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剣士の章

161.自由

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 血飛沫を撒き散らしながら倒れるアリオンを見て、サージャは地面にドサッと膝を付いた。


「あ………アリ………」


 何故だろう。別にアリオンを愛していた訳ではない。ただ、それなりに付き合いが長いし、アリオン以外の男性など知らなかったから、アリオンが魔王討伐後に一人になるのは可哀想だと情が湧いただけだった。だから勇者邸に残ろうと思っていた、ただそれだけの関係。

 それなのに、サージャの頬を伝うのは瞳から溢れ出た熱い雫。サージャはこの時、初めて自分がアリオンに恋心を抱いていた事に気付いたのだ。だが、それも全ては遅かった。
 もっと早く気付いていれば、この気持ちを伝えられたかもしれないのに。そうしたら、セリナやフィリアよりも、もっと自分の事を見てくれたかもしれないのに。そんなサージャの視界の先には、血塗れになり倒れているアリオン。アリオンの視界に広がるのは、何処までも澄んだ青い空。


「な……ん…………で……僕………が」


 何故、こんなにも苦しいのだろうか。何故こんなにも痛いのだろうか。
 この世に並ぶ者など居ない勇者である自分が何故今、命の灯火が尽きようとしているのか。


 それほど大きくはない街で、それなりに裕福な家に生まれ、そして育ったアリオン。幼い頃から整った顔立ちをしていて、頭も決して悪く無かった彼は、街でも評判の人気者だった。このまま普通に生活していても、それなりに幸せになれるだろう事はほぼ約束されていた。
 それが一変したのは、彼が十五歳の時に受けた『成人の儀』。そこでアリオンは、今代の勇者としての称号を主神より授かった。

 それからは訳も分からないまま王都へと連れて行かれた。訳も分からないまま王に謁見し、訳も分からないまま自分の屋敷を与えられた。
 訳も分からないまま”剣王”なる人物の弟子となり、訳も分からないまま毎日剣を振った。
 ふと周りを見ると、誰もが自分に期待や憧れ、尊敬の眼差しを向けている。ああ、この方が勇者様なのか。この方が魔王を討伐する英雄なのかと、そんな一方的な期待をぶつけて来るのだ。

 毎日、夜になると自分の部屋で震えていた。過度な期待、過度な重圧はアリオンの心を容赦なく蝕んでいった。頼れる者など誰もいない中で、アリオンはぐっすり眠る事すら出来なくなってしまった。

 二年が経った。勇者をサポートする”救世の三職”の一人である”剣聖”が現れたと一報を受けて自ら迎えに行った。名前はサージャ、赤い髪の美少女だった。
 その日から、サージャも同じ屋敷で暮らす事になった。サージャは最初警戒していたが、だんだんと打ち解けていった。そしてアリオンは、『勇者の加護』の話をサージャに持ち出す。
 純粋に、サージャを失いたくないが為の提案だった。下心など無く、魔王と戦うにはどうしても必要な加護だと説得すると、サージャは悩みながらも了承してくれた。

 お互い初めてだった。アリオンは出来る限り優しくサージャの中に入った。そこで待っていたのは、この世のものとは思えない程に甘美な世界と、途轍もない快感。
 抗う事など出来なかった。アリオンは欲望のままサージャを抱いた。サージャは涙を流しながら、それでも懸命に耐えた。
 その日、アリオンは二年ぶりにぐっすりと眠る事が出来た。

 それからは性行為の虜だった。毎日サージャを求め、彼は勇者である自分に誇りを持った。初めて勇者になって良かったと思えた。
 フィリアが聖女として現れた後も、サージャとフィリアを交互に抱いた。その頃には自分以上の存在はこの世には居ないのだと、自分に絶対的な自信を持った。だが、相変わらず重圧に耐えるのは大変で、全てを忘れる為に毎日サージャとフィリアを抱く日々。あの日、サージャの事を思いやって出来る限り優しく抱いたアリオンの姿は、もうそこには無かった。在るのは、自分の欲望だけを求める思いやりの欠片も無い男。


「はぁはぁ………」


 アルトが倒れたアリオンを見下ろしていた。その顔に嬉しさなどは一切無く、あるのは哀れむような目と、寂しそうな顔。
 勇者に選ばれるような男が、何故ここまで落ちてしまったのだろうか。そう思いながら見下ろしていると、アリオンの瞳から涙が溢れた。そしてうわ言のように呟く。


