犬と子猫

良治堂 馬琴

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第42章『逸り』

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第42章『逸り』

 曝露に見舞われた鳥栖市街地、それを見渡せる小山の斜面に設営された前線指揮所。一度は某劇に見舞われたものの、一度展開させたものを別の場所に移設するには時間も手間も掛かり過ぎる、そう判断が下された。それを受け、タカコは
「狙われるであろう場所が固定されているのなら狙う場所も絞り込み易い、それで見当を付けて私達が排除に回った方が良いだろう」
 そう言って自分の部下と敦賀を含む少数の海兵を引き連れて市街地と指揮所の背後へと別れて展開し、今現在は彼女達は活骸の掃討という任務から離れて襲撃の警戒に当たっている。
 火災を避けながらの掃討戦に加え取り残された生き残りの救助も並行して行い、全体の動きは鈍い状態で、時間が長引くにつれ無線機の電池切れや負傷者の運び込みといった理由で市街地から指揮所へと戻って来る人間が段々と増え始めていた。
 現場から上がって来る情報を下に黒川と協議し判断し命令を下す――、その繰り返しに忙殺されていた高根は運び込まれて来た負傷者も見舞い気遣い励まし、座る暇も無い。夜間に砲撃を受けた時に負った頭部の傷は消毒され包帯が巻かれているが、最初は真っ白だったそれも土埃に汚れ、所々微かではあるが血が滲んでいる。
 夜が明け黒川と交代で仮眠を摂る様にしようと話し合い、今は黒川が司令官の仮眠用にと設営された天幕へ入っている、もう少しで起き出して来る筈だが、その前に自分も少し休憩しようと適当な天幕へと入り中に有った椅子へと腰掛けて煙草に火を点ければ、暫くして出入口の幕が引かれ、中にタカコが入って来た。
「おう、お疲れ。どうだ、様子は」
「思ってた以上に長丁場になってるからな、無線機が電池切れだ。その交換にな。状況はの方は、今のところはこれ以上の攻撃の気配は無さそうだ。何せお前等が的になってくれてるから、攻撃地点の見当も付け易い」
 笑ってそう言うタカコの方も夜通し動き続けて疲労困憊なのだろう、微かにではあるものの顔には疲れが浮かび、
「私も少し休憩だ」
 と、そう言って高根の横へと椅子を引き寄せ、そこに腰を下ろす。
「つーかさ、お前、嫁さんにしたい相手が出来たってのに、総大将自ら単騎で打って出るってどうなのそれ。いや、私が言えた事じゃないのは重々承知なんだけどさ」
 外の音や声を聞きながらの沈黙の中、口を開いたのはタカコ。何を、そう思った高根が彼女の方を向けば、何とも呆れた様な批判がましい様な、そんな眼差しを向けられる。
「いきなり何なんだよ」
「いきなりもクソも有るか馬鹿、お前さ、昨日の朝に私にはっきり言ったんだぞ、惚れた相手が出来て、結婚するつもりなんだって。その舌の根も乾かない内に自制心フッ飛ばして突撃カマすのはどうかと思うのよ、私は」
「それは――」
「何だよ?総大将が単騎で一番乗りとか突撃とか、それだって一般的には大問題なのに、いや、私は良いんだよ?で、私の事は棚の上にでも金庫の中にでも置いといてさ、惚れた、添い遂げたいと思う相手が出来たなら、その相手の事も考えてやれよって話。私はこの先誰か相手が出来たとしても、こういう自分を認めてくれるだけじゃなく、一緒に現場に出て行ける相手を選ぶと思う。でも、お前はそうじゃないだろ?共に前に出て行くんじゃなく、銃後を守ってもらって、そこに帰って行きたいんじゃないのか、お前は。それなら、帰る場所、相手の事も考えてやらにゃならんだろうよ、自分が確実にそこに帰る、その事を考えないと駄目だろ。尤も、それだけを考えてしなきゃいけない事をしないのは問題だが、昨日のお前は公人としても私人としても、自分のやりたいと思った極個人的な事を優先させただけだと思うぜ?」
 淡々とした、それでいて穏やかな言葉。しかし内容は実に手厳しく、高根はそれを聞きながら、昨日の自分の行動を思い出していた。
 腹心であり親友でもある小此木、彼なら多少の間どころか掃討戦の全ての指揮を任せても問題は無い。それは事実なのだが、その事しか考えていなかった、だから、自分が少し位の間現場へと出て太刀を振るっても問題は無いと。
 今迄ならそれでもまだ問題は小さかったのかも知れない、司令官が現場へと単身で出る等褒められた話ではないのは当然だが、それでも、海兵隊という組織は組織としてきちんと機能するという事は確かなのだから。しかし、個人としての自分は今迄とは違うのだ、生涯を共にしたいという相手を見つけたのであれば、仕事は別としても個人としての欲求は抑えるべきだった。有ったとは思わないがあの身勝手な戦闘で自分に万が一の事が有れば、凛はこの先どうすれば良いのか、そんな事も考えつかなかった。
 生涯を共にしたいという相手を見つけたのであれば、相手の事だけではなく、相手の事を考えればこそ自分の事も考えなければならないのだと、高根は今更ながらそんな単純な事に思い至り、何ともばつの悪い思いをしつつ地面へと煙草を放り足で踏み躙る。
「ま……今迄の生き方がクソのゲスクズ過ぎたんだ、考えつかなくてもしょうがないんじゃね?幸い生きてるんだ、これから先間違えなきゃ良いさ」
「……よりによってお前にそんな説教されるとはなぁ……つーかさ、クソのゲスクズとかひどくね?」
「事実だろうがクズ」
「ひどいねぇ……ま、違ぇ無ぇやな」
 手厳しい言葉の数々、それに言い返す事も出来ずに力無く笑えば、その様子を見てタカコも立ち上がり、天幕を出ようと歩き出す。
「お前は別にどうでも良いんだが、あんな可愛い子が泣くとか絶対に駄目だからな。あの子の為だ」
 何を、とは言わずとも何が『あの子の為』なのかは高根にもよく分かっている、小さな背中に
「ああ……有り難うな」
 そう言えば、タカコはそれ以上は何も言わずに天幕を出て行った。
 逸り先走った結果、命を落とす者を少なからず見て来た筈なのに、それをまさか自分がする事になろうとは、と高根は頭を掻く。きっとタカコもそんな者は数多く見て来た筈で、その中には結婚を控えている、もう直ぐ我が子が生まれる、そんな者もいたのだろう。それに万が一にでも自分が加わる事の無い様に、そんな友人の忠告を、暫しの休息の中噛み締めていた。
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