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 幸いだったのは、エヴァが貪欲なる狡知の神の分霊だったことだ。彼は育児と年代別に必要な教育の知識も蓄えていた。他の邪神だったらこうはいかなかったろう。

 エヴァとの生活は想像より上手く噛み合った。サンザルムは由緒正しい家柄で、裕福だった。俺が育ち、大学院に行く為の金まで潤沢にあったのだ。

 それだけに、周囲にはやっかまれた。何しろ魔女の谷は多大な被害を受け、復興にはかなりの労力と月日を必要としたのだ。

「あっ、リズアルだ!」

「リズアル、べーっ」

 近所の子供が石を投げてくるので、俺は体を張って止めた。そうしないとエヴァに当たるからな。

 石って、当たるとかなり痛い。おでこから血が出て泣きそうになったが、鼻をすする。

「エヴァはおれがまもるからな!」

 えへん、と胸をそらし、エヴァの手を強く握る。

 この頃のエヴァはまだまだ自我が薄く、多少の融通こそきくものの、守ったり、戦ったりというのはしなかった。契約外のことだからな。

 最初は戸惑ったが、エヴァがこういうものだと把握してからは、甘えたいとき、さびしいときにうんとエヴァに甘えた。だっこしてもらったり、絵本を何度も何度も繰り返し読んで貰ったり。エヴァもそれを拒まなかった。傷ついた子供の心には何よりの薬だった。

 それにエヴァは綺麗だった。動いて、料理して、知識を与えてくれて、甘えさせてくれる綺麗な人形。これに心を奪われないわけがない。

「おれねえ、おっきくなったらねえ、エヴァをおよめさんにしてやる!」

「およめ…さん」

「うん! うれしい?」

「うれしいとは、なんであろうか」

「知らないの? エヴァでもしらないことあるんだ! うれしいはねえ、きもちがあったかくなって、くすぐったくなることだぞ」

「きもち……」

「おれはエヴァといるとうれしいな。エヴァはちがう?」

「ちがわ……ない……?」

 無垢な子供はエヴァに少しずつ、少しずつ様々な感情を教えていった。

 エヴァは薄く笑うようになった。俺がいう前に抱きしめてくれるようになった。俺はますますエヴァが大好きになった。

 七歳くらいになると、やっと少しエヴァ離れができるようになり、エヴァが昼食を作ってる間に一人で遊びに出かけることが増えた。

「あら、かわいい子」

「かわいいかわいい」

 近くの森からさまよい出てきた妖精が、俺の周囲を漂った。無邪気な俺は笑い声を上げる。

「ようせいさんだ!」

「一緒に遊びましょ、かわいい子」

「うん!」

 最初は、屋敷の前で妖精と踊ったり、おいかけっこして遊んでたんだ。でも、夢中になるうち、気がついたら少しずつ移動していて、森の中にいた。

「おれ、かえらなくちゃ。エヴァが待ってる」

「あらどうして帰るの?」

「貴方はあたしたちとここで暮らすのよ」

 妖精の数もいつの間か増えていた。妖精のテリトリーに誘い込まれてしまったんだ。

「きれいな、かわいいこ。宝石の瞳、銀色の髪。あたしたちの宝物にしてあげる」

「でも、でも……」

「歌って、踊って、楽しく暮らしましょうよ。ここには美味しい花の蜜も果物も木の実もたくさんあるのよ」

 妖精の世界は現世に重なって微妙に違う場所にある。異界なんだ。彼女たちは永遠に変わることがない。ときおり気に入った子供をさらって、取り込んでしまう。その後こどもがどうなったかの報告は一切ない。

 途方に暮れていると、妖精の悲鳴が聞こえてきた。

 振り返ると羽をもがれた妖精が何匹か転がっていて、俺はぎょっとした。

「エヴァ!?」

 いつの間にか追ってきていたエヴァが、険しい表情で本を広げて佇んでいた。こんなエヴァを見るのは初めてだった。

「我が主を拐かそうとは……貴様らを滅ぼしてやろうか」

「いやっ……ミクラエヴァよ!」

「きゃぁああ」

 エヴァからすれば、契約主を奪われたんだから怒り心頭だったろう。でも、俺が覚えている限り、エヴァが初めて自主的に行動し、俺を守った例だった。

 逃げた妖精たち。取り残された俺の元へゆっくり歩み寄ってきたエヴァは、俺を抱き上げた。

「食事ができている。帰ろう、主」

 何も言うことができず、俺は小さく頷いて、エヴァにしがみついた。

 エヴァが俺を害する者に厳しくなったのは、その後からだ。今までは近所のガキどもに殴られようが石を投げられようが新しく覚えた魔法の実験台にされようが、知ったことではないという顔をしていたエヴァが、ガキどもを捕まえて容赦なく骨をぶち折った。

