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第17章

鉄砲鍛冶屋町

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 大殿から譲り受けた馬は、まるで疾風の様に駆けた。この馬ならば弓矢よりも早く駆けるのではないかと思わせる。この馬に乗って退却すれば後ろから矢玉はおそらく浴びないであろう。さくは後ろから弥三郎に抱きしめられながらそう考えていた。だが、なによりも書を読んだだけで、ここまでこの馬を乗りこなせるようになった弥三郎の能力も底知れない。馬鹿だ馬鹿だと思っていたこの若殿に対する認識を改めねばならない。馬は速度を緩め、城下の外れに向かう。
「何処に向かうのです?」
「さくに見せたいものがある。」
 弥三郎は馬をテクテクと歩かせ、ある一角で馬を降りる。
「ここは?」
「鍛治屋町だ。」
 さくは弥三郎の手を借りながら馬を降りた。共に横長の屋敷に足を踏み入れる。
「邪魔するぞ。」
「あっ、これは若殿様。」
 弥三郎が入って来た事に気が付いた鍛冶職人たちが歓迎の意を示す。さくは職人たちの表情や対応から、弥三郎はここでは慕われているようだと感じた。
「どうだ。進んでおるか?」
「へい。丁度、直しが済んだ所で。」
 親方らしき男が誇らしげに答えた。手には黒光りするてつはうが。ここはどうやら鉄砲鍛冶屋町らしい。
「見せてくれ。」
「へい。」
 てつはうを渡された弥三郎は、まじまじとそれを見たり構えたりした。
「さく、これを構えてみよ。」
「え、私が・・・・?」
 さくは武芸の心得は多少なりともあり、そこいらの雑兵など寄せ付けない自信はあったが、実を言うとてつはうは触った事がない。宮脇の家ではおなごは、てつはうに触ってはならないと言われていたからだ。
「私はおなごでありますので・・・・。」
 躊躇するさくに、弥三郎はぴしゃりと言う。
「おのこだから良くて、おなごだから駄目などという考えは捨てよ。国を守るのにおのこも、おなごも関係ない。」
「・・・・・。はっ。それでは。」
 さくはてつはうを受け取った。二の腕にずしりと重さを感じた。
「これが・・・てつはう・・・。」
「撃ってみよ。」
「えっ。撃つのですか?」
「そうだ。的はあっちだ。」
 弥三郎に導かれて、さくは後ろを付いて行った。その後を親方が続く。屋敷の外に案山子に鎧を着せた的があった。距離は30間(約50メートル程)であろうか。弥三郎は的を指差して言った。
「あれを撃つのだ。」
「・・・・・・。的が遠すぎるのではありませんか・・・・。」
「この距離なら弾が鎧を貫通する。致命傷を与えうるギリギリの距離だ。これより遠いと命中精度が落ちる上に致命傷にはならぬ。これより近いと接近させ過ぎで、撃った後、弾を込めている間に切り込みを許してしまう。つまり、この30間という距離を絶対防衛線として、てつはう隊でつるべ撃ちにし、防衛線の中に入れぬ。これが私の考えた戦略だ。」
「・・・・・・・。成程、つまりこの距離で的に当てねばならぬと・・・・。」
「そうだ。」
 さくはてつはうを構えながら又も感心した。机上で考えた戦略にしては中々に理に適っている様に聞こえる。遠距離からの攻撃で相手を痛撃できれば、弥三郎が刀を振るわなくても済むわけだ。この戦略が上手くいけばの話だが・・・・・。さくはてつはうで的を狙った。親方が火縄に火を点ける。目の前の的を人間だと思うと、中々の重さがあるてつはうが、更にズシリと重くなったような気がする。当たれば敵が死に、外せば自分が殺される。これは命の重さが両肩に掛かっている様に思えてならなかった。震える手で的を捉え、さくは引き金を引いた。火挟みが落ち、火皿の導火線に着火して弾薬に引火、弾丸が発射された。パーンと言う落雷が落ちた様な音に思わず、悲鳴を上げるさく。
