幕末女装パルクール

牧村燈

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丘の上の妖精

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 くノ一の装束は、その後僕たちの練習着の定番になった。僕を苦しめたリカ先生のショーツは、その日以降サポーターパンツ(いわゆる見せパン)に変わり、訓練の方もどんどんレベルアップしていったので、僕の本能が目覚めることもなくなっていった。

 一方、あの日たまたま居合わせた近所のおばさんが、何を期待しているのかその後頻繁に何人か連れだって見学に来るようになった。時々僕たちの技に黄色い歓声を上げたりするものだから、ただでさえ高いジョージ先生のテンションが、更に高くなって、最近はこれって見せ芸じゃないの?と思うような派手目な技を求められることが多い。

「キャー、すごーーーい」「信じらんなーーい」「うおおおおっ」

 三人のおばさんがバチバチと手を叩きながら個性あふれる思い思いの歓声を上げたのは、僕が例のアスレチックの中段2mほどの高さまでフルプラスで駆けあがり、横木を蹴って後方宙返り、更に身体を一回ひねりPKロールで着地を決めた所だった。明らかに実戦的でない、見せ芸だろう。マットを敷かない屋外で、地面に素手に裸足で着地を試みることにも随分慣れた。だがこの黄色い歓声にはどうにも慣れることが出来ない。居心地悪く苦笑をしていると、

「何、ニヤニヤしてるのよ」

 リカ先生に一喝された。

「ニヤニヤなんてしていないですよ」

 と返してみるものの緊張感が足らないと言われればそれまでだ。

「カヲル君は緊張感が足りないのよ。そんなことじゃ怪我するわよ」

 リカ先生はそう言って、いつもリラックスしているところがカヲル君のいいところだと言ってくれていた初心者の頃を思い出したのだろう。

「すいません」

 と謝る僕に

「まったく、もう」

 と横を向いた。パルクールの先生として憧れて、この先生に褒めてもらうために頑張ってきた。そのリカ先生の横顔が今はものすごく近い。そしてその息遣いや気持ちの動きのあれこれが、想像出来るくらいに一緒にいた。

 ネオパルクールの大会に向けて、僕はコンビニのアルバイト以外の起きている時間の殆どすべてをジョージ先生に預けていた。それはリカ先生も同様だったので、パルクール教室で講師をする以外の時間は殆ど一緒に過ごしているようなものだった。朝も昼も夜も食事は全てジョージ先生の奥さんが作ってくれるものを食べた。高タンパク低脂肪と言えば聞こえはいいが、朝も昼も夜も豆腐、豆腐、豆腐の集中攻撃。それでもジョージ先生の奥さんの愛情あふれる様々な工夫によって、この生活を始めて3ケ月になろうとしているが、その間に同じメニューは一度もなかった。レパートリーは豆腐だけで1000種以上というから、それが本当ならば丸1年は被らない豆腐メニューを出せるということになる。ジョージ先生のような人の妻になる人らしい、かなりの変質者だなと思った。

「よーし。今日はニュースキルにチャレンジしていこうか。カヲル君、ダートフィールドにウォーターを撒いてください」

 ウォーターの発音がウザったいなと思いながら、僕はホースで水撒きを始める。相変わらずのピンクのくノ一姿だが、すぐにボロボロになってしまうので今着ているもので10着目になる。ジョージ先生がこの衣装にこだわる理由は全く分かっていなかったが、僕にとっては既にネオパルとこの衣装はすっかりフィットしてしまっていた。朝目覚めると何も考えずにこの衣装を着てしまうので、朝のシフトで家から真っ直ぐコンビニに行くというのにこの衣装で家を出てしまい、駅の鏡で己の姿を見て慌てて駆け戻ったこともあった。

「カヲル君、もっともっとガンガン撒いて」

 砂場は砂の下にブルーシートが敷きつめられていたらしく、撒いた水は沁み込むことなく溜まっていった。溜まった水が忽ち粘土色に変色していく。恐らくブルーシートの上の砂に細工がしてあったのだろう。ジョージ先生が何を考えているのかは、相変わらずよく分からない。3メートル四方の砂場に5センチほど水が溜まるまでに10分以上掛かってしまった。これは公園管理者から怒られそうだ。

