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第32章
廃嫡危機
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翌日。
城下の人々は湧き立っていた。弥三郎が家臣を引き連れて、辻斬りを討ち果たした事が領内に知れ渡ったからである。あの馬鹿だ馬鹿だと言われていた若殿の活躍に、弥三郎の株は大いに上がった。それと同時に辻斬りの正体が敵対する本山氏の手の者だと分かり、本山討つべしの世論が高まりを帯びた。賊の六人の首は城下に晒された。さくが矛を切り取った男の遺体だけ回収できなかった。どうやら戦闘の間に逃走したらしいが、あの出血ではどこかで野垂れ死にしているだろう。左京の遺体は丁重に葬られた。はるは重体である。
「良くやった。弥三郎。」
大殿は笑顔で語りかける。弥三郎は暗い表情だ。
「さくも左月もご苦労であった。」
「はい。恐れ入ります。」
さくがうやうやしく頭を下げると、左月もそれに合わせる。
「しかし、辻斬りが本山の手の者だったとはの。卑劣な奴らじゃ。」
「はっ。さくも全く想定しておらず、危ない所で御座いました。」
「左京は気の毒であった。丁重に葬ってやるがよい。」
「はい。」
「はるは?大丈夫か。」
「意識がありませぬ。医師の見立てでは危ない状況だと。」
「左様か。はるは賊を一人討ち取ったとか。誠に天晴じゃな。」
「はい。」
「それにしても弥三郎は大手柄じゃ。城下はこの話で持ち切りぞ。」
「・・・・・・。」
「どうした?」
大殿は弥三郎に話を向けたが、弥三郎は無言である。
「・・・・・此度の手柄は私の手柄ではありません。私は何もしていないのです。」
声を絞り出す弥三郎。
「弥三郎様。」
さくは嗜めるが、弥三郎は続けた。
「戦ったのはさくや左京・左月。私は何も出来ませんでした。はるでさえ体を張って私を守りましたのに、私は・・・震えあがって、小便を漏らしてしまいました。
「・・・・・左様であったか。・・・・まあ、そういう事もあろう。此度は初めての実戦であったのだから。気にする事は無い。」
弥三郎が功績を立てたと思っていた大殿は、落胆を押し殺しながら慰めたが、人の心の機微に敏感な弥三郎は、父親の心中を敏感に感じ取り、それが居たたまれなさとなった。
「相手が斬られたり、血を流しているのを見ると、頭が真っ白になってしまうのです。怖くて堪らぬ。」
「弥三郎。初めは皆、そうなのだ。」
「ですが・・・・。さくは人を斬るのは今回が初めてでした。何の躊躇も無く、賊の首を撥ねました。はるなどは武芸の心得が無いのにも関わらず、敵を討ちました。それに比べて、私は・・・・・。必死に鍛錬したのにも関わらず、ただ、震えているだけ。私の武芸は何の役にも立たない。何にも出来ない。家臣をおめおめと死なせて、のうのうと生きながらえている。卑怯者の負け犬です。」
声を振り絞ってそれだけ言うと、弥三郎は頭を下げて部屋を後にした。大殿もさく達も掛ける言葉が見つからなかった。残された三人の間を重苦しい沈黙が支配する。どれぐらい沈黙が続いたであろうか。大殿が口を開いた。
「さくよ。」
「はい。」
「ずばり聞くぞ。弥三郎には将としての資質は無いか?」
さくは内心ギクリとした。よもや大殿は廃嫡を考えているのではないか。ここは言葉を選ばなければいけない。
「大殿。何を仰いますか。大殿の後を継ぐのは弥三郎様を於いて他にはいません。」
さくはきっぱりと断言した。大殿は咳払いをして、声を潜めて言う。
「だがな、今回の事は、弥三郎は何も出来なかったのであろう。人を斬るのが怖くて、震えていた様ではないか。」
「それは実戦が初めてだったのですから、仕方がないでしょう。経験の浅い者が、思いもかけない激しい斬り合いになった事で、面食らうと言うのは良くある事で御座います。」
「だが、そなたも実践は初めてであったのだろう。臆せず首を獲ったではないか。」
そう来たか。参ったな。さくは一瞬、答えに窮したが、弥三郎の将来が掛かっている。淀みなく、とうとうと答える。
「さくは幼き頃から戦で傷を負った者や獲って来た首などを間近で見ておりました。血生臭い環境で育って来たのですから生来、耐性が御座います。それに対して弥三郎様はどうでしょうか。ぬくぬくと大事な玉の様に育てられておいでです。耐性が無いのです。いきなり目の前で斬られて、血を吹き出す者がいましたら、臆するのは当然の事で御座いましょう。これはその様に育てられた大殿に非があるのは明らかで、それを持って将としての資質に欠けるのではないかと論ずるは弥三郎様が気の毒です。」
