犬と子猫

良治堂 馬琴

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第70章『義兄と義弟』

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第70章『義兄と義弟』

「おい、島津をちょっと呼び出してくれるか」
「島津少佐ですか、はい、分かりました」
「奴が来たら人払いを。お前も俺が声を掛ける迄離れててくれ」
「了解です、失礼します」
「ああ、後で清水が女性を一人連れて来るが、それだけ人払いの対象外だ。来たら通してくれ」
「?はい、了解です、失礼します」
 総司令執務室、タカコが出て行った後高根は執務机へと着席し、そこへ茶を持って来た部屋付きへと命令する。妙にそわそわとした高根の様子を若干妙に思いつつも素直に従い、島津を呼び出す為に退室して行ったその背中を見送りつつ、高根は椅子の背凭れへと上半身を預けて天井を仰いだ。
 凛が実家へと戻った時、近所の人間は兄も含めて彼女の家族全員が活骸に殺されたと言っていたそうだが、どんな行き違いや勘違いが有ったのかは分からないが、ともかくそれが勘違いであったのは喜ぶべき事だろう。それでもそれさえ無ければ彼女はもっと早くに肉親と再会出来ていたに違い無い、婚家から叩き出されてからの今迄、自分の庇護が有ったとは言えどどれだけ心細く辛い想いをしていたかを考えると胸が痛くなる。
 と、そこで思い至るのは、先程タカコにも言った様に島津に何と言うべきかという事。
 活骸の市街地侵攻以降から妹が行方不明という事は以前聞いた事が有ったし、簡潔にその妹が見つかったとだけ言って引き合わせれば良いだけの事なのだが、大切な妹を紆余曲折が有りつつも自宅に住まわせて最初は家政婦扱い、その後は恋人として好き放題に抱いて現在妊娠迄させてしまっている事も言わないわけにはいかないだろう。
 責任を取らないというつもりは毛頭無い、そんな事が無くとも彼女と所帯を持ちたいという気持ちは確かなものだ。しかし、物事には順番というものが有る、事情が有ったとは言え色々とすっ飛ばして最初から同棲し挙句には籍を入れる前に孕ませてしまうとは、島津が外部の人間であったとしても色々と気まずいというのに、相手は自分の忠実な部下、何と言えば良いのか、それ以前にどんなツラを下げて彼の顔を見れば良いのか、考えれば考える程に深みに嵌まって行く。
「司令、失礼します。島津、参りました」
 と、答えが出る前に扉が向こう側から叩かれ島津の声がする、反射的に入室の許可を告げれば、いつもの穏やかさに若干の緊張を滲ませた彼が室内へと入って来て、高根の机の前で立ち止まり敬礼をする。
「御用という事ですが、何でしょうか?」
「……ああ、ちょっとな……」
 来てしまった、もう言うしか無いだろう。しかし何と言えば良いのか、未だ出ない答えを求めて内心で逡巡しつつ、高根は両手を組んで肘を立てそこに口元を押し当てる。島津の方は突然に呼び出された理由等見当も付かないのか、混乱と緊張をその眼差しに浮かべつつ高根の言葉を待っている。
 どれだけの重い沈黙の時間が流れたのか、動いたのは高根の方。意を決して勢い良く立ち上がり、机上に両の掌を叩き付け額を机に打ち付ける程の勢いで頭を下げた。
「頼む!お前の妹さん、俺にくれ!!」
 高根のその突然の行動と言葉を島津は予想もしていなかったのかものの見事に固まり、言葉の意味を必死で脳内で反芻して理解しようとし、やがて彼の口から出た言葉は事情を知らない身からすれば至極尤もな事。
「あの……司令、以前もお話したと思いますが、妹は昨年の市街地侵攻の際に行方不明になっています。それ以前に妹はもう他家に嫁いでるんですが」
「少し前に離縁されて叩き出されてる!それを俺が拾って今は俺の家にいて一緒に暮らしてる!ついでに言うともう直ぐ妊娠五ヶ月だ、俺の子だ!頼む!生涯大切にするから、お前の妹さん、俺にくれ!」
 許容量を超えたのか呆然とする島津、口を半開きにしたまま微動だにせず、高根が恐る恐る頭を上げた後に漸く言葉が出たかと思えば、それは混乱に塗れていた。
