戦国ニート~さくは弥三郎の天下一統の志を信じるか~

軽部雄二

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第1章

覗き

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 一人の女が井戸の横で水浴みをしている。
 年の頃は10代中頃、半裸の女の肌は瑞々しく、被った水を溌溂と弾くその様は生命の艶やかさを感じさせた。
 今から400年以上前の日本の戦国時代。その頃の風呂と言えば蒸し風呂が一般的であった。
 現代の様な浴槽に湯を張って浸かるという習慣が定着したのは、近代になって上下水道が普及してからである。
 戦国時代には蒸し風呂。しかもこれは特権階級のモノであって、一般大衆がすんなりと入れるものではない。
 殆どの人達は井戸や川の水を桶や盥に張って体を洗っていた。
 水浴みをしているその女、名前を「宮脇さく」といった。
 さくはれっきとした武家の娘。この館の主、宮脇国安の次女である。
 今日は館で闘鶏の蹴合いが行われていた。この地域は闘鶏が盛んである。鶉矮鶏(うずらちゃぼ)、東天紅、尾長鶏など地域独特の軍鶏を輩出した。これらの鶏が他国に於いても珍重されるに至ったのは、ひとえに大殿の闘鶏に対する熱意も大きかったようにさくには思われた。大殿はさくの父親、国安に言ったそうだ。
「闘鶏の勝ち負けは戦う前に8割方付いている。それはどの様な闘鶏を育てるか、それに尽きる。育て方ひとつだ。」
 大殿の闘鶏に掛ける熱意は一方ならぬものがある。聞くところによると、闘鶏の肥満を防ぎ筋肉を引き締める為とか、心臓を強くして持続性を養う為とか、なんやかんやと世話を焼き、怪我をした軍鶏の為に豪勢な籠を用意し、温泉場に通わせる程であった。そう話すと大殿は軍鶏にかぶれたどうしようもないバカ殿の様に聞こえるかも知れない。が、それは違う。軍鶏狂いを横に置けば、領民に対して善政を敷き、「阿弥陀如来の生まれ変わり」と言われる程の仁政を敷いていたのだ。これ程の仁者が何故、軍鶏を育てる事になると目の色を変えるのか?領民曰く、
「軍鶏は手を掛ければ掛けるだけ、それに答える。それに対して若殿は・・・・。」
 と、周囲を慮って皆まで言わぬ。さくも同じように考えていた。自分の長男に対しての鬱屈した想いの発露であろうと・・・・。
 領国の中に於いては老若男女問わず、全ての領民に大殿の長男・つまり若殿の芳しくない行状が知られている。さくも知っている。なんでも聞いた所によると、人と話さず、挨拶もせず、自室に引き籠り何をしているのか分からない。体も洗わず、用を足すときは厠に行かず、桶にするのだそうだ。生まれつき虚弱でとても戦場に於いて槍働き出来るような男ではないという。さくは若殿に会った事はないので、どこまでが事実か知る由も無いが、火の無い所に煙は立たないという。大分変った男だというのは当たらずも遠からずなのではないか?と、思っていた。父の国安もその事を案じている様だ。さもありなん。領国の外は群雄が割拠し、どこも領土拡張の機会を窺っている弱肉強食の戦国時代である。かくゆう大殿も幼き時に周辺諸豪族に責められ、落城の憂き目に遭っている。父・母・姉は自刃し、命からがら譜代の家臣に皮籠に入れられ、背負われ、脱出したのだ。つまり一度国を失っているのだ。出来の悪い若殿により再度の悪夢が起こらないとも限らない。主家の滅亡は家臣にとっても一大事。主家を変えるか・落ち延びるか・腹を切るか。いずれにせよお家存亡の事なのだ。領民にとってもそうだ。負ければ敵軍の足軽が乱入し、乱暴狼藉・略奪が待っている。大殿の懸念、即ち領国に住む皆の懸念なのである。この国は一体どうなるのであろうか?
「そなた、何をしているのです?」
 さくが物思いに耽っている所へ、さく付きの上女中の詰問する様な声が聞こえて来たので、そちらの方をチラリと見た瞬間、
「キャ~~~~~~。」
 と、甲高い悲鳴が。座り込んだ女中をその場に残し、男が振り向きもせず走り去っていく。
 さくは呆気に取られた。今日は館に大殿も来られているというのに大声を出して何事なのか?
「静かに。大殿も居るのです。何事ですか、大声を出して。」
 さくの叱責に、さくより3歳年上の上女中が血相を変えながら起き上がり駆け寄って来た。
「姫様、今の男、変態です。」
「いきなり何ですか。」
「覗かれていたのです。水浴みする所を。」
「・・・・・・・・。」
 それを聞いたさくは沈黙する。考え事をしていた為に全く気付かなかった。まさか覗かれていたとは・・・・。
 はっきりと顔は見ていないが、宮脇家の者ではない。今日は館で闘鶏が行われているので、見知らぬ者たちも多数出入りしている。その中の一人であろう。
「そんな事は良くある事です。それしきの事で大声を出してはなりません。」
 さくははだけた着衣を直しながらやんわりと言うが、女中は収まらない。
「ただの覗きではありませんぞ。」
「????」
「こいていたのです。」
「こいていた?」
 何のことか分からないさくに、女中はやきもきする。
「あれを・・・・。」
「あれ?」
 乙女のさくは察しが悪いので、女中はずばり口に出すのが憚れる言葉を言う。
「矛をこいていたのです。」
「えっ・・・・。」
 それを聞いたさくの顔にみるみる朱の色が昇っていく。ここで言う「矛」とは男性器の事である。つまりさくの水浴みを覗いていた男は、さくの裸を見ながら矛をこいていた。つまり自慰に耽っていたのである。
「姫様。一歩間違えば襲われていたかもしれないのですよ。余りに不用心が過ぎます。」
「・・・・・・・・。」
 もしかしたならば、自分が館の中で教われていたかもしれない?いや、まさか。よもや大殿が居られる今日、屋敷内で真っ昼間にさくを手籠めにする様な輩は家中には居ない筈である。
「そ、そんな、不届き物は家中の者には居ません。」
 動揺を隠せないさくに、女中はきっぱりと言った。
「そんな事は分かりません。現に大殿のおわす屋敷で、その家の姫の水浴みを覗いて矛をこいていた。この事実だけでもとんでもない輩が、ここにいたという事は明らかです。姫は余りにも無防備すぎます。
「・・・・・・・・。」
 もしかしたら自分が手籠めにされていたかもしれない?さくはそれを想像している自分の体の震えを感じた。しかしそれは恐怖では無く、被虐に満ちた性的な興奮に因るものだとはいまのさくには気付けなかった。
「・・・・そ、そんな不届きな事を試みる者が居るのなら、切り捨ててやります。」
 さくは体の震えを悟られない様に気を付けながら、話を転換しようと強気の発言をした。女中はさくの異変に全く気付いていない様子で、強気の発言に笑顔を見せた。それにさくはホッとする。
「そ、それよりもそろそろ蹴合いが終わる頃です。大殿に挨拶せねば。すぐに支度を。」
 さくは大殿に挨拶する為、失礼の無いように水浴みしていたのだ。
「はっ。急いで支度を致します。」
 女中はそう言うと体を拭うものを取りに行った。さくはそれを見送りながら考える。大殿に覗きの事を訴え出ようか?だがしかし、熟慮の上にさくはその考えを引っ込めた。その事を話せば、自分の身に起きた異変を悟られそうであったからだ。覗いた男はさくとそう年端も変わらなそうな若い男であった。どこの家中の者であろうか?
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