20 / 59
第20章
武芸鍛錬
しおりを挟む
「さあ、存分に掛かって来なされ。」
甲冑で完全武装した、さくは木刀を構えながら弥三郎に呼び掛けた。
「う、うむ。」
へっぴり腰の若殿はさくの正面に正対している。弥三郎の握った木刀はプルプルと痙攣していた。緊張もあるだろうが、この貧弱な若殿には木刀の重さを支えきれない様だ。部屋に籠って書を読んでばかりいるので、戦乱の世を生き残って行く為の、必要最低限の膂力が不足していた。困ったものだ。
「さあ、来なされ。」
「うん。うむ。」
弥三郎は一向に斬り掛かって来る気配がない。どうやら切り込み方が分からない様子である。手の掛かる奴だ。
「それでは、さくが手本をお見せします。」
さくは、「きえ~い。」という掛け声と共に、弥三郎に斬り掛かった。弥三郎の木刀を払うと肩先から体当たりする。体勢を崩して、一撃を入れるのが鉄則なのだが、弥三郎には必要なかった。体当たりだけで、もんどりうって、引っくり返ったからだ。
「うわあっ!」
大げさに悲鳴を上げ、弥三郎は仰向けで九の字に体を折る。小袖が捲り上がり、縮こまった矛が露わになった。さくは内心の動揺を抑えながら、叱責した。
「な、何故に褌を締めませぬのか。」
弥三郎は引っくり返ったまま言う。
「褌は好かぬ。」
「それがそもそもならぬのです。褌で矛をキュッと締め付けなければ力は出ませぬ。」
さくはペシペシと弥三郎の尻を木刀で叩いた。叩きながらもその目は弥三郎の矛から目を離せない。心臓がドキドキと早鐘を打った。弥三郎はそんなさくの目線に気付いた。起き上がりながら卑猥な言葉を掛ける。
「何故、私の矛をジッと見るのだ。さくは私の矛で処女を奪って貰いたくて仕方ないのではないか?」
心中の欲望をずばり言い当てられ、さくは動揺するが、宮脇家の名誉にかけ、弥三郎の様な頼りない男に奪われたいとは口が裂けても言えない。
「馬鹿な事を仰いますな。弥三郎様の矛が縮こまっておりましたので、随分と肝の小さいお方よと呆れていただけで御座います。さくとまぐあいたければ、いくさ場でひとかどの武功を挙げなされ。情けなや。」
弥三郎はしゅんとした面持ちであったが、モゴモゴと小さな声でさくに訊ねた。
「・・・・・・・・。それでは、さくは私がいくさ場でなにかしら武功を挙げれば、体を許してくれるのか?」
さくは一瞬、躊躇した。何と答えれば良いものか・・・・・。逡巡するさくを弥三郎はじっと見つめる。さくはその目線に気付き、目を合わさずに言った。
「それは・・・・・・、構いませぬが・・・。」
「ほ、本当か!私が武功を挙げたら、さくは処女をこの私に捧げてくれるのだな!」
弥三郎は興奮した面持ちで、大きな声を出した。一瞬、さくは拙い事を言ったかなと思ったが、直ぐにこれは弥三郎を奮い立たすのに最適な策だと思い直した。
「はい。弥三郎様が皆に一目置かれる様な戦功を立てました時は・・・・・。」
「間違いないな!言質は確かに取ったぞ。」
「はい。相違御座いませぬ。」
さくの言葉を聞き、興奮した弥三郎は右腕を折り曲げて何度も力を入れた。現代で云う所のガッツポーズである。ガッツポーズの元祖は実は弥三郎であった。
「よし、そうと決まれば早速、訓練だ。」
俄然やる気をだした弥三郎を見て、さくは純粋に嬉しかった。やはりこの男にとっての一番は自分なのだと認識できたからだ。この男はやれば出来る男なのだ。さくは自分の理想の男を作り上げるという事に、密かな楽しみを感じていた。
「よし、では今一番、勝負だ。」
弥三郎はさくに対し戦闘態勢を取り、身構える。さくも応じた。
「どうぞ、どこからでも。」
弥三郎は見様見真似の拙い足捌きで前後に動く。中々に様になっている。初めてにしては上出来であった。
「やあ。」
弥三郎はか弱い女の様な掛け声と共に切り込んで来た。さくはなんなくその一撃をいなすと、弥三郎のがら空きの頭を木刀で打った。
「ぎゃっ!」
悲鳴を上げた弥三郎はその場に蹲った。さくが完全防備なのに比べ、弥三郎は小袖一枚である。そこへ脳天に一撃を食らったのである。痛い筈であった。
「痛い。初めてなのだから加減してくれ。」
弥三郎は泣き言を言った。
「世迷いごとを言ってはなりません。いくさ場では初陣の者も、歴戦の猛者も、関係なく命を取り合うのです。いくさは初めてだから加減してくれ等とは通用しません。今のがいくさ場なら弥三郎様は脳の味噌をぶちまけて、首を獲られています。」
「・・・・・・・。そうは申してもな・・・・。具体的にどうすれば良いのだ。」
「まず、気迫がありません。声を腹からお出し下さい。なんですか、あの「やあ」という掛け声は。まるでおなごではありませんか。いくさ場であの様な声を出しておりますと、組み易しと皆に狙われますぞ。声をお出し下さい。」
「・・・・・。声を出さねばならぬか?」
「????どういう事ですか?何か声を出せない理由があるのですか?」
弥三郎はもじもじとしながら言った。
「声を出すのが何か気恥ずかしくてな。」
「はあ?」
「恥ずかしいのだ。何故、大声を出さねばならぬのだ。」
「・・・・・・・。」
さくは呆れて二の句が出ない。今度は声を出すのが恥ずかしいと来た。この男は生まれる時代を間違ったのではないか。少なくともこの戦乱の世を生きる男としては不向きだと思われた。全く呆れる事ばかりである。
「ただ意味もなく声を出しているのではありません。声を出すにも意味があるのです。」
「意味がある???」
「ひとつは声を出す事で自らを鼓舞し、気合を入れているのです。腹から声を出す事で、体に気力が満ちるのです。ふたつめは相手への牽制、つまり威圧です。強い弱いは関係なく、いくさ場では相手を威圧した方が勝つのです。」
「ふむ。そんなものかのう。」
弥三郎は他人事の様に言った。分かったのか分かってないのか。さくは弥三郎に念押しする。
