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第21章
宮脇流腕伏せ
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「ひい(一)、ふう(二)、みい(三)、よう(四)・・・・・。」
前庭にはるの数字を数える音が響いた。さくが腕組みをして見守る中、弥三郎の喘ぎ声がまるで首を絞められている犬の様である。弥三郎は地べたを舐めているかのように俯せに蹲って喘いでいた。
「弥三郎様、休んではなりませんよ。」
さくは厳しく言い放った。それに突き動かされる弥三郎。両手で地面を押して、体を押し上げる。
「はい、いつ(五)。」
弥三郎は震える肘を曲げ、胸が地面に付くギリギリまで体を下ろす。
「はい。そこで止める。」
弥三郎はさくの指示に従い、ぶるぶる全身を震わせながら必死に体を静止する。
「はい、結構です。体を上げて下さい。」
弥三郎が膂力を振り絞り、体を持ち上げると、はるは朗らかに数を数えた。
「はい、むう(六)。」
弥三郎はばたりとその場に突っ伏した。
「駄目だ。これ以上は出来ぬ。」
「出来ます。最初はゆっくりと休み休みでも構いません。その内に体に段々と力が付いて参ります。」
「一体、これは何の真似だ。何の為にこの様な事をさせるのだ。」
「これは宮脇家に代々伝わります、武芸の鍛錬法に御座います。」
宮脇家に代々伝わる鍛錬法。それは現代で云う所の「腕立て伏せ」である。日本での腕立て伏せの始まりについては諸説あるが、近代ウエイトトレーニングの父であるユージン・サンドウの書いた著作物が、加納治五郎の手に寄り和訳されたのが始まりと云うのが一般的である。それは1898年の事であるから、それよりも300年以上も前に、さくの生家では腕立てで体を鍛えていた事になる。戦国乱世の時代では武芸の鍛錬と言えば、ひたすら刀を素振りする事で、筋力トレーニングという概念が無い。当時に於いてこのトレーニングは画期的であった。
「これが鍛錬だというのか。この様な鍛錬法は聞いた事もないぞ。」
弥三郎は堪らず因縁を付けた。虚弱な弥三郎にはかなり堪える。
「口を動かさず、体を動かす。黙ってやるのです。」
「・・・・・・・。もう、むう(六)もやったではないか。」
「むう(六)もやった。?全然足らぬのです。」
「・・・・・。一体、どれだけやらせるつもりなのか。それを聞かせてくれ。」
「とお(10)をとお(10)。それをいつ(5回)。」
それを聞いた弥三郎は顔色を失った。10回を10セット。それを5回繰り返す。と、云う事は・・・500回である。
「無理だ。そんな事は出来ない。死んでしまうではないか。殺す気か。」
「ご心配なく。いきなりやれとは申しません。最初は軽く。徐々に回数を増やしていけば良いのです。」
それを聞いた弥三郎は少し安堵した。500回は最終目標であるのだ。いきなりやる訳では無いと聞いたからだ。
「なんだ。そうか。徐々に回数を増やしていけば良いのか。それを早く言ってくれ。最初は軽くで良いのだな。」
「はい。初めてなのですから、とお(10回)をとお(10回)だけ。」
さくは何ともない事の様に軽く言うが、虚弱な弥三郎に腕伏せを100回やれと言うのは、無茶である。
「さく、お前・・・・・。」
弥三郎は絶句して二の句が継げぬ状態である。
「今日はそれが終わらぬ事には、寝る事は出来ません。」
さくの血も涙もない通告に堪りかね、弥三郎は突っ込んだ。
「さくは鬼か。いきなりそんなに出来る訳があるまい。」
「ゆっくり、休み休みで構いません。厳しければ初めは膝を付いてで結構です。」
「何を言っているのだ。出来ぬ。夜まで掛かってしまう。」
