ロマの王

いみじき

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 それはぶすくれた顔の猫のような男だった。いつでも僻むように眉を寄せて、生意気な吊り目をしている。

 細身だがしなやかに鍛えた、変に色香のある体をしていて、それもまた猫のよう。

 名前はクロートだとか、クロネだとか、下手をするとネコとかクロとか呼ばれている。

 そいつは突然、サノの乗る宇宙船に連れ込まれてきたかと思えば、社長ら幹部にやけに構われた。

「なんだろうなあ、寄るな触るなって顔して、ちらっちら窺ってくる感じが、構いたくなるんだよなあ」

 おっさんらの感覚はよく分からない。

 おっさんどもはとにかく、菊蛍までが親しげにしているのが気に入らなかった。

 菊蛍のことはサノも詳しい訳ではないが、その美貌と気品ある物腰から只者でないことは明白だった。鷹鶴の親友であり、鷹鶴も菊蛍の我儘は「仕方がない」と苦笑して聞き入れてしまう。それだけの人物でもあった。

「おい新入り。テメー何もたもたしてんだ?」

 通りすがりに貨物の検品をしている姿を見かけてオラついてみた。サノは無法惑星ウィッカプールの育ちで、とりあえず新顔には圧をかける。これで気の弱い奴なら、大抵はサノの舎弟になった。

 猫野郎は貨物からふっと顔を上げ、

「ああ、鮫顔の人」

 と言う。

「んだコラァ! 誰が鮫だ猫野郎!」

「黒音だけど」

「誰に口利いてのか分かってんのか、あ? 腕の一本二本折っても構わねえんだぞ。どうせ医療機ですぐ治るしなあ」

「………」

 猫野郎は臆した風もなく、生意気な目で睨みつけてくる。だが、すぐに視線を逸して作業を再開しはじめた。

「あん? 何無視こいてんだコラ」

「慣れなくて、ただでさえ作業遅れてる。これ以上邪魔するなら社長に言うぞ」

「はーん、社長のお気に入りちゃまはすーぐ社長に言いつけまちゅか」

「ただの諍いならとにかく、今は仕事中だ。仕事が遅れたら全員に迷惑がかかる。通信回線トーキーをオープンにするから、それでも絡むなら好きにしろ」

 嫌いな人種は色々いるが、これもそのひとつ。正論を盾に淡々と「自分が正しい」ことを主張してくる奴。

「テメーあれだろ、菊蛍と寝てイイ気になってんだろ」

「はっ……?」

 猫野郎の顔色が変わった。ぽかんと間抜け面を晒し、次には首まで赤くなる。やはり図星か。サノはにやついた。

「言っとくが、菊蛍は誰とでも寝るぞ。枕もハニトラも何でもござれ、貞操観念なんかねえよ」

「そ…そうなの、か」

 狼狽える様が愉快でいい気味だった。菊蛍は外面だけはいかにも貞淑で浮世離れしているので、こう聞くとショックを受ける輩は多い。受け入れられずに否定する場合もある。

「自分が特別だと思ったか?」

「そんなことは思ってない!」

「まあよかったな、童貞捨てられて」

「へ、ど…童貞……?」

「だからって勘違いして付き纏うなよ! テメーみたいのは宇宙規模で大勢いるんだからな」

「………」

 猫野郎は言葉を失い、青ざめていた。ざまあみろだ。笑いが止まらない。



***



「電脳ワーカーにようこそ!」

 と鼻眼鏡にピロピロ笛つけた社長に歓迎され、謎のベンチャー企業に加わって一週間。

 社員にも紹介して貰ったが、管制室に集められた面々は完全に興味がなさそうに白けている。早くも挫けそうだ。

 幹部らしき一人はハイライトのない死んだ目をした執事みたいな奴で、一人は言葉通じてんのか不安になるほど目が遠くへ旅立ってるエキゾチック美青年で、一人はなんか鮫顔のイケメンだった。

 この会社は顔採用でもしてんのか?

