ロマの王

いみじき

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「コネコ、コーヒーふたつな」

 それはボットに頼める程度のことだったが、社員にお手伝いを任されたコネコは神妙な顔で頷く。

 その後ろを菊蛍がついて歩いた。

「コーヒーの淹れ方は分かるか?」

「できる!」

 まず、カップをふたつとる。コーヒーメーカーにセットして……

「ううー」

 手が届かない。家にはお手伝い椅子があったが、周囲を見回しても踏み台になりそうなものは何もない。

 菊蛍が後ろから抱き上げてくれた。

「ありがとう。でも自分で出来る!」

「俺はお手伝いのコネコをお手伝いする役だ」

「ならしかたない」

「ふふふ……」

 抱っこされたまま、ボタンを押す。ちょろろ……とおちる黒い液体を見つめ、いいところで止まった。よし!

 蓋を閉め、カップを持って慎重に歩く。落としても大丈夫な仕様だが、落としたら大変なのだ。

「おっ、コネコ。お手伝いか。偉いな」

「えらい? プロみたい?」

「ははは、そうだな、プロみたいだ」

 通りすがりの社員に褒められ、コネコはぷーっと頬を染めて誇らしくなった。プロみたい。どうだ、俺だってお手伝いできるんだぞ。

「コネコは5歳のプロだな」

 蛍が言うのでコネコは首を傾げる。

「5さいのプロ?」

「そうだ。5歳には5歳のプロがあって、6歳には6歳のプロがある。コネコは満点の5歳だ」

「えへ……」

 こんなに褒められたことがないので、照れてしまう。コーヒーを届けると、頭を撫でてまた褒められた。



***



 事の発端はミチルさんの発言だった。

「どちらにせよ、あの子を親元に返すつもりはないねえ。全く悪い母親ではないけど、親免剥奪されるようなことをしてるからねえ」

 ミチルさんは施設に預けるつもりで言ったが、蛍はもう返さなくていいと聞いて満面の笑みだった。

「はあ、こんな身の上に生まれついて子供なぞ持てるものではないと思っていたが、幸せだなあ」

「えっ、蛍お前まさか育てる気」

「うん? いかんか」

 鷹鶴が驚いてる。ほかの社員も驚いてる。

「お前が駄目だというなら船を降りてもよい。俺はコネコと共に暮らす」

「ええええ、俺と一緒に語った夢はどうなっちゃうの」

「俺はお前の夢を手伝ってもよいと言ったまで。協力は惜しまんが、邪魔になるというなら下りたほうがよかろう」

「えええ……いや、コネコ可愛いからこっちはいいけどさあ。コネコにいい環境じゃないと思うぜ。大人ばっかりの閉鎖空間て」

「施設や虐待する親元よりはマシである」

「まあ、そう、だけど」

 言い負けるなよ。連れ込んでおいてなんだけど。

 俺が他人事な顔をしてるせいか、社員の一人が舌打ちした。

「ガキが居座り続けるなんて冗談じゃねえよ。ソイツが連れ込んだんだ、ソイツが連れて出て行けばいい」

「クロートくんは訳あっていなくなっちゃうんだよ。死ぬと同義だと思ってくれればいい」

「そうなる前に何とかすればいいだろうが!」

「俺が育てると言っているだろう? 聞いておったのか」

「蛍、てめぇ」

「やだなあ、もー! これから難局を共に乗り越えようって仲間なんだぜ。子供の一人や二人で荒れるようじゃ、この先やってけないよ。

 蛍に抜けられたら困るの、君も分かってるだろ」

「………チッ」

 その人は態度悪くオフィスを出ていった。コネコと鉢合わせないといいが。コネコはお昼寝中。

「ていうか、あの人だれ」

 知らないクルーだ。俺がきょとんとしてると、鷹鶴が苦笑する。

「君が知らないってことは、彼は抜けるんだな。他の仕事が出来て抜けるのか、決別するのかは分からないけど。彼は蛍と相性が悪いんだよね。蛍は勝手だから」

 蛍を嫌う人類っているんだ。てっきり全人類は無条件で蛍が好きなんだと思ってた。

「蛍に抜けられるの困るってのは?」

「そのままの意味。いま全員で手分けしてる仕事を、蛍は一人でやっちまう。なんかのウィッカーなんじゃないかと思うほど情報の引きがいい。加えてその情報をどう扱うべきかをよく心得てる」

