大和―YAMATO― 第四部

良治堂 馬琴

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第367章『迷子』

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第367章『迷子』

 拙い、この状況は非常に宜しくない、タカコは大荷物を抱え背負ったままそんな事を考えつつ、眼下のと或る物体を見詰めていた。
 そこにいるのは小さな子供、親と逸れたのか唇を噛んで俯いて泣いていて、小さな足の周囲の地面にぽたぽたと涙の染みが刻まれていく。
「お……お嬢ちゃん?お父さんとお母さんは?」
「……猫ちゃん……」
「え?猫ちゃん?」
「ね、猫ちゃんがいてね」
「うん」
「身体が黒くてね、足とね、しっぽの先っぽが白くてね、とっても可愛かったの」
「うん」
「なでなでしようと思ってね、猫ちゃんについてきたらね……おと、お父さんがね、どっかに――」
 それだけ言って遂には声を上げて泣き出してしまった子供、タカコはその様子を見下ろしつつ、さてどうしたものかと眉間に皺を寄せつつ盛大に溜息を吐く。見たところ歳の頃は小学校に上がる前程度、こんな小さな子供が親と逸れてしまったのを見なかった事にして補給を続けるのは流石に心が痛む。しかし今は潜伏生活の最中、陸軍や海兵隊からの追手もいる状況の中、泣く子供を連れて親を探し回る等危険過ぎる行為なのは明白だ。
 無視すれば良い、人里離れた場所ではないのだ、手を貸してやる大人は他に幾らでもいる。自分が手助けをせずとも、誰かが親を探すか交番へと連れて行き、多少の時間は掛かっても親と再会出来るだろう。
「そっか、じゃあ一緒にお父さん探そうか」
 理屈は分かっていた、それでも小さな子供に対して固執してしまう自らの性分をどうする事も出来ず、タカコは子供にそう言って笑いかけ、荷物を物陰へと押し込める。
 危険な行為である事は理解している、しかし人通りの多い場所だからこそ身を隠せるという側面が有るのは事実で、今はそちらに賭けて手早く済ませてしまおう。警察にも情報が回っているかも知れない、交番へと連れて行き直接受け渡す事は出来ないから、交番の近くへと連れて行き子供に一人で交番へと入る様に伝え、自分はそれを離れたところから見届けて立ち去れば良い。
 交番迄は距離が有る、子供を連れての歩みでは三十分程だろうか、追手の存在を警戒しつつだからもう少し時間は掛かるだろう。船に戻る時間迄はまだ時間が有るからそちらは心配は無いが、早く済ませてしまう越した事は無い。
 小さな手を握れば、子供はしゃくり上げつつも素直に従い歩き出す。少し歩けば多少は落ち着いたのか、名前は『きのしたまなみ』という事、もうすぐ弟か妹が生まれるという事、母親は出産の為に入院していて今日は父親と買い物に来た事、そんな事を子供らしい拙い言葉で話して聞かせ、タカコはそれを穏やかな笑顔を浮かべ相槌を打ちつつ聞いていた。
 自らの子供はもうとうの昔に持てなくなった、気付かない内に宿していた我が子は『あの時』に天へと還って逝き抱いてやる事も叶わず、どれだけ悔やんでも誰を呪っても、こんな風に手を繋いで歩く事は無い。あの出来事が有るからこそ自分はこうして未だに子供へと固執してしまう、自らの立場や役目、そして何よりも命を預けてくれている部下達の安全を思えば決してするべきではないと分かってはいるものの、これが終われば直ぐに戻るから、と、誰に言うでもなく呟き、ゆっくりと、ゆっくりと佐世保の街を交番へと向かい歩いて行く。
「じゃあ、おばちゃんはもう行かないといけないから、あそこ迄は一緒にいけないの。一人でも行ける?あそこに行って、お巡りさんにお名前とお父さんが何処かに行っちゃったって言えば良いから、分かる?」
「うん、わかった!おばちゃんありがとう!」
「良い子、じゃあね」
「じゃあねー!!」
 途中菓子を買い与えて食べさせ小一時間程掛けて歩き、やがて辿り着いた交番近く、前方のそこを指し示してタカコが問い掛ければ、調子を持ち直した子供は笑顔で元気良く答え、タカコに手を振りながら駆け出して行く。時折振り返りぶんぶんと手を振る様子にタカコは目を細めて見送り、立哨していた警官がしゃがみ込んで子供へと話し掛ける様子を遠目に見ながら、さあ戻るかと踵を返して歩き出した。
「あっ、おとーさん!!」
 たった今別れたばかりの子供のそんな声が聞こえ、親と会えたのだろうかと振り返ってみれば、そこには交番の中から飛び出して来て地面へと膝を突き小さな身体を抱き締める男の姿。良かった、どうやら父親と無事に再会出来たらしい、再会を喜ぶ二人に目を細めて笑い、その後は振り返る事も無く歩き雑踏へと姿を消した。
 随分と余計な事をしてしまった、この後はもう人目を避けて引っ込み、船へと戻る時間迄じっとしていよう。そろそろ日も暮れるから、日暮れと同時に港へと行き先に船に乗り込んでしまっても良いかも知れない。何にせよ余計な事をしてしまった、これ以上問題が起きる前に安全な場所へと身を潜めていた方が良いだろう。
 他は、同じ様に上陸し補給の為に動いているカタギリとキムとマクギャレットはどうしているだろうか、何も問題は起きていないだろうか。
 補給物資を隠していた場所へと戻り、物資へと手を伸ばす。少し場所を移そう、そう考えながら背嚢を掴んだ瞬間、不意に背後に人の気配が現れる。鋭い、肌を刺す様な気配、誰だ、肌を粟立たせつつ急速に意識が切り替わる自分を感じながら、タカコは背嚢を手放し素早く跳び退り気配の方向へと向き直った。
「漸く見つけたぞ……迷子の面倒見てやるなんて実にお前らしいが、今回ばかりは失敗だったな」
 そこにいたのは島津、直後背後にもう一つ気配が現れ、
「何が有ったかは詳しくは聞いてねぇがよ……博多に戻るぞ」
 そう言った声音にそちらは藤田だと感じ取りつつ、タカコは小さく舌を打ち歯を軋らせた。
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