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第1章 闇オークション

1-1 XYZ

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「心を蕩かすようなカクテルを」

 客の注文にバーテンダーは、シェーカーにラムとコアントローを注ぎ、レモン汁を振る。シェークをはじめると客の目が胸元を見ているのを感じる。

 またか。この客はいつもそう。そして決まってこういうのだ。

「君も付き合ってくれよ」

 毎回断って来たのだが、今日は店長から上客なんだからたまには付き合ってやれ、と言われていた。ホステスまがいのことはしたくないと言ったが、それならホストのつもりでやれ、と言われて断れなくなった。

 カクテルグラスに酒を注ぐと、案の定。

「君も飲まないか」

 客は言った。ふう。聞こえないようにさりげなくついたひとつ溜息。仕方がない。シェイクしたカクテルはX.Y.Z。つまりこれで終わり、二度はないという意味を込めた。野獣死すべし。今日だけだ。

 一礼をして、グラスに注いだところで店長に呼ばれて席を外す。他に客はいなかった。些細な用事を済ませてすぐに戻り、渋々乾杯をしてグラスを開けた。付き合って飲む気がなかったので、さっさと片付けてしまいたかったのだ。客の視線がグラスにあった。甘い香りの中に僅かな違和感を感じたが、それは全て飲み干した後のことだった。

 客の二杯目をシェイクしている時、身体に異常を感じた。強烈な眠気がバーテンを襲う。やられた、これ、ヤバい。そう思う間もなく意識が飛んだ。

 カクテルグラスに強力な睡眠導入剤を混入されたバーテンダーは、カウンターで眠りこむ。

「こんなところで眠っていたら風邪を引くよ」

 客がバーテンダーの頭をコツコツ小突く。反応はない。客の唇が綻ぶ。客は細身のバーテンダーの身体を抱えてソファーに転がした。これを確認した店長が、店の入口に鍵を掛けにいった。今夜は閉店だ。客は店長とグルだった。店のライトの照度が二つ落とされる。

 バーテンダーの寝息。わずかに開いた唇。赤い蝶ネクタイの下で上下する胸。髪の毛を短く刈り、男ものの服を着てさらしで胸を潰しても、細い指も、柔らかな腰のラインもまるで隠せてなどいなかった。

「自分のことを男と思いたいらしいが、何とも愚かなことよな。そんな男の格好をしたところで女は女さ。この匂い。嫌だろうと何だろうと、身体は紛れもなく女でしかない」

 客は戻ってきた店長と目配せをして、眼下に転がる上物の獲物にほくそ笑んだ。

 店長からしてみれば、拾ってやったのは自分だと言う自負があった。一文無しでごみ置き場に沈められていたところを文字通り拾い、寝床を与え、仕事も一から教えてやった。拾った時は少年だと思っていたが、風呂に入れてやろうと汚れた服を脱がしたところで、はじめて少女であることを知った。少女は服を脱がして丸裸にしても、まるで恥ずかしがるようなことはなかった。栄養の行き届いていない身体は貧相に見えたが、洗い清めてやると木目の細やかな美しい白肌をしていた。短く中性的ではあったがサラサラの黒髪もしなやかで、まつ毛が長く、目鼻立ちもかなりの美形だ。

「掘り出しものかも知れないな」

 気紛れで連れてきたが、これは磨けば闇オークションで売れるかも知れない。半ばそう思って暫く面倒をみてやることにしたのだ。

 仕事の覚えはすこぶる良かった。一度教えたことは忘れない記憶力にも驚いたが、何より手先が器用で、カクテル作りは1週間もたたない内にプロと見紛うほどに上達した。

 少女は自分を男として扱って欲しいとこだわった。説明によれば性同一性障害というやつらしい。店長にそれに関する知識は全くなかったが、店には女物の服の用意もなかったので都合が良かった。ただ、闇オークションで高く売るには如何にも色気がなさ過ぎた。

 まあ、一人バーテンダーを雇ったつもりになればと思っていたのだが、やはり蛇の道は蛇だ。一人のオークション客が、バーテンダーが女であることを見破った。あいつからは女の匂いがする。しかも極上のバージンだ、と言った客は、闇オークションでも無類のボーイッシュ好きで通っている男だった。

「店長。金は弾むからさ、庭先取引をさせてくれよ」

 客が望んだのは公募で集客する闇オークションではなく、非公開のクローズタイプのオークションをこの店で開催することだった。オークションの客は一本釣りでボーイッシュなバージン好きを集めてくると言う。バーテンの引き取り料の他に、オークションの売値の3割を店の取り分にやるという。通常のオークションの3倍の値付けだ。それだけ高値で売れると判断しているに違いなかった。

「引き取り料は?」

 客が指を5本立てる。

「千か?」

「いやTen Thousandだ」

 店長が描いていた金額の5倍だった。一瞬たじろぎながら、それでも習性で一声乗せる。

「あと2本乗せてくれ」

「いいだろう」

 客は即断で快諾した。客が儲けを出すには25万以上で売る必要があった。店長は思わぬ拾いものに笑いをかみ殺しながら答える。

「商談成立だ。実行はいつだ?」

「来週日曜、24時。店はその前にクローズしておけ」

 バーテンダーのカクテルグラスに睡眠薬が盛られる1週間前の話だった。

(続く)
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