 それで我儘が通っちゃってんのか。

 俺が入社した後しばらくも、蛍が何してる人か知らなかったしな。殆どの社員も知らなかったはずだ。役職があるでもなく、ただ鷹鶴の相棒として扱われる謎の人で。なんか偉いんだろう、くらいの認識。

 蛍自身、自分が何であるか定義したことはないんだろう。為すべきことが「わかりすぎる」ってのも問題だ。そうして彼は、いつの間にかロマの王になってしまった。名乗った覚えも、目指した覚えもないのに。鷹鶴の補助をしていたはずが、立場が逆転しちまったんだな。

 現在の蛍は平社員の一人でしかないので、

「いや、家族が出来るとは。めでたい、めでたい」

 無邪気に喜んでいる。

「俺はなあ、ずっと家族がほしかったのだ。ただ無条件に慈しむことが許されるような……もちろん、どの子であっても良い訳ではない。あの子が良いのだ」

 ああ、そういう。

 蛍が俺にプロポーズした理由が分かった気がした。突然で、恋愛感情よりも「保護したい」という理由のプロポーズ。蛍はただ、家族が欲しかっただけなんだ。純粋に慈しんで許される相手がほしかったんだ……

 おかんに何て説明しよう。絶対に納得しないような。

 二ヶ月して、システムが組み上がった。けっこう金を貰っても罰は当たらない出来だと思う。一度作ったやつだから、記憶を頼りに何とか二ヶ月で済んだ。

「データリンクを含むツクモシステム! なんとか頼む」

「そっかあ、クロート帰っちゃうんだ。このまま居てくれたら頼もしいのに」

「ここに慣れちゃうのも問題だと思うから」

 特にコネコの為にならん気がする。早めに離れないと……

「クロネ、行っちゃうのか」

 デニムのくまを抱えたコネコが、通路で立ち話をしていた鷹鶴と俺を呆然と見上げている。しまった。もう少し場所を考えるべきだった。

 いや。いずれは話さなきゃいけなかったことだ。

 コネコの前で膝をつき、唇を引き結んで目を潤ませるコネコを覗き込む。

 こいつすっげえな、何も言ってないのに「大好きだから行かないで」って目で訴えてくる。完全に捨てられる犬猫の目。強い。コネコ強い。

「前も言ったけど、俺はお前が大人になった姿なんだよ……元の場所に戻らないと」

「やだぁ! クロネ一緒にいて」

「そうしたら俺のところの蛍が一人になっちゃうだろ。あの寂しがりの蛍を一人に出来ない」

「………………」

 コネコはものすごく悩んでる。もともと母親の「世話」をしてたような奴だからな。蛍に関しても思うところあるんだろう。

「俺もお前と離れるのはイヤだけど、お前には蛍がいて、蛍にはお前がいる。俺は安心だよ」

「……俺、クロネのことほんとのお兄ちゃんみたいに思ってた」

 くま抱いたまま、きゅうっとしがみついてくる。俺とは思えない可愛さ。俺にとってもコネコは弟みたいなもんで、自分と認識出来てない。可愛い。とても可愛い。それだけに俺も辛い。

