犬と子猫

良治堂 馬琴

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第75章『お披露目』

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第75章『お披露目』

 天気は快晴、雲一つ無い空の下、博多の一角の料亭の中庭に、海兵隊、陸軍、沿岸警備隊の制服を纏った人間が集結し思い思いに歓談している。その中にはタカコや敦賀や黒川、小此木や横山、そして沿岸警備隊の浅田の姿も在った。
「いやぁ……あの屑が遂に結婚か……感慨深いねぇ……小此木さんもこれで少しは楽になるなぁ?」
「だと良いんですけどねぇ……」
「しかし、外にはなかなか言える事じゃないですけど、色々有ってどこもかしこも重苦しい空気だからこそこういうのは嬉しいねぇ、本当にめでたい」
「沿警隊の方もやっぱり色々有りますか」
「そりゃ、地上の皆さんに比べたら外部から言われる事は少ないけど、身内を亡くしてる人間もいるしね」
「しかし……あの高根さんが結婚する上に奥さんは妊娠中とか……順序は激しく間違ってますけど、まぁ、この際どうでも良いですよねそこは」
「おめでたが二倍って事で良いんじゃないですか」
 今日は高根の入籍とその後の披露宴、朝から役所へと赴き入籍の手続きを終えた『高根夫妻』は現在お披露目衣装へと着替え中。招待客達はその間中庭へと出て、用意された茶菓子を摘まみつつ桜湯を飲み、座敷へと呼ばれるのを待っている。高官達が集まって笑いながら話す横で、タカコは敦賀にくっついて
「で?こういう時はどうすれば良いの?」
「それは――」
 と、初めて出席する大和の結婚披露宴の作法の勉強中、誰に恥を掻かせる様な事も無い様にと熱心だ。そうかと思えば少し離れた場所では島津と妻の敦子が高根の両親と兄と兄嫁と向き合い、米搗きバッタの様に互いに頭を下げ合っており、ここ最近の世相の重苦しさとは無縁の、少々騒がしくも暖かで明るい空気に満ち溢れていた。
「それでは、招待客の皆様もそろそろ中へどうぞ」
 女将から声が掛かりぞろぞろと中へと入り、掘り炬燵の様に正座せずに座れる形の席へと席次表の通りに着席すれば、それから少し経ってから座敷の襖が音も無く引かれ、海兵隊の礼服姿の高根と、白無垢にその身を包んだ凛が静かに入って来た。
 葬儀の時の礼服とは違い、右肩から胸にかけて流れる金の飾り緒、小脇に抱えた制帽の鍔の錦糸の刺繍も華やかだ。左胸には任官から現在迄に授与された勲章が並び、持ち主は素晴らしい軍人なのだと、無言の主張をしている。
 そしてそれに並ぶ凛の姿、その楚々とした、そして可憐な佇まいには招待客の中から感嘆の溜息が漏れ、特に彼女を初めて目にする者達はざわめき立つ。
「何だあれ……黒川さん、知ってました?」
「ああ、俺はあいつの家で見た事有ったから……小此木さんは初めて?」
「はい、見せろって言ったんですけど、今日迄待てって……うっわ、人形みてぇ……」
 俯き加減の上に綿帽子を被っている所為で半分程顔は隠れてしまっているが、顔立ち以上に全体的な佇まいが既に或る種の理想形。高根が如何に結婚に興味が無かったとしても、これは結婚を決意するに決まっている、と、そんな妙な納得を見る者へと与えていた。
「今日は皆様御多忙の中お集り頂き――」
 そんなざわめきが収まった後に始まった高根の挨拶、普段から大和軍の要職に在る者として大勢を前にしての挨拶や訓辞には慣れている事も有り卒無く淀みも無いが、それでもやはり状況が状況、言葉の端々には緊張が感じられ、それを察した者が小さく笑う中、披露宴が始まった。
 場の空気は時間の経過と共に砕けたものになり、最初は型通りの挨拶と
「おめでとう御座います、さ、一献」
 と、高根の手にした猪口へと少量の酒を注ぐ程度だったものも、更に時間が進めば
「まぁ呑めさぁ呑め、俺の酌を断る様な事はしねぇよな?」
 となり、猪口はコップへ、酒は度数も癖も強い焼酎へと変わっていく。高根の方はと言えば祝いの席での酌を断る事も出来ず、脇に置いてあったバケツはいつの間にか何処かへと消え去った中、貸衣装である礼服を汚せないとばかりに脱ぎ去る。そして、嫉妬と怨嗟の顕現であろうコップの中身を飲み干し続ける羽目になった。

