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13.トライスト家

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 休みの日に図書館へいくと嘘をついて外出届を出し、コトリは街へ出た。

 ここは快楽者の街と違って誰も難癖をつけてきたり、襲ってきたりしない。様々な種族が行き交っているが、みな互いに興味がないようだった。都会というのはこういうものなのだろうか。

 コトリはマフラーを巻いてふんと白い息を吐き出し、ジークエンドの言った「実家」を目指す。

 立派な門構えの、広い庭の屋敷だった。ハウンドが数多放たれており、門前のコトリを威嚇している。

 来客があると知ると、執事らしき青い肌の魔族が現れ、ハウンドをのけて一礼した。

「本日はどのような御用で?」

「ジークエンドの雛が来た、と言えば分かるのか?」

「………」

 魔族は目を見開いた。そしてすぐに門を開け、中に通される。

(ここがジークの育った家かあ)

 とんだお坊ちゃんだ。まあ、あの天然甘ちゃんぶりからなんとなく分かっていたことだけれども。

 応接間に通され、茶と焼き菓子を出される。コトリは大人しく待っていた。

 出された茶がすっかり冷える頃になって、誰かが入ってきた。オーバントの女性だ。ドレス姿だが、鍛えら上げられた見事な肉体をしており、一種異様でもある。

「―――私たちが貴方を歓迎すると思った?」

 きつい一言に、コトリはかぶりを振る。

「いいえ、でも……コトリが先にここを訪ねたら、ジークエンドは帰ってきやすくなると思う。ジークエンドは家族と話し合うべきだ」

「………」

 ジークエンドの母親らしい女性は目を見開き、それから優しく微笑んだ。

「あのぼんやりした子が育てたにしては確りした立派な子だわ。うそよ、歓迎するわ。尤も、夫はそうじゃないでしょうけれどね……旦那が帰る前にこの屋敷を出ることをおすすめするわ。かなり苛烈な人なの。

 ジークエンドも屋敷には帰らないほうがいい、二度と出られなくなるでしょうから」

 なんだか複雑なご家庭のようだ。コトリは首を竦める。

「ロカリオンのこと、聞いたわ……でもね、ジークエンドの身から出た錆なのよ。ロカリオンはジークエンドの出奔の後、ジークエンドの二の舞にするものかと夫の締め付けが厳しくなったの。