「別に構わないではありませんか。どうせ他にやる事もないでしょう。部屋に閉じこもってただ飯を食らってるだけなのでは。」
さくの身も蓋も無い物言いに、弥三郎は反論する。
「何を言うか。色々とやる事はある。」
「やる事と言ってもどうせ覗きと矛を扱くだけでしょう。」
さくがはるに聞こえぬように耳打ちする。
「・・・・・・・。」
痛い所を突かれ弥三郎は沈黙した。弥三郎の日々の日課は、さくの言う通りであった。
「毎日、腕伏せをやれば助平な事も考えなくなります。鍛錬にもなりますし、一石二鳥では御座いませんか。」
「・・・・・・・。」
さくはパンパンと手を叩いて、弥三郎を焚きつけた。
「さあ、始めますよ。」
「・・・・・・・。数が多すぎる。今日はとお(10回)やれば良いだろう。むう(6回)やっただけで腕に力が入らぬのだ。無理だ。」
「何を情けない事を仰りますか。駄目だ無理だと最初から思っているから出来ないのです。一日かけて絶対にやってやるという気構えをお持ちください。」
「それでは先ず、そなたが見本を見せよ。そなたがこなせる数だけ私もやろう。」
「・・・・・。良う分かりました。さくがやったのと同じ数だけやられるのですね。」
「そうだ。人に簡単に出来ると言うのであれば、さくが先ずやって見せるべきであろう。」
弥三郎は勝ち誇って言った。さくはそれをフンと笑い飛ばす。
「なるほど、それは確かに納得です。自分が出来ないものを、人にやれと言うのは可笑しいですからね。」
「そうだ、その通りだ。」
「では、さくもやってみましょう。さくが出来た数だけやって貰えれば結構に御座います。」
そう言うと、さくは袖を捲り上げ縛った。しゃがみ込むと腕伏せの体勢を取る。弥三郎は楽観的に考えていた。さくの細腕では、出来たとしても10回前後であろうと・・・・・。そんな弥三郎にはるが耳打ちする。
「弥三郎様。拙う御座います。」
「何がだ?」
「姫様は毎日腕伏せをとお(10回)のとお(10回)、それをとお(10回)やられるのです。」
とおのとおを、とお。つまり1000回である。弥三郎には信じられなかった。自分はむう(6かい)しか出来ないのに・・・・。1000回もおなごが出来る筈がない。
「戯けた事を申すでない。そんなに出来る筈が無いではないか。」
「本当で御座います。姫様はそれをお見せになって、弥三郎様を扱かれるお積りです。直ぐに謝ってとおのとお、やられるべきです。」
はるの言う事は到底信じられるものではなかった。半信半疑で迷っている弥三郎を尻目に、さくは腕伏せを始める。
「ひい、ふう、みい、よう、いつ、むう、なな、やあ、ここ、とお。」
弥三郎は目を見張った。さくの腕伏せにである。弥三郎の様にゆっくりではない。物凄く早く体を上下させる高速腕伏せであった。全く休む事無く、さくは腕伏せを続ける。20回、30回、40回・・・・。弥三郎は悲鳴を上げて余計な事を言った事を後悔した。このまま行くと、何回腕伏せをやる事になるか分からないからだ。
「さ、さく。一体、何回やるつもりなんだ。勘弁してくれ。もうその位で良いであろう。」
横で悲鳴を上げる弥三郎を尻目に、さくはほくそ笑みながら高速の腕伏せを続ける。弥三郎の事を軽く扱いてやろうという考えである。弥三郎の「やめてくれ」という喚き声がさくの加虐性を刺激する。50回、60回、70回まで来た時である。不意に弥三郎が喚くのを止めた。さくは両手で体を支えたまま、動きを止め、弥三郎を見る。すると、身を乗り出してさくの事をじっと見ていた。さっきまで哀願の声を上げていたのにも関わらず一体何なのだ?さくが疑問に思ってたじろぐと、はるが弥三郎の意図を説明した。
「姫様。弥三郎様が姫様の胸元を覗いておいでです。」
