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第412章『身体か、心か』

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第412章『身体か、心か』

 営舎のタカユキと自らに宛がわれた部屋、その扉の前でヨシユキは中の惨状に小さく溜息を吐き、ベッドに腰掛けて俯く弟に声を掛けた。
「何をやってるんだ、一人で片付けろよ?」
「……うるせぇ、放っといてくれ」
 室内は荒れに荒れ、定位置に収まっているものは一つも無い。カーテンは破られ窓硝子は割れ、私物は投げられ床に叩き付けられ蹴り飛ばされ、備品である椅子も机も脚が折られて床に転がっている。いつも穏やかな弟がここ迄荒れるとはと、ヨシユキはもう一つ溜息を吐きながら室内へと入り、弟の隣に腰を下ろしながら、既に見当がついていた『荒れている原因』を口にする。
「……ジャスティンとタカコの事、見たのか」
 その言葉にタカユキが纏う怒りと殺気が膨れ上がる。
「……そんなに怒る位なら、何でさっさと自分の女にしておかなかったんだ。保護者のスタンス崩さないでいたら、あいつが歳の近い男と男女の関係になるのも当然だろうが」
 同じ部隊に所属するジャスティン・ドレイク、タカコの五歳年上の彼が、基地の片隅の無人の倉庫でタカコを抱いているのを目撃してしまったのはつい三十分程前の事、どうやら弟は自分よりも先にあれを目撃してしまったらしい。
「……うるせぇよ……見ちまってから気付いたんだよ……十も年下の女の子に惚れてたのにそれに気付かないで他の男に掻っ攫われて、挙句にそいつに美味しく頂かれてるところを目撃して漸く気付いたとか、笑えよ」
「ははは」
「……殺すぞこのクソ兄貴」
 タカユキは今迄タカコに対して年上の家族としての姿勢を崩さなかった。ヨシユキから見れば、弟がタカコに対して男女間の愛情と情欲を抱いているのは明らかだったが、どうやら彼はその事についての自覚は無かったらしい。普段は穏やかな物腰の弟が全身から怒りと殺気を放ちそれを隠そうともしていないのを横目に見ながら、ヨシユキは先程見た事を思い出していた。
 タカコは先程の行為が初めてではなかったのだろう、声音は充分に艶と濡れに満ちており、行為から受ける快感を素直に享受している様子が窺えた。今迄タカコから感じ取った事も無かった女としての艶姿、自分の気持ちに気付いていなかったとしても彼女を女として愛しているのであれば、あれを目の当たりにしてしまった弟がここ迄荒れ狂うのは仕方が無いのかも知れない。
 そして、自分は、と言えば、方向性は違えどやはりドレイクに対して殺意にも近い怒りを抱いているのは同じだなと思い至り、ヨシユキは唇を歪めて小さく笑う。
 兵士として目覚ましい成長を続けるタカコ、士官教育課程へ進む話も出ており、ヨシユキはそれを心から喜び、自分が関われる範囲で持ち得る限りの知識と技術を彼女へと与え続けた。彼女が人間臭くなり過ぎている事に関して、時折弟と意見を対立させ真っ向からぶつかり舌戦を繰り広げる事も有ったが、同じ遺伝子を持って生まれた者同士の阿吽の呼吸か、事がそう深刻になる事も無い。
 今迄はそれで済んでいたが、自分とタカユキ、そして、タカコ、この三人の間で調和がとれていた状態に第三者が、それも『男として』入って来た。今回のこの事態は、確実に何処かに何等かの変化を齎すだろう。それがどんなものになるのか正確なところは分からないが、少なくとも控え目に言っても穏当な事にならないのは確実だ。穏やかな弟がこんなにも荒れ、他者に対しての憎しみと怒りを隠そうともしていない。
 自分の方は、と、そこ迄考えて、ヨシユキは自分の内心を少々整理してみる事にする。
 タカユキがドレイクに対して抱いてるのは嫉妬、そしてタカコに対しての愛情と独占欲。掌中の珠の様に可愛がり慈しみ、そして自覚無しとは言えど愛していた女を腕の中から攫われ抱かれてしまったのだ、ドレイクに対して怒り憎まない道理は無い。翻って自分は、と言えば、タカコに対して男としての感情を抱いているのかと問われれば、否と即答出来るだろう。昔からそんな感情の遣り取りは苦手且つ興味も無い、タカコに対して感じている事は、彼女を如何に兵士として指揮官として、そして兵器として成長させ完成させるか、それだけだ。
 ドレイクの行為はそれを妨害している、タカコは必要な人間性を既に身に着けた、これ以上は彼女を弱くする。女としての感情も悦びも、教える必要は無い、他者に対しての優しさも身に着けさせる必要は無い。
 軍には歳が近いとか年頃という以前に女性が少ないから、手近な存在として身体だけをドレイクが求めたのだとしたら、それで構わない。そうではなく、身体だけではなく心を求めたのだとしたら、弟が動かなかったとしても自分が動くだろう。それは、彼女にとって無用なもの、あの純粋な芸術品に対してそんなものを求める者を、自分は許しはしない。
「……まぁ、タカコもジャスティンの事を憎からず思ってるんだろうから身体を許したんだろう、あいつの幸せを願うなら、妙な横槍は入れるなよ?」
「……分かってるよ……ジャスと別れたら、その時にはきっちり考えるさ……正直、殺してやるって思ってるけど、そんな事したら、傷付くのも悲しむのもタカコさんだもんな……堪えるさ」
 苛立ちを滲ませた声音でそう言ってポケットから取り出した煙草に火を点ける弟を見ながら、ヨシユキは自分の言葉にまた唇を歪めて笑う。タカコの事を考えての言葉ではない、弟の為でも、勿論ドレイクの為でもない。
 見出して拾い上げたのは弟でも、それを今の様に育て上げたのは自分。その自分が作り上げた芸術作品を、単なるくだらない人間の女に堕そうとする存在は排除しなければならない。ドレイクがタカコの心を欲するのであれば彼には消えてもらうし、タカコの心を含めて全てを求めている事が分かりきっている弟を殺さないで済む様に、こちらの方は行動に出ない様に今の様にそれとなく誘導するだけだ。
 硝子が割られてしまった窓の外、遠くにタカコとドレイクの姿が見える。お互いには何の興味も無い素振りで別々の方向へと歩いて行く二人を見て、ヨシユキはまた僅かに唇を歪めて笑った。
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