われるばかりか、輪姦されるなどと聞いて、弥三郎は怒りにワナワナと打ち震えた。
「勿論、姫様がその様な屈辱を甘んじて受けることは無い筈。その様な状況になれば自害為されるでしょうが、集団で抑え込まれたりされれば、最悪の事も覚悟しておかなくてはなりません。」
左月は自らが仕える宮脇家の姫が、集団で辱めを受けることを想像し、悲嘆に暮れた。だが、この手勢ではさくを救出に行く事は現実的でない。さくの意思を無駄にしない為にも、弥三郎を逃がす事こそが自分に与えられた使命なのだ。だが、弥三郎の考えは違った。
「左月。お前はそれで平気なのか。さくが何百人の兵士たちの慰み者にされ、売り飛ばされても。」
「・・・・・・・・。平気な訳がありません。ですが、たかだか20数騎で何が出来ましょうや。助けに行った所で全滅です。仕方がないのです。姫様の事は忘れ、ご自分の事を第一にお考え下さい。それが姫様が一番望んでいる事に御座います。」
「・・・・・・・。私を逃がす事を望んだのは2番目の望みだ。さくの一番の望みは私が輝かしい武功を挙げ、戦を勝利に導く事こそが、本当の望みであっただろう。」
「・・・・・・・。」
「私は左月に言われて目が覚めた。このままさくを失い、部屋に籠り続けて、何も為せない人生。それこそが一番の恐怖だ。殺す殺されるは大した事ではない。」
「・・・・・・・。」
「さくを助けに行く。ここで助けに行かなければ、一生逃げ続けの人生の気がする。今こそ真価を問われているのだ。」
「・・・・・・・。」
左月は弥三郎の覚悟を聞いて、何と言っていいのか分からなかった。ようやく腹が座ったのは褒めてよいが、この手勢で姫様を助けに行くなどとは首を獲られに行く様なものである。
「ですが、弥三郎様・・・・。」
左月がどう弥三郎を説得したものかと思案している所、告げられたのは絶体絶命の知らせであった。
「左月殿、敵襲です。」
左月が指の指された方を見ると、本山方の敵勢がこちらへ向かって進撃してくる。その数。50騎余り。
「拙い!弥三郎様、急ぎ、お退きください!」
慌てて弥三郎を逃がそうとするが、弥三郎は逃げるどころか馬を降りて、その場で敵兵を迎え撃つ構えを見せた。
「何をやっているのです!早う馬に乗って逃げるのです。」
左月が唾を飛ばして叱り飛ばすが、弥三郎は動じない。
「私は逃げん。彼奴等を蹴散らして、さくを助けに行く。」
弥三郎は静かに言った。弥三郎の落ち着き払った振る舞いに、左月は泡を喰った。あまりの変わりようにである。いつもは甲斐性無しなのにどうしてしまったのか。あまりの恐怖に狂ってしまったのかとさえ思った。そうこうしている間に敵勢は弥三郎を視認した。
「弥三郎だ!敵の若大将ぞ。討ち取れ!」
号令一過、弥三郎の首を獲りに手柄に逸った敵兵がワラワラと群がるのを見て、左月達も迎え撃つ。
「弥三郎様を守れ!」
双方、馬を降りての白兵戦になった。勢いがあるのは本山方。兵の数が違うからだ。必死の防戦も空しく、左月達を振り払った敵が弥三郎に斬り掛かる。
「その首、貰った!」
左月は斬り合いながらそれを見て絶叫した。
「弥三郎様!」
瞬時に左月は理解した。全て終わったのだと・・・・・・。だが、そうはならなかった!弥三郎の槍先が相手の頭部を貫いたからだ!弥三郎の繰り出す槍に突かれた敵兵は勢いよく背後に吹っ飛んだ。まるで暴風に飛ばされた様に・・・・・・。余りの信じがたい出来事に敵も味方も戦いを止め、その場に立ち尽くした。間髪入れず弥三郎は叫んだ。