「いくさ場で声が出る者、出ない者の違いがお分かりになりますか?」
「違い?」
「いくさ場で声がよく出る者が優れたる者、出ない者が人として劣る者で御座います。つまり弥三郎様は三流の人間です。」
さくのあまりの言い様に、弥三郎はムッとした顔をして言い返す。
「たかが声を出さぬぐらいで何故、三流人間扱いされねばならぬのだ。」
「いいですか弥三郎様。いくさ場は普段の行いの写し鏡。普段から明朗快活に日々の生活を送っている者は、特に何も考えずとも声は出る者です。然るに弥三郎様は普段から人見知り激しく、好き嫌い多く、重臣の方々に会っても、挨拶もしないと聞き及んでおります。それが駄目なのです。普段から挨拶も出来ない者が、いくさ場で声を出せと言っても、まず出来ません。」
「・・・・・・・。」
「武芸の鍛錬と並行して、人との関わり方も学ぶ必要があります。」
「・・・・・・・。具体的にどうしろと言うのだ?」
「これからは挨拶をなさいませ。」
「分かった。会釈をしよう。」
「それが陰気なので御座います。」
「???。なにが陰気なのじゃ?」
「何故、一言「ごきげんよう」と言わぬのですか。唖ではあるまいに。弥三郎様が一言も喋られないので、皆から知恵遅れだと思われてるのではないですか。」
「・・・・・・・。」
「何か喋りなされ。「ごきげんよう」「かたじけない」「失礼仕る」これは人との会話の基本です。」
「しかしのう。さくはそう言うが、挨拶しないのは私だけではないであろう。そういう者たちに挨拶しても、向こうは知らぬ顔だぞ。」
「それはそれで良いではありませぬか。こちらが挨拶しても、それを返さぬは向こうの無作法。こちらの非にはなりませぬ。ああ、向こうは挨拶も返せぬ三流人間なのだなと、心の中で思っておれば宜しいのです。」
「・・・・・・・。」
「弥三郎様が礼儀を知らぬ様な行動を取れば、それは弥三郎様のみならず、引いては大殿の恥になるのですよ。よいのですか。自分の父親が笑いものになっても。」
「・・・・・・・。良い訳なかろう。」
「それではこれからは最低限の挨拶はする。なにも仲良うしろとは言いません。声を出す。これも武芸の鍛錬に御座います。」
「・・・・・・・。挨拶すれば強うなるのか?」
「勿論なります。」
さくは即断で言い切った。挨拶をする様になったとしても、勿論、剣技には直結しないことは分かり切っていたが、取りあえずそれで納得させようとしたのである。
「・・・・・・・。言っている事が疑わしいな・・・・・。」
弥三郎は疑念の色を顔に表した。
「弥三郎様。取りあえずやってみなされ。いつ初陣を命ぜられるか分からない状況なのですよ。良いと思われる事はなんでもやってみなければ、強うなれませぬ。そんな事では、さくは抱けませぬぞ。」
それを聞いて弥三郎は真剣な目の色に変わる。
「よし、分かった。なんでもやる。」
「その意気で御座います。」
言葉巧みに弥三郎を誑し込んだ、さくは安堵した。どんな問題のある男でもちゃんと挨拶だけさせておけば、家中の風当たりも少しは緩くなるであろう。やれやれである。
「話が逸れてしまいましたね。ここをいくさ場だと思って、さくに斬り込んで参られませ。」
「よし、分かった。」
弥三郎は木刀を構えると、声を出しながら打ち込んで来た。
「いやあ。」
相変わらずおなごの様な掛け声である。剣の走りも遅い。幼少から武芸の手ほどきを受けてきた、さくからすると剣に蠅が集るのではと思えるほどに遅い。さくはなんなく木刀で捌くと、軽く弥三郎の頭をこずいた。弥三郎の頭がポコンと良い音を立てた。まるで中身が空の様であった。
「痛い!」
進歩の無い弥三郎にさくは呆れて言った。
「声!もっと声を腹から出すのです。掛け声より悲鳴の方が大きいとはどういう事なのですか。」
弥三郎は頭を抑えながら不満を述べた。
「何故、いちいち頭を叩くのだ。頭が割れるではないか。」
「頭を叩くと良い音がするので面白くて。きっと中身が空っぽなのですね。」
自分が好意を寄せているおなごから侮蔑される事ほど屈辱的な事は無い。弥三郎は顔を赤くして言った。
「頭が空っぽとはどういう事だ。この国で私ほど知略に優れた者はおらぬぞ。」
「そう思っているのは己のみ。さく以外は誰も認めておりません。大言を吐くのは何らかの実績を上げてからにして頂きとう御座います。」
さくは弥三郎を発奮させようと敢えて厳しい事を言ったのだが、弥三郎は中々、乗っては来ない。
「そうか。さくだけは私の事を認めてくれるのだな。私はそれで満足だ。さくだけいれば、他の者たちから何と言われようと一向に構わない。」
居直りである。さくも弥三郎にそう言われて嬉しくもあったが、ここは心を鬼にする必要があった。
「皆から軽んじられているおのこ等、さくは真っ平御免で御座います。さくは強いおのこに抱かれたいのです。弥三郎様の様な貧弱、虚弱なおのこは嫌で御座います。」
さくに突き放されて、弥三郎は食ってかかった。
「何を言うか。おのこは武略より知略だ。おなごと云うものはなんだかんだと言っては見ても、結局は粗暴なおのこよりも知的なおのこに惹かれるものだ。」
「それは大間違いに御座います。おなごは総じて逞しきおのこに惹かれるもので御座います。まして今は戦乱の世、確かに弥三郎様は知略は御座いますが、いざという時におなごを守る事が出来ましょうや。現状、敵が攻め込んで来て、さくが集団で手籠めに遭いましても、弥三郎様は見ているだけでは御座いませぬか?」
「・・・・・。そんな事はない。必ず助ける。」
「どの様に助けるのです?気力・腕力共におなごなみの弥三郎様に、さくは助けられません。目の前でさくが犯されますのを見ながら、いつもの様に矛を扱かれますか?」
「・・・・・・・。どうすれば良い?」
「最低限、さくを守れるだけの武芸を身に着けるのです。さくは強いお方が好き。」