さくが自らの胸元に目をやると、着ている小袖が腕伏せで乱れ、胸元が開いていた。そこから弥三郎は乳房を覗き込んでいたのである。
「こ、この、助平。」
さくは俊敏に起き上がると、乱れた小袖を直した。それを見て弥三郎はニヤニヤと笑っている。
「いつ見ても小振りな良い乳だ。」
さくの恥ずかしがる顔を見て、弥三郎はご満悦である。さくは乳房を覗き見られ、淫らな言葉を吐き掛けられ、胸がきゅんと締め付けられるのを感じた。さくは直ぐにでも厠に駆け込んで火処を擦りたくて堪らなかった。しかし、それを弥三郎に悟られる訳にはいかなかった。教育係であるさくが教唆する立場にある弥三郎に性的な欲求を覚えているなど知られる訳にはいかないのだ。さくは努めて毅然とした態度を取った。
「相変わらずの変態っぷり、大変めでたい事です。その性的欲求の半分でも武芸に向けることが出来れば、直ぐに上達するのですが。」
「・・・・・・・。」
弥三郎はさくが卑猥な話に全く乗って来ない事に肩を落とす。さくに卑猥な話を吐き掛け、その反応を楽しみにしているからだ。弥三郎はおなごに対して卑猥な言葉を吐き掛けずにはいられない汚言症の気があるようだった。現代で云うならトゥレット症候群であろう。もちろんこの時代には知られていない。それ故、弥三郎の言動はさくには奇矯な振る舞いとして初めは映った。だが、今では被虐性のあるさくは、言葉を吐き掛けられることに興奮を覚えていた。さくの胸中は教育係の理性と、弥三郎に汚されたいという被虐性の綱引きであった。さくはこの場で小袖を脱ぎ捨て、裸になって弥三郎に「抱いてください」と言ったらどうなるかの想像で悶々としていた。
「・・・・・。さあ、さくは今、70回腕伏せをやりました。ですから、今日は弥三郎様にも70回やって頂きます。」
さくは喉から出掛かっていた言葉を理性で飲み込み、教育係としての本分をなんとか守ったのである。
「・・・・・・・。まあ、約束だからな。やむを得ないな。」
弥三郎はぶつくさ言いながら、腕伏せの姿勢を取った。
前庭にはるの数字を数える音が響いた。さくが腕組みをして見守る中、弥三郎の喘ぎ声がまるで首を絞められている犬の様である。弥三郎は地べたを舐めているかのように俯せに蹲って喘いでいた。
「弥三郎様、休んではなりませんよ。」
さくは厳しく言い放った。それに突き動かされる弥三郎。両手で地面を押して、体を押し上げる。
「はい、いつ(五)。」
弥三郎は震える肘を曲げ、胸が地面に付くギリギリまで体を下ろす。
「はい。そこで止める。」
弥三郎はさくの指示に従い、ぶるぶる全身を震わせながら必死に体を静止する。
「はい、結構です。体を上げて下さい。」
弥三郎が膂力を振り絞り、体を持ち上げると、はるは朗らかに数を数えた。
「はい、むう(六)。」
弥三郎はばたりとその場に突っ伏した。
「駄目だ。これ以上は出来ぬ。」
「出来ます。最初はゆっくりと休み休みでも構いません。その内に体に段々と力が付いて参ります。」
「一体、これは何の真似だ。何の為にこの様な事をさせるのだ。」
「これは宮脇家に代々伝わります、武芸の鍛錬法に御座います。」
宮脇家に代々伝わる鍛錬法。それは現代で云う所の「腕立て伏せ」である。日本での腕立て伏せの始まりについては諸説あるが、近代ウエイトトレーニングの父であるユージン・サンドウの書いた著作物が、加納治五郎の手に寄り和訳されたのが始まりと云うのが一般的である。それは1898年の事であるから、それよりも300年以上も前に、さくの生家では腕立てで体を鍛えていた事になる。戦国乱世の時代では武芸の鍛錬と言えば、ひたすら刀を素振りする事で、筋力トレーニングという概念が無い。当時に於いてこのトレーニングは画期的であった。
「これが鍛錬だというのか。この様な鍛錬法は聞いた事もないぞ。」