「ぎゃぁああ……」

「いだいっ、いだいぃいい」

「主が今まで受けた痛みはこの程度ではない。もう一、二本折ってやろうか?」

「エヴァ、エヴァ! もういいよ、やめて!」

「主がそう言うのなら」

 いつの間にか、エヴァは優しい笑顔を覚えていた。柔らかいまなざしで俺を見て、頬を撫でるのだ。



 魔女の谷は俺たちにとって居心地の悪い土地だった。

 魔法学園に入学できる十三歳になって、家を売り払う決意をする頃には、エヴァは現在と殆ど変わらない性格に育っていた。

「主よ、新しい土地は楽しみじゃな」

 きっと、幼い頃の俺の笑顔を覚えたんだろう。エヴァは無邪気に笑う。俺は、生まれ育った故郷を離れるのは、不安だったけれど、エヴァがいるなら何処でも同じだと微笑み返した。いろんなことがあって、俺は少し大人になっていた。

 人型の召喚神を受け入れてくれる寮のある学校を探し、アラス召喚魔法学園に決めた。受験のほうは、なにしろ知の神がついているものだから、俺にとってあってないようなものだった。

 アラスは本当に楽しい場所になった。クラスメイトにも教師にも恵まれ、故郷での人間関係にうんざりしていた俺に、人付き合いの楽しさを教えてくれた。

「やあ。君が噂のリズアルか。僕はタイトン。よろしくな」

 今は旅に出ている無二の親友、タイトン。ああそうだ、どうしてあいつのことを忘れていたんだろう……

 タイトンは俺の親友で、悪友だった。いろんな土地に興味があって、世界の様々な写真を俺に見せてくれた。新しいものを手に入れると、自分で見る前に、俺の元へ来る。

「リズの部屋にくると、エヴァに色々教えてもらえるからね」

「エヴァは辞書かなんかか」

「だって何でも知ってるんだもん」

 エヴァは、けっこうタイトンを気に入ってたと思う。俺の友人だからってのもあったろうけど、タイトンが知りたがることは何でも答えた。俺はちょっとくだらないやきもちを焼いたりしたもんだ。

 その他にも、タイトンとは悪さをした。

「竜狩りだ!」

「新しい魔法の実験だ!」

「禁呪作ったれ!」

「いえー!!」

 まあとにかく教師の胃と窓をぶち破りながら、俺とタイトンは青春を謳歌した。それをサポートするエヴァという存在がいるだけに、手に負えなかったろう。

 タイトンは大学院には進まなかった。かねてからの夢である世界を見る旅に出たんだ。

 大学院にいる間は、ちょくちょく手紙が来てたもんだが、最近は音沙汰もない。もしかしたらどこかで野垂れ死んでしまったのかもしれないな。けっこう無茶をする奴だったから……

 タイトンがいなければ、俺はもう少し大人しい学生生活を送っていたろう。日本での俺がそうだったように。俺という魔法師を作ったのは、タイトンだったと言っても過言ではない。



 学園生活の件で、もうひとつ思い出したことがあった。

 俺には初恋の女の子がいた。花のような女の子だった。名前はカリエラ。彼女も俺のことを好いてくれてたように思う。微笑ましい学生のほのかな恋だ。

「主、あの娘が好きか?」

「うん」

 エヴァに問われてぽっと頬を染め、指先をもじもじさせる。エヴァに育てられた俺は、日本で育った俺よりずっと純でウブだった。

「あるじ」

 エヴァは俺の顎をとり、唇を奪う。それが何を意味するかさえ、エヴァに隠されて育った俺は、きょとんとするばかり。

「なんだ、これ?」

「主、約束じゃ、俺と以外ではしないでおくれ」

「うん……?」

 なんだか分かってない俺に、エヴァは約束を求めた。召喚神が契約主に約束をとりつけるなんて、異例のことなんじゃないか?

 でも、エヴァが不安そうにしているので、俺は「わかった」と答えた。

 俺が健やかに成長したように、エヴァも精神発達していた。きっと子供の頃から成長を見守ったのが良かったんだろう。純粋に笑い、泣き、怒り、喜ぶ手本が側にいた。

 彼は膨大な書物から知識を得ていたが、それが何を意味するか分かっていないところもあった。恋愛小説なんかミクラエヴァ本霊が読んだところで感情移入できるはずもない。そもそも性別がないからな。

 だが、男の器を得たエヴァは、違った。

 彼は過去吸収した知識を己のものとし、共感し、恋を覚えた。いつからか、なんでかなんて俺に分かるわけはない。テレパスでもあるまいし。

 でも、エヴァは俺に恋をしていた。俺もそのことに気づいたから、カリエラのことは諦めた。

 エヴァより大事なものなんて、俺にはなかったんだ。
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