「じゃ、えーと、教育係は……」

 社長が皆の顔を見回すと、全員が目を逸す。もうやめてくれ。俺のハートはズタボコだ。

 鷹鶴社長は「えーと」と困ったように頬を掻く。

「蛍に任せる訳にもいかねえしなあ。それじゃあクロートくんは……できることを探して頑張って仕事をしてもらおう!」

 エアハッチぶち開けて大宇宙にダイブしたくなってきた。

 こんな時、コミュニケーション能力の高い奴なら自分から挨拶に行って頭を下げ、教えを請うんだろう。

 だが俺はコミュ障だ。今まで友達なんか一人も出来た試しがない。会話は母親としか成立したことがない。業務連絡くらいは出来ると思うが。

 大体なんだよ出来ること探して仕事しろって。出来ること探しするポリアンナかよ。

 ただ、仮想次元に接続したら、いつの間にか会社のグループホストに加わってた。して欲しい仕事の一覧を選んで名前を押して、完了報告すればいい仕組みらしい。トイレ掃除とか検品とか、当番制じゃないみたいだ。もちろん利率は低いが、簡単な仕事でも給料は貰える。

 行き場のないロマの集団だから、無能でクビ、なんて気軽に出来ないんだろう。このシステムには素直に感心した。

 また、仮想次元でクラウドプロジェクトが開かれる場合もあって、プログラミングを手伝ったり、パーツ作ったり探したりと出来る仕事は色々あった。

 相変わらず社員とは全く打ち解けられなかったが、なぜか社長及び菊蛍など、幹部とは別の重鎮らしき連中には顔を合わせるたび、

「頑張ってる? お菓子いる?」

 ベルトパックに菓子類を詰め込まれる。作業用のパックがいつも一杯で仕事し辛い。なんでおっさんら(多分全員50越え、見た目で年齢がわかんない時代だけど)はいつもいつもあんなに駄菓子持ち歩いてんだ?

「ではまたな、クロネ」

 菊蛍は菓子を渡して、小袖の手で俺の頭を撫でると、いつも忙しそうに立ち去ってしまう。

 行く先々で人に囲まれ、蛍に話しかけられた奴は頬を染めている。予想はついてたが、憧れの的なんだろうな。

 別にあの人に縋りたい訳じゃないけど……

 俺はすっかり、熱を持て余すようになっていた。ナノマシンで刺激されながら犯されると病みつきになって忘れられなくなる、あの看守野郎の言葉が現実になっちまった訳だ。

 アダルトグッズを買うのは自由だけれども、ロマの宇宙船という危うい場所だからか、持ち込む物品の検査には神経質なほどだった。

 アナルが切ないからってエネマグラ買えるような状況じゃないんですね。会社中に知れ渡っちまう。新人くんアナル開発してるってよ! なんて噂がこの狭い宇宙船世界で広まったら、ない自信が更になくなる。

 俺の自己評価はとても低い。自信を持ってはっきり言える、とても低い。自信がないことを自信を持って言うこの矛盾。だが事実だ。

 喧嘩をする時は潔いが、学校や近所でどんどん孤立して遠巻きにされ、ヒソヒソ陰口を叩かれるとけっこう傷つく。帰って部屋の隅ですんすん泣く。

 ただでさえ社員と仲良くなる自信がないのに、アナルくんなんて蔑称つけられたら脱出艇に飛び乗って宇宙空間に旅立つ。

「女性も雇いたいけど、男の群れに放り込むことになるから大量雇用しなきゃならない。いっそ船分けたほうがラク」

 そういう環境の男所帯だから、アダルトグッズの購入くらいお互い様なんだろうけど、尻弄る玩具は流石に知られたくない。

 対処法は二つ。誰か適当な奴、そういうのに理解ある奴に協力してもらうか。設計図を購入して社員共用のバイオプリンターでこっそり制作するか。

 でも、バイオプリンターだと何を制作したのか履歴が残るよな……それじゃ買うのと同じだ。

 身体の疼きに悶々としながら慣れない検品作業(一通りこなせるようになろうと色々挑戦中)をしていたら、幹部の鮫顔さんが絡んできた。

「まあよかったな、童貞捨てられて」

「え、ど…童貞……?」

「だからって勘違いして付き纏うなよ! テメーみたいのは宇宙規模で大勢いるんだからな」

 最初喧嘩腰だったのに、ご機嫌で帰ってった。

 もしかして蛍、抱かれ専だったか? あの顔ならあり得る。でも俺があんな事になったから、抱いてくれたのか……

 勘違いする奴、沢山いそう。あんな人に優しくされたら誰だって勘違いする。勘違いを勘違いと理解しながら楽しむのもアリだ。

 あの人は、同じロマでも、たぶんすごく遠い人だから。

「どした、新人くん。暗い顔だぜ」

「わっ……社長か。びっくりした」

「疲れてるんじゃないかい? 根詰めんなよ。風呂にでも入ってリフレッシュしてきなよ!」

 風呂?

