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サイドK④
おにいちゃん③
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ぼくは目をさました。
ここはどこ?ぼくはだれ?
周りにいる誰のことも知らないし、誰のこともわからない。何があってどうして今ここにいるのかも、これからどうすればいいのかも。
「何か思い出さないか。何でもいいんだ。自分の名前でも、住んでいた場所でも、ご家族の誰かの名前でも」
しかし、ぼくは答えるものを何も持っていなかった。思い出そうとしてもぼくの脳は何も答えくれなかった。
それから少しの間、ぼくは病院で過ごし、その後岬の近くにある孤児院に収容された。大人たちの話を繋げると、ぼくはこの岬の近くにある浜辺に打ち上げられていたらしい。奇跡的にキズもほとんどなく話も出来たので、最初はみな落ち着けばすぐに家に帰せるだろうと高を括っていたが、時間が過ぎてもぼくが何ひとつ思い出さないので、いつまでも宙ぶらりんにはできないと、やむなくこの孤児院に入れることにしたらしい。
記憶喪失の少年ということで、警察も動員されて行方不明者がいないかと手配をしたらしいが、ついにそれらしい照会はなかったという。捨てられたんじゃないかという声も聞いたこともあったが、それについては聞こえないことにした。その考えに蝕まれると、ただでさえ不安なぼくの心が成長なポジションを保てくなるような気がしたからだ。
自分が何者かも分からないぼくは、身体の大きさや基礎学力などから小学校3年生として新しい苗字と名前を授かった。記憶がないのに何の不自由もなく文字の読み書きや計算ができるのには自分でも驚いた。
神戸康介。
ぼくの名前だ。その日からぼくは優しい先生たちと、境遇の近い友だちとひとつひとつ新しい自分を作っていった。何もなかったぼくが少しずつ形作られていく。ぼくの長所と思っている人の良さや人を疑わない性質は、この優しい先生たちと友だちがくれたぼくのタカラモノだ。
その反面、ぼくには誰かに深く愛されるという経験がぽっかり欠けていた。子供たちみんなに平等の優しさを分けてくれた先生たちだったが、裏を返せばぼくだけを特別扱いするということはなかった。抱かれたり、キスをされたり、あなたを愛しているという、熱烈で盲目的な愛を授かることはない。いや。もしかしたらあったのかも知れない。ぼくの記憶のない時間の中には。しかし、その記憶は真っ暗な闇の中だった。結果として、ぼく自身も誰かを深く愛するということを分からないままに育っていく。
せめて時に感情的に泣いたりわめいたりするような子ならば、抱きしめてくれる先生もいたかも知れない。そうするにはぼくはいつも実に淡々とした少年だった。愛想笑いがいつも顔にへばりついている。きっと無意識の中でそこから追い出されることに恐怖していたのかも知れない。ぼくには家族も故郷も、帰る場所すらなかった。だからずっとそんな風にして大人になっていったのだ。
高校の時に中田こと中田竜二と出会った。中田はそこにいるだけで華のある男だった。勉強もスポーツもずば抜けてできたし、誰に対しても分け隔てなく優しかった。何より彼の細やかな観察力や理路整然と事態を紐解く能力には、皆一目も二目もおいていた。
当時学校で起こった盗難事件では、生徒を疑い犯人捜しをした教師の中に首謀者がいることをいち早く見抜き、全校朝礼でその種明かしをした推理力と実行力は実に見事で、犯人が教師だったというショックを通り越して、拍手喝采が起こったほどだ。ぼくとは事情は違ったが、お互いに両親を知らずに育ったという共通点もあって、特に仲良くしてもらった。友だちが出来たのは施設の外では初めてのことだった。
卒業して暫くした頃に、中田から連絡をもらった。我々の母校で傷害事件が発生して、その件で少し手伝ってくれないかというのだ。中田は卒業後、自らの才能を活かすべく学生起業家として私立探偵事務所を立ち上げていた。恩師から相談があり、警察には持っていきたくないが、悪の根を絶つためにも事件の全貌を明らかにして欲しいという依頼を受けたのだと言う。中田は学校のことを良く知っていて、信頼のおける人間ということで、ぼくに声を掛けてくれたのだった。
被害者は学内でも札付きの悪で、全治3カ月の重傷を負わされていた。悪には悪なりの意地があるのか、誰にやられたのかは一切口を割らないらしく、ぼくと中田が話を聞きに行った時も、ほとんど会話にならなかった。実はこの事件の直後から、女生徒が行方不明になっており、警察が後を追っていた。
これが単なる傷害事件ではなく、この事件の呼び水となる事件があったはずだ、中田は最初からそう予測して生徒たちに当たっていた。必ず目撃者はいる。
