Dazai & JK

牧村燈

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第1章 太宰とJKが過ごしたある初夏の日々

第10話 走れ、わたし

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 私が大事な忘れものに気づいたのは、久々の学校帰り、N美と駅前のカフェで駄弁り尽くして、それでも足りないからカラオケにでも行こうかと店を出た時だった。

 学校では一日、面倒臭い視線に沢山晒されたけれど、N美と二人で全部跳ね返した。あのクラス委員も、さすがにどうしたのとまでは言ってこれずに、

「あら、元の仲良しに戻ったみたいで良かったわね」

 と皮肉混じりに言うのが精一杯。憎憎しげに時折り私たちを横目で見ていた。爽快だった。ざまあみろ。だから放課後トークも際限がない。明日からのクラスメイト達の展開予想をして、それらをどう切り返そうかと考える。一人ではどうしようも無く苦しかったことが、二人で考えると信じられないくらい楽しかった。

 梅雨入り間近の日が延びて明るい空が、少しピンク色に染まっていた。東の低い空に丸い月が浮かんでいる。

「あ、今日満月だったんだね」

 N美が言った。

 あ。

 その瞬間、私は忘れていたとても大切なこと思い出した。そうだ、満月だ。6月6日。

 太宰先生が姉の部屋から出られるようになる日だった。

『満月が6月6日なら6時に帰ることにしようかな』

 と先生が言うので、

「先生、666はホラー映画で縁起が悪いことになっているから、別の時間にした方が良いですよ」

 なんて、笑いながら話したのはいつだっただろう。先生は憶えているだろうか。月が出ているということは、まさか、もういなくなっるなんてないよね。

「N美、私、ものすごく大事なことを忘れていたの。今すぐお家に帰らないといけない」

 私の急な慌てようにN美も驚いていたが、ウンと頷き、早く帰ってあげてと、背中を押してくれた。

「ありがとう。そうだN美、これ持ってて」

 そう言って私は鞄をN美に押し付けるように預けると、家に向かって走り出した。

「あ、これ、どうすれば」

 N美の声に、

「後で取りに行くから、お願いね」

 と叫ぶ。

「わかった任せて!頑張れ、ハルカ!全力!」

 N美の声が背中に聞こえた。私は振り向かずに右手を高く突き上げてそれに応えた。

 気合いは十分だったが、走り出して30秒もしない内に息が切れた。前進速度がガクンと落ちる。全力疾走なんて何年ぶりだろう。引きこもりの生活が長くて運動不足だったことが、こんなところで効いてきた。ダメダメ。こんなところでへたばってる場合じゃない。私は自分の足を一発叩いて、もう一度全力で走り出す。

 何だかメロスみたいだな、と思った。もちろん、シチュエーションも何もかも違う。だけど私は今、メロスと同じくらい大切なもののために走っていた。私はメロスだ。絶対に走り切る。

『最も大事なことは、一つことを成し遂げると言うことだ。メロスが王の心を動かしたのは、単に刑場に戻ってきたからじゃない。さまざまな困難に遭い、時に挫ける寸前まで追い込まれ、それでも最後まで諦めなかったという事実。間に合う、間に合わぬなど関係ない、人の命すらも関係ないという境地。お互いの弱さをさらけ出して更に固くなる友情。そのどれもが君には無縁に思えるかも知れないが、ことの大小はあるにせよ、私たちはいつもそんな出来事を繰り返している。大抵は成し遂げることをせずに、まあいいかと途中で投げ出してな。

私自身、とても人のことをとやかく言えるような人生は送ってこなかったが、この身になればよく分かるものだ』

 先生の言葉が甦る。私はN美を取り戻した。グズグズしているばかりだった日々から、ちゃんと自分の力で抜け出した。やり遂げることが出来たんだ。

 先生。私、先生に伝え無くちゃいけない言葉がある。これを伝えなかったら、私は超間抜けな弟子ってことで、あの世で先生が笑い者にされちゃう。間に合って。間に合うか間に合わないなんて関係なくない。間に合わなくちゃダメなんだ。

 近道をしようとして公園の砂利道に入ったところで、右の靴の踵が飛んだ。バランスを崩した私は転倒してもんどり打った。もうマジ、バカ。あちこちを地面にしこたまぶつけた。だけど少しも痛くない。大丈夫。まだ走れる。

 私は靴を脱ぎ捨てて走り出した。靴下越しの足の裏に砂利石が突き刺さる。痛い、痛いけれどそれももう気持ちいいことにした。闇雲な力を振り絞って私は走る。

 こんなに走ったのはいつ以来だろう。

 遠い昔、姉の後を追い掛けた田んぼの畦道。足の速い姉にどんどん引き離されて、一人になるのが怖くてたまらなかった。夕陽の赤。

「ハルカ、おいで」

 遠くで手を振って待ってくれている姉に向かって私は必死で走った。

「待ってえ、お姉ちゃん。お姉ちゃん、お姉ちゃん、大好きだよお」

「私も、大好きだよハルカ」

 あの日、姉に飛びついた私を、姉は強く抱き締めてくれた。あの日の夕陽の色を、私は忘れない。

(続く)
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