犬と子猫

良治堂 馬琴

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第35章『漏洩』

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第35章『漏洩』

「はい、黒川です……って、タカコか?珍しいな、どうしたんだ」
 九州は太宰府、大和陸軍太宰部駐屯地所在、陸軍西部方面旅団総監部本部棟――、その一角に在る総監執務室で、部屋の主である黒川は突如として鳴り始めた机上の電話を手に取った。電話の相手は想い人であり身体の関係でもあるタカコ、こんな朝早くからどうしたのかと問い掛ければ、返って来たのは全く意味不明の内容だった。
『だからね!昨日さ、真吾がね、中洲を歩いてたのよ!』
「……あのさ、博多住まいの奴が中洲歩いてて何がそんなに凄いんだよ、石投げりゃ十中八九軍人に当たるだろあそこなら」
『そうじゃなくて!あーもー馬鹿!!』
「……俺、お前に馬鹿って言われるとは思わなかったわ……」
『だからね!真吾が女の子と中洲を歩いてたのよ!』
「はい?そりゃまた珍しいな、あいつが商売女と出歩くなんて。いや、珍しいどころか初めてだぞそれ」
『違う違う!あれは商売女なんかじゃないって!だってさぁ、小さくて若くて可愛くておっぱい大きくて、ほわほわちんまりしててもう何か子猫みたいなすっごい可愛らしい感じなの!笑った顔も超可愛くて、真吾もそれ見てデレデレしちゃっててさ!それでね、手を繋いでたっていうのだけでもアレなのに、指絡めて握ってたんだよ!!何なのアレ!!』
「……タカコちゃん、それ、おじさんに詳しく話してごらん?」
 高根が生まれて四日後、自分が四歳の洟垂れ坊主だった時に親に引き合わされ、彼との付き合いはもう四十一年になる。人生の殆どの時間を何かしらの関わりを持って過ごし、今はタカコを鎹として一蓮托生になっている親友であり腐れ縁であり盟友でもある高根、その彼が商売女ではなさそうな女と手を繋いで歩いていたともなれば、やはり俄然興味が湧いて来る。
 情の厚い男ではあるが、何故か女に関してそれが発揮される事は無く、彼の女に対しての扱いの軽さと情の無さには付き合いの長い自分ですら呆れ果てていた。彼の思うところは理解するもののそれは両立出来ない事ではないという事は黒川自身が理解していたから、何度か諫めてみた事も有る。それでも高根がそれを受け入れる事は無く、頑固な事だと溜息を吐き見守る事二十年以上、法的によろしくなかったり暴力を振るったりするわけでもなかったからそのままにしていたが、どうやら事情が変わって来たらしい。
 タカコの話すところによれば、昨夜中洲に敦賀と飲みに出て、その時に女と連れ立って歩く高根を見掛けたらしい。直接声を掛ける事は無く覗いていただけだから女の素性は分からないが、歳の頃は恐らく二十代前半、女の自分ですら守ってやりたくなる様なあの佇まいは絶対に商売女なんかではない、鼻息も荒くそう熱弁された。彼女が敦賀から聞いた話を合わせると、どうやら高根は女を自分の家に引っ張り込んでいる様子で、最近は彼女の手製であろう弁当を持って来ているらしい。基地に泊まり込む頻度も激減し足取りも軽く帰宅する様になっているらしく、タカコ曰く『クソ羨ましい』生活を今の高根は送っているようだ。
 女が抱く感想ではないのではないかと思いはするものの、決して短くも浅くもない関わりの中で、彼女の人間性はもう分かっている。そこはそれ、と置いておき、鼻息も荒く高根を罵るタカコを宥めつつ出来る限り話を引き出し、部屋付きが
「総監、そろそろ博多へ出発しないと時間が……」
 と様子を窺いに来たのを合図に、タカコへ礼を告げて電話を切った。
「んふふ……面白ぇ話聞いちまったなぁ……さて、どう料理するかね、この情報」