「勉強して、三味線を蛍に習って、俺の音を忘れないでいれば、いつか必ず報われる。

 誰かと自分を比べたりすんな。お前は俺の―――大事な弟だ。誰にも替わりは出来ない」

 ああなんだ。この、自分に言い聞かせてるようなむず痒い感じ。

 そして誰かに言ってほしかった言葉だ。蛍に言われても納得出来なかった。自分の価値を信じられなくて、いつも自信がなかった。

 でもコネコになら言える。嘘はない。本心だ。離れ離れになって二度とあえなくても、俺はコネコのことを忘れない。

「蛍のこと、宜しくな」

 コネコは鼻をすすりながら頷いた。

 送別会が盛大に開かれた。あの、ちゃんと戻れるかまだ分からんのですが。これで「やっぱり無理でした」はきついもんがある。

 用意された簡易型のツクモシステムに乗り込み、コネコを撫で、蛍を見上げる。

「よろしくな、蛍」

「任された。お前も元気でな……そちらの俺のことも頼む」

 わかってるよ。

 これで戻ったら大きく変化してたらどうしよう。いや、そもそも俺に心境の変化があるんだから、バタフライエフェクト必至だよなあ。どう処理されるんだろ。今から怖い。

 もしかして、全部忘れちまうのか。ぎゅっと唇を噛むコネコを見る。

 いやだな、忘れたくない。

 決心が鈍りそうになったとき、コネコが叫んだ。

「クロネ。蛍に会わせてくれてありがとう」

 これが一番涙腺に来た。偶然だったんだよ。お前がひっついてきたのも、蛍たちに頼るしかなかったのも、蛍がお前を育てるなんて言い出すのも。

 蛍の気持ちがわかった気がする。

 俺、お前を愛せて幸せだった。

 感知を深く。沈む感覚。息を呑む。意識が浮遊する。

 目を開ければ元のツクモシップの中だった。狭間を移動したときの記憶はない。ということは、やはりブリンクも過去移動も超AIの協力あってのことか。

 仮想次元を開くと、十分後くらいに跳んでいた。慌てて船を出て宴席に駆け込む。

「ごめん蛍! ちょっと間違いでブリンクしてた―――」

 瞬間、尋常じゃない機動力で宴席に参加してた人間をふっ飛ばして突進してきた蛍に抱きすくめられる。というか衝突。

「無事で……っ!」

 たった十分だったのに、もう泣いてら。たぶんこの十分は調整の為の空白だろうけど、二ヶ月も空いてたらきっと廃人化するな、こいつ。

「ブリタニア陛下、申し訳ありません。せっかくの宴席でこんな騒ぎ……」

「いや。無事で何よりだ」

 うへっ、なんという輝くロイヤルスマイル。敵う気がしないのは相変わらずだが。

 でも、蛍が求めてるものがよくわかった今だから。

 美しく涙を流す蛍を引き剥がし、肩に手を置いてじっと濡れた目を見上げた。

「過去に行ってきたんだ。そんなつもりなかったけど、気がついたら……そこで小さい俺と、昔の蛍に会ってきた」

「なんだそれは羨ましい」

 言うと思った。あとでフォト見せてやるから今は大人しく聞いてろ。

「―――俺はプロポーズは受けられない」

 言ってからそういや今の蛍にプロポーズされてないなと気づき恥ずかしくなった。自意識過剰みたいじゃん。でも、本題はそこじゃない。なぜか蛍がショックを受けてる。だから本題そこじゃねえから。

「でも、家族にならなってやれる。あんたが慈しんで許される、あんたを支える家族に。

 せっかく宇宙政府から離れて、なりたくもない王様になるんだ。新しい家族の形式でも作ればいい。これからはステップファミリーが増えるだろうからな」

 私生児は増え続けるから、ロマの国での出産は推奨されない。どうしてもの場合のために厳しい審査を設けることになっている。

 こんな状況だから、今までにない、ロールの決まらない家族があってもいいはずだ。俺は蛍と最初のそれになる。

 蛍は微笑んだ。微笑み、俺の手をとって、指と、頬とにキスをする。

「誰よりも大切に。誰よりも愛し、慈しむことを俺の名とお前の名に誓おう」

 このとき蛍の言った台詞は、後に「ファミリア」と呼ばれる間柄の誓いの文句になる。

「そういうことだ、オズワルド。すまんが愛人契約は破棄されてくれ」

「こうなると思っていたよ。構わない、ここへ来たのは君の顔を見たいがためもあったが、何より宇宙政府から独立を許された惟一の星と親交を結ぶ為だったからね」

 そっか、政治的外交だったんだな。母艦贈って一番最初に見舞いましたよっていう。それなのに俺はあんなに嫉妬して……ハイドやクレオディスのバカと同レベルだった。恥ずかしい。

 ブリタニア王は俺の手をそっと握った。

「どうか幸せに。そして蛍を幸せにしてほしい。ロマの後継よ」

「………へ」

 何のこと? と蛍と鷹鶴を振り返ったが、妙にニコニコされて説明してもらえなかった。
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