「うむむ。儂に非が有ると申すか。」
大殿はさくの反論が胸に刺さった様子で、怒気を露わにしたが、さくは臆せず答える。
「はい。完全に大殿に非が御座います。」
「言うたな、さく。主に対して、その言い様はなんだ!」
「事実をありのまま述べただけで御座いましょう。そこまでお怒りになられるのは、さくの言った事が痛い所を突いているからではありませんか。」
「・・・・・・。」
「弥三郎様が引き籠っておられるのに、何の手立ても講じず、初陣もさせず、この年までずるずると。自分では手に余るからと、さくに教育を丸投げし、なかなか成果が出ないから弥三郎様には将の資質がないなどと。こんな親がいますか?弥三郎様は小便を漏らしながらも、はるを助けようと必死に戦おうとされた。結果は出ませんでしたが、必死に努力されました。大殿はどうですか。弥三郎様と戦いましたか?向き合うのを放棄されていたのでは。及び腰で努力すらしなかったのではないですか。弥三郎様に将としての資質が無いとするならば、それは人として、親としての資質が全く欠如した大殿から受け継いだものではないですか。失格人間の。」
「・・・・・・・・。さく、お前。そこまでよく言うな。気にしている事をずけずけと・・・・・。」
大殿は呆れ顔で言った。さくは済ました顔である。
「分かった。儂が悪かった。確かにさくの言う通りだ。儂の育て方が悪かった。認めよう。しかし、今更、悔いても仕方あるまい。どうしろというのじゃ。」
「今しばらく、時間を下さい。長い目で見て頂きたいのです。」
「・・・・・・。もう、時間はやれぬ。」
「何故で御座いますか。」
「儂は・・・・もう、長くない。」
「えっ!」
「自分の体の事は自分が一番、良く分かる。残念だが儂の代では父母の仇を討つことは出来ぬ。」
「・・・・・・。」
「それ故に儂は目に見える成果が欲しいのじゃ。弥三郎は儂に代わってこの家を守っていける器か否かの。」
「・・・・・・・。具体的に弥三郎様にどうしろと?」
「長浜城じゃ。」
「はっ?」
「弥三郎に本山方の長浜城を攻めさせよ。」
「・・・・・・。」
「長浜城を攻略出来たら、弥三郎の器を認めよう。」
「・・・・・・。」
「よいな。弥三郎にしかと申し付けよ。」
「・・・・・・。承知・・・・仕りました。」
城下の人々は湧き立っていた。弥三郎が家臣を引き連れて、辻斬りを討ち果たした事が領内に知れ渡ったからである。あの馬鹿だ馬鹿だと言われていた若殿の活躍に、弥三郎の株は大いに上がった。それと同時に辻斬りの正体が敵対する本山氏の手の者だと分かり、本山討つべしの世論が高まりを帯びた。賊の六人の首は城下に晒された。さくが矛を切り取った男の遺体だけ回収できなかった。どうやら戦闘の間に逃走したらしいが、あの出血ではどこかで野垂れ死にしているだろう。左京の遺体は丁重に葬られた。はるは重体である。
「良くやった。弥三郎。」
大殿は笑顔で語りかける。弥三郎は暗い表情だ。
「さくも左月もご苦労であった。」
「はい。恐れ入ります。」
さくがうやうやしく頭を下げると、左月もそれに合わせる。
「しかし、辻斬りが本山の手の者だったとはの。卑劣な奴らじゃ。」
「はっ。さくも全く想定しておらず、危ない所で御座いました。」
「左京は気の毒であった。丁重に葬ってやるがよい。」
「はい。」
「はるは?大丈夫か。」
「意識がありませぬ。医師の見立てでは危ない状況だと。」
「左様か。はるは賊を一人討ち取ったとか。誠に天晴じゃな。」
「はい。」
「それにしても弥三郎は大手柄じゃ。城下はこの話で持ち切りぞ。」
「・・・・・・。」
「どうした?」
大殿は弥三郎に話を向けたが、弥三郎は無言である。
「・・・・・此度の手柄は私の手柄ではありません。私は何もしていないのです。」
声を絞り出す弥三郎。
「弥三郎様。」
さくは嗜めるが、弥三郎は続けた。
「戦ったのはさくや左京・左月。私は何も出来ませんでした。はるでさえ体を張って私を守りましたのに、私は・・・震えあがって、小便を漏らしてしまいました。
「・・・・・左様であったか。・・・・まあ、そういう事もあろう。此度は初めての実戦であったのだから。気にする事は無い。」
弥三郎が功績を立てたと思っていた大殿は、落胆を押し殺しながら慰めたが、人の心の機微に敏感な弥三郎は、父親の心中を敏感に感じ取り、それが居たたまれなさとなった。