 ロカリオンからしてみれば、自分だけ「いいもの」を見つけて逃げ出した双子の片割れが羨ましいのかもしれないわ」

「ロカリオンも逃げればいい。ここは自由の国だ」

「幼い頃から厳しく命令に背かないよう育てられるとなかなかね……それがオーバントの軍人として正しいと私も信じていたから。

 貴方を見ているとジークエンドは間違っていなかったとも思えるのよ。少しだけ人の親として負けた気にすらなるわ」

「ジークエンドとパパはわかり合えない?」

「分かり合うことのできない状況ってあるの。だから戦争が絶えないのよ。男ってばかね、少し折れれば可愛い雛と一緒に大事な息子が帰ってくるかもしれないのに」

 コトリにはサントネースがいるから、快楽者の街から離れることはないだろうが……そのへんの事情は伝わっていないのかもしれない。

「だからね、雛ちゃん。ジークエンドには母さんはちゃんとわかってるって伝えておいて。そして、屋敷には近づくなとも」

「わかった」

 実のところ、口で言っても分からない人種がいるのは分かっていた。快楽者の街の大半はその身に言い聞かせねば気楽に犯罪を犯す。

 残念ながらコトリにはオーバントの軍人を打ち負かすほどの力はない。少なくともパパ上はジークエンドより強いのだろうから。

「奥様。旦那様がお帰りに」

「あらやだ。どうしましょ。雛ちゃん、窓からでも出て……」

「何事だ、アリシャナ」

 遅かった。大柄なオーバントと目が合う。間違いなくジークエンドは母親似だった。少しも掠るところがないほど似ていない。

「例の雛か。ジークエンドはどうした」

「コトリは一人で来た。ジークエンドが家族と話しやすいようにと。でも無駄みたいだ」

「のこのことよくもやって来たものだな。ジークエンドは私の傑作だった! それを惑わし拐かした罪、万死に値するぞ」

「かどわか……」

 当時のコトリは雛で、拐かされた方にあたるのだが。なぜとうに成人していたジークエンドのほうが拐かされた話になっているのだろう。凄い。

「あなた、冷静になって。こんな幼い子に王国軍人が大人気ない」

「この雛を囚えておけばジークエンドも戻るだろう。軍の暗部に売るとでも言えばしおらしくな」

「あなた……」

 ここで抵抗すべきか少し悩んだが、大人しくしていることにした。

 コトリは魔動具の首輪をつけられ、軟禁されることになった。地下牢にでも放り込まれると思ったから少し意外だ。

 パパ上の怒り、少しは分かる気がする。

 傑作だったと物のようにジークエンドを語るのは解せないが、ジークエンドが壇上で誇らしく「理想形」とコトリのことを語ったのと要は同じで、自慢の息子と言いたかったのだろう。

 コトリがもし、カケオチでもして急にいなくなったら、サントネースやジークエンドはさぞかし悲しみ、がっかりするはずだ。それと同じことなのだ……

 コツコツと足音が響き、扉が開いた。そっと中を覗くオーバントのお嬢さんの姿がある。

「あのぉー、ジークエンドの雛ちゃん?」

「そうだけど……」

「………」

 長い髪のお嬢さんはそろそろと姿を見せ、へろりと笑顔をみせてくれた。おっとりした様子だが、やはり身体はしっかり鍛えられている。軍人なのだろう。オーバントは普段は温和でも戦闘になれば勇ましい。

「捕まっちゃったわねえ」

「うん」

「あのクソオヤジ、いっぺんしばき倒したいわあ。私なんていつまで嫁に行けないのかしらぁ。ジークエンドが出奔してからずーっとそうなの。ジークエンドは逃げて正解よ」

 このお嬢さんは、ジークエンドの言っていた姉だろう。ジークエンドよりも、ロカリオンに似ていた。

「頭おかしいの、うちの父親。ジークエンドがいなくなってから余計にひどくなって、ロカリオンがね……私なんか嫁に行けないし。見合いも出来ないし。

 こんな可愛い雛ちゃん、そりゃ何もかも放り出して攫って逃げたくもなるわよお」

「どうして逃げないんだ? この国は自由の国なのに」

「オーバントが生きられる道ってあまりないの」

 ストッパーのいないオーバントがいきなり出奔すれば、我を失ってあっという間に犯罪者になってしまう恐れがある。ジークエンドは出奔時、幼いコトリというストッパーがいた。それでうまく逃亡できたのだ。

「ジークエンドの気持ちも分かるし、ロカリオンの気持ちもわかる。わかんないのはクソオヤジの気持ちだけね」

「ただ、息子を失って悲しいだけだと思うけど」

「違うわ。体面よ。将校になるはずだった出来の良い駒をひとつ失ってご立腹なの。あの人に家族愛なんてものはないわ」

「ロカリオンにも分からないようだった。でも、ジークエンドを連れ戻したがってた……」

「苦楽を半分こしてきた片割れが全部放り出して逃げて、ロカリオンが肩代わりしてるわけだからねえ。そりゃ帰ってきてほしいでしょう」

「ジークは軍部に戻るべきだと思うか?」

「思わないわ。自由に生きられる場所があるなら、そこにいるべきよ。私だって出来るならそうするもの」

「……パパとわかり合えないのは悲しいことだと思う」

「悲しいことよ。私はずっと悲しい思いをしてるわ。でも、かあさまがいらっしゃるからね。どうしてあんな人と結婚したのかしら。まあ政略だったんでしょうけど……あら、下が騒がしくなってきた」

