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第一章
森の中の城
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僧侶は法西と名乗った。才蔵なる住職の住んでいた山寺は、既に野盗の巣になっており、その首謀者は伴三郎なる流れ者であるという。付近の農民たちには才蔵が伴三郎に討たれた話は知れ渡っていない、というよりも、あえてその情報を抑えることによって地元育ちの荒くれ者の才蔵に対する地元住民からのお目こぼしをもらおうという魂胆だ。野盗たちが狙うのはあくまでの旅の者であり、地元住民ではなかった。法西の話によれば、伴三郎の一味は襲った旅人の中に腕の立つものがいれば、即座に仲間に引き入れるのだといい、この数カ月の間に野盗は100人に迫る勢いで増えていると言う。
「100人?!」
幕府の情報では10名足らずという話で、昨日の情報収集の段階でも構成員は20人だった。それが一気に5倍になった。こうなると自分たちだけで突っ込むべきではない。甚五郎は陰と懃に一時退散の命令を下した。チームのボスとして適切な判断。危険な勝負はするが、無謀な勝負はしない。
甚五郎は2人を先に江戸に帰した。この仕事は仕切り直しになるだろう。改めて情報を整理しなおして、態勢を整えるとなると、今日明日に片が付く話ではない。受けた仕事を中途半端にはするのは無念だが、致し方があるまい。この先は慇と懃に任せることにしよう。寂しい思いばかりをさせてきたりんどうの為にも、甚五郎は早く江戸を離れたかった。この場に残ったのは、最後にせめて世話になった霞の為に、このいかにも訳ありに相違ない法西の素性に通じるネタを、仕入れて帰ろうという腹積もりだった。
既に日は暮れ、武蔵野の森は闇に包まれようとしていた。甚五郎は法西の招きを受けて、山道を進んでいた。
「夕暮れ時にこのようなところを歩かせてしまい申し訳ないが、私の庵までもう少し故、ご辛抱あれ」
「いやなに、こちらこそ急に世話になることになってしまい、かたじけない」
「私の方からお誘いしたのですから、気になさることはありませぬ。おお、ほれ、明りが見えてまいりました。あれが私の庵です」
仄暗い森の中に切り拓かれた広場を囲むように点々と火が灯っていた。広場の中央には焚火が焚かれている。深い森の中に唐突に現れた幻想的な風景に、甚五郎は目を奪われた。
「いかがですかな。静かな森の中の集落は。ここは私にとっては山城のようなものなのですよ」
「城ですか?」
「いかにも。森の木々に守られた神聖なる場所です」
法西の顔に恍惚の相が浮かんでいた。背筋にゾワリと不穏が走る。
こいつ、まさか。
思わず視線を外した甚五郎は、不用意にこの場所までついて来たことを後悔した。
「住人は99名。これで貴方が入ってくだされば記念すべき100人目になります」
そうか。伴三郎はこいつだったのだ。
「いえいえ。私は江戸に娘を残しております。早々においとまをせねばなりません」
「そうですか。ま、そうでしょうな。貴方はそういうお人のようだ。しかしね。それではいそうですかというわけにはいかんのですよ。ほれ、あれをごらんなさい」
法西が指差した先には二本の丸太が立っていた。人が縄で括りつけられているようだ。
「近くまで行って、しっかりご覧なされ」
甚五郎は丸太に近づき、括りつけられた人物を確認した。まさかとは思ったが、慇と懃だ。二人とも力尽き意識もないようだった。先に江戸に帰したはずだったが、その途中で捕らえられてしまったようだ。
「これは、どういうことだ」
甚五郎は槍を構えて法西に迫った。
「なあに、江戸に余計な話を持ち帰られては困りますからな」
法西の周囲には、いつの間にか武装した野盗が集まってきていた。5人かいや6人いる。そして甚五郎の背後にも人の気配がした。こちらは5、6人では到底済まない数だ。そして慇と懃のクビに刃を立てている者がそれぞれ2人。ざっと20人の敵に包囲された。
「貴殿は大層お強いからこの位の人数なら一蹴出来るとでもお考えかも知れぬが、それは無理だからおやめなさい。この者たちはその辺の雑魚とは違う。それに江戸の娘さんのことをお考えになった方がよろしい。無駄に命を落とすことはありますまい」
言われる通りだろう。この場は巻き込まれた振りをしてやり過ごして、隙を見つけて逃れるのが良いのだろう。だが、甚五郎はこういう輩がまともではないことを良く知っていた。例えうまく逃れても、いずれあの山小屋のように全てを奪いにくるのだ。
潰すしかない。法西の言う通り、猛者の集団なのだろう。だが、まだまだ寄せ集めに見えた。戦国の世の実戦を潜り抜けた自信が、甚五郎の身体中の筋肉を盛り上がらせ、誰にも負けないという全能感が頭を支配する。まるで餌を前にした野獣のように、この最大の危機にあって、甚五郎は舌なめずりをしていた。
