犬と子猫

良治堂 馬琴

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第71章『溺愛』

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第71章『溺愛』

 七歳年下の妹、両親は最初は男が欲しかったらしいが生まれたら生まれたで
「取引先に嫁に出せば良い様に使えるだろう」
 とそんな事を言い出し、それを聞いた祖父が怒鳴り付け、騒ぎを聞いた近所の人間が警察を呼ぶ程の修羅場が展開された事を今でも覚えている。
 妹が生まれる半年前に亡くなった父方祖母に似たのか穏やかで大人しい性格の妹、両親の横暴には逆らえず、幼い頃から、妹を守るのは自分の役目なのだと、誰に言われるでもなくそう思う様になっていた。そして現在の妻敦子が高校の同級生として恋人として家に出入りする様になってからは敦子もその盾へと加わり、いつか本当にの意味で妹を大切にしてくれる男が現れる迄は自分達が、呼吸よりも自然にそんな事を考えていた。
 それでも守り切れずに嫁がせてしまい生家を出たが、その後それっきり行方知れずになってしまったのだと知った時の公開は、今思い出しても内臓が捩じ切れそうな程の後悔を自分へと齎す。

「自慢の妹だったんだぞ!可愛くて気立てが良くて家事全般完璧で頭も良くて!俺は大学に行かせて社会に出すべきだって言ったのに、馬鹿親父が許婚だとか言う馬鹿そうな男に嫁がせやがって!しかもあの糞男と糞親、三年子無きは去れとか時代錯誤にも程が有るわ!聞いてるのかタカコ!先任!てめぇもだ!」