 窓から外を見ると、ハウンドが全滅していた。門も溶け、無残な状態になっている。

「コトリをどこへやった!!」

 殆ど本能に呑まれかけているジークエンドの声がする。コトリは部屋を飛び出し、一触即発のパパ上とジークエンドの間に割って入った。

「ジーク、だめ! これじゃ話し合いにならない!」

「コトリ……この男と話し合いなど無駄だ。ああ、そんな首輪をつけられて」

「ジークエンド。貴様には帰ってきてもらうぞ。さもなければこの雛を軍の暗部に売り渡す」

「この……王国の犬が」

「口を慎め。雛の命はこちらにあるのだぞ。沙汰は追って出す」

 そう言って、再びパパ上は出かけていった……ジークエンドが溶かした扉やら門やらを通って。少しだけシュールだった。

「コトリ、無事だったか?」

「ごめんなさい。勝手に来て……」

「いや。実家の場所を教えた俺が悪かった。お前の性格なら来てしまうことも想定すべきだったのに」

「ジークエンド、おかーえり」

「ああ、ただいま姉さん」

 ここは普通に家族をしていて何だか笑えた。まるで今朝出ていった弟を出迎えるように「おかえり」と言うものだから。

「かあさまも、急に出奔してすまない」

「それだけの理由があったのだと理解します。ただ、おとうさまのことは私の手に負えなくてよ。自分の身から出た錆は自分で処理する、教えは忘れてないわね」

「はい」

「よろしい。とにかく今日は雛ちゃんと一緒に部屋で休んでなさい」

「いこう、コトリ」

 ジークエンドに肩を抱かれ、元の部屋へ戻る。

「十数年経っているのに変わってないな……」

「ここ、ジークエンドの部屋か?」

「そうだ。俺はここで育った。いいことも悪いこともあった」

 苦笑しながら、懐かしそうに古ぼけた魔界地図を撫でる。

「ジーク、もう一度言うけど勝手に来て本当にごめんなさい。こんなことになるなんて思わなかった」

「あの父親が規格外の阿呆だということを伝えそびれた俺のミスだ。驚いたろう?」

「オーバントにしては気が強い」

「逆さ。気が弱いんだ。外面が気になる性格でな。ああして虚勢を張って弱い自分をごまかしてるだけだ。上層部にはああしたオーバントが多い」

 そういうものか、とコトリは納得した。立場上というものもあるだろう。

「ジークが家族と話せればいいと思った。コトリはパパとわかり合えないの辛い」

「そうだな。俺も辛いと思うよ。でも、あの人とはわかり合えないんだ」

「諦めていいのか?」

「そういうこともある。たとえばだが、コトリを手放すことは俺にはできない。それがどんなに正しいことであってもだ。きっと間違っていても、コトリを選ぶだろう。ときには束縛するかもしれない。そういうところでは似てるんだ。だからわかり合えない」

 コトリはジークエンドと生きる道を選んだが、ジークエンドは父親にそっぽを向いた。なるほどわかり合えないかもしれない。

「だが、コトリ。何があっても、お前はサントネース社長の元へかえすからな」

「手放さないって言ったくせに!」

「ふたりとも無事で帰れるなら、俺も帰るとも。だが、やりあえば相打ちになる」

「そこまでしてコトリ、帰りたくない! ジークがいないなら帰らない!!」

「コトリ……」

「別にコトリはいいぞ、ジークエンドが軍人に戻って、ここで暮らすんでも」

「それではお前は飼い殺しになってしまう。お前には自由に飛んでいてほしいんだ。それにな、俺もあの親父の言いなりに生きるなんて真っ平だと思ったからお前を守ると決めたんだ。お前のためだけじゃないんだ……」

 コトリのため、そしてジークエンド自身のため。彼はそうして決断したのだ。ますます、ここへ来たのは間違いだったと痛感せざるをえない。

 食事は家族揃って行われた。誰も口を開かない。長女のアリーゼなどはひょいひょいといくつか皿を片付けて「ごちそうさま」と去っていった。

 食事の進まないジークエンドと裏腹に、ロカリオンは機嫌がいいようだった。双子の不幸で飯が美味い、とでも言いたげだ。

「ママ上、これおいしい。これなあに?」

「これは豆のゼリー寄せよ。コトリちゃん用に用意したの」

「ありがとう。コトリ、お肉やお魚はあまり食べられない」

「そうだと思って」

「パパ上、ごちそうさまでした。美味しかったです」

「………」

 食べさせて貰っている立場上、一応礼を言う。返事はなかったが。

「ジークエンド、お風呂入ろう。一緒に入るか?」

「い、いや一緒には……」

 しどろもどろ言うのを、ロカリオンがぷっと吹き出していた。とっつきにくい性格だと思っていたが、パパ上よりはよほど付き合いやすいと思う。

 翌日から、ジークエンドは屋敷から士官学校に通うことになった。コトリは居残りだ。屋敷の蔵書を読んで過ごしているので、暇ではない。身体がなまりそうになったらトレーニングルームもあるし、庭に出ていいことになっている。ハウンドはいるけれども、家から出てきた者を襲わない。