「・・・・・・・。そうか。相分かった。私がさくを守れるようになってみせる。」
「その言葉、間違いありませんね。」
さくは後になって弥三郎が言質を違えるかも知れぬと思い、念押しした。
「間違いない。さくに相応しいおのこになるのが、私の武士道だ。約束だ。安心して言質を取るが良い。」
弥三郎はにっこりと笑った。さくは今まで見せた事の無い弥三郎の笑顔に心が動かされた。弥三郎はさくを守る事こそが自らの武士道とまで言ったのだ。女として、これ程嬉しい事はなかった。一瞬、弥三郎に口吸いしてやろうとも考えたが、直ぐに思い直す。さくは教育係。先ずは自らの使命を全うする事が大事。そう思い直したさくは木刀を構えた。
「それでは、弥三郎様の言われる武士道とやらはどの程度のものなのか、さくにお見せ下さい。」
弥三郎も木刀を構えた。先程見られた様なやらされている感がない。さくは弥三郎の剣先から真摯さを感じ取った。弥三郎はジリジリとにじり寄りながら、間合いを図っている。何も教えていないにも関わらず、直感で距離感の重要性を認識しているのだから中々に有望だ。
「きえ~い。」
弥三郎の渾身の気合が周囲の空気を切り裂いた。気迫の籠った声と共に」さくに斬り込んで来る。今までで一番の声が出た。声に関しては合格だ。だが、踏み込みは鈍い。この切り込みを木刀で捌くのは朝飯前であった。が、さくは微動だにせず、弥三郎の一撃を黙って兜を付けている頭で受けた。
「ぎゃっ!」
庭の空気を裂いた裂帛の悲鳴はか細い女の悲鳴ではなく、声変わりした低い男の悲鳴であった。木刀を頭部に打ち込まれたさくではなく、打ち込んだ弥三郎の悲鳴である。弥三郎は木刀を取り落すと、その場にしゃがみ込んだ。兜を撃った手が痺れたのである。本来ならば兜を被っているとはいえ、木刀で思いっきり打ち据えられたら昏倒である。だが、さくは弥三郎の一撃なら受けても致命傷にはならないという確証があって、敢えて黙って打たせたのであった。
「どうされました。弥三郎様。」
蹲る弥三郎を見下ろしながら、さくは悠然と話し掛ける。
「腕が・・・。腕が痺れたのだ・・。」
掌を握って痺れに耐える弥三郎に、さくはゆっくりと諭すように話した。
「手が痺れるのは当たり前です。いくさ場で頭を斬ろうとする者はいませんので。」
「ど、どういう事だ。」
弥三郎は顔を顰めて、さくを見上げる。
「今は木刀を使っておりますが、いくさ場では命の取り合い、刀を使います。刀で今の様にさくの頭を斬り付けましたらどうなりますか?」
「さくが死んでしまう。」
「いいえ。さくは死にません。死ぬのは弥三郎様です。」
「????。ど、どういう事だ。斬り付けたのは私の方であるのに・・・。何故、私の方が死ぬのだ?」
弥三郎は本当に武芸の嗜みといったものは、からきし無い様子であったので、さくは噛んで含める様に説明する。
「いいですか。問題なのは刀の使い方です。いくさ場では皆、鎧兜で武装しております。兜を被った頭に、刀で一撃を加えましたらどうなりますか?斬れますか?」
「・・・・・。斬れんな。」
「そうです。斬れません。逆に斬った刀が欠けてしまいます。折れるかもしれません。そうなったら殺されるのは弥三郎様です。」
「・・・・・・・。」
「鎧兜で武装している所は斬れません。そこを斬ってしまうと刀を痛めてしまいます。刀は斬る者ではありません。防具が無い所を狙って突き刺すものなのです。」
「・・・・・。刀は斬るものでは無く、突き刺すもの・・・・。それは、本当なのか?」
「左様に御座います。」
「それは可笑しいだろう。」
弥三郎にはさくの説明は納得いくものではないらしかった。
「どこが、可笑しゅう御座いますか?」
「いや、私が思うには、皆は刀で斬り払う練習をしておらぬか?父上は弟たちは斬る練習をしておったぞ。刀は刺すものだと言うのならば、可笑しいではないか。」
「別に可笑しくはありません。斬る・払うは基本なので。」
「どういう事だ?」
「いきなり相手の急所に刀を突き刺そうとしましても、相手もすんなりと刺されてはくれません。先ずは相手の刀を切り払い、攻撃をいなしながら、敵の姿勢を崩す。大殿が斬る練習をしておられるのは、相手の体を斬る為なのでは無く、刀を払う為に御座います。」
「ふ~ん。左様か。」
「御納得頂けましたか。」
「うむ。」
弥三郎は変わった所はあるものの、聡明な男である。理由を説いて聞かせれば理解は早いのだ。
「つまり、鎧兜の隙間を突くという事だな。」
「はい。」
「具体的には?」
「喉に刀を突き刺すのです。」
「喉か・・・・・。」
弥三郎は恐々と自分の喉に手を当てる。
「喉に突き刺すのが一番効果的に御座います。他には脇の下や腿の内側。」
「脇の下や腿の内側?何故、そんな所を狙うのだ。?そこを刺すとどうなる?」
「脇の下や腿の内側を刺されると、大量に出血致します。とても止血出来ない量の出血です。そうなると体から血が失われていく寒さに震えながら暫しの後、死にます。」
「なにか・・・・悲惨な死に方だな。」
死に様を想像した弥三郎はぽつりと呟く。
「いくさ場での死に様は総じて皆、悲惨なものです。」
「・・・・・・・。」
弥三郎は無言である。何かしら思案に耽っている様であった。その様子がさくは気に掛かった。
「何か、気になる事がおありなので。」
「出来れば、命までは取りたくないな・・・・。」
弥三郎はさくのことを上目使いで窺いながら言った。
「今更、何を仰るのですか。女てつはう隊まで作って、意気揚々だったではありませんか。」
「遠距離からてつはうで撃つのと、刀で相手を刺し殺すのでは大分、心持が違うではないか。」
「・・・・・・。成程、それは確かに違いますな。」
弥三郎の言い分も尤もだと思い、さくはその意見に同意した。
「さくは平気なのか?相手を刺し殺す事に抵抗はないか?」