「武士ならば命より名を惜しめ。一足たりとも退くな。さくを助けに行くのだ!」
弥三郎は今までの腰砕けが嘘の様に、相手の血飛沫を浴びても臆する事無く、大声を上げて敵兵を槍で突き伏せる。左月はその槍捌きを見て呆然とした。さくの指導による腕伏せで鍛えられた腕力から繰り出される槍先は左月には全く見えなかった。それは左月だけでなく、その場にいた者全て同じだったと見え、現に敵に兵士は皆、弥三郎の槍を顔面で受けていた。皆、即死である。体中を朱に染めた鬼神のような弥三郎の姿に励まされた味方は奮起、遂に敵勢を退却に追い込んだ。
「弥三郎様。お見事に御座います。」
左月は弥三郎の足元に跪いて言った。弥三郎は短く、
「そうか。」
とだけ答える。左月は弥三郎の顔を仰ぎ見ることが出来ない。馬鹿だ馬鹿だと思っていた弥三郎の凄まじい戦ぶりを目の当たりにして、背筋に冷たいものを感じた。
「左月よ。」
「はい。」
「さくを助けに行くぞ。」
「・・・・・それは・・・なりません。」
「左月。」
落ち着き払った声で呼ばれ、左月は恐る恐る弥三郎の顔を仰ぎ見る。何人突き殺したであろうか。体中が朱に塗れた弥三郎の顔は無表情であった。
「私ではさくを助けられぬと申すか。今の槍捌きでは不足か。」
「・・・・・いえ。その様な事は。・・・・ただ、私が言いたいのは、姫様の為にお家の大黒柱が倒れるような事があってはならないという事です。先ずはお家の事を一番にお考え下さい。」
「さくを見殺しにしてまで保つ家とは一体、なんだ。そんな家はいらん。潰れてしまえ。」
弥三郎ははっきりと言い切った。弥三郎のさくを想う気持ちに感銘を受けた左月は心を打たれた。だが、弥三郎を行かせる訳には行かない。そこで対案を出した。
「分かりました。我らが姫様を救出に参ります。ここは我らに任せて、弥三郎様は急ぎこの場をお立ち退き下さい。」
「断る。そなた達だけ行かせれば、皆、死ぬ。さくを助けられるのは私だけだ。」
弥三郎は断言した。
「・・・・・・助けられる自信がおありなので?」
左月の問いに弥三郎はこう答えた。
「自信は無い。あるのは確信だけだ。」
「・・・・・・。」
驚く事に弥三郎の表情には、虚勢や慢心の影は全くなかった。弥三郎は自分しか姫様を救えないし、自分なら必ず救えると信じているのだ。
「遂に覚醒なされたのですね。」
左月は感慨深げに弥三郎の顔をまじまじと見つめる。
「ああ、さくのお陰だ。左月にも色々と世話を掛けた。」
「勿体のう御座います。」
左月は深々と頭を下げた。弥三郎は厳しい戦いに生き残った周りの兵たちに発破を掛けた。
「皆、よいか。これより敵勢の中に突撃した、さくを救出に参る。私が先頭に立ち、道を開く。供をせよ!」
「おお~~~~。」
皆が大きな掛け声でそれに応じた。左月はもう反対しなかった。左月も確信していたからだ。今の弥三郎なら姫様を救い出せると。何よりも今の弥三郎をさくに見せたかった。
「弥三郎様。お供仕ります。」
左月が言うと、弥三郎は静かに頷いた。
「弥三郎様。馬を止めてはなりません。ここはまだ、危険です。もっと遠くまで逃れなければ・・・・・。」
「・・・・・さくはどうなった?」
「・・・・・。おそらく、自決なされたかと・・・・。」
「・・・・・・。私は守られてばかりだ。父上に守られ、さくに守られ、初陣も大敗、さくは自分を犠牲にしてまで私を守ったが、果たして私にそんな価値はあったのか。」
「・・・・・・。」
