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第4章

7回裏②/風雲急

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<7回裏>

 グランドにも風雲急を告げる事態が勃発していた。6回はわかたか学園の下位打線を0点に抑えたマモルだったが、上位打線の壁は高かった。先頭の1番バッターは、ストライクを取りに来た初球を狙い撃ち、鮮やかなセンター前ヒット、この試合初めてと言ってもいいチャンス到来に、わかたかの応援団の歓声がやむ間もなく、2番バッターも1番の再現VTRを見ているかのように初球をセンター前へクリーンヒットした。真ん中低めの速球を力まずにセンター返し。お手本通りのバッティングである。コントロールに自信のないマモルが、前回の投球で早目にストライクを取りに来ていたことを、しっかり見られていた。単調になったのを反省した捕手の佐藤が3番で修正をはかりにいくが、今度は逆にカウントを悪くして結局歩かせてしまう。

 ノーアウト満塁。ここで4番花畑兄を迎えることになった。ビッグチャンスになった。点差は離れてはいるもののここで一本出れば流れが変わる。

「うめー(花畑兄の名前は梅太郎である)、今度こそ打てよー」スタンドからヤジが飛んだ。

 ふざけやがって。俺を誰だと思ってやがる。来年はプロで新人王を獲る、花畑梅太郎だぞ。

 初球のボールになるカーブを見送った後、マモルの投じた2球目のストレートを完璧に捉え打球がが、真っ直ぐセンター方向に飛んでいった。ピッチャーのグラブのすぐ上を超えた弾丸ライナーは、セカンドキャンバス上でグンと伸びると、センターの遥か頭上を越えてバックスクリーンに突き刺さった。

 満塁ホームランだ。ニコリともせずにダイヤモンドを一周した花畑兄は、当然だという顔でナインの祝福を受け流す。惨敗ムードに沈鬱としていたわかたか学園のベンチに笑顔が戻った。まだ4回ある。君島投手のいないあけぼの高校なら、まだいけるかも知れないという雰囲気が生まれた。勝負の流れをわかたか学園に大きく傾いける貴重な一発だった。

 マモルは、この回ひとつのアウトも取れないまま4点を献上、9-4、点差は5点になった。

<救護室>

「よしよし、いい子だ、うのちゃん。まあ、俺とうのちゃんは同級生なんだから仲良くしようぜ」

「それで、わたしはどうすればいいんだ」

 花畑弟のいいなりに「好きにしてください」と言わされてしまったうのは、早くこの場を逃れたい一心だった。

「まあ、そう慌てるなよ、うのちゃん」

「いちいち馴れ馴れしく、うのちゃんとか言うな」

「なんだご機嫌斜めだな。折角親愛の情を込めて呼んでやっているのにな。やっぱり特訓でいじめられるのが好きなドM体質としては呼び捨てにされないと萌えないか?ま、いいさ。じゃあ、うの。まずはお前がそんな恰好でうろついても誰も驚かないところへ連れて行ってやろう。どこだと思う?」

 花畑弟は自慢げにこう続けた。

「このスタジアムではソフトボールの試合もやっててな。しっかり女子用のシャワールームもあるんだ。そこなら、他の奴に覗かれる心配もないし、何をされるにせようのも安心だろう?ただし、当然男子は入れないし、俺も中に入ったことはねえ。そこで、先生の出番だ。女子のシャワールームは今日は利用者がいない締められてる、そこを上手いこと言って鍵を借りてくるんだ。いいね先生」

「女性選手なんて誰もいないのに、何と言って......」

「そんなの自分で考えなよ、先生。例えば、身体が火照ってしまって私が入りたいのとでも言ってみたら、施設のオヤジが覗きにくるかもな、ハハハ。10分以内だ。10分過ぎたらうのがどうなっても責任もてねえぞ。お互いに余計なリスクを増やすのはやめようぜ、先生。さ、よーい、スタート」

 花畑弟は時計のストップウォッチを動かした。山本先生は仕方なく救護室を出て、用務室に向かった。花畑弟は3人組にこれからシャワールームで行われるショータイムに必要になる機材の調達を命じた。

