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■1 春の木漏れ日

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 柔らかな春の日差しが空いた窓から差し込む。頬を撫でるように優しい風が吹き抜ける。ソファーに横になっている私の身体を照らして包み込むそれは随分と気持ちがよかった。

「ふわぁー。眠い」

 私はお腹に乗せた分厚い本を床に落とした。
 洋書だ。最近はライトノベルとか漫画とかも読み始め少しずつだがサブカルチャーにも浸透してきていた。まあそんな話は置いておくとして、今日は随分と身体に堪える日だった。

「そろそろ起きないと」

 私はゆっくり体を起こす。
 床に落ちた本を拾い上げ机の上に置く。グッと腕を天井に向けて高く伸ばしてストレッチをした。
 寝ぼけ眼で辺りを見回し私は大きな欠伸あくびを溢す。

「まだ疲れてるのかな?」

 私が独り言を呟くと、突然リビングの扉が開いた。
 そこから現れたのは銀色の美しい髪を持つ女性。燕尾服えんびふくに身を包んだ彼女は私にこう訊ねる。

「お目覚めですかルーナ様」
「うん。どのくらい寝てた、銀?」
「そうですね。数えて一時間程でしょうか」
「そっか。うーん、らしくないなー」
「体に不調はありませんか?先日の一件で随分と力を使った様でしたが」
「うん。確かにまだ体は怠いよ。それに何だろ、力も変な感じに作用してるみたいだ」

 私はそう答えた。掌を開いたり閉じたりして確認する。
 銀こと、銀牙は私の体調不良に対し凄く不安そうだった。確かに彼女も昔かなりのダメージを負って消えかけたことがあった。そのせいだろうが、確かに力が不完全なのは承知している。しかしそれが悪い方に向いているとは言い難かった。ぶっちゃけると真逆で力が溢れてきている。しかしそれがまだ溶け込んでいないような不純感が残っていただけだ。

「でも大丈夫。それより今日のお昼はなに?」
「本日はガブ様がなさるとおっしゃていましたので、任せることに致しました」
「ガブが?そっか、もう慣れたんだ」

 私は彼女の身を案じていた。
 確かに先日の一件で力が暴走したのはいかんせん事実だが、それも今では目を瞑っている。
 それが私の答えだったからだ。その意見には銀牙も大いに賛成してくれた。と言うか彼女は私の意見に従いすぎだ。

 そんな彼女の後ろからひょっこり顔を出した少女がいた。
 彼女は私の姿を黙認すると近づきギュッと抱きついた。

「ルーナさん!」
かたり、如何したの?」

 彼女の名前は語。本当の名前は妖語あやかしかたり。私の所有する妖刀だ。元々は神刀としてあがめられていたが、長い年月が経ち妖刀と化した。そして今ではこんな風に人の姿をとれるようになった付喪神つくもがみの一種である。
 抱きつく語の髪を撫でながら、私は銀に伝えた。

「ちょっと様子を見てくるよ」
「わかりました。私はリビングの片付けをしておきます」
「お願いするよ」

 そう言って私はリビングから出た。
 そして無駄に広い屋敷の中を散策し、二階に上がる。未だに使っていない部屋もある程で幽霊屋敷とまで思われている程だ。
 そうして玄関先にある階段を上り、ガブの部屋に行こうとした時私の隣に何かが現れた。

「ルーナ」
「うわっビックリした。夜鈴、帰ってたんだ」
「朝、昼、夜には帰ってくる」

 そう答える彼女は夜鈴。銀牙と同じタイプだ。と言うのも彼女達二人は妖怪。私と契約したことで私と主従関係を築いた仲だ。と言っても主従関係の様な縛りはほとんどなく、最小限の“契約”と言うくくりである。
 いつも真っ黒なマフラーで顔の半分を覆っているのは彼女のトレードマークだった。