「……気持ち悪ぃ……吐く……」
「あ、真吾さん、起きました?」
「……凛……?あれ?披露宴は……」
「もう終わりましたよ、今は家ですよ。披露宴終わると同時に真吾さん潰れちゃったから、車で帰って来ました」
 浮上する意識と共に込み上げる吐き気、流石に飲み過ぎたと思いつつ重い体を起こせば、自宅の客間の布団へと寝かされている事に気が付いた。起き出した気配に気付いたのか凛が居間からやって来て、一度姿を消したかと思えば、少しして水の入ったコップを持って来て高根へと手渡し脇へと腰を下ろす。
「今日はお疲れ様でした」
「節目の日に酔い潰れるとか……申し訳無い」
「しょうがないですよ、皆さんお祝いして下さって、真吾さんは断れなかったでしょうし」
 注がれた酒を捨てるバケツが有ればこうはならなかっただろうが、あれを何処かへ隠すとは、きっと黒川かタカコのどちらかだろう。下手をすれば命と沽券のどちらかか両方に関わると内心毒吐き、凛から手渡されたコップへと口を付ける。
「……親父達、何か言ってたか?」
「お義父さんとお義兄さんとお義姉さんと兄は呆れてました」
「……お袋と敦子ちゃんは?」
「……怒ってました、『みっともない!!』って」
「……明日にでも電話して言い訳するわ」
 口喧しい母、自分には手厳しい敦子、あの二人が醜態を目にすればそうなるのは当然の事で、電話ででも言い訳と謝罪をしておかなければ今後何を言われるか分からない。特に母の方は凛を実家へと顔見せに連れて行った時から『いい加減で情の無い次男坊』が奇跡的に若い嫁を連れて来た上に近い内に孫も増えると狂喜乱舞しており、この嫁を逃してなるものかと気合が入りまくっている。電話をすれば長々と説教される事は必至だが、それを先延ばしにすれば向こうから押しかけて来るだろう、高根はそんな事を考えつつ、がっくりと肩を落とし盛大に溜息を吐いた。
「ま……明日も何とか休みとれたし、明日位は二人きりでゆっくりしようや……な?」
「忙しいのに……ごめんなさい」
「何言ってんだ、お前の為に休むんじゃなくて、俺がお前といたいから休みとったんだよ」
 そう言いながら凛の膝へと頭を乗せれば、ぽこり、と、胎が内側から蹴り上げられ、
「お、動いた。そうだな、お前も、ちび助も一緒だな」
 と、そう言いながら微笑み、手を伸ばして凛の下腹部を優しく撫で摩る。
「……なぁ、凛?」
「……はい」
「俺さ……今、凄く幸せだよ」
「はい、私もです」
「……これからもっと幸せになろうな」
「……はい」
「今日から……よろしく、奥さん」
「……はい、こちらこそ、よろしくお願いします」
 何故か滲んだ涙を誤魔化す様にして凛の腹へと顔を埋めてそう言えば、優しい声音と共に頭を撫でられ、ぎゅ、と、高根は柔らかな凛の身体へと回した腕に、そっと力を込めた。

 翌日の高根不在の大和海兵隊博多基地では、広報担当へと持ち込まれた披露宴の写真が『号外』として刷られ基地内のあちこちへとばら撒かれ、
『羨ましい』
『許せない』
『禿げ散らかせば良いのに』
『あの司令がこんな嫁さん貰えるなら俺だって』
 と、嫉妬や怨嗟や希望、そんなあれこれが基地内を駆け巡る事となった。
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