 悪戯っぽい、且つ嫌な笑みを浮かべて身支度を整えながら、二時間後には顔を合わせるであろう高根を思い浮かべる。女に対してとことん情の無かった高根、そんな人間が娘程の歳の女を自宅に住まわせ、それなりに良い思いをしているらしいともなれば、やはり祝いの言葉を装った揶揄いの十や二十位は言いたいところ。気軽に女と付き合い楽しんで来た自分とは違い、高根はそもそも恋愛関係としての付き合いは徹底して拒んでいた。その彼がどんな言い訳をするのかと肩を揺らせて笑いながら駐車場へと出て自らの車に乗り込み、博多の海兵隊基地を目指して走り出す。
 やがて到着した海兵隊基地、正門の警衛所で入構証を見せて中へと入り駐車場に車を止めれば、警衛所からの連絡を受けたのか本部棟から出て来た海兵隊士官が駆け寄って来る。
「黒川総監、お早う御座います!本部棟前に付けて下されば、我々の方でお車は移動させて頂きますので――」
「ああ、有り難う。ただ、これは私の自家用車だ、心遣いは嬉しいが、あまり人には触られたくないんでな」
「そうですか、大変失礼しました。あ、高根は執務室におりますので、御案内致します」
「いや、それも構わない。中もよく見知っているし、君は仕事に戻ってくれ、有り難う」
「は……、それでは、失礼致します」
 陸軍と海兵隊という組織の違いは有れど、互いの階級には無縁無関心ではいられない。海兵隊士官の挙手敬礼に黒川は軽く返し、本部棟へと戻って行く背中をちらりと見遣り、助手席側に回り扉を開けて書類鞄を取り出し車を施錠し、本部棟へと向かってゆっくりと歩き出す。中へと入れば向かう先は中央階段、ここの昇降機は油圧式で速度が遅い為、訪れた時に使うのは専ら階段と自分の脚。途中で一休みしつつ最上階迄登り切り、高根の執務室の扉を軽く叩き返事も待たずに中へと入った。
「おう、おはようさん。今日は頼むぜ……って、どうした」
 執務机で何やら書類を片付けていた高根、入って来た相手を認識すればその手を止めて立ち上がり、黒川へと向かって歩み寄る。親友の顔に湛えられた意味有り気な笑みには直ぐに気付いたのか眉根を寄せて訝しむ様子を見ながら黒川は笑みを深め、高根の肩をぽん、と叩いた。
「タカコに聞いたぜ?お前、すっげぇ可愛い女の子を家に囲ってるらしいな?」
 ぴしり、と、見事に高根の動きが固まったのを見て黒川は大袈裟ににやりと笑って見せ、肩へと置いていた手でバンバンと何度も叩きながら次々に言葉をぶつけ始める。
「いやぁ、お前の生後四日目から知ってる俺としては嬉しいぜ?『女なんて要らねぇんだよ……フッ』とか言って強がってたお前がだよ、漸く人並みの感情を持てたとか涙が出て来そうな位に嬉しいぜ!昨日中洲で手ぇ繋いで二人で歩いてたそうじゃねぇか、しかも単に繋いでただけじゃなくて、こう、こう指絡めて繋いでたんだろ?おーおー、年甲斐も無く熱いねぇ、聞いたところによると若くて可愛くて小さくてでも胸は大きいんだって?そんな希少種何処で拾ったのよ、お兄さんに教えてみな?ん?」
 肩を連打するだけでは飽き足らずに肩に腕を回しもう片方の拳で脇をぐりぐりとやれば、その辺りで我に返ったのか切れたのか、高根は黒川の身体を振り解き執務机に向かって走り出す。手にしたのは代々の総司令に貸与される太刀『大和』、国号をその刀身に刻む唯一無二の護りの証を引っ掴んだ高根は鬼神の如き面持ちで踵を返し走り出し、目の前の黒川には見向きもせずに執務室を出て行った。行き先は恐らくはタカコのところ、この後はちょっとした修羅場になるなと思いつつ、笑いを堪え切れなくなった黒川はソファへと身体を投げ出し、暫くの間涙が滲む程の勢いで腹を抱えて笑い続けていた。
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