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第24章『下戸と企み』

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第24章『下戸と企み』

 宴の始まりから二時間程が経過し、最初の方こそ上機嫌に食べて飲み、黒川の話に大笑いをしていたタカコだったが、焼酎を五杯程飲んでからは段々と動きが鈍くなり、先程十杯目を目前にして遂に机に突っ伏して轟沈した。
「おーい、タカコちゃん、もう轟沈かい?」
「酒はそんなに強くねぇんだなぁ」
「何だよ、知らなかったのかよ」
「一緒に飲んだのこれが初めてだし。酒保で酒扱っても中洲近いから皆こっちに来ちまって売り上げになんねぇからよ、置いてねぇんだよ。こいつは中洲出たの今日が初めてだし、大和に来てからは酒飲んだ事無ぇんじゃねぇか?」
「あー、元々弱いとしたらそこに一年近い断酒期間が有ればそりゃ潰れるわな……おーい、タカコちゃーん、起きろ、起きないとおじさんが食っちまうぞー?」
 高根と話しながらタカコの寝顔を覗き込んでいた黒川、その彼が机に突っ伏したタカコを抱き起こし自分の腕の中に収めようとするのを見て、それ迄何とか堪えつつ静かに飲んでいた敦賀の怒りは臨界点を突破した。机を蹴飛ばす勢いで立ち上がり三人の背後に回り込み、突然の事に何なんだと敦賀を見上げる男二人の脳天に拳を落とし、タカコの襟首を掴んで無言のまま部屋を出て店を出る。
「……この馬鹿女が……!」
 店の玄関に転がして靴を履かせ、外を引き摺るのは流石に躊躇したのか夜の中洲をタカコを背負い歩く敦賀、左肩の辺りがぼんやりと暖かくなり、彼女の寝息がそこに掛かっている事を知る。あの二人なりの考えが有っての酒席だったのだという事は理解しているが、それにしても悪ふざけが過ぎる、黒川に至ってはあのまま放っておいたら本当にタカコをどうにかしていたかも知れない。ただでさえ扱いの厄介な捕虜のタカコをどうするつもりなのか高根も黒川には何も言わず、堪りかねて席を蹴飛ばし出て来たものの腹の虫は未だに収まらなかった。
 黒川にしろ高根にしろタカコにしろ、状況を少しでもすっきりとさせようという意識は全く無いらしく、寧ろ好き好んでややこしくしているとしか思えない。その皺寄せが自分に来るのは納得がいかないが、それを放置するのもまた敦賀を苛立たせ、彼女が現れてからこちら何とも気持ちの落ち着かない状況が続いていると言って良かった。
「……なー、つるがぁ……」
「……何だ酔っ払い、もう営舎に戻るから寝ておけ」
「やだ……とんこつ麺食う」
「……あぁ?あれだけ食ってただろうが」
「……中洲の締めはとんこつ麺だってタツさんが言ってた……食う」
 苛立ちつつ歩いていれば背後のタカコが起きたのか話し掛けて来て、とんこつ麺が食べたい、その主張に敦賀は思わず歩みを止めた。確かにこの中洲で飲んだ後の締めの定番には違い無いが、酔い潰れて背負われている状況でそれを言うかと無視して営舎への歩みを再開すれば、それを察知したのかタカコが身体を敦賀の背中から離し彼の両肩を掴みがくがくと揺さぶり始める。
「……分かった、分かったから揺らすな、俺の行きつけに連れて行ってやるから」
 酔っ払いに理屈は通用しないと諦めて行きつけの屋台に連れて行き、長椅子に下ろしてやりその横に自分も腰掛ける。やがて出されたものは普段と変わらない味で、それを無言で啜りつつ隣のタカコを見ればうつらうつらと船を漕ぎつつもしっかり食べていて、どれだけ食い意地が張っているのかと若干の呆れを感じた。
「親父、美味かった。おい、帰るぞ、帰るぞ馬鹿女、起きろ」
 食べ終えて勘定を済ませて立ち上がれば隣では空になった丼に顔を突っ込んで再度轟沈しているタカコの姿、今後こいつに酒を与えるのは止めておこう、そう考え溜息を吐きつつまた小さな身体を背負い、今度こそ営舎へと向けて歩き出した。
 二十分程の道程を歩き辿り着いた営舎、その一角に有るタカコの部屋へと入り寝台の上に彼女の身体をそっと下ろし、毛布を掛けてやりながら窓から入る月明かりに照らされる寝顔をじっと見る。
 こうして見ると力も立場もお互いの関係も、そんなものは何も無い様な錯覚すら覚える様な安らかな寝顔、それを見詰めつつ酒席での不快感が漸くと消えて来た敦賀の目に映ったのは、タカコの頬に張り付いた一本の紅生姜。丼に顔を突っ込んで寝ていた時に付いたのか、こんなところも馬鹿なのか、そう考えつつ取ってやろうと頬に指先を触れさせれば、その感触で意識を浮上させたのかタカコが薄らと目を開いた。
「……タカ、ユキ」
 自分の名を初めて紡いだ唇、少し掠れた声、そして、穏やかな笑み。直ぐにまた瞼を閉じて眠りへと落ちて行く彼女を前に、敦賀は暫く微動だに出来ずにいた。
 自らの鼓動だけが煩い程に頭に響き、やがて触れさせていた指先を滑らせ掌で頬を覆いながら、敦賀はゆっくりとタカコの唇へと自らのそれを近づけて行く。
「……っ!」
 触れる寸前で顔に掛かった彼女の息、それに弾かれる様に身体を起こし立ち上がった。
 今自分は何をしようとしていたのか、何を考えているのか、相手は捕虜でしかも下品な馬鹿女、気の迷いに違い無いと歯を軋らせ髪を乱暴に掻き部屋を出ようと歩き出した。
「……てめぇ等……ここで何してやがる……!」
 扉を開けたとろでこちらに耳を向けているのは高根と黒川の二人、焦った面持ちで逃げ出そうとする二人の腹へ、躊躇無く拳を叩き込む。
「盗み聞きとは良い趣味してんなぁ……?」
 壁に手を突き痛みを堪える高根と黒川、鈍い殴打の音とくぐもった呻きが二つ、再度廊下に響いたのは言う迄も無い。
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