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サイドK③

防波堤①

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 とにかく必死走った。改札でSUICAが残高不足になるハプニングもあったが「御免」して突っ切った。後で謝りにいかなくちゃ。
 それでも間に合ってくれて良かった。もし充枝が警察に連れて行かれてしまったらもう二度と会えくなるような気がしていたのだ。


 今朝、昨夜の申し合わせの通り、充枝に病院に行こうよと言ったのだが、どうしても体調が悪いと言うので、病院は延期することにした。

 ぼくは会社に行くふりをして、一人で町田という男の事件を調べ始めた。2週間前からのネットのニュース、新聞、そして一番この事件を詳しく取材している週刊Bの記事など、とりあえず公開されている情報を頭に入れた。

<事件の概要>
 4月4日(土)、新宿のBリゾートホテルで前日から1泊の予定で宿泊していた男性がチェックアウトの時間を過ぎても清算がなく部屋への連絡にも応じない為、フロントの女性職員が部屋の確認をしたところ、ベッドの脇で刺殺された男性の遺体を発見した。被害者はスポーツジムインストラクターの町田裕樹(28)。
 死亡推定時刻は前日4月3日の19時~24時、死因は複数の刃物傷からの多量の出血による失血死。第1発見者の話では空調温度が最低に設定されていて現場の室温がかなり低かったといい、死亡推定時刻の範囲が広くなっているのはこの影響とされていた。凶器は発見されていない。
 ホテルには3日の午後14時頃にチェックイン。ホテルの監視カメラが確認されたが確認された本人の映像では同行者の姿は映っていなかったとされている。
 週刊誌の伝えるところによれば、被害者の交友関係等の調査が進む中で、複数の女性との交際が発覚したばかりか、男性とも交際があったという線も浮かび上がっており複雑な歪んだ人間関係のどこかで人知れず「殺意」が生まれていた可能性が示唆されていた。

 現時点で公開されている情報には出会い系サイトの話は出ていないようだった。この町田とは関係ないのかも知れない。思い過ごしであってくれれば、それに越したことはない。だがぼくの胸のザワザワ感は収まらなかった。

 ぼくは高校時代からの友人・中田に電話を掛けた。中田がBリゾートホテルの創業時からのメンバーで、今はそれなりのポジションに就いていることを知っていた。本人は入ったもん順だとか、自分は南方系の濃い顔しているから、それがこの会社の方向性にあっただけだと謙遜していたが、間違いなく実力だとぼくは思っていた。多少女好きな一面はあったが、昔から本当に出来る男だった。充枝とBリゾートの話をしたのも3年前の結婚式に来てくれた中田から「一度うちのホテルに泊りに来いよ。一番いい部屋に招待するからさ」と言われていたからだ。宿泊の計画をしたこともあったのだが、ぼくの出張が急に入って流れてしまった。例えばあの時に泊りに行けていたら、いやその時でなかったとしても、ちゃんとリカバーしていたら。今のようなことにはなっていなかったんじゃないだろうか。

「あ、忙しいところ悪いね、神戸だけど」
「おお、神戸か、どうしんだ急に?」

 いつも落ち着いている中田には珍しく驚いたような声だった。考えてみればこんな平日の昼間に電話したことはないかも知れない。

「ホント急にごめん。今、少し話せるか」
「ああ、ちょっと待ってくれ。そうだな10分後に俺から掛け直すでもいいか」
「もちろんだ。申し訳ないな。じゃあ、待たせてもらうよ」

 携帯越しに慌ただしそうな雰囲気が伝わって来た。それはそうだろう。殺人事件でホテルの名前が出ている以上、営業にも何かと影響が出ていそうだ。頭が痛いこともたくさんあるだろう。

 きっかり10分後に携帯が鳴った。中田は若くしてビジネスの世界のトップで生き、生き抜いてきている。こういうところが流石だなと思う。

「さっきは悪かったな。ちょっとした事件があってバタバタしてるんだよ」
「例の殺人事件か」
「おお、知ってたのか。そうなんだ。俺の管轄のホテルだし警察がうるさくてたまらんよ。それで何の話だ。おっと、カミさんと仲直りしてうちに泊りに来るって話か、それならいつでも大丈夫だぞ」

 中田にはうまくいかない夫婦間の話をこぼしたこともあった。その帰り二人で風俗に行ったことも。

「いや違うんだよ。実はその殺人事件の話なんだ」
「事件の話?どういうことだ」
「ちょっと電話で話すのも何だから、これから少し時間取れないか?今、新宿にいるんだ」
「何かわけありみたいだな。よし分かった。東新宿のホテル分かるか?そこに1時間後でどうだ。フロントで俺を呼び出してもらってくれ」
「悪いな、恩にきるよ」
「気にするなよ。じゃあ後でな」

 ぼくは東新宿のBリゾートで中田と会った。そしてそこで事件に新しい展開があったことを聞いた。

「町田ってやつ、複数の女との関係なんて記事があったけど、その女はみんな出会い系サイトで釣っていたらしいよ」
「出会い系・・・・・・」
「ああ、町田は本名の姓を名乗っていたが。あれって普通みんな偽名だし、しかも匿名性の高いSNSだから女を特定するのがメチャクチャ難しいらしいよ」

 それでもう2週間過ぎても容疑者の話が出てこないわけか。そこでぼくはもう少し突っ込んだ話を聞いてみると、捜査の話は止められてるからあまり詳しく話せないんだよ、と釘を刺された。

 それはそうだろう。情報を租借もせずに何でもかんでもペラペラ喋るやつは信用出来ない。だからこそぼくはこの男を信用出来るんだと思う。

 ぼくは中田に、昨日の夜妻のスマホを見てしまったことを話した。そしてぼくのいくつかの想像を。もしも最悪の想像が当たっていたとしても、ぼくは妻を守りたい。そう言うと中田はこう言った。

「神戸、分かった、分かったよ。今すぐ家に帰れ。警察は当日に町田に会った可能性のある女を特定したと言っていた。もしお前の話が本当なら、警察は正に今お前の家に、充枝さんに自白させる目的で接見に行っている。逆に言えば警察は何も証拠を掴んでいないんだ。つまり今は令状なしの任意の事情聴取しか出来ない。無防備な状態で奥さんを警察に渡しちゃだめだ。神戸、急げ。奥さんを守るんだ」


 そしてぼくはそのままホテルを飛び出し、家まで走ってきたのだ。ギリギリで間に合った、と思う。

「みっちゃん。大丈夫だった」

 ぼくがそう言うと、充枝はぼくの胸に頭を押しつけて「怖かった」と呟き、シクシクと泣き出した。充枝の涙とぼくの汗がワイシャツの生地の上で混ざり合う。

 間に合って良かった。そして、中田に言った妻を守りたいと言うのも本当のことだ。だけど。

 ぼくはこの後、充枝の話を聞かなければならないことに疲れを感じていた。どう考えても重たい話になるに違いない。そういう重いのは勘弁して欲しい、出来ることなら今日はもう寝たいな、というのが本音だった。そうやってぼくと充枝の距離が離れていったことを、今日だって十分に分かったはずなのに。

(続く)
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