「相手が斬られたり、血を流しているのを見ると、頭が真っ白になってしまうのです。怖くて堪らぬ。」
「弥三郎。初めは皆、そうなのだ。」
「ですが・・・・。さくは人を斬るのは今回が初めてでした。何の躊躇も無く、賊の首を撥ねました。はるなどは武芸の心得が無いのにも関わらず、敵を討ちました。それに比べて、私は・・・・・。必死に鍛錬したのにも関わらず、ただ、震えているだけ。私の武芸は何の役にも立たない。何にも出来ない。家臣をおめおめと死なせて、のうのうと生きながらえている。卑怯者の負け犬です。」
声を振り絞ってそれだけ言うと、弥三郎は頭を下げて部屋を後にした。大殿もさく達も掛ける言葉が見つからなかった。残された三人の間を重苦しい沈黙が支配する。どれぐらい沈黙が続いたであろうか。大殿が口を開いた。
「さくよ。」
「はい。」
「ずばり聞くぞ。弥三郎には将としての資質は無いか?」
さくは内心ギクリとした。よもや大殿は廃嫡を考えているのではないか。ここは言葉を選ばなければいけない。
「大殿。何を仰いますか。大殿の後を継ぐのは弥三郎様を於いて他にはいません。」
さくはきっぱりと断言した。大殿は咳払いをして、声を潜めて言う。
「だがな、今回の事は、弥三郎は何も出来なかったのであろう。人を斬るのが怖くて、震えていた様ではないか。」
「それは実戦が初めてだったのですから、仕方がないでしょう。経験の浅い者が、思いもかけない激しい斬り合いになった事で、面食らうと言うのは良くある事で御座います。」
「だが、そなたも実践は初めてであったのだろう。臆せず首を獲ったではないか。」
そう来たか。参ったな。さくは一瞬、答えに窮したが、弥三郎の将来が掛かっている。淀みなく、とうとうと答える。
「さくは幼き頃から戦で傷を負った者や獲って来た首などを間近で見ておりました。血生臭い環境で育って来たのですから生来、耐性が御座います。それに対して弥三郎様はどうでしょうか。ぬくぬくと大事な玉の様に育てられておいでです。耐性が無いのです。いきなり目の前で斬られて、血を吹き出す者がいましたら、臆するのは当然の事で御座いましょう。これはその様に育てられた大殿に非があるのは明らかで、それを持って将としての資質に欠けるのではないかと論ずるは弥三郎様が気の毒です。」
「うむむ。儂に非が有ると申すか。」
大殿はさくの反論が胸に刺さった様子で、怒気を露わにしたが、さくは臆せず答える。
「はい。完全に大殿に非が御座います。」
「言うたな、さく。主に対して、その言い様はなんだ!」
「事実をありのまま述べただけで御座いましょう。そこまでお怒りになられるのは、さくの言った事が痛い所を突いているからではありませんか。」
「・・・・・・。」
「弥三郎様が引き籠っておられるのに、何の手立ても講じず、初陣もさせず、この年までずるずると。自分では手に余るからと、さくに教育を丸投げし、なかなか成果が出ないから弥三郎様には将の資質がないなどと。こんな親がいますか?弥三郎様は小便を漏らしながらも、はるを助けようと必死に戦おうとされた。結果は出ませんでしたが、必死に努力されました。大殿はどうですか。弥三郎様と戦いましたか?向き合うのを放棄されていたのでは。及び腰で努力すらしなかったのではないですか。弥三郎様に将としての資質が無いとするならば、それは人として、親としての資質が全く欠如した大殿から受け継いだものではないですか。失格人間の。」
「・・・・・・・・。さく、お前。そこまでよく言うな。気にしている事をずけずけと・・・・・。」
大殿は呆れ顔で言った。さくは済ました顔である。
「分かった。儂が悪かった。確かにさくの言う通りだ。儂の育て方が悪かった。認めよう。しかし、今更、悔いても仕方あるまい。どうしろというのじゃ。」
「今しばらく、時間を下さい。長い目で見て頂きたいのです。」
「・・・・・・。もう、時間はやれぬ。」
「何故で御座いますか。」
「儂は・・・・もう、長くない。」
「えっ!」
「自分の体の事は自分が一番、良く分かる。残念だが儂の代では父母の仇を討つことは出来ぬ。」
「・・・・・・。」
「それ故に儂は目に見える成果が欲しいのじゃ。弥三郎は儂に代わってこの家を守っていける器か否かの。」
「・・・・・・・。具体的に弥三郎様にどうしろと?」
「長浜城じゃ。」
「はっ?」
「弥三郎に本山方の長浜城を攻めさせよ。」
「・・・・・・。」
「長浜城を攻略出来たら、弥三郎の器を認めよう。」
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