さくは面食らった。戦乱の世にこの様な事を言い出すとは・・・。今の世に生まれた武家の人間で、この様な考えを持つものが居るという事に驚いた。おそらくは戦乱の世から隔離されて大事に育てられた故、この様な軟弱な人間になったのだろう。
「それは・・・・・。」
さくは言葉に詰まった。今まで考えた事も無かった疑問だ。おそらくこの様な事を考える人間は弥三郎だけではないかと思われた。だが、そう言われて考えて見ると確かに酷い世である。だが、そんな事を言っていては生きてはいけない。皆、生き残る事に精一杯。館に討ち取った首が運ばれてきても、手柄を立てておめでたいとしか考えた事がない。恐らく弥三郎は生首すら見た事がないのではないかとさくは推測した。なので言葉を選んで口を開く。
「確かにさくも敵とは云えど刺し殺す事には躊躇は御座います。ですが、殺さなければこちらが殺されてしまいます。余計な事を考えてはなりません。」
「・・・・・・・。それは、頭では分かっている。だが、ふと思うたのだ。いくさ場で何十人の敵を討ち取ったとしても、それは正しい事なのであろうかと。何が得られるのかと・・・・・。」
「・・・・・。」
「僅かばかりの領地を得られる代わりに、民の命を失い、多くの憎しみ、怨みを得る。その繰り返しだ。父上もその輪の中から逃れられぬではないか。」
「・・・・・。」
「さくから敵の殺し方を教わり、ふと、そう思った。怖くなったのだ。皆はその様な事は考えぬのであろうか?」
「気の迷いで御座いますよ。」
さくはきっぱりと言った。
「気の迷い?」
「端的に言いますれば、神経質になっているのです。弥三郎様は初陣もまだですので、余計に難しく考えるのです。」
「・・・・・・・。」
「最初は誰しも怖いのです。ですが、場数を踏めば慣れるものに御座います。」
「・・・・・・・。さくは、人を斬った事はあるのか?」
弥三郎は唐突に訊ねた。
「・・・御座いません。」
さくは正直に答えた。
「・・・・・・・。もし、殺さなければならない状況になったならば、殺せるか?躊躇せずに・・・・・。」
「・・・・・。正直申しますと、その状況になってみない事には分かりません。躊躇するかもしれませんし、しないかもしれません。ですが、弥三郎様の初陣の折は、敵対するものは親でも鬼でも斬る覚悟に御座います。」
「・・・・・・・。」
「弥三郎様も覚悟をお決め下さい。人を斬る事を躊躇する人間が、上方に討って出ることが出来ましょうや?弥三郎様の志はそんなものなのですか?」
「分かっている。・・・・分かってはいるのだが・・・・。」
弥三郎は煮え切らなかった。きっと優しすぎるのだろう。
「しっかりなさいませ!その様な事で、大殿の意思を継ぐことが出来るのですか?弥三郎様が一人を斬る事を躊躇えば、それは領民に跳ね返って来るのです。若者は奴隷にされ、老人子供は殺され、女は手籠めにされる。その様な及び腰で国を守る事が出来るのですか?」
「・・・・・・・。分かった。この国を守る為、領民を守る為だな。」
「はい。」
「正義の為にもう躊躇わぬ。」
「・・・・・。」
弥三郎は腹を決めた様だったが、妙な事を言い出した。敵を斬るのは「正義の為」だと言う。さくはなにもこの乱世の事を理解してない様子に、溜息を付いた。
「なんだ。どうした。」
「弥三郎様、今、正義の為に敵を斬るのを、躊躇わぬと仰りませんでしたか?」
「・・・・・。言ったが、それが何だ。」
「残念ながら、それは正義とは言えません。」
「・・・・・・・?」
「こちらは領民を守る為に、正義の為に敵の命をやるなく奪っておりますが、それは敵方も同じことです。敵から見ると、我々から領民を守る為、正義の為に我が国の兵士の命を止む無く奪っていると思っております。お分かりですか?」
「・・・・・・・。」
「お互いがお互いの正義や志を掛けて、戦っておるのです。自らが正しいと信じて。」
「つまり、どういう事だ。正義は向こうにあると言うのか?」
「現時点では我らに義があるか、対立する本山氏に義があるか、決められません。」
「????・・・・・・。現時点では決められぬ?では、何時になれば分かるのだ?」
さくは一呼吸おいて、弥三郎に語りかけた。重要な事だ。理解して貰わなければならない。
「我らが本山氏を屈服させれば、我らに義あり、逆に我らが本山氏の軍門に降れば、我らは悪に御座います。」
弥三郎はムキになって言い返してくる。
「何を馬鹿な事を!それでは道理も大義も関係ないではないか。力のある者は何をしても正しいという事になる。」
さくは弥三郎の目を見て静かに言った。
「それが乱世に御座います。相手を屈服させたものが正義であり、敗れた者が悪なのです。」
「・・・・・・・。」
純粋な弥三郎は乱世の世のあり方を知らない。大義を掲げる者が正しく、必ず勝つと思っているのだ。
「大義のある者が必ず勝つとは限りません。義無くとも、勝てば大義は勝手に付いてくるのです。力こそが全て、勝者が全てを総取り。敗れた者は義があっても踏みにじられるのです。」
「その様な・・・・。御仏がその様な事は許さんぞ。」
さくは笑った。そして言い放った。
「仏法はとうの昔に廃れ果てました。期待するだけ無駄というもの。」
乱世の現実をずばり突き付けられた弥三郎は、衝撃の色を隠せずさくに問うた。
「さくは、御仏を信じぬのか?」
「現実を見なされ。乱世の世の中、民は皆、祈る事しか出来ません。ですが、それで救われた者がいましょうか?」
「・・・・・・・。」
「御仏に頼るよりも、自らの行動で道を開くのが肝要なのです。」
「う~~ん。身も蓋も無い嫌な世の中だな・・・・・。」
弥三郎は乱世の世を嘆いた。
甲冑で完全武装した、さくは木刀を構えながら弥三郎に呼び掛けた。
「う、うむ。」