中田の思惑通り事件を目撃したという学生が見つかった。事件の当日18時頃3年の教室から女の悲痛な叫び声が聞こえたこと、それから暫くして数人の男子学生が玄関を出てきたことが分かった。出てきた学生も特定できた為、それぞれに話を聞いた。
呼び水はレイプ事件だった。行方不明の女生徒の妹が被害者だった。全員から共通に聞けた話は次の通りだ。
実行犯は傷害事件の被害者。彼らは見張り役やレイプショーを囃し立てる役回りだった。しかし女生徒の抵抗があまりにも激しく、お互いにけがをして傷口から血を流す少しもエロティックでない光景を見ていられずに、バラバラとその場を立ち去った。その後のことは分からない。
結果的に行方不明になった被害者の姉が、レイプ実行犯に制裁を加えたという筋で間違いなさそうだったが、ひとつ奇妙なことがあった。それは先生も学生たちもこの姉の存在を認知していなかったということだ。学籍番号もあり、家からの捜索願も出されたので、存在していたことは間違いないのだが、はっきりした記憶を誰も持っていないのだ。まるで幻であったかのようにその容姿さえ覚えていない。ただ傷害の被害を受けた男子生徒は他のことには口をつぐんだままだったが、この姉について「怖かった、二度と会いたくない」とポツリとこぼしていた。
事件は傷害の被害者である男子生徒も、レイプの被害者である女生徒もどちらも事件として告訴することがなかった為、それ以上の進展はなかった。ぼくは仕事の都合で女生徒に会うことは出来なかったが、中田は彼女をその後随分長くフォローしていたのを知っている。中田の性格から考えると、謎が全て解き明かせなかったことが許せなかったのではないかと思うが、事実のほどは分からない。女生徒の姉は遂に発見されることはなかった。
中田はその後アルバイトをしていたBホテルで認められて役員まで登り詰めるが、私立探偵事務所は兼業で続けいている。警察情報の入手もその伝手で便宜をはかってもらっているらしい。Bホテルで起きた殺人事件の情報に通じていたのは、そんな事情もあってのことだった。
ぼくが知っていることはこれだけだ。ぼくは一体誰に刺されたのだろうか。充枝なのか、それとも別の誰かなのか。グルグル回る暗闇の中で、ぼくの脳裏には充枝の寂しそうな顔がくっきりと浮かんでいた。まだ死にたくない。苦しいほど張り裂けるように、心が叫んでいた。
(サイドK④完結、サイドM⑤へ続く)
ここはどこ?ぼくはだれ?
周りにいる誰のことも知らないし、誰のこともわからない。何があってどうして今ここにいるのかも、これからどうすればいいのかも。
「何か思い出さないか。何でもいいんだ。自分の名前でも、住んでいた場所でも、ご家族の誰かの名前でも」
しかし、ぼくは答えるものを何も持っていなかった。思い出そうとしてもぼくの脳は何も答えくれなかった。
それから少しの間、ぼくは病院で過ごし、その後岬の近くにある孤児院に収容された。大人たちの話を繋げると、ぼくはこの岬の近くにある浜辺に打ち上げられていたらしい。奇跡的にキズもほとんどなく話も出来たので、最初はみな落ち着けばすぐに家に帰せるだろうと高を括っていたが、時間が過ぎてもぼくが何ひとつ思い出さないので、いつまでも宙ぶらりんにはできないと、やむなくこの孤児院に入れることにしたらしい。
記憶喪失の少年ということで、警察も動員されて行方不明者がいないかと手配をしたらしいが、ついにそれらしい照会はなかったという。捨てられたんじゃないかという声も聞いたこともあったが、それについては聞こえないことにした。その考えに蝕まれると、ただでさえ不安なぼくの心が成長なポジションを保てくなるような気がしたからだ。
自分が何者かも分からないぼくは、身体の大きさや基礎学力などから小学校3年生として新しい苗字と名前を授かった。記憶がないのに何の不自由もなく文字の読み書きや計算ができるのには自分でも驚いた。
神戸康介。
ぼくの名前だ。その日からぼくは優しい先生たちと、境遇の近い友だちとひとつひとつ新しい自分を作っていった。何もなかったぼくが少しずつ形作られていく。ぼくの長所と思っている人の良さや人を疑わない性質は、この優しい先生たちと友だちがくれたぼくのタカラモノだ。
その反面、ぼくには誰かに深く愛されるという経験がぽっかり欠けていた。子供たちみんなに平等の優しさを分けてくれた先生たちだったが、裏を返せばぼくだけを特別扱いするということはなかった。抱かれたり、キスをされたり、あなたを愛しているという、熱烈で盲目的な愛を授かることはない。いや。もしかしたらあったのかも知れない。ぼくの記憶のない時間の中には。しかし、その記憶は真っ暗な闇の中だった。結果として、ぼく自身も誰かを深く愛するということを分からないままに育っていく。
