犬と子猫

良治堂 馬琴

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第31章『言祝ぎ』

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第31章『言祝ぎ』

「おはようさん。お、似合うじゃねぇの、准将様。小さい桜に二本線は卒業、今日からお前も大桜の仲間入りだな」
「海兵隊総司令の立場さえ確保出来てりゃ、俺は別に今迄のままで良かったんだけどなぁ」
「まあまあ、そこはそれ、勤め人の宿命ってやつだ、諦めな」
「まあ昇進だけで良かったよ、中央に異動なんて話になってたら色々とアレだったわ」
 朝の総司令執務室、着替えを終えた高根が付けたばかりの肩章の桜の花を何とも言えない面持ちで姿見で見ているのを、ソファに踏ん反り返った敦賀が無言のまま見詰めつつ茶を飲んでいる。そんな中、半開きになっていた扉を軽く叩き、盟友でもある古馴染の黒川が入って来た。彼の肩で控えめな輝きを放つのは大きな桜の花二つ、准将と少将という新しい階級、今日はその初日だ。
 本来であれば喜び祝うものなのだろうが、生憎と桜の数にも大きさにも興味は無い。話を聞きつけた人間から祝いの言葉を向けられた事は何度も有るが、高根本人としては何の感慨も無いといったところだった。大きな組織改編や異動を伴ったものではなかった事から、そもそも中央や上の動きに興味が有る者の目にしか触れなかった所為か、話が変に大きくなっていない事だけが救いだった。
「それより俺はこっちの方が大変だったね」
「まぁ、いきなり上等兵から曹長に特進じゃあな」
 ポケットから取り出した二枚の階級章、曹長のそれを掌に乗せて黒川へと見せてみれば、彼も事を運ぶ為に似た様な苦労をしたのか苦笑いを浮かべて見せる。
 清水多佳子上等兵――、高根と黒川の二人が作り出したその存在を今迄以上に事態への対処へと深く密接に関わらせる為に、最低でも曹長への特進は不可欠ですらあった。今迄の上等兵という階級では、如何に特異な才能を盾にしたとしてもいつか齟齬を来す様になる。それを避ける為に今迄にタカコが関わって来た事件や任務、そして研究の成果を掻き集め、必要とあらば多少の誇張も織り交ぜて獲得したのが、今回の一連の異動や昇進に伴う、清水多佳子という存在の特進だった。
 実際のところ、高根としては敦賀の気持ちを考えれば、タカコの昇進に関しては余り積極的だったとは言えない。最先任上級曹長と曹長、そんな立場の者が特に理由も無く常に行動を共にしているのは自然ではないし、タカコに曹長という階級を与えれば、今迄以上に自由に動かす事が出来る様になる。そうなれば敦賀と一組にしておく理由は何処にも無いし、そんな余裕も無い。その結果二人が時間を共にする事は極端に減るであろうという事は一目瞭然であり、敦賀のタカコに対する愛情と終着を知っている高根としては、総司令という立場はともかくとして、敦賀の親友という立場としては若干の躊躇いを感じていた。
 しかし、そんな高根へとタカコの特進を進言して来たのは当の敦賀、本当に良いのかと確認はしたものの彼の意見が変わる事は無く、それならばと黒川と共に動き出し、今日という日を迎えた。もう引き返せない段階に来ているとは言えど、本当に良いかと敦賀の方を見れば、こちらは知ってか知らずか眉間に皺を寄せて黒川と何やら話していて、ああ、恐らくは理解していないに違い無い、やはりこいつは馬鹿ではないが頭は弱いなと人知れず溜息を吐く。
 本来であれば本人に対しても内示をすべきところではあったが、驚かせてやろうという多少の悪戯心が高根と黒川の間に働き、本人は未だ何も知らない。さて、もう当日を迎えたのだしそろそろほんにんにきっちり話をするかと思いつつ窓の外へと視線を落とせば、そこにはてくてくと歩くタカコの姿。
「おい、いたぞ」
 とソファに腰を下ろしていた黒川を手招きしつつ窓を開け、タカコへと向かって声を放った。

「おーい、清水、ちょっと来い」

「……曹長の階級章じゃないか、これ」
「おお、これから銃の扱い方に関しておめぇは人に教える立場になる、そんな人間が上等兵じゃ色々と不都合も多いんでな、特例中の特例の特進だが何とか統幕に認めさせたよ。今日からおめぇは曹長だ。しっかりな、清水曹長」
「お前の実際の階級には遠く及ばないがよ、お前がどれだけ貢献してくれてるかは俺達がよく分かってる。そのせめてもの礼だ、受け取ってくれ」
 大佐官である彼女に対して与えるものが曹長の階級とは、もしかしたらひどい侮辱なのかも知れない。それでも今の状況ではこれが精一杯で、彼女の今迄の献身的な協力と多大な貢献に多少なりとも報いる事が出来れば良いのだが、そう思う。
 そんな気持ちはタカコにも伝わっているのだろう、
「……有り難う、感謝する……曹長の拝命、謹んでお受けします」
 と、そう言って力強い笑みを浮かべるその様子に、安堵の息を吐いた。
「よし、じゃう今日は俺等三人の昇進祝いで呑みに行くか、敦賀の奢りで」
「おい龍興、ふざけんなよてめぇ。何で俺の奢りなんだよ寝惚けた事言ってんじゃねぇ」
「おお、そりゃ良いな。真吾とタツさんと私は祝われる側だし、この中で昇進してないのお前だけだし」
「うるせぇ、てめぇも黙ってろ」
 話が済んだ後に始まったのは三人のいつものじゃれ合い、高根はその様子を見て笑いながら、
「祝い……ねぇ」
 と小さく呟いた。
 内示が出た時点で家族持ちであれば家族にその旨を告げ、実際の辞令発令日に合わせて夕食が祝い仕様になったりするのだろう。家族でなくとも恋人がいれば、いつもより少し良い店に外食にでも行って祝杯を交わすのかも知れない。しかし今の高根にとって、二十年以上も前に士官学校の入学時に実家を出て以来帰る事は一年の内ほんの数日で、任官してからはそれが数年に一回になり、連絡を取る事も殆ど無い。今は父に代わり兄が道場を継ぎ代替わりしている事も有り、昇進した事を報告し祝ってもらう為に帰郷する様な関係性は既に無くなっている。報告をするとすれば凛なのだろうが、恋人でもない相手に告げて祝ってもらうというのは相手に悪い気もするし、そもそも、自分の立場を彼女には告げていない。海兵隊総司令という立場どころか軍人であるという事すら告げていない状況で
『准将に昇進しました』
 とは言える筈も無く、
「……つまんねぇなぁ」
 とまた小さく呟いた。
 彼女が自分の立場を知っていたのなら、海兵隊の力が及ばずに彼女が家族を失うという事態になっていなかったのなら――、そんな状態で出会っていれば、心からの祝いと労いの言葉を掛けてくれたに違い無い。そしてそれはきっと自分にとっては何よりの励みとなった筈で、今迄以上に責務に向き合う事の活力源となっただろうに、自分達海兵隊の未熟と自身の保身の為の嘘の所為でそれもままならない。何とも滑稽な事だ、そんな事を思いつつ、
「真吾、お前も行くだろ?」
 という、タカコの言葉にいつもの笑みを顔に張り付けながら
「おう、久し振りに飲みに出るか」
 と、そう言葉を返した。
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