へっぴり腰の若殿はさくの正面に正対している。弥三郎の握った木刀はプルプルと痙攣していた。緊張もあるだろうが、この貧弱な若殿には木刀の重さを支えきれない様だ。部屋に籠って書を読んでばかりいるので、戦乱の世を生き残って行く為の、必要最低限の膂力が不足していた。困ったものだ。
「さあ、来なされ。」
「うん。うむ。」
弥三郎は一向に斬り掛かって来る気配がない。どうやら切り込み方が分からない様子である。手の掛かる奴だ。
「それでは、さくが手本をお見せします。」
さくは、「きえ~い。」という掛け声と共に、弥三郎に斬り掛かった。弥三郎の木刀を払うと肩先から体当たりする。体勢を崩して、一撃を入れるのが鉄則なのだが、弥三郎には必要なかった。体当たりだけで、もんどりうって、引っくり返ったからだ。
「うわあっ!」
大げさに悲鳴を上げ、弥三郎は仰向けで九の字に体を折る。小袖が捲り上がり、縮こまった矛が露わになった。さくは内心の動揺を抑えながら、叱責した。
「な、何故に褌を締めませぬのか。」
弥三郎は引っくり返ったまま言う。
「褌は好かぬ。」
「それがそもそもならぬのです。褌で矛をキュッと締め付けなければ力は出ませぬ。」
さくはペシペシと弥三郎の尻を木刀で叩いた。叩きながらもその目は弥三郎の矛から目を離せない。心臓がドキドキと早鐘を打った。弥三郎はそんなさくの目線に気付いた。起き上がりながら卑猥な言葉を掛ける。
「何故、私の矛をジッと見るのだ。さくは私の矛で処女を奪って貰いたくて仕方ないのではないか?」
心中の欲望をずばり言い当てられ、さくは動揺するが、宮脇家の名誉にかけ、弥三郎の様な頼りない男に奪われたいとは口が裂けても言えない。
「馬鹿な事を仰いますな。弥三郎様の矛が縮こまっておりましたので、随分と肝の小さいお方よと呆れていただけで御座います。さくとまぐあいたければ、いくさ場でひとかどの武功を挙げなされ。情けなや。」
弥三郎はしゅんとした面持ちであったが、モゴモゴと小さな声でさくに訊ねた。
「・・・・・・・・。それでは、さくは私がいくさ場でなにかしら武功を挙げれば、体を許してくれるのか?」
さくは一瞬、躊躇した。何と答えれば良いものか・・・・・。逡巡するさくを弥三郎はじっと見つめる。さくはその目線に気付き、目を合わさずに言った。
「それは・・・・・・、構いませぬが・・・。」
「ほ、本当か!私が武功を挙げたら、さくは処女をこの私に捧げてくれるのだな!」
弥三郎は興奮した面持ちで、大きな声を出した。一瞬、さくは拙い事を言ったかなと思ったが、直ぐにこれは弥三郎を奮い立たすのに最適な策だと思い直した。
「はい。弥三郎様が皆に一目置かれる様な戦功を立てました時は・・・・・。」
「間違いないな!言質は確かに取ったぞ。」
「はい。相違御座いませぬ。」
さくの言葉を聞き、興奮した弥三郎は右腕を折り曲げて何度も力を入れた。現代で云う所のガッツポーズである。ガッツポーズの元祖は実は弥三郎であった。
「よし、そうと決まれば早速、訓練だ。」
俄然やる気をだした弥三郎を見て、さくは純粋に嬉しかった。やはりこの男にとっての一番は自分なのだと認識できたからだ。この男はやれば出来る男なのだ。さくは自分の理想の男を作り上げるという事に、密かな楽しみを感じていた。
「よし、では今一番、勝負だ。」
弥三郎はさくに対し戦闘態勢を取り、身構える。さくも応じた。
「どうぞ、どこからでも。」
弥三郎は見様見真似の拙い足捌きで前後に動く。中々に様になっている。初めてにしては上出来であった。
「やあ。」
弥三郎はか弱い女の様な掛け声と共に切り込んで来た。さくはなんなくその一撃をいなすと、弥三郎のがら空きの頭を木刀で打った。
「ぎゃっ!」
悲鳴を上げた弥三郎はその場に蹲った。さくが完全防備なのに比べ、弥三郎は小袖一枚である。そこへ脳天に一撃を食らったのである。痛い筈であった。
「痛い。初めてなのだから加減してくれ。」
弥三郎は泣き言を言った。
「世迷いごとを言ってはなりません。いくさ場では初陣の者も、歴戦の猛者も、関係なく命を取り合うのです。いくさは初めてだから加減してくれ等とは通用しません。今のがいくさ場なら弥三郎様は脳の味噌をぶちまけて、首を獲られています。」
「・・・・・・・。そうは申してもな・・・・。具体的にどうすれば良いのだ。」
「まず、気迫がありません。声を腹からお出し下さい。なんですか、あの「やあ」という掛け声は。まるでおなごではありませんか。いくさ場であの様な声を出しておりますと、組み易しと皆に狙われますぞ。声をお出し下さい。」
「・・・・・。声を出さねばならぬか?」
「????どういう事ですか?何か声を出せない理由があるのですか?」
弥三郎はもじもじとしながら言った。
「声を出すのが何か気恥ずかしくてな。」
「はあ?」
「恥ずかしいのだ。何故、大声を出さねばならぬのだ。」
「・・・・・・・。」
さくは呆れて二の句が出ない。今度は声を出すのが恥ずかしいと来た。この男は生まれる時代を間違ったのではないか。少なくともこの戦乱の世を生きる男としては不向きだと思われた。全く呆れる事ばかりである。
「ただ意味もなく声を出しているのではありません。声を出すにも意味があるのです。」
「意味がある???」
「ひとつは声を出す事で自らを鼓舞し、気合を入れているのです。腹から声を出す事で、体に気力が満ちるのです。ふたつめは相手への牽制、つまり威圧です。強い弱いは関係なく、いくさ場では相手を威圧した方が勝つのです。」
「ふむ。そんなものかのう。」
弥三郎は他人事の様に言った。分かったのか分かってないのか。さくは弥三郎に念押しする。
「いくさ場で声が出る者、出ない者の違いがお分かりになりますか?」
「違い?」
「いくさ場で声がよく出る者が優れたる者、出ない者が人として劣る者で御座います。つまり弥三郎様は三流の人間です。」
