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第14章
物の怪の棲む厠
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さくが弥三郎の元に来てから10日が経過していた。さくのお陰で弥三郎に変化が。大殿との間に会話が増え、新たな関係を構築しつつあった。わだかまりが霧消し、お互いに理解を示しつつある。飯も以前より食うようになったと大殿がさくに礼を述べた。さくから言わせればまだまだ線が細かったが。なにはともあれ良い兆候である。さて、次に何を改善するべきか・・・・?
「これを何とかすべきでは?」
さくの意を汲み取った、はるが桶を指差し言った。
「ですね・・・・。」
さくもはるの意見に同意である。弥三郎の部屋の前に置かれた桶の中には、弥三郎が自室の中で排便した汚物が溜められ、汚臭を放っていた。弥三郎は厠に行くのを拒否し、いつも桶に用便していた。弥三郎に会う前から聞いていた事ではあったが、いざ目にすると、その行為の異様さが際立っている様に感じられた。一体何ゆえに厠で用を足さないのであろうか?毎日毎日、用便を処理する事にも閉口していた時分である。次はこれを改めさせようと、さくは心に決めた。
その日、朝餉を済まし、後始末を終えたさくは、部屋で書を読んでいた弥三郎に切り出した。
「弥三郎様。ちょっと、宜しいでしょうか?」
「なんだ。どうかしたか?」
「・・・・・ずばり、お聞き致しますが、何故にいつも用便を桶になさいますか?用便は厠で済ますものです。」
「・・・・・・・。」
「赤子ならいざ知らず、弥三郎様はそんな齢ではないでしょう?」
「・・・・・・・。」
「皆の物笑いの種です。大殿も気にしておられます。」
「・・・・・・・。」
「さくは弥三郎様は巷で言われている様な、うつけではないと分かっております。何か深いお考えがおありなのでしたら、さくにだけは仰って下さい。」
「・・いのだ。」
弥三郎は何かぼそぼそと言ったが、声が小さく聞き取れない。さくは再度聞き返す。
「なんですか?はっきりと仰って下さいませ。」
「こわいからだ。」
「はっ?こわい?」
「そうだ。恐ろしい。」
さくは弥三郎の意外な言葉に沈黙した。厠が、恐ろしい?一体全体、何が恐ろしいと言うのだ?
「何故、厠が恐ろしいので?」
さくは厠よりも意味不明な事を言い出した弥三郎が恐ろしい。恐々と理由を尋ねると、考えられない阿保な事を言い出した。
「私が小さかった時の事じゃ。便を足していた時に、便桝の中をふと見ると。」
「ふと見ると何です?」
「中に誰かいたのだ!」
「はっ?」
「便桝の中に光る眼が見えたのだ。」
「・・・・・・・。」
「・・・・・・・。」
さくとはるは暫しの間、沈黙した。この男は何を言ってるんだ?