「あー……はいはい、聞いてるから、うん、聞いてるぞぉ」
「なら良いけどよ……それで向こうから離縁してくれたと思ったらよ……今度は司令だよ……あの屑中年に拾われてしかも孕まされてるとか……妹の唯一にして最大の欠点は男運が無いところだ!」
「真吾が屑だってぇのに異論は無ぇが、清々しい位に言い切ってるな、普通もう少し自重するだろ。まぁ本人いねぇから好きに言やぁ良いがよ」
 夜の中洲、その一角の屋台で三人並ぶのはタカコと敦賀、そして島津。島津を真ん中にして三人で長椅子に並んで腰掛け、島津は只管焼酎や酒を煽り、両脇の二人はやれやれといった面持ちでその様子を眺めつつ思い思いの物を食べている。
 日中の再会劇の際、興奮した所為か凛が腹が張ると言い出し、真っ青になった島津が彼女を陸軍病院へと連れて行った。幸い大事は無いという事で入院はせずに済んだものの日中はそのまま寝台を借りて安静にし、夕方になってから仕事を片付けた高根がやって来て自宅へと連れ帰り、付き添いの御役御免となった島津は基地へと戻った。丁度そこで鍛錬を終えて道場から戻って来たタカコと敦賀と出くわし、二人を捕まえて半ば無理矢理にこうして中洲へと出て来たのだが、可愛がっていた歳の離れた妹が屑の悪名も高い高根のものになったのが余程衝撃だったのか、酒が進めば進む程にじっとりと湿った空気になり、付き合わされている二人としては堪ったものではない。
「お前等妹が司令のところにいるって知ってたのか!知ってて黙ってたのか!」
「知らねぇよそんなの、私だって聞いたの今朝だぞ、凛ちゃん迎えに行って連れて来てくれって言われて、その時に初めてお前との関係聞いたんだよ」
「司令と凛が同棲してるのは知ってたんだろうが!名前も!」
「いや、そら知ってたけど」
「ほら見ろ!知ってて俺に隠してたんだな!」
「前後関係がおかしいだろうが阿呆!」
 完全に絡み酒が入っている、その内にめそめそと泣き出したのを見て泣き上戸もかと更にうんざりした面持ちになるタカコと敦賀。島津はそんな両側の様子等気付く事も無く、それから二時間程延々と、二人へと絡みまくりつつ高根への恨み言と妹が如何に素晴らしいかという事を繰り返し続けた。
「しかしさぁ、凛ちゃんが可愛いのはもうよーく分かったけど、そんなに溺愛してたら嫁さん良い気はしないんじゃねぇの?大丈夫なのかそこ等辺りは」
「嫁か?敦子ちゃんはなぁ、俺よりも凛を可愛がってるぞ!兄貴ばっかりの末っ子長女だから、妹が欲しかったんだと。子供もまだ小さいから一人で外には出られないけど、凛を探すのも俺以上に熱心だったんだ。帰ったら教えてあげるんだ、喜ぶだろうなぁ……でもなぁ、あの司令と同棲しててしかも妊娠……怒るだろうなぁ……敦子ちゃん」
 タカコの問い掛けに焼酎を呷りながらそう答えれば、自分の言葉で現実を思い知り、島津の気分は更に落ち込む。そして『何がどうしてこうなった』と泣き出せば、両脇のタカコと敦賀は
「……うぜぇ……」
「……勘弁してくれや……」
 と、げんなりとした面持ちで溜息を吐き、タカコは茶の、敦賀は酒の入ったコップへと口を付けた。
 タカコは血縁の人間はおらず、敦賀の方は妹が四人いるし肉親としての愛情は有るには有るが、流石に島津程の溺愛はしていないし理解も出来ない。あの凛相手なのだから島津の可愛がり方は分からないではないが、それならそれで周囲に垂れ流さずに一人で勝手にやっていて欲しいというのが正直なところ。
「しっかし……お前の親父さんとお袋さん、本当にお前等の生産者なのかよ……話聞けば聞く程ゲスクズだな……あ、いや、親をこんな風に言って悪いけどさ」
「いーよそんなのは……俺が一番そう思ってるわ。まあどうせもう墓参りに行く事も無いしな、葬式出してやって永代供養の手続きも支払いもしてやったんだ、それで義理は果たしただろ。俺と敦子は海兵隊墓地への埋葬の予約はもうとってるし、子供達は子供達で自分でどうにかするだろ」
「出来の良い父親に劣等感抱いてたら息子は自分に似ないで祖父に似て、それで余計に鬱屈しちゃったのかねぇ……嫁も同程度の出来だったのが不幸だったんだろうなぁ、夫婦して軌道修正出来なかったと」
「知らねぇよそんなの……そりゃ親父とお袋の問題であって、家族を物みたいに扱って良い理由にはなんねぇだろうが」
「ま、確かにそうだな」
 自らの恥部と言い切っても差し支えの無い程の両親と家庭環境、今迄他人に話す事は殆ど無かったが、酔いがそうさせるのか水を向けて来るのがタカコだからなのか、今日の島津の口は妙に滑らかだ。振られる話題に答えながら愚痴を零し続ければ、タカコはそれに苦笑しつつ相槌を打ち、
「ま、そんな環境だったなら、自分が妹を守るナイトなんだって思うのも当然だな。凛ちゃんは幸せだな、お前みたいな頼もしい兄ちゃんと兄嫁さんがいてさ」
 と、そんな事を言いながら、宥める様に慰める様に、島津の肩をぽんぽん、と叩く。
「なぁ……タカコ」
「何だ?」
「ないとって……何だよ」
「あー……騎士、侍……うん、凛ちゃん専属の海兵、かな」
「……意味……分からん」
 段々とぼやけ始める島津の意識、言葉を吐き出す速度もタカコへの反応も緩慢になり、やがて完全に眠りへと落ちて行く。タカコと敦賀の二人は彼のそんな様子を見てから顔を見合わせて溜息を吐き、そして、そろそろ帰るかと判断したらしい敦賀が立ち上がり、
「親爺、勘定」
 店主へとそう告げ、島津の懐から財布を取り出した。
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