左月は沈黙した。こんな状況で泣き言を言う様な不甲斐ない馬鹿殿の為に命を犠牲にしたさくが理解できなかった。弥三郎にはいっその事、死んで貰いたいとまで思う。いい加減にしろと怒鳴ってやりたいのをグッと押し殺し、口を開いた。
「弥三郎様は自分に価値が無いと?」
「・・・・・無い。」
虫の鳴くような小さな声であった。
「いい加減にしろ!」
弥三郎を一喝した左月に皆、唖然とする。もう我慢が出来なかった。左月は弥三郎を叱り飛ばした。
「こんな状況で自分を卑下して同情を買おうとするのは止めろ。いつまでウジウジウジウジとしているんだ。この馬鹿が。お前がしっかりしないから姫様が身代わりになったのではないか。お前は自分に価値が無いと思ってる様だが、少なくとも姫様はお前に価値があると思うから身代わりになったのだ。てつはう隊も農民たちもお前の為に戦に参加した。今も戦っておる。そんな事を言って皆に申し訳ないと思わんのか。」
「私は・・・・・。」
「五月蠅い!話を聞け!口を挟むな!」
左月は弥三郎の反論を許さず、悲しみとうっぷんを全て吐き出す。
「死ぬのが怖いのか。殺すのが怖いのか。そんなことは些末な事だ。本当に怖いのは、一生ウジウジと引き籠って、何も成せずに死ぬる事じゃ。」
「・・・・・・。」
「いい加減にしろよ、お前。出来ない出来ない言ってないで、やってみれば良いであろう。やらないで死ぬよりもやってみて死んだ方が納得がいくだろうが。そんな事も分からんのか。この愚図は!」
左月は毒々しい口調で弥三郎に思いの丈をぶつけた。うっぷんを吐き出した事で我に返る。やっちまった。主筋に対し面と向かって罵倒するとは。しかもかなり辛辣な事も言ってしまった。どうしよう・・・・・。切羽詰まった左月は傍らの騎馬武者を指差して言った。
「恐れ多い事に、こやつが先程、その様に暴論を吐くので驚いてしまいました。」
なんと、左月は傍に居る騎馬武者に暴言の責任を擦り付けようとした。罪を擦り付けられた武者は堪らない。そんな事をいつ言ったのかと、左月と口論を始めた。弥三郎は2人を尻目に何事か考え込んでいる。そこへ、味方の騎馬武者が4騎程、こちらへ向かって来た。
「弥三郎様~~~。」
息せき切って駆けつけてきた武者に、これ幸いと口論を打ち切った左月が声を掛ける。
「弥三郎様は無事じゃ。本陣はどうなった?」
「さく様は本陣をお捨てになった。」
「捨てた?」
「うむ。本陣に残っている兵を集め、撃って出られた。」
「なんだと!」
左月は驚いた。あの状態で兵を率いて撃って出るとは・・・・・。死を覚悟した特攻である事は明白だったが、なんと男勝りな。弥三郎同様、さくも戦場に出るのは今日が初めてなのである。
「では、さくは未だ、生きているのだな。」
弥三郎は訊ねた。
「はい。先頭に立って、獅子奮迅のお働きに御座います。」
「大変だ。直ぐに助けに行かねば。」
弥三郎は先程まで蒼ざめていたのにも関わらず、殊勲な事を言った。左月は鼻白んだ。助けに行くだと。お前にそんな力量はないだろうに。罵倒したいのを堪えて、言葉を選んで言う。
「なりませぬ。我らの兵の数では残念ながら姫様を救出するのは無理です。ここは退くのです。姫様のお気持ちを無駄にしてはなりません。」
「・・・・・・。それでは、さくはどうなる。殺されてしまうのだぞ。」
「姫様は女。しかも器量がよう御座います。殺されはしますまい。」
「本当か。囚われるだけで済むのだな。」
「おそらく・・・・兵たちの乱取りに遭うかと・・・・・・。」