「キャッ!」
 反動で浮き上がったてつはうは、狙いを的の上空に大きく外した。弥三郎がさくに声を掛ける。
「驚いたか?私も初めは肝を潰した。慣れればどうという事は無い。」
「はい。」
「もう一度狙え。」
 弥三郎の指示に従って、親方が再度、弾を込める。さくはそれをじっと見つめながら言った。
「弾を込めるのに、中々に時間が掛りますね。それについても何か策がおありなのですか?」
「てつはう隊を2つか3つに分ける。1つが弾を撃ったら、後ろに下がって弾を込める。その間に次の部隊が前に出て撃つ。撃ったら次の部隊に交代。それを繰り返して間断なく射撃するのだ。」
「・・・・・・成程。」
 弥三郎は実戦経験がないにも関わらず、如才なく策を練っている様だ。親方が弾を込めたてつはうを、再度構えるさく。火縄に火を点けるのを待って、的を狙い撃つ。雷鳴が轟いた。今度は音に怯まなかったが、やはり弾は的に命中しなかった。
「なかなかに難しゅう御座います。」
「いや、なかなかに筋が良い。」
 弾が外れたにも関わらず、弥三郎はさくを褒める。
「ちなみにだが、さくは的のどの辺りに狙いを付けておるのか。」
 弥三郎の問いにさくは答えた。
「頭で御座います。」
「それがいかん。」
「えっ・・・・。何故でございますか?」
「では聞くが、何故に頭を狙って撃った?」
「勿論、一撃で相手を仕留める為に御座います。」
 さくはてつはうを撃つ時は、頭部を撃ち抜いて一撃で仕留めるのが得策だと考えていたのだが、弥三郎の考えは違った。
「狙うのは胴体だ。腹のど真ん中を狙って撃つのが良い。」
「腹の真ん中ですか?」
 さくには弥三郎の言う、腹の真ん中を撃ち抜くという狙いが分からなかった。腹を撃ち抜いても敵は死なないではないか。頭を撃ち抜いて確実に息の根を止めるのが得策に思えた。
「何故、腹を狙うのですか?」
 さくの問いに弥三郎は明朗に答える。
「簡単な事だ。頭は的が小さすぎる。上下左右、少しでも弾が撥ねたらもう当たらない。しかし、胴体の真ん中を狙えば、上に撥ねたら頭。下に撥ねれば足。左右に撥ねれば脇腹。どこかに当たる確率が上がるという事だ。」
「しかし・・・・・。足や脇腹を撃っても、敵は死にません。」
「別に殺す必要はない。戦闘不能に追い込めば良いのだ。この距離でなら、弾は鎧ごと体を貫通する。体のどこかを撃ち抜かれれば、まともには戦えぬ。」
「・・・・・・・。」
 さくは弥三郎の考えに心の中で唸った。説得力があったからだ。
「成程、腹ですか。」
「そうだ。次は此方のてつはうで腹を狙って撃ってみろ。」
 親方が先程とは違う銃をさくに渡した。さくは先程とは少してつはうの形が違う事に気付いた。
「これは?」
「気付いたか。なかなかに目が利くな。この銃は一般に流通しているてつはうを改良させたものだ。より扱いやすくさせた。」
「具体的には?」
「台丸を張り出させ、引き金の周辺の銃床を細くしてある。先程のモノより、握りやすいだろう。」
 さくは銃を構えてみた。弥三郎の言う通りである。
「はい。確かに。」
「撃ってみよ。」
 さくは三度、銃を構えた。親方が火縄に火を点けるのを待って、腹の真ん中目掛け、引き金を引く。轟く雷音は洞窟の中で暗くなるまで眠る蝙蝠さえ起きそうであった。
「お見事。」
 親方が声を上げた。さくは銃口から煙る噴煙で的が見えなかった。銃を下ろし、手で煙を払いながら的に目を凝らす。
「あっ!!!」
 驚きの声を上げるさく。的の案山子に被せた面当てに穴が開いてるではないか!