そうか。わしは、戦いたいのだ。暴れ回って、人を斬りたいのだ。
次の瞬間、甚五郎は何の予備動作もなく、法西の前に立っていた、あのひっつめ髪の黒装束の女の胸を、槍で貫いた。女の胸から飛び散った紅い血飛沫は、もう決して後戻り出来ない血戦のはじまりを告げる狼煙だった。
(続く)
「100人?!」
幕府の情報では10名足らずという話で、昨日の情報収集の段階でも構成員は20人だった。それが一気に5倍になった。こうなると自分たちだけで突っ込むべきではない。甚五郎は陰と懃に一時退散の命令を下した。チームのボスとして適切な判断。危険な勝負はするが、無謀な勝負はしない。
甚五郎は2人を先に江戸に帰した。この仕事は仕切り直しになるだろう。改めて情報を整理しなおして、態勢を整えるとなると、今日明日に片が付く話ではない。受けた仕事を中途半端にはするのは無念だが、致し方があるまい。この先は慇と懃に任せることにしよう。寂しい思いばかりをさせてきたりんどうの為にも、甚五郎は早く江戸を離れたかった。この場に残ったのは、最後にせめて世話になった霞の為に、このいかにも訳ありに相違ない法西の素性に通じるネタを、仕入れて帰ろうという腹積もりだった。
既に日は暮れ、武蔵野の森は闇に包まれようとしていた。甚五郎は法西の招きを受けて、山道を進んでいた。
「夕暮れ時にこのようなところを歩かせてしまい申し訳ないが、私の庵までもう少し故、ご辛抱あれ」
「いやなに、こちらこそ急に世話になることになってしまい、かたじけない」
「私の方からお誘いしたのですから、気になさることはありませぬ。おお、ほれ、明りが見えてまいりました。あれが私の庵です」
仄暗い森の中に切り拓かれた広場を囲むように点々と火が灯っていた。広場の中央には焚火が焚かれている。深い森の中に唐突に現れた幻想的な風景に、甚五郎は目を奪われた。
「いかがですかな。静かな森の中の集落は。ここは私にとっては山城のようなものなのですよ」
「城ですか?」
「いかにも。森の木々に守られた神聖なる場所です」
法西の顔に恍惚の相が浮かんでいた。背筋にゾワリと不穏が走る。
こいつ、まさか。
思わず視線を外した甚五郎は、不用意にこの場所までついて来たことを後悔した。
「住人は99名。これで貴方が入ってくだされば記念すべき100人目になります」
そうか。伴三郎はこいつだったのだ。
「いえいえ。私は江戸に娘を残しております。早々においとまをせねばなりません」
「そうですか。ま、そうでしょうな。貴方はそういうお人のようだ。しかしね。それではいそうですかというわけにはいかんのですよ。ほれ、あれをごらんなさい」
法西が指差した先には二本の丸太が立っていた。人が縄で括りつけられているようだ。
「近くまで行って、しっかりご覧なされ」
甚五郎は丸太に近づき、括りつけられた人物を確認した。まさかとは思ったが、慇と懃だ。二人とも力尽き意識もないようだった。先に江戸に帰したはずだったが、その途中で捕らえられてしまったようだ。
「これは、どういうことだ」
甚五郎は槍を構えて法西に迫った。
「なあに、江戸に余計な話を持ち帰られては困りますからな」
法西の周囲には、いつの間にか武装した野盗が集まってきていた。5人かいや6人いる。そして甚五郎の背後にも人の気配がした。こちらは5、6人では到底済まない数だ。そして慇と懃のクビに刃を立てている者がそれぞれ2人。ざっと20人の敵に包囲された。
「貴殿は大層お強いからこの位の人数なら一蹴出来るとでもお考えかも知れぬが、それは無理だからおやめなさい。この者たちはその辺の雑魚とは違う。それに江戸の娘さんのことをお考えになった方がよろしい。無駄に命を落とすことはありますまい」
言われる通りだろう。この場は巻き込まれた振りをしてやり過ごして、隙を見つけて逃れるのが良いのだろう。だが、甚五郎はこういう輩がまともではないことを良く知っていた。例えうまく逃れても、いずれあの山小屋のように全てを奪いにくるのだ。
潰すしかない。法西の言う通り、猛者の集団なのだろう。だが、まだまだ寄せ集めに見えた。戦国の世の実戦を潜り抜けた自信が、甚五郎の身体中の筋肉を盛り上がらせ、誰にも負けないという全能感が頭を支配する。まるで餌を前にした野獣のように、この最大の危機にあって、甚五郎は舌なめずりをしていた。
そうか。わしは、戦いたいのだ。暴れ回って、人を斬りたいのだ。
次の瞬間、甚五郎は何の予備動作もなく、法西の前に立っていた、あのひっつめ髪の黒装束の女の胸を、槍で貫いた。女の胸から飛び散った紅い血飛沫は、もう決して後戻り出来ない血戦のはじまりを告げる狼煙だった。
(続く)
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