「乱取り?乱取りとは何だ。」
左月は口籠った。とても言いづらい事であったが、現実は直視しなければならない。
「敵の兵士たち皆に犯されるでしょう。何十人、何百人。その後、奴隷として売り飛ばされるのです。」
「何だと!」
さくが何百人の男達に犯される。弥三郎にくれる筈だった処女が奪われるばかりか、輪姦されるなどと聞いて、弥三郎は怒りにワナワナと打ち震えた。
「勿論、姫様がその様な屈辱を甘んじて受けることは無い筈。その様な状況になれば自害為されるでしょうが、集団で抑え込まれたりされれば、最悪の事も覚悟しておかなくてはなりません。」
左月は自らが仕える宮脇家の姫が、集団で辱めを受けることを想像し、悲嘆に暮れた。だが、この手勢ではさくを救出に行く事は現実的でない。さくの意思を無駄にしない為にも、弥三郎を逃がす事こそが自分に与えられた使命なのだ。だが、弥三郎の考えは違った。
「左月。お前はそれで平気なのか。さくが何百人の兵士たちの慰み者にされ、売り飛ばされても。」
「・・・・・・・・。平気な訳がありません。ですが、たかだか20数騎で何が出来ましょうや。助けに行った所で全滅です。仕方がないのです。姫様の事は忘れ、ご自分の事を第一にお考え下さい。それが姫様が一番望んでいる事に御座います。」
「・・・・・・・。私を逃がす事を望んだのは2番目の望みだ。さくの一番の望みは私が輝かしい武功を挙げ、戦を勝利に導く事こそが、本当の望みであっただろう。」
「・・・・・・・。」
「私は左月に言われて目が覚めた。このままさくを失い、部屋に籠り続けて、何も為せない人生。それこそが一番の恐怖だ。殺す殺されるは大した事ではない。」
「・・・・・・・。」
「さくを助けに行く。ここで助けに行かなければ、一生逃げ続けの人生の気がする。今こそ真価を問われているのだ。」
「・・・・・・・。」
左月は弥三郎の覚悟を聞いて、何と言っていいのか分からなかった。ようやく腹が座ったのは褒めてよいが、この手勢で姫様を助けに行くなどとは首を獲られに行く様なものである。
「ですが、弥三郎様・・・・。」
左月がどう弥三郎を説得したものかと思案している所、告げられたのは絶体絶命の知らせであった。
「左月殿、敵襲です。」
左月が指の指された方を見ると、本山方の敵勢がこちらへ向かって進撃してくる。その数。50騎余り。
「拙い!弥三郎様、急ぎ、お退きください!」
慌てて弥三郎を逃がそうとするが、弥三郎は逃げるどころか馬を降りて、その場で敵兵を迎え撃つ構えを見せた。
「何をやっているのです!早う馬に乗って逃げるのです。」
左月が唾を飛ばして叱り飛ばすが、弥三郎は動じない。
「私は逃げん。彼奴等を蹴散らして、さくを助けに行く。」
弥三郎は静かに言った。弥三郎の落ち着き払った振る舞いに、左月は泡を喰った。あまりの変わりようにである。いつもは甲斐性無しなのにどうしてしまったのか。あまりの恐怖に狂ってしまったのかとさえ思った。そうこうしている間に敵勢は弥三郎を視認した。
「弥三郎だ!敵の若大将ぞ。討ち取れ!」
号令一過、弥三郎の首を獲りに手柄に逸った敵兵がワラワラと群がるのを見て、左月達も迎え撃つ。
「弥三郎様を守れ!」
双方、馬を降りての白兵戦になった。勢いがあるのは本山方。兵の数が違うからだ。必死の防戦も空しく、左月達を振り払った敵が弥三郎に斬り掛かる。
「その首、貰った!」
左月は斬り合いながらそれを見て絶叫した。
「弥三郎様!」