「よーし、ストップ。さあ、ウォーターがしみ込んでしまう前に。カヲル君、スルーダイブ!」

 ジョージ先生が砂場プールを指差した。

「スルーダイブ?」

 僕は思わずおうむ返ししてしまったが、これはルール違反だ。先生の指示があれば速やかに技を繰り出すのがネオパルの基本ルールだ。

「聞こえなかった?ダートフィールドに、全身うつ伏せでスルーダイブ!」

 もはや聞き返すことは出来ない。というか最初の指示で動いておくべきだった。されば全身うつ伏せダイブをしなくても済んだのに。後悔先に立たず。僕は予備動作がかなり少なくなったスルーダイブで浅い泥プールと化した砂場に飛んだ。

 このシーン、ザブンとかバチャンとかいう擬音を思い浮かべることと思うが、スルーダイブは限りなく衝撃ゼロにする技である。しかも高度のない位置からのダイブだった為、僕は音も水しぶきもほとんど上げずに水面に着地し、そこからザブと5センチの泥水に沈んだ。

「ナイス、スルーダイブ」パチパチパチパチパチ

 ジョージ先生の賛辞の声と、不思議なものを見て何となくテンションダウンのおばちゃんたちの拍手が聞こえた。さて、それで次どうなるんだろう。

「反転」

 仰向けに反転して一息ついた。恐らくは泥まみれの顔。こうして動きを止めて、指示待ち状態になると、僕は何をしているんだろうか、とよく思う。あれ?でも、この泥、もしかして甘い?恐る恐る味を確かめてみる。あ、これチョコレート味じゃないか。そこに、

「リカ、スルーダイブ!」

 というジョージ先生の声。即座に、しかもすぐ隣にリカ先生の身体が飛び込んでくる。もうこうなると、さっきの自省はどこかにいってしまう。

「リカ、反転」

 横目で覗くリカ先生の泥のついた顔。これって、昔流行ったガングロメイクというやつだな、などと思ったところで、僕の目線は、そこから20センチほど下のリカ先生の胸の位置でピタリと止まってしまった。水に濡れて身体に貼りつく泥まみれの黒装束。その僅かに上下する丘のいただきに小さな妖精が佇んでいた。途端に息が苦しくなる。

「アロウ」

 反射的に身体を動かして忽ち弓なりのアーチ型にブリッジするリカ先生に、一瞬遅れて続く。足元の泥の摩擦が極めて小さくて踏ん張りが効かない。『ピン』というネオパルの技術で足裏を固定しなければこの体勢をキープすることは不可能だ。スキルの応用。リカ先生の瞬時の適応力に舌を巻く。妖精とか言って見ている場合じゃない。

「カヲル君、コンセントレーション!」

 もたつきながらようやくアロウの型に静止した僕にジョージ先生の喝が飛ぶ。

「スタンド、&A」

 その体勢から立ち上がって、戦闘態勢のパターンAでリカ先生と対峙する。今度は僕も遅れなかった。

「ファイト」

 なるほど。ジョージ先生、これがやらせたかったのか。泥まみれのレスリング。つまり泥レスだ。よし、やったろう、と思った次の瞬間、リカ先生のジャンプ一閃。しまったと思うよりも早く、目の前に妖精が見えた。

 気づいたのはそれから数分後。泥の中。遠くの方からジョージ先生の声がした。

「気が付いたかいカヲル君。これがプロテクティブカラーリング。通称プロカラだ」

 同時に周りから、

「ええええっ」

 という驚きの声。後でリカ先生から聞いた話だが、僕はリカ先生の攻撃を受けた直後に消えた(ように見えた)のだそうだ。恐らく意識を飛ばした瞬間に。そして意識が戻った途端に姿を現したということなのだろう。

 プロカラ。一体これってどんな場面でどう使うというのだろう。そういう解説をジョージ先生はまるでしてくれない。さっきのピンのように、自分で使い方を見つけるしかないのだ。でも、今度のように意識を飛ばすみたいな状況って、それに泥まみれなんていう戦いのシチュエーションって、ホントどこにあるっていうのだろう。
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感想 2

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みんなの感想(2件)

みつもり
2022.01.03 みつもり

パルクールを通じてのリカ先生と人見知りのカヲル君の恋愛が楽しみです。

2022.01.03 牧村燈

感想ありがとうございます。
連載中断していますが、必ず完結に導きたいと思っていますので、ご声援宜しくお願い申し上げます。

解除
Gaku
2021.02.20 Gaku

恋愛とパルクールの先の進行が楽しみです
執筆頑張って下さい

2021.02.20 牧村燈

感想をいただきましてありがとうございました。
なかなか恋愛模様にも幕末にも辿り着きませんが、長い目で応援してください。コンテストにこだわらずに完成に向かって頑張ります。

解除

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