さくのあまりの言い様に、弥三郎はムッとした顔をして言い返す。
「たかが声を出さぬぐらいで何故、三流人間扱いされねばならぬのだ。」
「いいですか弥三郎様。いくさ場は普段の行いの写し鏡。普段から明朗快活に日々の生活を送っている者は、特に何も考えずとも声は出る者です。然るに弥三郎様は普段から人見知り激しく、好き嫌い多く、重臣の方々に会っても、挨拶もしないと聞き及んでおります。それが駄目なのです。普段から挨拶も出来ない者が、いくさ場で声を出せと言っても、まず出来ません。」
「・・・・・・・。」
「武芸の鍛錬と並行して、人との関わり方も学ぶ必要があります。」
「・・・・・・・。具体的にどうしろと言うのだ?」
「これからは挨拶をなさいませ。」
「分かった。会釈をしよう。」
「それが陰気なので御座います。」
「???。なにが陰気なのじゃ?」
「何故、一言「ごきげんよう」と言わぬのですか。唖ではあるまいに。弥三郎様が一言も喋られないので、皆から知恵遅れだと思われてるのではないですか。」
「・・・・・・・。」
「何か喋りなされ。「ごきげんよう」「かたじけない」「失礼仕る」これは人との会話の基本です。」
「しかしのう。さくはそう言うが、挨拶しないのは私だけではないであろう。そういう者たちに挨拶しても、向こうは知らぬ顔だぞ。」
「それはそれで良いではありませぬか。こちらが挨拶しても、それを返さぬは向こうの無作法。こちらの非にはなりませぬ。ああ、向こうは挨拶も返せぬ三流人間なのだなと、心の中で思っておれば宜しいのです。」
「・・・・・・・。」
「弥三郎様が礼儀を知らぬ様な行動を取れば、それは弥三郎様のみならず、引いては大殿の恥になるのですよ。よいのですか。自分の父親が笑いものになっても。」
「・・・・・・・。良い訳なかろう。」
「それではこれからは最低限の挨拶はする。なにも仲良うしろとは言いません。声を出す。これも武芸の鍛錬に御座います。」
「・・・・・・・。挨拶すれば強うなるのか?」
「勿論なります。」
さくは即断で言い切った。挨拶をする様になったとしても、勿論、剣技には直結しないことは分かり切っていたが、取りあえずそれで納得させようとしたのである。
「・・・・・・・。言っている事が疑わしいな・・・・・。」
弥三郎は疑念の色を顔に表した。
「弥三郎様。取りあえずやってみなされ。いつ初陣を命ぜられるか分からない状況なのですよ。良いと思われる事はなんでもやってみなければ、強うなれませぬ。そんな事では、さくは抱けませぬぞ。」
それを聞いて弥三郎は真剣な目の色に変わる。
「よし、分かった。なんでもやる。」
「その意気で御座います。」
言葉巧みに弥三郎を誑し込んだ、さくは安堵した。どんな問題のある男でもちゃんと挨拶だけさせておけば、家中の風当たりも少しは緩くなるであろう。やれやれである。
「話が逸れてしまいましたね。ここをいくさ場だと思って、さくに斬り込んで参られませ。」
「よし、分かった。」
弥三郎は木刀を構えると、声を出しながら打ち込んで来た。
「いやあ。」
相変わらずおなごの様な掛け声である。剣の走りも遅い。幼少から武芸の手ほどきを受けてきた、さくからすると剣に蠅が集るのではと思えるほどに遅い。さくはなんなく木刀で捌くと、軽く弥三郎の頭をこずいた。弥三郎の頭がポコンと良い音を立てた。まるで中身が空の様であった。
「痛い!」
進歩の無い弥三郎にさくは呆れて言った。
「声!もっと声を腹から出すのです。掛け声より悲鳴の方が大きいとはどういう事なのですか。」
弥三郎は頭を抑えながら不満を述べた。
「何故、いちいち頭を叩くのだ。頭が割れるではないか。」
「頭を叩くと良い音がするので面白くて。きっと中身が空っぽなのですね。」
自分が好意を寄せているおなごから侮蔑される事ほど屈辱的な事は無い。弥三郎は顔を赤くして言った。
「頭が空っぽとはどういう事だ。この国で私ほど知略に優れた者はおらぬぞ。」
「そう思っているのは己のみ。さく以外は誰も認めておりません。大言を吐くのは何らかの実績を上げてからにして頂きとう御座います。」
さくは弥三郎を発奮させようと敢えて厳しい事を言ったのだが、弥三郎は中々、乗っては来ない。
「そうか。さくだけは私の事を認めてくれるのだな。私はそれで満足だ。さくだけいれば、他の者たちから何と言われようと一向に構わない。」
居直りである。さくも弥三郎にそう言われて嬉しくもあったが、ここは心を鬼にする必要があった。
「皆から軽んじられているおのこ等、さくは真っ平御免で御座います。さくは強いおのこに抱かれたいのです。弥三郎様の様な貧弱、虚弱なおのこは嫌で御座います。」
さくに突き放されて、弥三郎は食ってかかった。
「何を言うか。おのこは武略より知略だ。おなごと云うものはなんだかんだと言っては見ても、結局は粗暴なおのこよりも知的なおのこに惹かれるものだ。」
「それは大間違いに御座います。おなごは総じて逞しきおのこに惹かれるもので御座います。まして今は戦乱の世、確かに弥三郎様は知略は御座いますが、いざという時におなごを守る事が出来ましょうや。現状、敵が攻め込んで来て、さくが集団で手籠めに遭いましても、弥三郎様は見ているだけでは御座いませぬか?」
「・・・・・。そんな事はない。必ず助ける。」
「どの様に助けるのです?気力・腕力共におなごなみの弥三郎様に、さくは助けられません。目の前でさくが犯されますのを見ながら、いつもの様に矛を扱かれますか?」
「・・・・・・・。どうすれば良い?」
「最低限、さくを守れるだけの武芸を身に着けるのです。さくは強いお方が好き。」
「・・・・・・・。そうか。相分かった。私がさくを守れるようになってみせる。」
「その言葉、間違いありませんね。」
さくは後になって弥三郎が言質を違えるかも知れぬと思い、念押しした。
