犬と子猫

良治堂 馬琴

文字の大きさ
上 下
18 / 86

第18章『項』

しおりを挟む
第18章『項』

「お帰りなさい、高根さん。お仕事お疲れ様でした」
「うん、ただいま。腹減ったよ、飯出来てる?」
「はい、直ぐに温め直しますね」
「ありがとな」
 列車は翌日の夜に博多駅へと入り、高根は駅前で黒川とは別々に迎えの公用車へと乗り込み、高根は海兵隊基地へ、黒川は博多駐屯地へと向かう。そう遅い時間でもないが既にとうの昔に課業明けの時間帯、京都から持ち帰った仕事の割り振りや成果の報告等をする気も起きず、執務室に入って直ぐに私服に着替えて帰宅の途に就いた。
 やがて帰り着いた自宅、ポケットから出した鍵で扉を開けて中へと入れば、凛がいつもの様に台所から顔を出し、とてとてと高根の方へとやって来る。普段と違うのは弁当の包みが無い事程度で、そのいつもの様子に何とも言えない穏やかな心持ちになりながら靴を脱いで上がり、彼女の後をついて廊下を歩く。ふと彼女の背中へと視線を落としてみれば、髪はやはり輪ゴムで括られていて、それを見た高根は立ち止まり、手にしていた鞄から包みを取り出し立ち止まった。
「高根さん?どうかしましたか?」
 不意に立ち止まった高根の気配に凛も立ち止まり、高根へと向き直る。小首を僅かに傾げて見上げて来る所作に頬を緩ませながら、高根は手にしていた包みを彼女へと差し出した。
「お土産。髪、いつもそんなんだからさ、ちゃんとした方が良いと思って」
「……え、お土産って、そんな」
「いいからいいから、開けてみな、ほら」
 凛の性格であれば遠慮する事は分かっていた、予想通りの彼女の言葉を無視し更に彼女へと向けて包みを差し出せば、無碍にするのも悪いと思ったのか、彼女は恐る恐るといった風情で包みを受け取り、その後はどうしたものかと固まってしまう。
「開けてみろよ、凛が気に入ってくれると良いんだけど」
 事を思った通りに運ぶ為の駆け引きなら慣れたもの、何か言いた気にこちらを見上げる凛へと向かい笑みを深くし、わざと呼び捨てにして一歩前へ出れば、高根のその様子に根負けしたのか、凛は包みの封へと手を掛け、そっと中身を取り出した。
「どうだい?」
「あの……これ」
「うん、さっきも言ったけど、髪、輪ゴムなんかじゃなくてちゃんとしたやつ使いな。そんなに綺麗な髪なのに、輪ゴムなんかで傷めちゃ勿体無ぇよ。ほら、付けてみな」
「えっと……あの」
「ほら、折角買って来たんだから、早く付けてみなって」
 反論の機会は与えない、凛が自分からは動けない性格なのであれば、こちらが引っ張るなり押すなりして動かしてやるしか無い。言葉を遮る様に高根が畳み掛ければ、勢いに押された凛は包み紙を脇に挟み、自らの髪を纏めている輪ゴムへと手を掛ける。しかし、剥き出しのゴムはやはり人間の髪に馴染むものではなく、解こうとしてもするりと外れる筈も無く、凛の髪が根元から抜けているのかそれとも途中で切れているのか、何とも嫌な音が高根の鼓膜を小さく叩く。
「ほら、じっとして、俺がやってやるから。そんなに綺麗な髪なのに、ぞんざいに扱っちゃ駄目だぜ?」
 見かねた高根が凛を制止し彼女の髪へと手を伸ばせば、指先が彼女の手に触れ、そして、それが退いていった後に露わになった項へと触れた。
 びくりと小さく震える身体、その様子に一瞬手を引っ込めるが、それきりじっと動かなくなったのを見て再び手を伸ばし、輪ゴムへと手を掛けそれを丁寧に丁寧に解いていく。
「ほら、出来たよ。付けてみな」
 三分程掛けて綺麗に解いてやり促せば、真っ赤な顔をした凛は
「……はい」
 と小さく答え、左手で髪を一つに纏め、右手に持った髪留めをそこへと近付けていく。しかし、こういった類の物は使った事が無いのかそれとも手にしたのが暫く振りだったからなのか随分と手間取っている様子で、遂にはその場でくるくると回り出してしまったのを見て高根は声を出して笑い出した。
「ほらほら……じっとして、付けるのも俺がやってやるから」
「す、すみません……」
「いやいや、良いよ、可愛いもん見られたしな……はい、出来たぜ?」
 きっと留め方結い方は色々と有るのだろうが、生憎とそんな事には興味が無かったし知る必要も無かったから、何も知らない。そんな自分が出来る事と言えばただ単に髪を纏めて髪留めで挟むだけ、それでも今迄の輪ゴムよりは余程良いだろうと留めてやれば、凛は俯いたままで高根へと向き直り、そして、機嫌を窺うかの様に恐る恐る
「あの……有り難う、御座います……ど、どうでしょうか……変じゃ……ないですか?」
 と、真っ赤な顔をして上目遣いで高根を見上げて来る。
 小さな身体、僅かに潤んだ眼差し、上気した顔――、その一つ一つに、自分の中で何かが弾けた気がした。
「……高根さん?あの……変、ですか?」
「……ああ、いや、似合うよ、凄く似合う」
「本当ですか?」
「うん、やっぱりちゃんとしてた方がずっと良い、可愛いよ」
「有り難う……御座います……大切にしますね」
「うん、こっちこそ有り難う。さ、飯にしようか」
「……はいっ……!」
 自分の中で起きた小さな、しかし確実な変化。その意味は分からないまま、気付かなかった事にして高根はそれを流し、凛へと笑顔を向ける。高根の様子に漸く安心したのか小さく笑顔を向ける凛、その彼女の頭をそっと撫でながら、高根は居間へと向かってゆっくりと歩き出した。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語

六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

奇妙な日常

廣瀬純一
大衆娯楽
新婚夫婦の体が入れ替わる話

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

処理中です...