「え、妹が無事で、生きてて、いや、それは凄く嬉しいんですが、え、司令と?一緒に住んでて……え!ちょっと待って下さい!妊娠って!妊娠って妹に何したんですか!いや、ナニしたんだっていうのはそうなんですけど!」
「……俺が言って良いのかどうかは分からんが落ち着け、言ってる事が無茶苦茶だ」
「これが落ち着けますか!妹はまだ二十三ですよ!?司令、御自分の歳分かってらっしゃいますか!?」
「……四十……一歳です……」
「十八歳ですよ十八歳!結婚が早ければ親子でもおかしくない様な年齢差ですよ!」
 突然突きつけられた事実に平素の態度や上下関係は島津の頭からは消え去ったらしく、高根に詰め寄り机上に両の掌を叩き付けて声を張り上げる。
「まぁ離縁されたのはしょうがないと言うか寧ろ歓迎です、俺はあの男もその親も気に入りませんでした!それで、妊娠も結婚も良いとしましょう、凛も、妹ももう大人です!でもその相手が司令ってどういう事ですか!だって考えてみて下さいよ、『あの』高根海兵隊総司令ですよ!?女性関係に関しては屑の極みと言われてる男が妹を手篭めにして妊娠迄させてるって!は?十一歳年上の、しかも自分の所属の最高司令官が義理の弟になるんですか俺は!!」
 我を忘れるとはこの事か、本人を目の前にして最高司令官を屑呼ばわりする島津、高根は高根でそれに若干ムッとしたものの言われている事は全て事実、自分が過去に仕出かして来た事であり、表立って反論する事も出来ずに黙り込んだ。
 島津の方はと言えば今言った通りに凛の結婚相手もその親族も気に入らなかった、両親にはそれとなく反対だと言ったものの取り合ってもらえず嫁がせてしまったが、それを向こうから反故にして来たのなら大歓迎と言うべきだろう。それは良い、それは良いのだが、次の相手がよりによって高根とは、しかも妊娠迄しているとはと眩暈すら感じるのが正直なところ。
 彼が頼れる、尊敬出来る上官である事に異論は無い、公人として軍人としては素晴らしいの一語に尽きる男だ、彼の指揮でなら地獄迄付き合っても良いと島津自身思っている。しかし私人としてと言うか男としては話が別だ、任官してから八年、その間だけでも高根のそういった話は聞いて来たし時には自分で目にする事も有った。話の方は脚色や尾鰭を差し引くにしても、それでも大切な妹を嫁がせる相手としては躊躇して余り有るというべきだろう。しかも年齢は十八歳差、何処をどう見ても何の引っ掛かりも無く『妹を宜しくお願いします』と言える相手ではない。
 と、そこで不意に扉が叩かれ、向こう側から
「真吾、連れて来たよ」
 というタカコの声が聞こえて来る、何をだ、と島津がそちらを見れば、高根が心底ほっとした様な面持ちと声音で
「入ってくれ、もう来てる」
 と彼女へと向けて入室の許可を口にした。
「……凛……!」
「……おに、ちゃ……ん……?」
 最初に入って来たのはタカコ、その彼女が、す、と脇にずれればその向こうに現れたのは島津が捜し求めていた大切な妹の姿。肩で綺麗に切り揃えられた髪、清潔な身形、最後に会った時よりも全体的にふっくらとして、何よりも身に纏う柔らかで穏やかな空気に、現在は本当に大切にされているのだという事が嫌と言う程に伝わって来る。
 死んだと思っていた兄が生きていた、その事実を目の当たりにして双眸から涙を溢れさせる凛、良かった、良かった、と繰り返し顔を覆って声を上げて泣き出してしまった妹に島津は歩み寄り、
「……無事で、良かった」
 と、一言だけそう言って頭を撫で、高根へと向き直り深々と頭を下げた。
「……妹を……宜しく、お願いします」
「……有り難う、生涯を懸けて、大切にする」
 反対だと、そう言おうと思っていた。けれど目の前に現れた妹はこの男に本当に大切にされているのだと理解してしまえばそんな考えは霧散して行き、気が付けば、頭を下げ、託していた。
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