せめて時に感情的に泣いたりわめいたりするような子ならば、抱きしめてくれる先生もいたかも知れない。そうするにはぼくはいつも実に淡々とした少年だった。愛想笑いがいつも顔にへばりついている。きっと無意識の中でそこから追い出されることに恐怖していたのかも知れない。ぼくには家族も故郷も、帰る場所すらなかった。だからずっとそんな風にして大人になっていったのだ。
高校の時に中田こと中田竜二と出会った。中田はそこにいるだけで華のある男だった。勉強もスポーツもずば抜けてできたし、誰に対しても分け隔てなく優しかった。何より彼の細やかな観察力や理路整然と事態を紐解く能力には、皆一目も二目もおいていた。
当時学校で起こった盗難事件では、生徒を疑い犯人捜しをした教師の中に首謀者がいることをいち早く見抜き、全校朝礼でその種明かしをした推理力と実行力は実に見事で、犯人が教師だったというショックを通り越して、拍手喝采が起こったほどだ。ぼくとは事情は違ったが、お互いに両親を知らずに育ったという共通点もあって、特に仲良くしてもらった。友だちが出来たのは施設の外では初めてのことだった。
卒業して暫くした頃に、中田から連絡をもらった。我々の母校で傷害事件が発生して、その件で少し手伝ってくれないかというのだ。中田は卒業後、自らの才能を活かすべく学生起業家として私立探偵事務所を立ち上げていた。恩師から相談があり、警察には持っていきたくないが、悪の根を絶つためにも事件の全貌を明らかにして欲しいという依頼を受けたのだと言う。中田は学校のことを良く知っていて、信頼のおける人間ということで、ぼくに声を掛けてくれたのだった。
被害者は学内でも札付きの悪で、全治3カ月の重傷を負わされていた。悪には悪なりの意地があるのか、誰にやられたのかは一切口を割らないらしく、ぼくと中田が話を聞きに行った時も、ほとんど会話にならなかった。実はこの事件の直後から、女生徒が行方不明になっており、警察が後を追っていた。
これが単なる傷害事件ではなく、この事件の呼び水となる事件があったはずだ、中田は最初からそう予測して生徒たちに当たっていた。必ず目撃者はいる。
中田の思惑通り事件を目撃したという学生が見つかった。事件の当日18時頃3年の教室から女の悲痛な叫び声が聞こえたこと、それから暫くして数人の男子学生が玄関を出てきたことが分かった。出てきた学生も特定できた為、それぞれに話を聞いた。
呼び水はレイプ事件だった。行方不明の女生徒の妹が被害者だった。全員から共通に聞けた話は次の通りだ。
実行犯は傷害事件の被害者。彼らは見張り役やレイプショーを囃し立てる役回りだった。しかし女生徒の抵抗があまりにも激しく、お互いにけがをして傷口から血を流す少しもエロティックでない光景を見ていられずに、バラバラとその場を立ち去った。その後のことは分からない。
結果的に行方不明になった被害者の姉が、レイプ実行犯に制裁を加えたという筋で間違いなさそうだったが、ひとつ奇妙なことがあった。それは先生も学生たちもこの姉の存在を認知していなかったということだ。学籍番号もあり、家からの捜索願も出されたので、存在していたことは間違いないのだが、はっきりした記憶を誰も持っていないのだ。まるで幻であったかのようにその容姿さえ覚えていない。ただ傷害の被害を受けた男子生徒は他のことには口をつぐんだままだったが、この姉について「怖かった、二度と会いたくない」とポツリとこぼしていた。
事件は傷害の被害者である男子生徒も、レイプの被害者である女生徒もどちらも事件として告訴することがなかった為、それ以上の進展はなかった。ぼくは仕事の都合で女生徒に会うことは出来なかったが、中田は彼女をその後随分長くフォローしていたのを知っている。中田の性格から考えると、謎が全て解き明かせなかったことが許せなかったのではないかと思うが、事実のほどは分からない。女生徒の姉は遂に発見されることはなかった。
中田はその後アルバイトをしていたBホテルで認められて役員まで登り詰めるが、私立探偵事務所は兼業で続けいている。警察情報の入手もその伝手で便宜をはかってもらっているらしい。Bホテルで起きた殺人事件の情報に通じていたのは、そんな事情もあってのことだった。
ぼくが知っていることはこれだけだ。ぼくは一体誰に刺されたのだろうか。充枝なのか、それとも別の誰かなのか。グルグル回る暗闇の中で、ぼくの脳裏には充枝の寂しそうな顔がくっきりと浮かんでいた。まだ死にたくない。苦しいほど張り裂けるように、心が叫んでいた。
(サイドK④完結、サイドM⑤へ続く)
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