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第463章『餞』

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第463章『餞』

 生きる意味と名前と誕生日を与えてくれた存在に連れられて軍へと入った時、出迎えてくれたのは、彼とそっくりの顔と声をしたもう一人の存在。同じ人間が二人いるという異常事態を目にしたのは初めての事で、どう反応して良いか分からずに石の様に硬直してしまった自分を見下ろして、『彼』は、
「……どうするんだ、それ」
 と、戸惑いとも呆れとも言えない様な視線と言葉を自分達へと向けて来た。
 穏やかでありつつも感情表現の真っ直ぐなタカユキ、感情の揺れ幅は少なく物静かなヨシユキ、自分の人生の大半には常に二人の姿が在り、惜しみない愛情と庇護を与えてくれていた。
 それが崩れ始めたのはいつ頃からなのか、はっきりとは分からない。けれど、いつの間にかヨシユキの眼差しが少しずつ歪み始めていた事に、自分は気付いていた。タカユキとヨシユキは遺伝子は同じでも違う人間、だから、その人間性が顕著に表れる眼差しも違って当然なのだと、そこで意識が止まる事が無ければ、ヨシユキが抱えていた狂気に気付いていれば、何かが変わっていたのだろうか。
 けれど、自分はそれ以上の事を考える事はしなかった、出来なかった。タカユキとヨシユキ、この二人は自分にとって絶対的な庇護を与えてくれる神にも等しい存在であり、そんな存在が自分に対して害を為す等考えもしなかったし、それは禁忌に近い程のものだった。
 そうして年月を重ねタカユキを一人の男として選び、愛し、結婚という契約を交わし互いを慈しむ生活を始め、子供を喪い、それを宿す機能すらも喪った。
 それがヨシユキの企みだと知らされた時、始めは告げられた言葉の意味が理解出来なかった、脳が、心が、理解する事を拒絶した。顔を歪めて号泣し、途切れ途切れの謝罪しか口にしないタカユキ、

 ――ゼンブ、ヨシユキガヤッタコトダッタンダ――

 タカユキのその言葉の意味を理解した時、自分を襲ったのは絶望、その後に沸いたのは激しい怒り、憎悪。
 何故、何故、何故――、その言葉ばかりが自らの内を荒れ狂い、答えを求めようとしてもそれを持っている人間は忽然と姿を消し、誰も欲しい言葉を与えてはくれない。
 漸く傷も癒えようかという時に現れた彼が自分とタカユキへと向けた眼差しも言葉も理解は出来ず、憎しみしか抱く事は出来なかった。
 そうして形式上は下野する事になり、互いに慰め合い今迄以上に慈しみ合いながら過ごす日々の中でぼんやりと把握出来たのは、彼が、自分を愛し、そして、一つの兵器としての究極を望んでいたという事。
 初めからなのか何処かで歯車が狂ったのかは分からない、けれど、それが彼なりの深い愛情だったのだと、彼にはそうする事しか出来なかったのだと、今なら理解出来る。
 そして、彼が今自分に何を望んでいるのか、自分は何をしなければならないのか、どうしたいのか、その全てが分かる。ヨシユキの望む通りの結末にしてあげる、そう思いながらタカコは階段を昇り切り、半開きになったままの扉に靴底を叩き込み蹴り開けて外へと飛び出した。

『――タカコ』

『――これで終わりだよ、義兄さん』

 直後、晴れ渡った空に響く一発の銃声、それと同時にヨシユキの腹部が弾け飛び、血や臓物が屋上の床を濡らしその上へとどさりと大きな体躯が仰向けに倒れ込む。
『っ……がっ……!!』
 タカコの放った散弾はヨシユキの腹部へと命中し、弾け飛んだ腹部は脊椎すら砕け散り、穴だらけの皮膚で辛うじて繋がっている状態。こんな状態になると痛みすら最早感じないのか、と、ヨシユキはぼんやりとそんな事を考えつつ、タカコへと視線を向けた。
 敦賀を庇うと、そして、タカコは最愛の男を目の前で喪う事になるのだと、そう思っていた。けれど、実際には彼を庇ったのは彼女の部下のマクギャレット、起き上がったマクギャレットの鬘が地面へと落ちた事で事態に気付き、それならば、タカコは自分の許へとやって来てくれるのかと、その瞬間を暫くの間待ち続けていた。
 自分が真に望んでいた事は、彼女の最愛の男を目の前で再び殺し彼女を絶望へと落とす事ではなく、こうして彼女が自ら自分を殺しに来る事。感情に流されず、長年の因縁に自ら決着をつけに来てくれる事を。
 彼女はその望みを知ってか知らずか、叶えてくれたのだ、こんな最高の幕引きが有るだろうかとヨシユキは笑い、タカコへと向かって言葉を紡ぐ。

『……もう、無理だ……頼んで良いか、楽に、して、くれ』

 そう、弟もきっと彼女にこの言葉を投げ掛け、呪縛から解き放とうとした。生きてくれ、と、痛切な迄の祈りを込めて。形は違えど自分も同じ、望みを叶えてくれた彼女を自分という呪縛から解き放つ為に少しずつ薄れ始めた意識を何とか繋ぎ止めヨシユキは彼女の答えを、待った。

『……私が見送るのは、仲間と、家族と、夫だけだ。あんたはここで独りで死んで逝け……さよなら、義兄さん』

 その言葉に、今迄自分が抱え込んでいた全ての狂気が、綺麗に霧散した。
 ああ、彼女は自分が望んでいた事をしてくれた、望んでいたものになってくれただけではなく、それを為し得た上で人としての愛を我が物とする事が出来ている。戦術的に見て何が最良なのかという事を判断して部下に敦賀を守る役目を任せただけではなく、仲間や家族や夫、その彼等との間に流れる愛という感情を、しっかりとその心の中に持っている。

『……あり、が……とう……タカコ……泣かな……い、で……俺は、と、て、も……幸せ、だか、ら……』

急速にぼやけ始める意識と視界、その中央に在るタカコの肩がふるふると揺れているのが薄らと分かる。涙脆いのは相変わらずだ、と、ぶつぶつと途切れ始めた意識でヨシユキはそんな風に思いながら小さく笑い、踵を返して歩き始めたタカコへと、最期の言葉を紡いだ。

『     』

 それは最早掠れる様な呼気にしかならず、扉の向こうへと消えて行ったタカコの耳にも届く事無く、ヨシユキ自身の意識と共に、大和の空気へと溶けていった。
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