瞬時に左月は理解した。全て終わったのだと・・・・・・。だが、そうはならなかった!弥三郎の槍先が相手の頭部を貫いたからだ!弥三郎の繰り出す槍に突かれた敵兵は勢いよく背後に吹っ飛んだ。まるで暴風に飛ばされた様に・・・・・・。余りの信じがたい出来事に敵も味方も戦いを止め、その場に立ち尽くした。間髪入れず弥三郎は叫んだ。
「武士ならば命より名を惜しめ。一足たりとも退くな。さくを助けに行くのだ!」
弥三郎は今までの腰砕けが嘘の様に、相手の血飛沫を浴びても臆する事無く、大声を上げて敵兵を槍で突き伏せる。左月はその槍捌きを見て呆然とした。さくの指導による腕伏せで鍛えられた腕力から繰り出される槍先は左月には全く見えなかった。それは左月だけでなく、その場にいた者全て同じだったと見え、現に敵に兵士は皆、弥三郎の槍を顔面で受けていた。皆、即死である。体中を朱に染めた鬼神のような弥三郎の姿に励まされた味方は奮起、遂に敵勢を退却に追い込んだ。
「弥三郎様。お見事に御座います。」
左月は弥三郎の足元に跪いて言った。弥三郎は短く、
「そうか。」
とだけ答える。左月は弥三郎の顔を仰ぎ見ることが出来ない。馬鹿だ馬鹿だと思っていた弥三郎の凄まじい戦ぶりを目の当たりにして、背筋に冷たいものを感じた。
「左月よ。」
「はい。」
「さくを助けに行くぞ。」
「・・・・・それは・・・なりません。」
「左月。」
落ち着き払った声で呼ばれ、左月は恐る恐る弥三郎の顔を仰ぎ見る。何人突き殺したであろうか。体中が朱に塗れた弥三郎の顔は無表情であった。
「私ではさくを助けられぬと申すか。今の槍捌きでは不足か。」
「・・・・・いえ。その様な事は。・・・・ただ、私が言いたいのは、姫様の為にお家の大黒柱が倒れるような事があってはならないという事です。先ずはお家の事を一番にお考え下さい。」
「さくを見殺しにしてまで保つ家とは一体、なんだ。そんな家はいらん。潰れてしまえ。」
弥三郎ははっきりと言い切った。弥三郎のさくを想う気持ちに感銘を受けた左月は心を打たれた。だが、弥三郎を行かせる訳には行かない。そこで対案を出した。
「分かりました。我らが姫様を救出に参ります。ここは我らに任せて、弥三郎様は急ぎこの場をお立ち退き下さい。」
「断る。そなた達だけ行かせれば、皆、死ぬ。さくを助けられるのは私だけだ。」
弥三郎は断言した。
「・・・・・・助けられる自信がおありなので?」
左月の問いに弥三郎はこう答えた。
「自信は無い。あるのは確信だけだ。」
「・・・・・・。」
驚く事に弥三郎の表情には、虚勢や慢心の影は全くなかった。弥三郎は自分しか姫様を救えないし、自分なら必ず救えると信じているのだ。
「遂に覚醒なされたのですね。」
左月は感慨深げに弥三郎の顔をまじまじと見つめる。
「ああ、さくのお陰だ。左月にも色々と世話を掛けた。」
「勿体のう御座います。」
左月は深々と頭を下げた。弥三郎は厳しい戦いに生き残った周りの兵たちに発破を掛けた。
「皆、よいか。これより敵勢の中に突撃した、さくを救出に参る。私が先頭に立ち、道を開く。供をせよ!」
「おお~~~~。」
皆が大きな掛け声でそれに応じた。左月はもう反対しなかった。左月も確信していたからだ。今の弥三郎なら姫様を救い出せると。何よりも今の弥三郎をさくに見せたかった。
「弥三郎様。お供仕ります。」
左月が言うと、弥三郎は静かに頷いた。
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