 洗浄ポッドで頭からつま先まで洗えてしまう昨今、風呂は馴染みがない。浴室のないご家庭だって沢山ある、うちがそうだった。志摩の温泉は最高だって、仮想次元の特集で見たことはあるがピンとこない。

「うちの浴場は、透過装甲で宇宙が一望できるんだぜ。ちょうど保養惑星志摩の付近だ、テラさながらの青い星を拝める。ぜひ一度試してくれよ」

 ニブル系の美形って神経質なイメージあるから(主にシヴァロマ皇子のせい)、にっこにこしながら気さくに話しかけられると未だに脳が混乱する。

 うちの会社は仮想次元にモビルギア関連のショッピンモール持ってんだが、その商品の宣伝は鷹鶴社長みずからやってる。そりゃもうゴキゲンでクレイジーでモンティパイソンなトークショーだ。よくあのテンションを普段も維持できるよな。中毒性があるらしく、一部では電子ドラッグ扱いされている。

 かく言う俺も社長に乗せられて人生初の公衆浴場に向かった。志摩なんて映像でしか見たことのない超リゾート地だ。人類が始めて宇宙に旅立った時、テラを見た飛行士が「テラは青かった」なんて言ったらしい。

 今じゃどの星も別に青くねえからな。星の子バイオームさえありゃ海も森林もいらねえし。緑っぽい、苔盆栽みたいな星なら多いけど。

 公衆浴場は、洗浄ポッドで一度身体を洗ってから専用の水着を履いて入るのがマナー。らしい。知識で知ってるだけ。水着は使い捨てで分解機材に放り込む。

 浴室に入ると、本当に一面が宇宙だった。青い星も、ちょっと遠いが確かに見える。空調も利いてて熱さは感じない。足を湯につけるとじんわり噛むような温かさが伝わってくる。思い切って肩まで浸かると、ほわっといい気持ちになった。これは悪くない。

 窓辺の縁に頬杖ついて、星の輝きや志摩を眺めていた。やっぱ志摩に下りたりはしないだろうな。確か停泊するだけでもかなり金がかかるはず。金持ちがバカンスで行くんだろうな。行ってみたいもんだ、志摩。

「―――クロートくん?」

 声をかけられて振り返った。四角い顔に黒子が特徴のおっさん。顔採用してるんじゃねーかと疑ってるこの社にしては顔面偏差値低めで、たぶん100歳越え。個人差はあるけど、100を越えるとだんだん老化してくから。

「黒音だけど」

「いつもプロジェクトに参加してくれてありがとうね。助かってるよ」

 おっさんはざぶざぶ湯の中歩いてきて、隣に浸かった。礼を言われるってことは、こいつプロジェクトリーダーか。なぜかつまんないバグを修正する緊急プロジェクト招集することが多いんで、小金稼ぎに参加してる。

 それをそのまま言っていいもんか分からなかったんで、黙ってた。悪いなおっさん、俺に世間話なんてもんは無理だ。たぶん碌でもないことしか話せねえから。

 そしたら、なんか腰に触ってきた。ケツを触る訳じゃないけど、腰に手を当てて、指の先が水着の際を弄ってる。

「なに」

 眉を寄せて睨むと、あの時の看守そっくりに厭らしい顔で鼻膨らませたおっさんが近づいてくる。

「君、いつも物欲しそうな顔して溜息ついてるでしょ」

 見抜かれてた。

 かっとして俯く。鼻の先から水滴が湯に落ちた。

「可愛い顔して、すけべな、いけない子だね。おじさんとイイコトしよう? ね」

 こんなテンプレなスケベ親父実在すんのか……セクハラされたことよりそっちに驚いた。

 ただ、俺が非常に切羽詰まってるのも事実。

 いっそ、コイツでもいいか? 逆に後腐れないか? ただの性処理として諦めがつく気がする。最初が凄くいい経験だったから……俺みたいなコミュ障の引き篭もりにはこのおっさんくらいで丁度いいのかもしれない。おっさん見下しすぎか。