「さあ、うの。お出掛けの準備だ。そんなふんどし姿じゃ外は歩けないだろう。スボンくらい履いておけよ」

 優しげな声の裏に、魔王のような獰猛さが見え隠れする。コツコツと響く時計の音。処刑を待つかのような10分間。刻まれる時は、うのにとって長く重苦しいものだった。

 その頃グランドのあけぼの高校もまた、長く苦しい7回裏を戦っていた。

<引き続き7回裏>

 わかたか学園の攻撃が止まらない。この回花畑兄の満塁ホームランで4点を奪った後も、5番,6番の連続ヒット、7番の進塁打でワンナウト2.3塁に再びチャンスが広がっていた。ここでヒットが出ると3点差と、残り2回ワンチャンスの展開に変わってくる重要な局面で、わかたか学園は代打の切り札を投入する。

「今日の出番はないと思ったがな」

 と、右バッターボックスに入った185センチ100キロの巨漢バッターは、花畑兄妹の末弟の桜三郎。通称サクラ。今年入学したばかりの一年生である。野球センスは兄たち同様に素晴らしいものがあったが、この身体はとにかく練習嫌いで動かないことが原因でこうなっている。守備が出来ない為、スタメンは不可能だったが、ことバッティングの遠くに飛ばすセンスは群を抜いており、一年生ながら既に花畑梅太郎レベルにあった。高校野球にDHが導入されていたならば、とんでもない戦力になっていただろう。

 明らかに違うオーラを感じたマモルは、ここでホームランを打たれるわけにはいかないと敬遠を選択した。その3球目、外に大きく外したボールにサクラが腕を伸ばしてバットの先端でボールを捉える。打球は一塁手のはるか上空を伸びていき、あわやスタンドインかと思わせたが、ギリギリでフェンスに直撃した。ライトがボールに追いついた時には、既に2塁ランナーも3塁を回っていた。

 9-6。あけぼの高校は瞬く間に3点差に追い詰められてしまった。ゲームの行方は分からなくなった。

<施設課>

 山本先生は施設課で困っていた。応援の学生に女子シャワールームを使わせたいと申し出たのだが、頭の固い守衛は、今日は高校野球で女子選手はいなので女子シャワールームは閉鎖中、応援に使わせることは今までなかったのでダメだの一点張りで話にならない。借りられませんでしたでは済まないことは分かっている。どうしよう。

「わたしも忙しいからね、はい帰った、帰った」

 もう、しょうがない。色仕掛けしかないわね。

「すいません。本当は私が使いたいんです。暑くてこんなに汗ばんでしまって」

 と、白衣のボタンを外して白いシャツのクビを引っ張り、胸元を強調してみせた。そのまま白衣のボタンを全て外して、デニムのミニスカから伸びた脚を守衛の視界に入るように導いた。守衛の視線が胸元から下半身へと動く。

「お願いです。少しだけでいいんです」

 ここで半歩分の距離を詰める。山本先生の真骨頂、香り攻めだ。フンワリした匂いが守衛の鼻腔を貫いた。あとちょっとね。

「もちろん、おじさまには、お礼はちゃんとしますから」

 という露骨な「おじさま」攻撃、と同時に少し前かがみなって守衛を見上げる。守衛からは少し浮かせた胸元から胸の谷間が見えているはずだ。山本先生は守衛の視線を確認した上で、最後の一押し。

「お願いです。いいでしょう?ね、おじさま。あとね、一人でシャワーを浴びるのは何だか不安だから、おじさまにボディガードしていただけたら安心なんだけどな」

 痛打一撃、これで決着の決定打。

「仕方がないなあ。私は忙しいんだから、あんまり時間はとれませんよ」

 守衛は、

「まったく、しょうがないなあ」

 と言いながら、軽やかなステップで鍵を取りにいった。

 こんなとこで、私、何してんだと、山本先生は、自戒の念に押し潰されそうになりながらも、今はとにかく花畑弟に滅多なことをさせないためにも、時間を稼ぐことを優先するしかない。

「おじさま、それじゃ私、着替えとタオルを取ってきますね。シャワールームで待っててください」

 山本先生は救護室に戻っていった。

(続く)
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