弥三郎は堪らず因縁を付けた。虚弱な弥三郎にはかなり堪える。
「口を動かさず、体を動かす。黙ってやるのです。」
「・・・・・・・。もう、むう(六)もやったではないか。」
「むう(六)もやった。?全然足らぬのです。」
「・・・・・。一体、どれだけやらせるつもりなのか。それを聞かせてくれ。」
「とお(10)をとお(10)。それをいつ(5回)。」
それを聞いた弥三郎は顔色を失った。10回を10セット。それを5回繰り返す。と、云う事は・・・500回である。
「無理だ。そんな事は出来ない。死んでしまうではないか。殺す気か。」
「ご心配なく。いきなりやれとは申しません。最初は軽く。徐々に回数を増やしていけば良いのです。」
それを聞いた弥三郎は少し安堵した。500回は最終目標であるのだ。いきなりやる訳では無いと聞いたからだ。
「なんだ。そうか。徐々に回数を増やしていけば良いのか。それを早く言ってくれ。最初は軽くで良いのだな。」
「はい。初めてなのですから、とお(10回)をとお(10回)だけ。」
さくは何ともない事の様に軽く言うが、虚弱な弥三郎に腕伏せを100回やれと言うのは、無茶である。
「さく、お前・・・・・。」
弥三郎は絶句して二の句が継げぬ状態である。
「今日はそれが終わらぬ事には、寝る事は出来ません。」
さくの血も涙もない通告に堪りかね、弥三郎は突っ込んだ。
「さくは鬼か。いきなりそんなに出来る訳があるまい。」
「ゆっくり、休み休みで構いません。厳しければ初めは膝を付いてで結構です。」
「何を言っているのだ。出来ぬ。夜まで掛かってしまう。」
「別に構わないではありませんか。どうせ他にやる事もないでしょう。部屋に閉じこもってただ飯を食らってるだけなのでは。」
さくの身も蓋も無い物言いに、弥三郎は反論する。
「何を言うか。色々とやる事はある。」
「やる事と言ってもどうせ覗きと矛を扱くだけでしょう。」
さくがはるに聞こえぬように耳打ちする。
「・・・・・・・。」
痛い所を突かれ弥三郎は沈黙した。弥三郎の日々の日課は、さくの言う通りであった。
「毎日、腕伏せをやれば助平な事も考えなくなります。鍛錬にもなりますし、一石二鳥では御座いませんか。」
「・・・・・・・。」
さくはパンパンと手を叩いて、弥三郎を焚きつけた。
「さあ、始めますよ。」
「・・・・・・・。数が多すぎる。今日はとお(10回)やれば良いだろう。むう(6回)やっただけで腕に力が入らぬのだ。無理だ。」
「何を情けない事を仰りますか。駄目だ無理だと最初から思っているから出来ないのです。一日かけて絶対にやってやるという気構えをお持ちください。」
「それでは先ず、そなたが見本を見せよ。そなたがこなせる数だけ私もやろう。」
「・・・・・。良う分かりました。さくがやったのと同じ数だけやられるのですね。」
「そうだ。人に簡単に出来ると言うのであれば、さくが先ずやって見せるべきであろう。」
弥三郎は勝ち誇って言った。さくはそれをフンと笑い飛ばす。
「なるほど、それは確かに納得です。自分が出来ないものを、人にやれと言うのは可笑しいですからね。」
「そうだ、その通りだ。」
「では、さくもやってみましょう。さくが出来た数だけやって貰えれば結構に御座います。」
そう言うと、さくは袖を捲り上げ縛った。しゃがみ込むと腕伏せの体勢を取る。弥三郎は楽観的に考えていた。さくの細腕では、出来たとしても10回前後であろうと・・・・・。そんな弥三郎にはるが耳打ちする。
「弥三郎様。拙う御座います。」
「何がだ?」
「姫様は毎日腕伏せをとお(10回)のとお(10回)、それをとお(10回)やられるのです。」
とおのとおを、とお。つまり1000回である。弥三郎には信じられなかった。自分はむう(6かい)しか出来ないのに・・・・。1000回もおなごが出来る筈がない。