「それで、厠を使わずに、桶で用を足すようになったので?」
「そうじゃ。」
プッとはるが噴き出した。さくも釣られて笑い出す。二人でゲラゲラと大笑いした。
「何が可笑しいのだ!」
何とも馬鹿らしい話だが、弥三郎としては大真面目な話である。不快感を露わにする。
「それはいつ頃の話なので?」
さくが笑いを噛み殺しながら尋ねると、弥三郎はムッとした表情で答えた。
「十三年ぐらい前の事だ。」
「それは昼でしたか?夜でしたか?」
「夜だ。」
さくとはるは顔を見合わせて、又も笑い出す。
「何が可笑しいのだ。」
本気で怒る弥三郎。
「それは気の所為です。」
さくはきっぱりと言った。はるも涙を流しながら言う。
「子供の時分は誰しも夜に厠に行くのは、怖う御座います。はるも怖う御座いました。」
「さくも弥三郎様と同じで御座いました。怖い怖いと思っていると、ありもしないものが見えるので御座います。」
さくはいい年にもなって、そんな事を恐れて厠に行けないと言う、弥三郎を内心馬鹿にしながら嗜める。
「気の所為などでは無い!確かに便桝の中に誰か居たのだ。」
「弥三郎様。よく考えて下さいませ。夜に便桝の中に一体、誰が居るというのですか?」
「それは・・・・・。」
弥三郎は口籠った。冷静に考えれば分かる事である。さくは聡明な弥三郎なら論理立てて考えさせれば分かるだろうと思ったのだが、突飛な事を言い出した。
「考えられるのは物の怪だな。なんでも聞いた所に寄ると、人の糞便を好んで舐める物の怪が居るそうだ。」
それを聞いた、さくとはるは沈黙した。弥三郎はちょっと変わってはいたが、先見の明を持った聡明な男だと思っていた。それが・・・・この様な事を言い出すとは・・・・・。今度は痛すぎて笑えない。困った男だ。
「弥三郎様。物の怪など存在しません。物の怪とは人の心が生み出す幻です。そんなものを恐れてどうするのですか。本当に怖いのは人です。欲望を満たす為なら幾らでも残酷になれる。物の怪など可愛いものではありませんか。」
「物の怪はいる!さくは見た事がないので、そんな事が言えるのだ!」
弥三郎は頑迷に物の怪の存在を主張して曲げない。もし弥三郎が兄だったならば、さくはぶん殴っていただろう。
「では、本当に物の怪とやらが居ると言うのであれば、さくも見てみたいもので御座います。その物の怪は何処に住み着いているので?」
「私専用の厠だ。」
「では、その厠を今日から、さくとはるが使わせて頂いても宜しゅう御座いますか?」
「こ、怖くないのか。」
「全く。物の怪など居ませんので。私達がその厠で用を足しまして、何事もなければ、物の怪を見たというのは弥三郎様の勘違いという事になりますが、宜しゅう御座いますか?」
「・・・・・・う、うむ。それは良い。それは是非とも確認した方が良いな。物の怪がおるか、おらぬか。」
弥三郎は妙な笑みを見せた。さくはその笑みが気になった。さくたちが物の怪を目撃すれば、自分の言ってることが正しいと認識させることが出来るとでも思っているのだろうか?馬鹿馬鹿しい限りであった。
「これを何とかすべきでは?」
さくの意を汲み取った、はるが桶を指差し言った。
「ですね・・・・。」
さくもはるの意見に同意である。弥三郎の部屋の前に置かれた桶の中には、弥三郎が自室の中で排便した汚物が溜められ、汚臭を放っていた。弥三郎は厠に行くのを拒否し、いつも桶に用便していた。弥三郎に会う前から聞いていた事ではあったが、いざ目にすると、その行為の異様さが際立っている様に感じられた。一体何ゆえに厠で用を足さないのであろうか?毎日毎日、用便を処理する事にも閉口していた時分である。次はこれを改めさせようと、さくは心に決めた。
その日、朝餉を済まし、後始末を終えたさくは、部屋で書を読んでいた弥三郎に切り出した。
「弥三郎様。ちょっと、宜しいでしょうか?」
「なんだ。どうかしたか?」
「・・・・・ずばり、お聞き致しますが、何故にいつも用便を桶になさいますか?用便は厠で済ますものです。」
「・・・・・・・。」
「赤子ならいざ知らず、弥三郎様はそんな齢ではないでしょう?」
「・・・・・・・。」
「皆の物笑いの種です。大殿も気にしておられます。」
「・・・・・・・。」
「さくは弥三郎様は巷で言われている様な、うつけではないと分かっております。何か深いお考えがおありなのでしたら、さくにだけは仰って下さい。」
「・・いのだ。」
弥三郎は何かぼそぼそと言ったが、声が小さく聞き取れない。さくは再度聞き返す。
「なんですか?はっきりと仰って下さいませ。」
「こわいからだ。」
「はっ?こわい?」
「そうだ。恐ろしい。」
さくは弥三郎の意外な言葉に沈黙した。厠が、恐ろしい?一体全体、何が恐ろしいと言うのだ?