「嫌だ……死にたく……ない………」


 目を閉じるアルト。同じ男として、せめて無様な最期を見ないように。


「誰か………助け………お母さ………ん………」


 それを最後にアリオンは事切れた。圧倒的な力を持った勇者が戦いに破れ、遂に命を落とした瞬間だった。


「嘘……だろ………勇者様が負けた………」
「ど、どうなるんだ俺達………みんな……殺されちまうのか……?」


 アリオンの死を目の当たりにし、兵士達に動揺が広がってゆく。冒険者達もざわめき立つその中で、剣王レグレスは空を見上げた。そしてそのまま目を閉じ、アリオンに黙祷を捧げる。

 レグレスにはこの結末が分かっていた。先にアルトと剣を重ね、アリオンでは到底及ばないと分かっていた。
 もしかしたら別の逆転する目があるかもとも思ったが、切り札である聖剣の能力も、仲間の協力で乗り切った。
 実力だけでなく、仲間にも恵まれたアルト。しかしそれは決して偶然ではなく、アルトという心優しき青年だったからこそ得た仲間。


「全てにおいて……お前はアルトに負けていたんだアリオン」


 その独り言は誰の耳にも届かない。アリオンがもしも仲間に対して尊敬の念を持っていたとしたら。アリオンがもしも仲間を尊厳する誠実な男であったなら、結果は変わっていたかもしれない。
 アルトの提案を受け入れていたら。仲間に信頼されていたら。最悪の結果だけは回避出来たかもしれないのだ。


「自業自得………か。お前の言う通りだなアルト……」


 目を開けるレグレス。その瞳から、一筋だけ涙が流れた。





 ーー君が……勇者か。


 ーーよ、よろしく……お願いします……


 ーー随分覇気が無いな。剣は嫌いか?


 ーーいえ……握った事も無いので……


 ーーそうか。なら、まずは木剣からだ。


 ーーは、はい………


 ーー何だそのへっぴり腰は。胸を張れアリオン!


 ーーは、はい………


 ーーふう……先が思いやられるな……




 普通の青年だった。初めて会った時は自信など皆無の、ひ弱な青年だった。それがいつからか自信を持ち、性格はだんだんと強気になり歪んでいった。これでは駄目だ、この性格はきっと彼を苦しめる事になる。だがそう思った時には既に、アリオンの実力はレグレスを超えていた。自分より弱い者の意見など、アリオンは聞く耳持たなかった。


「許せ……アリオン」


 最後に一言だけ呟いたレグレス。もっと早くに気付いていれば…………それだけが悔やまれた。


 そんなレグレスから離れた場所で、剣聖サージャは愛剣である『白聖竜』をガシャリと地面に落とす。死んだ、アリオンが死んでしまった。もう………自分には戦う意味すら無い。


「お姉さん………」


 そんなサージャを悲しそうな表情で見下ろすミミリ。強かった。今まで戦った相手の中で、一番強かった。しかしそんな剣聖サージャは、心がプッツリと切れてしまったらしく、虚ろな目をしていた。そしてそのままミミリに呟く。


「勝負……有りね。トドメを刺して」


 勇者と魔王の聖戦。勝った方は生き残り、負けた方は死ぬ。今まで、ただの一度も負けた事の無い人族側の勇者一行は、魔族の魔王一行の命を刈り取って来たのだ。当然、その報いは受けなければならない。しかしーーーー


「刺さないよ!戦いはもう終わりだし!」


 ミミリの言葉を聞き、顔を上げるサージャ。その表情は驚きを隠す事すらしない表情だった。


「どういう事……?貴女達は勝ったのよ?当然相手の命をーーーー」
「うひょえ!?その発想怖い怖い!何で勝ったら負けた方を殺さないといけないの!?そんな事して誰が喜ぶの!?」
「…………え?」
「せっかく生き延びたんだからさ、これからは自由に生きたらいいじゃん!もう無理やり戦う必要も無いし、好きな事して生きればいいんだよ!」


 呆然とするサージャ。自由?好きな事?そんな事がーーーー


「許さ……れるの……?わたし達は負けたのに……?」
「あったり前じゃん!ウチのボスはね、世界一優しいボスなんだよ!?あ、アルト君っていうんだけどね!イケメンだけどね!」


 言われてアルトを見るサージャ。そんなアルトに向ってーーーーー









 ーーセリナが、よろよろと近づいていた。



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