「戯けた事を申すでない。そんなに出来る筈が無いではないか。」
「本当で御座います。姫様はそれをお見せになって、弥三郎様を扱かれるお積りです。直ぐに謝ってとおのとお、やられるべきです。」
はるの言う事は到底信じられるものではなかった。半信半疑で迷っている弥三郎を尻目に、さくは腕伏せを始める。
「ひい、ふう、みい、よう、いつ、むう、なな、やあ、ここ、とお。」
弥三郎は目を見張った。さくの腕伏せにである。弥三郎の様にゆっくりではない。物凄く早く体を上下させる高速腕伏せであった。全く休む事無く、さくは腕伏せを続ける。20回、30回、40回・・・・。弥三郎は悲鳴を上げて余計な事を言った事を後悔した。このまま行くと、何回腕伏せをやる事になるか分からないからだ。
「さ、さく。一体、何回やるつもりなんだ。勘弁してくれ。もうその位で良いであろう。」
横で悲鳴を上げる弥三郎を尻目に、さくはほくそ笑みながら高速の腕伏せを続ける。弥三郎の事を軽く扱いてやろうという考えである。弥三郎の「やめてくれ」という喚き声がさくの加虐性を刺激する。50回、60回、70回まで来た時である。不意に弥三郎が喚くのを止めた。さくは両手で体を支えたまま、動きを止め、弥三郎を見る。すると、身を乗り出してさくの事をじっと見ていた。さっきまで哀願の声を上げていたのにも関わらず一体何なのだ?さくが疑問に思ってたじろぐと、はるが弥三郎の意図を説明した。
「姫様。弥三郎様が姫様の胸元を覗いておいでです。」
さくが自らの胸元に目をやると、着ている小袖が腕伏せで乱れ、胸元が開いていた。そこから弥三郎は乳房を覗き込んでいたのである。
「こ、この、助平。」
さくは俊敏に起き上がると、乱れた小袖を直した。それを見て弥三郎はニヤニヤと笑っている。
「いつ見ても小振りな良い乳だ。」
さくの恥ずかしがる顔を見て、弥三郎はご満悦である。さくは乳房を覗き見られ、淫らな言葉を吐き掛けられ、胸がきゅんと締め付けられるのを感じた。さくは直ぐにでも厠に駆け込んで火処を擦りたくて堪らなかった。しかし、それを弥三郎に悟られる訳にはいかなかった。教育係であるさくが教唆する立場にある弥三郎に性的な欲求を覚えているなど知られる訳にはいかないのだ。さくは努めて毅然とした態度を取った。
「相変わらずの変態っぷり、大変めでたい事です。その性的欲求の半分でも武芸に向けることが出来れば、直ぐに上達するのですが。」
「・・・・・・・。」
弥三郎はさくが卑猥な話に全く乗って来ない事に肩を落とす。さくに卑猥な話を吐き掛け、その反応を楽しみにしているからだ。弥三郎はおなごに対して卑猥な言葉を吐き掛けずにはいられない汚言症の気があるようだった。現代で云うならトゥレット症候群であろう。もちろんこの時代には知られていない。それ故、弥三郎の言動はさくには奇矯な振る舞いとして初めは映った。だが、今では被虐性のあるさくは、言葉を吐き掛けられることに興奮を覚えていた。さくの胸中は教育係の理性と、弥三郎に汚されたいという被虐性の綱引きであった。さくはこの場で小袖を脱ぎ捨て、裸になって弥三郎に「抱いてください」と言ったらどうなるかの想像で悶々としていた。
「・・・・・。さあ、さくは今、70回腕伏せをやりました。ですから、今日は弥三郎様にも70回やって頂きます。」
さくは喉から出掛かっていた言葉を理性で飲み込み、教育係としての本分をなんとか守ったのである。
「・・・・・・・。まあ、約束だからな。やむを得ないな。」
弥三郎はぶつくさ言いながら、腕伏せの姿勢を取った。
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