【遺稿】ティッシュの花

牧村燈

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第1章 ティッシュの花

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3月22日 

 悪報が届く。昨日の時点では明後日月曜日はシフトに入れるだろうと言われていたのに、どうやら仕事にあぶれてしまいそうだ。一応、当日朝のキャンセル次第ということだが、経験から鑑みて期待薄だろう。福沢諭吉ではないが、本当に仕事がないのは悲しいことだ。就活の方もうまく進まない。仕方がないのでハローワークにも行ってみよう。


3月23日 

 春の陽射しに誘われて、末娘と動物園に行ってきた。これで3回目の来園になるが「エサのあげられる動物園」は、その名に違わず、動物と近い距離感がとても楽しい。人出もそれほどでもなくいっぱい遊べたのは良かったのだが、例によって帰りは大渋滞、往路の倍以上の時間が掛かって疲れてしまった。明日もキャンセル待ちで仕事が確定していないというのも気を滅入らせる要因だった。

 だったのだが。

 ついさっき。娘が寝る前に「今日は楽しかったね」と言いに来てくれた。それで今日の疲れはどこかに行ってしまった。頑張らなくちゃいけない。またこんな日が来るように。


3月24日 

 予想通りキャンセル待ちで仕事が得られるほど世の中甘くはなく、またまたフリーになってしまった。仕方がないのでハローワークと人材銀行に行って来た。ハローワークには朝から沢山の人が来ていた。うんざりしているところに電話が入り、何とか明日の仕事を確保出来た。担当の話では今週の火曜日は入荷が忙しいのだという。話半分だが、仕事に入れるなら何の文句もない。適当に聞いていた割には「そうなんですね」と、意外に明るい声が出た。そんな名前のアニメキャラがいたような気がする。この余裕。気分なんてものは、たったこれだけのことで変わるのだ。

 早々に家に帰ったので、暇ならご飯と味噌汁くらい作っておくようにとの妻からの指令があり、味噌汁作りをした。作成にあたっては、長女から家庭科の教科書を借りた。削り節でダシを取り、油揚げの短冊切り、ねぎ、豆腐を煮込んで、味噌を溶いて出来上がり。味見をしてみたが熱すぎて良く分からなかった。当然のように家族からの褒め言葉もなかったが、皆文句も言わず食べていたのできっとOKということだろう。役に立てて良かった。


3月25日 

 香水入荷の仕事。今日は予定通り大量の入荷があって、朝から夕方時間ギリギリまでずっと動き回っていた。いつもだと大抵途中で暇が出来て、さてこれから何をしましょう?という待ち時間があるのだが、今日はそれが全くなかった。しかも、最後の片付けを完了しないうちに時間切れ。派遣は時間にてキッチリ終了になった。折角なので最後までやりたい気持ちだったが、仕方がない、続きは明日だ。明日更に新しい入荷があると大変かも知れないなと思いつつ、でも手待ち時間があるよりもずっといい。イザワ君もいい顔をしていた。よし明日も頑張ろう、とグータッチをして別れた。明日の仕事があるというのは素敵なことだ。


3月26日 

 春、暖かな朝だ。昨日の疲れもそれほど残らず元気だった。今日も入荷は忙しそうだが、頑張ろうと気合を入れていたのだが、迎えの車の中で出勤先が変更になった。例のペットボトルのおまけ付けの現場だ。労働時間が1時間半増えてその分給料が増えるのは良いことなのだが、こちらは正に体力勝負の仕事。気持ちの軌道修正がちょっと大変だった。

 2リットルのペットボトル6本入りの箱60ケースで1パレット。これを55パレット積み上げた。2人で担当したので12キロの3300ケースの半分1650ケースを積み上げたことになる。既に腕の筋肉が痛いが充実感はたっぷりだった。

 明日は四十四回目の誕生日。その記念すべき日の仕事は香水の倉庫になった。今日の仕事がもう一日続いたら厳しかったというのは本音のところだが、たとえそうでも受けて立とうという気持ちは持っていた。仕事はいいな。前向きな気持ちになれる。明日も前向きに生きる四十四歳であろう。


3月27日 

 四十四回目の誕生日。今日も仕事だ。朝現場に行くと入荷の荷物で玄関前スペースがいっぱいになっていたが、何とか午前中で仕分けを終了、午後は預け入れや棚入れの準備をした。陽射しがあって暖かいのは良いのだが、コンクリートの上での作業なので熱射病には注意しよう。ついこの前までは寒さに凍えていたのに。

 イザワ君は休みらしかった。休憩室の窓から建築中の家が見える。一昨日何もなかったところに今日はもう2階までの骨格が出来ていた。あっという間に景色が変わり、季節も変わる。春を感じながら仕事をしていたら少し心も軽くなったような気がした。

 家に帰ると居間にティッシュの花の飾りつけがしてあった。末娘が作ってくれたのだという。誕生日プレゼントに「お椀」と「パンツ」をもらった。全く想像していなかったのでグッときてしまった。ひとりじゃないと感じた。やるしかない。泣いている場合じゃないのだけれど、勝手に涙が溢れてきて困った。

 その夜、こんな夢を見た。一面にティッシュの花が敷き詰めてある倉庫に、色とりどりの風船が飛んでいる。ピンク色のフォークリフトを楽しそうに運転しているのはイザワ君だ。ドーナツのぬいぐるみを抱えて回転する少年を華麗に避けて、虹色のラップが掛かったパレットを持ち上げる。重心が全くぶれていない。うまい。荷物が微動だにしないラップを巻いた自分の技もちょっと誇らしい。コンベアを流れてくる段ボールからは、開いても開いても同じ鞄が出てくる。いくら積んでも、いくら頑張っても、無限に流れてくる段ボール。風船はいつの間にか消えていた。

「だからフォークの免許を取った方がいいって言ったんですよ」

 とイザワ君が言う。ティッシュの絨毯の上をフォークが前後左右にアクロバットのように動き回る。しかし、どんなにフォークがその上を走り回っても、ティッシュの花はひたむきに咲いていた。そうか、この花は踏み荒らせないんだと合点したところで、目が覚める。

 気になって居間に行ってみると、昨夜飾ってあったティッシュの花はそのままそこにあった。どうして夢の中で踏み荒らせないと思ったんだろうか、その理由は全然分からなかったが、それがそこにあったことに安堵してもう一度床に入った。

(続く)
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