犬と子猫

良治堂 馬琴

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第37章『切り捨てる』

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第37章『切り捨てる』

「基本的な扱い方は教えたが、ここから先は戦術戦略を扱う人間に判断してもらわんと私にはどうにも出来ん」
「どういう事だ?」
 兵員を交代させつつの実射訓練が開始されてから一週間程経った或る日、対馬区から戻り書類を片付けていた高根の執務室をタカコが訪れた。緊張感が湛えられているわけではないが若干の重苦しさを感じさせる彼女の表情に、どうやら良い話ではないらしい、そう思いつつ高根は立ち上がり、ソファへの着席を促しながら自らもその向かいへと腰を下ろす。
「んで?俺に判断しろってのは?」
「……大切な部下を、護るべき非戦闘員を、どれだけ見殺しにするつもりが有るのかって事だ」
「……乱戦状態になった時に同士討ちを前提として散弾銃を使用するのか、総崩れの危険性が有っても太刀の使用に切り替えるのか、そういう事か」
「……そうだ、こればかりは部外者の私が判断出来る事じゃない。どちらを大和が選択したとしても私は教える事は出来るが、決めるのは外国人の私じゃない、大和人であるお前達だ」
 遂に来たか、そう思った。
 一週間の猶予が有ったのは、恐らくはそれが彼女にとっての最大限の尊重。見捨てる事を選択肢に入れるのか入れないのかで兵員の展開は全く変わって来るのだから、戦術立案の立場としてはこれ以上はもう待てないのだろう。
 淡々と紡がれるタカコの言葉、まだ残っていたらしい黒川も何かを察知したのか途中で入って来て高根の隣へと腰を下ろし、更にそこに横山が続き、最後に敦賀と小此木が入って来てこちらはタカコの両隣へと腰を下ろした。
「参考迄に聞かせてくれ、ワシントンはどういう考え方をしてるんだ?」
「……銃器を使用し常に一定の距離を保つ戦略と戦術を基本とする我々は、活骸との混戦はそもそも想定していない。活骸の向こう側に友軍がいるというのは、つまり、何等かの結果取り残されたという事だ。活骸との接触を徹底的に忌避して来た我々にとってそれは……その時点で既に戦死したものと考えられている」
「……本隊を生かす為に、そこからはぐれた部隊も人間も切り捨てる……そういう事だな?」
 静かな高根の言葉、タカコはそれに直ぐには答えず、四人の鋭く真っ直ぐな視線を暫く黙したまま受け止めた後、ゆっくりと、しかしはっきりと答えを口にした。
「そうだ、我が軍は活骸との接触戦闘という概念も技術も持っていなかった、はぐれた人間を助けに向かえば部隊と部隊の間にまた活骸を挟む事になり、それを繰り返せば銃器は使用不能になる……そうなれば遠からず総崩れだ。それを避ける為にそもそもの戦線の維持は徹底していたし、そこからはぐれた者は見捨てて来た」
 やはり、と、高根は大きく息を吐きながら頭を掻く。ワシントンがこの事についての見解を持っていない筈が無い、タカコは答えを出している、その予想は正鵠を射ていたと言って良いだろう。そして、これから先は自分達も選ばなければならないのだと、既に決まった答えを胸に刻みつつ、それでも何か他の方策は無いのか、そんな事を考えつつタカコの様子を見ていた。
 そんな中、黒川がタカコに対し、博多曝露の時にタカコがやって見せた様に、徒手格闘での活骸との戦闘を兵員に教え込む事は出来ないのかと問い掛けてみたものの、それは彼女自身に
「私はワシントン軍の平均じゃない、私の技量を体得出来る人間はそう多くはないよ」
 あっさりとそう否定され、大和軍の高官二人は、他に道が無い事を思い知る。
 護る為に任官した筈なのに、何故今自分達はその対象を見捨てる事を話しているのか。そんな想いを打ち消す事は出来ず、それでも未来に希望を繋ぐ為には、そしてその業を負うべきは、そう思い至り、顔を見合わせてしっかりと頷き合い、ゆっくりと、しかしはっきりと自らの決断を口にした。
「……太刀での戦闘を捨てる事は無い、それでも散弾銃の使用が主体となる戦略戦術へと大和全体が舵を切るだろう。活骸と人間が入り混じっている状態ならその人間はどっちにしろ直ぐに食い殺される、それなら……可哀相だが、活骸諸共撃ち殺して楽にしてやった方が良い」
 自らの言葉に突然吐き気が込み上げる。しかしそれはおくびにも出さずに取り繕えば、黒川も高根るの言葉に続いた。
「……俺も真吾と同意見だ……たった一人でも見捨てる事はしたくないが、それで全体を死なせるわけにはいかん。それを防ぐ為なら、殺せという命令は出すし、その責任も重さも、発令した俺達が受け止める」
 静かな、同時に強い意志を感じさせる確かな言葉。高根と黒川の二人から出たその言葉を受け止め、タカコは一つ、しっかりと頷いて見せる。
「分かった、その方向で組み立てよう。素案が出来たら持って来るから確認してくれ」
 そう言って立ち上がり、軽く挙手敬礼をして執務室を出て行くタカコ、敦賀が静かにその後を追って出て行き、室内には高根達四人が残された。
 小さな、小さな背中、ほんの時折ではあるが護ってやりたいとすら思わせるその背中と双肩には、想像もつかない程の大勢の命と重い責任が今も乗っているのだろう。そして、小さな手の細い指、そこを擦り抜けて逝った命もその手が終わらせた命も、自分達が考えるよりもずっと多いのだろう。
「……あいつからあんな話して来るなんてなぁ……俺等よりもずっとしんどい戦いと決断の連続だったんだろうなぁ……」
 そう、彼女は元より背負うものも抱えるものも多く、しかしそれに潰される事無く凛と毅然と立ち、真っ直ぐに前を見詰めている。そんな人間が本来であれば無用の負担を引き受けてくれているのだ、自分達はその貢献に何としてでも応えなければならない、些末な事に拘泥していられる状況ではないのだ。
 それでも、そう思いながら時計を見れば時刻は既に二十時、今頃凛は夕食を作り終え、自分が帰宅するのを待ってくれているのだろう。ここ数日泊まり込みが続いているから、今日はもう帰ろうか、否、無性に家に、凛のいる場所に帰りたい、ぼんやりとそんな事を考えた。
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