「えっ!あれは・・・、さくが空けた穴ですか?」
「そうじゃ。撃つ前はあのような穴は開いてなかったではないか。」
 弥三郎は笑顔で応じる。
「しかも、顔面を撃ち抜いておる。敵は一溜りもなかろうな。」
 弥三郎が親方に話を向けると、親方ははっきりと応じた。
「即死に御座います。痛みすら感じる暇も御座いますまい。」
 さくはそれを聞いて沸々と達成感が込み上げてきた。初めはこの距離で標的を本当に撃ち抜けるかと思っていたが、案外簡単なモノなのかもしれない。
「弥三郎様。さくはコツが分かりました。」
「コツ?どの様なコツじゃ。」
「てつはうを撃った時に、反動で銃口が持ち上がるのです。ですから、それを計算に入れて標的のかなり下を狙えば宜しいかと。」
「うん。成程。では、それを先程のおなご達にさくが教えてやってくれ。」
「おなご達に?何故に。」
 さくが怪訝な表情を浮かべると、弥三郎は何でもないように言った。
「おなご達を私の傘下に入れ、女てつはう隊を組織する。」
「えっ!女てつはう隊?」
 さくは思わず仰け反った。弥三郎はおなこが臭いという理由で、おなごを家臣にし、戦場に連れて行くつもりらしかった。
「弥三郎様。それはお止め下さい。」
「何故だ。何故駄目なのだ。」
 駄目な事は分かり切っているだろうに、弥三郎は惚けた顔である。
「戦場におなごを連れて行っても殺されるか、手籠めにされて犯されるだけで御座います。領内のおなごが敵国の者共に蹂躙されてもよう御座いますか。」
「良くない。領内のおなご達はゆくゆくは全て私のモノにするつもりだ。」
 またまた弥三郎が馬鹿な出張を仕出した。さくは呆れたが、ここは敢えて突っ込まなかった。今、重要なのは戦場におなご達を連れて行かせるのを止めさせなければならないからだ。
「そうでしょう。そうでしょう。弥三郎様の大事な領内のおなご達が慰み者になる事だけは、なんとしても阻止しなければなりません。城の中に入れておいて奪われぬ様にするのが、良う御座います。」
 さくはおなご達を戦場に出すと、奪われてしまうぞと危機感を煽り、弥三郎に翻意を迫ったのだが、弥三郎の答えは、
「大丈夫だ。ちゃんと考えている。」
「・・・・・・。どの様なお考えで?」
「おなご達はてつはうを使っての遠距離攻撃を担って貰う。直接敵と相対することはない。」
「・・・・・・。しかし、敵方の進撃をてつはう隊の銃撃で止められぬ場合も御座います。その場合は如何致しますか?」
「敵方がてつはう隊の防衛網を破りそうになったら、おなご共は逃がす。」
「逃がす?おなご達は撤退させると?」
「そうだ。その為に乗馬の練習をさせたのだ。」
 本当に先程の乗馬練習はその為なのか?さくには邪まな考えで行っていたようにしか見えなかったが・・・・・。
「おなご達を撤退させたその後は如何しますか?」
「乱戦になる。その為に屈強な農民兵を数多く集められる様な態勢を、父上に進言したのだ。」
「・・・・・・・。」
 さくは考え込んだ。弥三郎はてつはう隊で敵方の勢いを削いだ上で、乱戦に持ち込む策だというが果たして・・・・。弥三郎もさくもいくさ場に出た事が無いのだから、頭の中での計算が主である。想像を巡らすしかない。だが、相手の尖兵を削いでから戦うと云うのは良い策なのではないかと思わせるだけの説得力があった。
「・・・・・。成程。良い策の様に思われますが・・・・・。」
「なんだ。不満そうだな。」
「てつはう隊はおなごでなくとも良いではありませんか。農民にてつはうの扱いを教えれば良い事なのでは。おのこが臭いからという理由だけでは、到底承服出来ません。」
 さくはきっぱりと弥三郎の考えを戒めた。
「私はおのこが嫌いだという理由だけで、女てつはう隊を組織しようというのではない。ちゃんとした計算があっての事だ。」
「・・・・・。では、さくが納得する様にその計算とやらをお聞かせ下さいませ。」
「いくさは兵の動員数で勝敗が決まるのだ。一人でも多い方が良い。だから男は皆、戦闘員に回し、おなごをてつはう隊で後方支援させるのだ。」
「・・・・・・・。」