「間違いない。さくに相応しいおのこになるのが、私の武士道だ。約束だ。安心して言質を取るが良い。」
弥三郎はにっこりと笑った。さくは今まで見せた事の無い弥三郎の笑顔に心が動かされた。弥三郎はさくを守る事こそが自らの武士道とまで言ったのだ。女として、これ程嬉しい事はなかった。一瞬、弥三郎に口吸いしてやろうとも考えたが、直ぐに思い直す。さくは教育係。先ずは自らの使命を全うする事が大事。そう思い直したさくは木刀を構えた。
「それでは、弥三郎様の言われる武士道とやらはどの程度のものなのか、さくにお見せ下さい。」
弥三郎も木刀を構えた。先程見られた様なやらされている感がない。さくは弥三郎の剣先から真摯さを感じ取った。弥三郎はジリジリとにじり寄りながら、間合いを図っている。何も教えていないにも関わらず、直感で距離感の重要性を認識しているのだから中々に有望だ。
「きえ~い。」
弥三郎の渾身の気合が周囲の空気を切り裂いた。気迫の籠った声と共に」さくに斬り込んで来る。今までで一番の声が出た。声に関しては合格だ。だが、踏み込みは鈍い。この切り込みを木刀で捌くのは朝飯前であった。が、さくは微動だにせず、弥三郎の一撃を黙って兜を付けている頭で受けた。
「ぎゃっ!」
庭の空気を裂いた裂帛の悲鳴はか細い女の悲鳴ではなく、声変わりした低い男の悲鳴であった。木刀を頭部に打ち込まれたさくではなく、打ち込んだ弥三郎の悲鳴である。弥三郎は木刀を取り落すと、その場にしゃがみ込んだ。兜を撃った手が痺れたのである。本来ならば兜を被っているとはいえ、木刀で思いっきり打ち据えられたら昏倒である。だが、さくは弥三郎の一撃なら受けても致命傷にはならないという確証があって、敢えて黙って打たせたのであった。
「どうされました。弥三郎様。」
蹲る弥三郎を見下ろしながら、さくは悠然と話し掛ける。
「腕が・・・。腕が痺れたのだ・・。」
掌を握って痺れに耐える弥三郎に、さくはゆっくりと諭すように話した。
「手が痺れるのは当たり前です。いくさ場で頭を斬ろうとする者はいませんので。」
「ど、どういう事だ。」
弥三郎は顔を顰めて、さくを見上げる。
「今は木刀を使っておりますが、いくさ場では命の取り合い、刀を使います。刀で今の様にさくの頭を斬り付けましたらどうなりますか?」
「さくが死んでしまう。」
「いいえ。さくは死にません。死ぬのは弥三郎様です。」
「????。ど、どういう事だ。斬り付けたのは私の方であるのに・・・。何故、私の方が死ぬのだ?」
弥三郎は本当に武芸の嗜みといったものは、からきし無い様子であったので、さくは噛んで含める様に説明する。
「いいですか。問題なのは刀の使い方です。いくさ場では皆、鎧兜で武装しております。兜を被った頭に、刀で一撃を加えましたらどうなりますか?斬れますか?」
「・・・・・。斬れんな。」
「そうです。斬れません。逆に斬った刀が欠けてしまいます。折れるかもしれません。そうなったら殺されるのは弥三郎様です。」
「・・・・・・・。」
「鎧兜で武装している所は斬れません。そこを斬ってしまうと刀を痛めてしまいます。刀は斬る者ではありません。防具が無い所を狙って突き刺すものなのです。」
「・・・・・。刀は斬るものでは無く、突き刺すもの・・・・。それは、本当なのか?」
「左様に御座います。」
「それは可笑しいだろう。」
弥三郎にはさくの説明は納得いくものではないらしかった。
「どこが、可笑しゅう御座いますか?」
「いや、私が思うには、皆は刀で斬り払う練習をしておらぬか?父上は弟たちは斬る練習をしておったぞ。刀は刺すものだと言うのならば、可笑しいではないか。」
「別に可笑しくはありません。斬る・払うは基本なので。」
「どういう事だ?」
「いきなり相手の急所に刀を突き刺そうとしましても、相手もすんなりと刺されてはくれません。先ずは相手の刀を切り払い、攻撃をいなしながら、敵の姿勢を崩す。大殿が斬る練習をしておられるのは、相手の体を斬る為なのでは無く、刀を払う為に御座います。」
「ふ~ん。左様か。」
「御納得頂けましたか。」
「うむ。」
弥三郎は変わった所はあるものの、聡明な男である。理由を説いて聞かせれば理解は早いのだ。
「つまり、鎧兜の隙間を突くという事だな。」
「はい。」
「具体的には?」
「喉に刀を突き刺すのです。」
「喉か・・・・・。」
弥三郎は恐々と自分の喉に手を当てる。
「喉に突き刺すのが一番効果的に御座います。他には脇の下や腿の内側。」
「脇の下や腿の内側?何故、そんな所を狙うのだ。?そこを刺すとどうなる?」
「脇の下や腿の内側を刺されると、大量に出血致します。とても止血出来ない量の出血です。そうなると体から血が失われていく寒さに震えながら暫しの後、死にます。」
「なにか・・・・悲惨な死に方だな。」
死に様を想像した弥三郎はぽつりと呟く。
「いくさ場での死に様は総じて皆、悲惨なものです。」
「・・・・・・・。」
弥三郎は無言である。何かしら思案に耽っている様であった。その様子がさくは気に掛かった。
「何か、気になる事がおありなので。」
「出来れば、命までは取りたくないな・・・・。」
弥三郎はさくのことを上目使いで窺いながら言った。
「今更、何を仰るのですか。女てつはう隊まで作って、意気揚々だったではありませんか。」
「遠距離からてつはうで撃つのと、刀で相手を刺し殺すのでは大分、心持が違うではないか。」
「・・・・・・。成程、それは確かに違いますな。」
弥三郎の言い分も尤もだと思い、さくはその意見に同意した。
「さくは平気なのか?相手を刺し殺す事に抵抗はないか?」
さくは面食らった。戦乱の世にこの様な事を言い出すとは・・・。今の世に生まれた武家の人間で、この様な考えを持つものが居るという事に驚いた。おそらくは戦乱の世から隔離されて大事に育てられた故、この様な軟弱な人間になったのだろう。