「何故、厠が恐ろしいので?」
さくは厠よりも意味不明な事を言い出した弥三郎が恐ろしい。恐々と理由を尋ねると、考えられない阿保な事を言い出した。
「私が小さかった時の事じゃ。便を足していた時に、便桝の中をふと見ると。」
「ふと見ると何です?」
「中に誰かいたのだ!」
「はっ?」
「便桝の中に光る眼が見えたのだ。」
「・・・・・・・。」
「・・・・・・・。」
さくとはるは暫しの間、沈黙した。この男は何を言ってるんだ?
「それで、厠を使わずに、桶で用を足すようになったので?」
「そうじゃ。」
プッとはるが噴き出した。さくも釣られて笑い出す。二人でゲラゲラと大笑いした。
「何が可笑しいのだ!」
何とも馬鹿らしい話だが、弥三郎としては大真面目な話である。不快感を露わにする。
「それはいつ頃の話なので?」
さくが笑いを噛み殺しながら尋ねると、弥三郎はムッとした表情で答えた。
「十三年ぐらい前の事だ。」
「それは昼でしたか?夜でしたか?」
「夜だ。」
さくとはるは顔を見合わせて、又も笑い出す。
「何が可笑しいのだ。」
本気で怒る弥三郎。
「それは気の所為です。」
さくはきっぱりと言った。はるも涙を流しながら言う。
「子供の時分は誰しも夜に厠に行くのは、怖う御座います。はるも怖う御座いました。」
「さくも弥三郎様と同じで御座いました。怖い怖いと思っていると、ありもしないものが見えるので御座います。」
さくはいい年にもなって、そんな事を恐れて厠に行けないと言う、弥三郎を内心馬鹿にしながら嗜める。
「気の所為などでは無い!確かに便桝の中に誰か居たのだ。」
「弥三郎様。よく考えて下さいませ。夜に便桝の中に一体、誰が居るというのですか?」
「それは・・・・・。」
弥三郎は口籠った。冷静に考えれば分かる事である。さくは聡明な弥三郎なら論理立てて考えさせれば分かるだろうと思ったのだが、突飛な事を言い出した。
「考えられるのは物の怪だな。なんでも聞いた所に寄ると、人の糞便を好んで舐める物の怪が居るそうだ。」
それを聞いた、さくとはるは沈黙した。弥三郎はちょっと変わってはいたが、先見の明を持った聡明な男だと思っていた。それが・・・・この様な事を言い出すとは・・・・・。今度は痛すぎて笑えない。困った男だ。
「弥三郎様。物の怪など存在しません。物の怪とは人の心が生み出す幻です。そんなものを恐れてどうするのですか。本当に怖いのは人です。欲望を満たす為なら幾らでも残酷になれる。物の怪など可愛いものではありませんか。」
「物の怪はいる!さくは見た事がないので、そんな事が言えるのだ!」
弥三郎は頑迷に物の怪の存在を主張して曲げない。もし弥三郎が兄だったならば、さくはぶん殴っていただろう。
「では、本当に物の怪とやらが居ると言うのであれば、さくも見てみたいもので御座います。その物の怪は何処に住み着いているので?」
「私専用の厠だ。」
「では、その厠を今日から、さくとはるが使わせて頂いても宜しゅう御座いますか?」
「こ、怖くないのか。」
「全く。物の怪など居ませんので。私達がその厠で用を足しまして、何事もなければ、物の怪を見たというのは弥三郎様の勘違いという事になりますが、宜しゅう御座いますか?」
「・・・・・・う、うむ。それは良い。それは是非とも確認した方が良いな。物の怪がおるか、おらぬか。」
弥三郎は妙な笑みを見せた。さくはその笑みが気になった。さくたちが物の怪を目撃すれば、自分の言ってることが正しいと認識させることが出来るとでも思っているのだろうか?馬鹿馬鹿しい限りであった。
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