「どう、何か異変はあった?」
「特にない。普段通り」
「それはよかった」

 彼女は普段は雀の姿で活動している。
 そうやって街の中を探索しては常に目を見張り、街に異変がないか如何かを事細かに調べているのだ。
 もっともこの街、神奈市は東も西もどちらも朱鷺時雨と呼ばれる神主家系の人が護っている土地なので、そう変なことは起こらない。それがこの街が人間と妖怪が共に共存する不可侵領域である所以ゆえんだった。

「何処に行く」
「ガブの様子を見に行こうかなってね」
「ガブなら部屋にいた。さっき確認したから間違いない」
「ご苦労様」

 私は夜鈴にそう言うと夜鈴はまた何処かに消えてしまう。本当に気配を消すのが上手い。初めて会った時よりもだいぶん上手くなったようだった。

「ガブ、入るよ」
「あっ、ルーナさん!」

 私はガブの部屋に入った。
 するとそこにいたのは紺色のブレザーを着た美しい少女だった。白い肌。ゆるふわとしたブロンドヘアー。透き通った青い瞳。しかし何処か眠たげで覇気が感じられない。ピコンと生えたアホ毛がポワポワと揺れている。

「何してるガブ」
「いえ、その、明日から私も高校生ですので」
「そう言えばそうだっけ。似合ってるよ」
「ありがとうございます」

 彼女はガブ。ガブとは略称で、本名はガブリエラ・ウォータリー。天使だ。
 春先に出会い、暴走した彼女を止めるために苦悩した。ガブリエルと呼ばれる水の大天使である彼女はこの地に降り立って力のほとんどに制約をかけたもののそれでも私が止められたのはもはや奇跡的だと言える。それぐらい彼女のポテンシャルは高い。
 ロシア育ちなのでこちらに来て、今私の家で生活をしているのが不思議なぐらいだった。

「楽しみなの、学校?」
「はい。どう言った人間模様が見られるのか、下界に降りてきた目的の一つですから」
「それはまた堅っ苦しいね」
「それが私です。あっ、銀さんから聞いていると思いますが今日のお昼は私が作りますので」
「聞いてるよ。ちなみに何を作るの?」
「スパゲッティでも」
「了解」

 彼女は私にそう答えた。何処か堅苦しいのは彼女のアイデンティティ。ギャップにもなってより一層人気が出そうだ。

「あの……」
「なに?」
「先日は失礼しました。暴走した私を止めていただいて」
「そんなことか。別に大したことじゃないよ。それにあれは私一人でしたわけじゃない」
「ですが一番ダメージを負ったのはルーナさんのはずです。そのせいで力のほとんどは……」
「問題ないよ。そんな些細なこと忘れちゃっていいから。それに私もガブから貰ったものがあるしね」

 そう私はガブを止めるために全力を出した。死力を尽くして戦った。それ故に私の体には深刻なダメージが入って、しばらく動けなかったっけ。
 日常生活には何ら支障はなかったが、どうにも身体の調子がおかしい。元々半人前の私は吸血鬼の持つ弱点のことごとくを持たないし、魔法も大して使えなかった。それは変わらない。が、性質が変わっているのだ。
 今までのような無鉄砲なスタンスが取れなくなったのは正直痛手ではあるが、先日の戦いと叔母である摂理せつりさんの手解てほどきもあってどうにかなりそうだった。お母さんにも必要最低限のことは聞いている。だから大して気に止む必要はない。

「気にしないでいいよ。そんなことで気にするぐらいだったら、ガブと手伝ってよね」
「心得ています。全力を持って当たらせていただくので、覚悟しておいてくださいね」
「頼りにしてる」
「はい!」

 そう彼女ははっきりと答えた。今後、彼女の活躍が私達の生活をよりスムーズにしてくれる。そんな気がしてならなかった。
 さてさて、そんなこんなで私は明日から高校二年生。いや、もうなったっけ。と言うことで私、ルーナ・アレキサンドライトは元気にやっています。
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