「それは・・・・・。」
さくは言葉に詰まった。今まで考えた事も無かった疑問だ。おそらくこの様な事を考える人間は弥三郎だけではないかと思われた。だが、そう言われて考えて見ると確かに酷い世である。だが、そんな事を言っていては生きてはいけない。皆、生き残る事に精一杯。館に討ち取った首が運ばれてきても、手柄を立てておめでたいとしか考えた事がない。恐らく弥三郎は生首すら見た事がないのではないかとさくは推測した。なので言葉を選んで口を開く。
「確かにさくも敵とは云えど刺し殺す事には躊躇は御座います。ですが、殺さなければこちらが殺されてしまいます。余計な事を考えてはなりません。」
「・・・・・・・。それは、頭では分かっている。だが、ふと思うたのだ。いくさ場で何十人の敵を討ち取ったとしても、それは正しい事なのであろうかと。何が得られるのかと・・・・・。」
「・・・・・。」
「僅かばかりの領地を得られる代わりに、民の命を失い、多くの憎しみ、怨みを得る。その繰り返しだ。父上もその輪の中から逃れられぬではないか。」
「・・・・・。」
「さくから敵の殺し方を教わり、ふと、そう思った。怖くなったのだ。皆はその様な事は考えぬのであろうか?」
「気の迷いで御座いますよ。」
さくはきっぱりと言った。
「気の迷い?」
「端的に言いますれば、神経質になっているのです。弥三郎様は初陣もまだですので、余計に難しく考えるのです。」
「・・・・・・・。」
「最初は誰しも怖いのです。ですが、場数を踏めば慣れるものに御座います。」
「・・・・・・・。さくは、人を斬った事はあるのか?」
弥三郎は唐突に訊ねた。
「・・・御座いません。」
さくは正直に答えた。
「・・・・・・・。もし、殺さなければならない状況になったならば、殺せるか?躊躇せずに・・・・・。」
「・・・・・。正直申しますと、その状況になってみない事には分かりません。躊躇するかもしれませんし、しないかもしれません。ですが、弥三郎様の初陣の折は、敵対するものは親でも鬼でも斬る覚悟に御座います。」
「・・・・・・・。」
「弥三郎様も覚悟をお決め下さい。人を斬る事を躊躇する人間が、上方に討って出ることが出来ましょうや?弥三郎様の志はそんなものなのですか?」
「分かっている。・・・・分かってはいるのだが・・・・。」
弥三郎は煮え切らなかった。きっと優しすぎるのだろう。
「しっかりなさいませ!その様な事で、大殿の意思を継ぐことが出来るのですか?弥三郎様が一人を斬る事を躊躇えば、それは領民に跳ね返って来るのです。若者は奴隷にされ、老人子供は殺され、女は手籠めにされる。その様な及び腰で国を守る事が出来るのですか?」
「・・・・・・・。分かった。この国を守る為、領民を守る為だな。」
「はい。」
「正義の為にもう躊躇わぬ。」
「・・・・・。」
弥三郎は腹を決めた様だったが、妙な事を言い出した。敵を斬るのは「正義の為」だと言う。さくはなにもこの乱世の事を理解してない様子に、溜息を付いた。
「なんだ。どうした。」
「弥三郎様、今、正義の為に敵を斬るのを、躊躇わぬと仰りませんでしたか?」
「・・・・・。言ったが、それが何だ。」
「残念ながら、それは正義とは言えません。」
「・・・・・・・?」
「こちらは領民を守る為に、正義の為に敵の命をやるなく奪っておりますが、それは敵方も同じことです。敵から見ると、我々から領民を守る為、正義の為に我が国の兵士の命を止む無く奪っていると思っております。お分かりですか?」
「・・・・・・・。」
「お互いがお互いの正義や志を掛けて、戦っておるのです。自らが正しいと信じて。」
「つまり、どういう事だ。正義は向こうにあると言うのか?」
「現時点では我らに義があるか、対立する本山氏に義があるか、決められません。」
「????・・・・・・。現時点では決められぬ?では、何時になれば分かるのだ?」
さくは一呼吸おいて、弥三郎に語りかけた。重要な事だ。理解して貰わなければならない。
「我らが本山氏を屈服させれば、我らに義あり、逆に我らが本山氏の軍門に降れば、我らは悪に御座います。」
弥三郎はムキになって言い返してくる。
「何を馬鹿な事を!それでは道理も大義も関係ないではないか。力のある者は何をしても正しいという事になる。」
さくは弥三郎の目を見て静かに言った。
「それが乱世に御座います。相手を屈服させたものが正義であり、敗れた者が悪なのです。」
「・・・・・・・。」
純粋な弥三郎は乱世の世のあり方を知らない。大義を掲げる者が正しく、必ず勝つと思っているのだ。
「大義のある者が必ず勝つとは限りません。義無くとも、勝てば大義は勝手に付いてくるのです。力こそが全て、勝者が全てを総取り。敗れた者は義があっても踏みにじられるのです。」
「その様な・・・・。御仏がその様な事は許さんぞ。」
さくは笑った。そして言い放った。
「仏法はとうの昔に廃れ果てました。期待するだけ無駄というもの。」
乱世の現実をずばり突き付けられた弥三郎は、衝撃の色を隠せずさくに問うた。
「さくは、御仏を信じぬのか?」
「現実を見なされ。乱世の世の中、民は皆、祈る事しか出来ません。ですが、それで救われた者がいましょうか?」
「・・・・・・・。」
「御仏に頼るよりも、自らの行動で道を開くのが肝要なのです。」
「う~~ん。身も蓋も無い嫌な世の中だな・・・・・。」
弥三郎は乱世の世を嘆いた。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語
六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
大東亜戦争を有利に
ゆみすけ
歴史・時代
日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる