アレな社長の(他社の)環境改善計画

良治堂 馬琴

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『採用面接』

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 ――関東某所、乗馬クラブ――
 前年の厳冬とは打って変わった暖冬の二月、気持ちの良い晴れの日が少しばかり続いている或る日の午後。馬場には数頭の馬が出て背中の人間を揺らしており、規則正しい歩様で走ったり障害を飛越したりと、乗馬クラブとしては『いつも通りの平和な』光景が広がっている。
 丁度レッスンが始まった直後の時間帯でクラブハウスのロビーは閑散としており、フロントスタッフがその様子をぼんやりと眺めつつ欠伸を小さく噛み殺した直後、エントランスの自動ドアが静かに開き、中へと一人の男が入って来た。
「土屋さんこんにちは」
「どーもー、こんちはー」
「今日は予約入ってなかったと思いますけど、乗りますか?」
 入って来たのは会員の一人である土屋、柔和な顔立ちの中年男性。五十を少しばかり過ぎたその男はフロントスタッフの言葉を頭を振って否定しながら馬場の方を指しつつ口を開いた。
「いやいや、今日はね、別の用件で。タッパちゃん、来てる?」
 スタッフにはそれだけで伝わったのだろう、
「ああ、来てますよ。今はレッスン出てますね。ほら、あそこの真っ赤な」
 笑顔のままそう言って土屋に続き馬場の一角を指し示す。その先には芦毛が一頭、鞍の下には真っ赤なゼッケン、被っているメンコも赤い上に鞍上の人間の装いも赤。
「いたいた、目立つねぇいつも。赤備えだ」
「カズレーザーじゃないですか?」
「金髪にしたらそうなるね、じゃ、どうも」
 軽い遣り取りの後土屋はスタッフに礼を言いクラブハウスを出て馬場の方へと歩き始める。洗い場を通り抜けて馬場の柵の前へと立てば、目当ての人物の声が聞こえて来た。
「お前マジでざっけんなよ!いい加減にしねぇと馬肉にすんぞゴルァ!」
 どうやら今回のパートナーである芦毛のピカイア号が指示に従わず反抗しているのだろう、このクラブでも相当な癖馬を充てられて気の毒にと肩を揺らせて笑えば、同じタイミングで尻に鞭を入れられた馬が豪快に跳ね、土屋は今度は声を出して笑った。
 それから三十分程経った頃にレッスンは終了し、馬から降りた会員達が馬を曳きながら続々と洗い場へと戻って来る。目当ての人物が洗い場に馬を繋ぎ終えたのを確認した土屋が
「タッパちゃーん、お疲れー」
 声を掛けながら近付けば、返って来たのは
「龍に波は『たつなみ』って読むんだって何回言ったら分かるんだてめぇは!タッパじゃねぇ!」
 という荒い言葉と脱いだヘルメット。相手がこんな反応をするであろうと予想していた土屋は然して動じる事も無く、受け止めたヘルメットを返しながら目の前の人物――、龍波涼子を見据えて目を細めた。
「悪い悪い、語感が良いから呼び易くて」
「で?何なんだよ、何か用か?」
 未だ若干不機嫌そうにそう吐き捨てる涼子は受け取ったヘルメットを足元の私物入れの籠に突っ込み、騎乗中ヘルメットにプレスされてぺったりとなってしまった髪をガシガシと掻きながら土屋へと言葉を返す。古くからの友人で軽口を叩き合い共通の趣味である乗馬を共に楽しむ仲だが、だからこそ相手が肚に何か抱えている事にも逸早く気付く。今回もそうに違い無かろうと涼子がじっとりとした視線を土屋へと向ければ彼の方もそれは承知なのか、意味有り気な笑みを深め、口を開いた。

「うん、あのさ、うちでパートやってくれない?」

「……は?」
「パート、事務処理のパートやって欲しいんだよ」
「……私が他社の社長だってのは覚えてるよな?」
「それは勿論。ただのパートじゃなくてさ、パートとして潜り込んで色々と調べて欲しいのよ」
「不正とか不法とか倫理的に問題有りとか、そんなネタか」
「たぶん。そこをはっきりさせる為に中で動ける人間欲しいんだよね、一日中事務所にいて不自然じゃないとなると事務パートでしょ、そうすると性別的にも年齢的にも不自然じゃなくて尚且つこういう事が得意な知り合いってなるとさ、タッパちゃんしかいないんだよ」
 土屋の言い分も分からなくはない、全国的にも知名度の高い企業のそれなりのポジションにいる彼が部外者である自分に話を持って来るからには、事はそれなりに深刻である可能性は高いし、そうであれば内偵にケチが付く様な事態は絶対に避けたいだろう。しかし、そういった作業は嫌いでも不得手でも未経験でもないし寧ろ大好物ではあるものの、自分の本来の領分は全く別の業界や分野であるし、一般的な意味での事務職の経験等無い。それは彼も分かっているだろうにと涼子が眉間の皺を深くすれば、土屋から追撃の言葉が飛んで来た。

「それにさ、仕事の能力的にもぴったりなんだけど、それ以上に『面白そうだから』って理由でクソえげつない殲滅戦仕掛けて心底楽しそうに笑ってるし躊躇も良心の呵責も一切無いサイコパスじゃん?これ以上の適任いないと思うんだ」

 直後、涼子が手にして投擲したピカイア号のボロが土屋の顔面を直撃し、洗い場に土屋の悲鳴が響き渡りちょっとした騒動となった。

「あー酷い目に遭った……」
「鉛弾が飛んで来なかっただけ有り難いと思えクソボケが」
「ここは日本ー、銃刀法違反ー」
「そうさせたのはお前だろうがよ……で、私にそんな事頼んで来るってどいういう事態よ?」
「おっ、やってくれる?」
「取り敢えず話は聞いてやる、話せ」
 シャワーを浴びて汚れを落とし、ロッカーに置いてある服に着替えて出て来た土屋、その彼が向かいへと腰を下ろし涼子が口を開き、それを受けて土屋がゆっくりと説明を始める。
「ほら、俺、関東ブロックの統括やってるでしょ、それでさ、色んなデータに目を通してたんだけどさ、或る営業所だけ経費が突出してるんだよね」
「何の」
「採用。バイトやパート採るのもタダじゃないってのは分かってると思うけど、そこ、他の営業所の五倍から十倍位掛かってるんだよ。で、データをよーく見てみたら人件費は平均なんだけど、採用経費だけ突出してるの」
「人員が定着してないって事か」
「多分そうだね。人的なのか物的なのかは現時点では何の判断も出来ないんだけど、何か問題が有るなら対応しないといけないかなーと」
「……それだけじゃないだろ絶対」
「いやまあそうなんだけど、それは今はまだ言えないかな……問題が有るならタッパちゃんならじきに分かると思うんだけど。で、さ、受けてくれない?俺の小遣いからになるからあんまり出せないけど、タダてやれとは言わないからさ」
「期間は」
「そうだなぁ……取り敢えず一週間位?土日は事務所無人になるから平日のみでも良いよ」
 土屋の言葉に涼子はすぐには返事をせず考え込む。彼の言う通り、一つの営業所だけ採用経費が突出しているのであれば、確実に何か問題が有るのだろう。人間関係が良くないのか業務内容が良くないのかそれとも設備的な問題なのか、統括責任者の立場からそれが何なのか判断出来ないのであれば、内部に自分の目と耳の代わりを送り込み確かめたいと思うのは自然な事だ。
 幸い今は自分の本来の業界は比較的落ち着いているし、そもそも社長の立場では社員達が受け持っている個々の案件や現場全体を把握し采配を振るう事が本来の職務だから、一週間ばかり離れたとしても問題は無い、緊急の用件であれば取引先からでも社員からでもスマホに連絡が入って来るから電話口かメールで対応すれば良いだけの話だ。何より、『こういう案件』は大好物なのだ、彼もそれを分かっていて話を持って来たに違い無いなと思いつつ左の口角だけを上げて物騒な笑みを浮かべつつ、涼子はゆっくりと口を開いた。

「オーケー、その話、受けた」

 斯くしてと或る会社の社長が大企業の一営業所に事務パートとして勤務するという、何とも奇妙な就職活動の採用面接が終了したのだった。
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