 コトリとママ上が食事中によく話すことを知るや、アリーゼはさっさと食事を切り上げず、会話に混ざってくることになった。

「あら、コトリちゃん新しいお洋服買ってもらったの。可愛いわね」

「ママ上が買ってくれたー」

「買ってきたのは私ですけどね」

 意外なところでロカリオン。アリーゼが「私も行きたかった」と言い募る。

 いつも黙っているジークエンドも、ふと、

「そういえばコトリに服を買ってやったことがないな。サツキのほうがよほどコトリの服を買っている」

「ジークエンドはだめよ。服飾センス皆無だから」

「貴方に買わせたら全部幼児服になるでしょうが」

「むう」

「ホホホ」

 ママ上が笑い声を上げた。

「すごいわね、コトリちゃんがいるだけで、こんなに会話が盛り上がるなんて。我が家でこんなに楽しい食卓初めてだわ」

「………いい加減にしろ!!」

 パパ上が爆発した。

「やかましい、鬱陶しい、食事は黙って食すべきである!!」

「そんな法律なくってよ。いいじゃないの、食事時の会話くらい」

「アリーゼ……それ以上口を開くと雛の命を削るぞ」

「まあ」

 アリーゼは気分を害したように席を立った。他の家族も慣れたように何事もなく黙って食事をとり、それぞれ席を立つ。

 しかし、あとになってアリーゼが現れ、

「じゃーん。ボードゲーム持ってきちゃいましたあ」

 巨大なボードを床に広げる。

「あんまり騒ぐと親父が煩いからね。静かにやりましょ」

「懐かしいな。昔も、兄弟で集まってこのゲームをやったっけ」

「せっかくだからロカリオンも呼んできましょ!」

 来るのかと思えば、本当にニコニコしながらやってきた。

「ああ、懐かしいですねこれは」

「ロカリオン……俺はまだ貴様を許していないからな」

「硬いですね。そういうところは父親にそっくりですよ」

「ああ?」

 確かに、程度の差はあれどジークエンドの生真面目さは父親譲りの気がした。あとの二人のゆるさはママ上に似ている。

 そんな生活が一週間も続いたある日、

『あー、テステス』

 聞き覚えのある声がして、窓から身を乗り出した。

『みなさーん、近所のみなさん! こちらのお宅のオーバントは、この自由の国で私の息子を監禁しております! トライスト家です、あのトライスト家が法的に登録されている私の息子を……』

「パパー!」

 拡声器を持ったサントネースだけではない。ルロビア傭兵会社の社員一同、サツキとシャハクも含めてその場にいた。いないのはジークエンドとコトリくらいだ。

 慌てて外へ出てハウンドたちをかきわけ、門から身を乗り出す。

「何してる?」

『こっちの台詞だよ、コトリちゃん! ごらんください、このように私の息子が首輪で繋がれております! どうかご覧ください、トライスト家が私の息子を』

 こうした騒ぎを起こして近所がにわかにざわめき、三十分もするとパパ上が部下を引き連れて帰ってきた。

「なにをしている!!」

『何って、息子返せってんですよ。この子は法的に私の子と登録されてますんでね』

「者ども、狼藉者を蹴散らせ!」

『お? やりますかい? 言っておくけど、ウチは強いよ?』

 社員一同がそれぞれの得物を構える。およそ一個小隊ほどの規模だ。パパ上が連れているのはオーバントだが、数が違いすぎる。

『どのみち非はあんたにある。ここで息子を大人しく返してくれるのが賢明だと思うがね』

「くっ……法的に登録、されているのかっ。ジークエンドが親ではないのかっ」

『調査不足ですねえ。なんなら確認してくれてもいいですよ』

「……雛を解放しよう」

 途端、首輪が外れた。コトリは門から飛び出てサントネースの首にしがみつく。

「パパ!」

「コトリちゃん!」

「パパかっこよかったぞ!」

「そうだろうそうだろう、パパはかっこいいだろう」

「サツキたちも、みんなも、来てくれてありがとー」

「どういたしまして。お前はほんと手がかかるね」

 皆にお礼を言ってから、

「パパ上!」

 ジークエンドの父親に抱きついた。大柄なオーバントはあんぐり口を開けている。

「またジークエンド連れて来るから! そしたら一緒にごはん食べよ!」

「………早く行ってしまえ」

 パパ上はぷいと顔を背けた。

 コトリは手を振りながらサントネースたちと共にトライスト家を立ち去った。
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