「おなごは戦えぬから後方。おのこは前方。おなごを動員する事により、おなこは皆、前方に展開させられるのだ。」
「・・・・・しかし、おなごをいくさ場に連れ出すというのは、他国から嘲りを受けるのではないかと・・・・・。」
「私はもう充分嘲りを受けている。これ以上、受けたとて何ほどのものか。」
 弥三郎は半ば開き直って言った。更に続ける。
「相手が侮って馬鹿にしてくれれば、くれるだけこちらに有利に事は運ぶ。油断している相手程、与しやすい。」
「・・・・・・・・。」
「大体、さくの考えは男尊女卑だ。何故、おなごは戦場で戦ってはならぬのか。事、てつはうに於いてはおなごの方がおのこより扱いに適していると思っている。おなごの方が集中力が続くので、射撃に適しているのだ。様々な事柄を勘案して、私はおなご・てつはう隊を作ると言っている。」
 弥三郎はその様にさくに言い切った。女好きな弥三郎はおなごの事をおのこと同様に見ているのか。さくはその事に感動を覚えた。おなごの可能性に目を向ける弥三郎の考え方は、この時代にそぐわないものであったが、男尊女卑を覆す新たな時代の指導者に相応しいと思えた。
「心配するな。いくさ場のおなご達は、おのこを盾にしても絶対に守る。」
「・・・・・・・。」
「おなごが死ぬるのは国の損失だが、おのこはいくら死んでも別段困らぬ。」
「・・・・・・・。」
 なんじゃこの男は。男尊女卑を覆してくれる、新しい時代の指導者だと今、思ったばかりであったのだが、弥三郎は男女平等というより、言ってることは女尊男卑である。おなごは大事だが、おのこは嫌い。おなごを守る為なら幾ら死んでも良いと言っている様なものであった。弥三郎は開明的な君主であろうか?それとも気の触れた佞人であろうか?全く判断が付かない。さくが混乱していると、長屋から一人の鉄砲鍛冶が出て来て弥三郎に声を掛けた。
「弥三郎様。例の者が丁度、完成致しました。」
「そうか。見せてくれ。」
「へい。」
 職人が弥三郎に手渡したもの。それは一本の脇差であった。弥三郎はそれを手に取り、宝物を眺めるようにまじまじと見ている。
「その脇差が何か?」
「さく、これを見よ。」
 声を掛けたさくに、弥三郎は脇差を見せながら刀を抜いた。
「これは・・・・・・。」
 脇差から引き抜かれたものは、刀ではなかった。それは黒い鉄の加工品。さくはまじまじと見つめる。なんだこれは?見ると引鉄が付いている。まさか・・・・。
「これもてつはう・・・・?」
 弥三郎は笑って言った。
「脇差てつはうだ。」
 普通は脇差を抜くと刀身が出て来るが、これは携帯型のてつはうが出て来るのだ。
「こんなものが作れるのですか?」
 さくは驚きを隠せなかった。
「上方でこれを作った者が居てな。それを真似て作らせたのだ。」
「凄う御座います。こんなに小さく出来るのですか。これなら持っていても邪魔になりませぬ。」
 さくは声を弾ませた。
「まあな。だがいくさ場では余り有用ではないのだ。」
 弥三郎は渋い顔をした。
「何故で御座いますか?」
「小さい分、射程が短いのだ。遠距離を狙うのには適さない。命中精度も悪い。近距離でしか使えぬ。近距離戦向き故に、一回撃ったら弾を込めてる暇がない。とても実用には適さぬ。」
「そうなのですか・・・・・。」
 弥三郎の話を聞いた、さくはしゅんと意気消沈した。
「だが、まあ、護身用には使えよう。そなたに遣わす。」
「えっ、私にですか。」
「そうじゃ。そなたに遣わす。もしもの時は至近距離でぶっ放すが良い。」
 弥三郎が差し出す脇差てつはうを、さくは恐々と受け取った。さくはもしかしたらこれを弥三郎に使う事になるかもしれないなあと漠然と思った。笑顔の弥三郎にはさくの恐ろしい心中が全く読み取れない様子であった。
「よし、それでは引き返すか。」
 弥三郎は唐突に言う。
「そうですね。皆、首を長うして待っている事でしょう。」
「では、親方。しっかりてつはうの増産を頼むぞ。」
 鍛冶職人たちの恭しい一礼を尻目に、さくと弥三郎は馬に跨った。
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