 血迷ってうなずきかけた時、おっさんが呻いて離れた。

「悪い手よな。悪い手は砕いてしまおうか」

 蛍だった。

 何で此処にとか、背筋が凍るほど色っぽくて悪い顔とか、それ以前に予想以上のめっちゃイイ肉体してたことに驚いた。あんな顔して腹筋バッキバキ。線が細い印象はあるけど、やっぱマッチョだ。

 それに身体のあちこちに、薄いけど大きな傷跡が幾つもあった。ほとんどの傷を跡なく治してしまう現代医学で残る傷って、どんなだ?

 なんか、これ、あれだ。

 軍人の身体だよ。それも歴戦の。

 おっさんが走って逃げるのを目を細めて見やり、蛍は俺の隣に身を沈めた。白い、陶器のような肌が、うっすらと桃色に色づいて、目元が艶っぽい。いけないものを見た気になって、目を背ける。

「仕事は慣れたか」

「うん……」

「あまり船内では見かけんが。オフィスで仕事してもいいのだぞ」

 馴染めないし、人がいると落ち着いて作業できないから無理。

 顔も見れないで黙ってたら、腰を引かれて抱き寄せられた。

「困っているなら、どうして俺のところへ来ない?」

 耳の縁に唇が触れるように囁かれ、身震いする。そのまま手が下半身に伸びてくるから慌てた。

「ひ…人がくる」

 そういう問題か、俺。されてることはさっきのおっさんより直接的なセクハラなのに。蛍だからいいのか。まあ蛍なら何したって大概の奴は許すだろうな。俺もだけど。

 湯でふやけた首筋に唇が下りてきて、ぴくんと身体が反応した。生娘かよ。初めてでもないくせに。

「清掃中の仮想カードを出してシャッターを下ろした」

 ものすごく周到だった。

 あんた受け専じゃないの?

 とは本人に聞けない。何より濃厚に舌絡められてるから物理的にも話せない。キス、凄い気持ちいい……想像してた好きな女の子との甘酸っぱくて可愛いキスじゃないけど。生々しくてエロい上に尻揉まれながらのファーストキス。

 俺の人生どうしてこうなったんだろう。

 ちゅくちゅく吸われて離れた舌先から、糸橋がかかってる。キスだけでとろとろのぐにゃぐにゃになってた。もう、どうにでもしてって感じ。

「ここだと挿入が少し痛いかもしれんが、後で治してやる」

 湯の中で指を入れられて、確かに滑りがないから少し痛い。

 実際大変だった。座った蛍に跨る状態で「出来るだけ傷まないように自分で」と指示されて腰を落としたが、何度も「もう無理」って泣き入れた。

 そのたびにキスで懐柔されて、

「もうすこし頑張れ」

 有無を言わせぬ笑顔に脅される。その繰り返し。

 収めてしまえばそれほど辛くはなかった。痛かったから顔は涙でぐしゃぐしゃだったけど。

 揺さぶられると脳天が痺れるほど気持ちいいのは変わらなかった。湯がばしゃばしゃ水音を立てて波を作る。蛍の首にしがみついて必死で腰振った。も、ずっと欲しかったから。

 ああ、尻すげえ気持ちいい。なんでこんなに悦いんだ。さっきからあんあん気持ちい、しか言ってない。俺の身体が変態だからか? それとも蛍だから悦いのか?

 こんなになって、これから先どうしたらいいんだ。

 のぼせて湯船から繋がったまま出されて、タイルの上で引き抜かれた。逆流した湯と蛍の精液混ざって流れ出てきたのにはもう……全部ボットが掃除してくれるけどさ。

 出る前にもういっぺん洗浄ポッドに入って、体力尽きた。備品のバスローブに包まれて、きゅうっと蛍の腕の中におさまる。

「ねこ、ねこ。かわいいねこ。良い子である」

 猫かあ。

 ぼんやりしたまま凭れて、考える。

 たぶん、この人にとっちゃ、俺は本当に船で飼われてる猫みたいなもんなんだろう。
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