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第18章『項』
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第18章『項』
「お帰りなさい、高根さん。お仕事お疲れ様でした」
「うん、ただいま。腹減ったよ、飯出来てる?」
「はい、直ぐに温め直しますね」
「ありがとな」
列車は翌日の夜に博多駅へと入り、高根は駅前で黒川とは別々に迎えの公用車へと乗り込み、高根は海兵隊基地へ、黒川は博多駐屯地へと向かう。そう遅い時間でもないが既にとうの昔に課業明けの時間帯、京都から持ち帰った仕事の割り振りや成果の報告等をする気も起きず、執務室に入って直ぐに私服に着替えて帰宅の途に就いた。
やがて帰り着いた自宅、ポケットから出した鍵で扉を開けて中へと入れば、凛がいつもの様に台所から顔を出し、とてとてと高根の方へとやって来る。普段と違うのは弁当の包みが無い事程度で、そのいつもの様子に何とも言えない穏やかな心持ちになりながら靴を脱いで上がり、彼女の後をついて廊下を歩く。ふと彼女の背中へと視線を落としてみれば、髪はやはり輪ゴムで括られていて、それを見た高根は立ち止まり、手にしていた鞄から包みを取り出し立ち止まった。
「高根さん?どうかしましたか?」
不意に立ち止まった高根の気配に凛も立ち止まり、高根へと向き直る。小首を僅かに傾げて見上げて来る所作に頬を緩ませながら、高根は手にしていた包みを彼女へと差し出した。
「お土産。髪、いつもそんなんだからさ、ちゃんとした方が良いと思って」
「……え、お土産って、そんな」
「いいからいいから、開けてみな、ほら」
凛の性格であれば遠慮する事は分かっていた、予想通りの彼女の言葉を無視し更に彼女へと向けて包みを差し出せば、無碍にするのも悪いと思ったのか、彼女は恐る恐るといった風情で包みを受け取り、その後はどうしたものかと固まってしまう。
「開けてみろよ、凛が気に入ってくれると良いんだけど」
事を思った通りに運ぶ為の駆け引きなら慣れたもの、何か言いた気にこちらを見上げる凛へと向かい笑みを深くし、わざと呼び捨てにして一歩前へ出れば、高根のその様子に根負けしたのか、凛は包みの封へと手を掛け、そっと中身を取り出した。
「どうだい?」
「あの……これ」
「うん、さっきも言ったけど、髪、輪ゴムなんかじゃなくてちゃんとしたやつ使いな。そんなに綺麗な髪なのに、輪ゴムなんかで傷めちゃ勿体無ぇよ。ほら、付けてみな」
「えっと……あの」
「ほら、折角買って来たんだから、早く付けてみなって」
反論の機会は与えない、凛が自分からは動けない性格なのであれば、こちらが引っ張るなり押すなりして動かしてやるしか無い。言葉を遮る様に高根が畳み掛ければ、勢いに押された凛は包み紙を脇に挟み、自らの髪を纏めている輪ゴムへと手を掛ける。しかし、剥き出しのゴムはやはり人間の髪に馴染むものではなく、解こうとしてもするりと外れる筈も無く、凛の髪が根元から抜けているのかそれとも途中で切れているのか、何とも嫌な音が高根の鼓膜を小さく叩く。
「ほら、じっとして、俺がやってやるから。そんなに綺麗な髪なのに、ぞんざいに扱っちゃ駄目だぜ?」
見かねた高根が凛を制止し彼女の髪へと手を伸ばせば、指先が彼女の手に触れ、そして、それが退いていった後に露わになった項へと触れた。
びくりと小さく震える身体、その様子に一瞬手を引っ込めるが、それきりじっと動かなくなったのを見て再び手を伸ばし、輪ゴムへと手を掛けそれを丁寧に丁寧に解いていく。
「ほら、出来たよ。付けてみな」
三分程掛けて綺麗に解いてやり促せば、真っ赤な顔をした凛は
「……はい」
と小さく答え、左手で髪を一つに纏め、右手に持った髪留めをそこへと近付けていく。しかし、こういった類の物は使った事が無いのかそれとも手にしたのが暫く振りだったからなのか随分と手間取っている様子で、遂にはその場でくるくると回り出してしまったのを見て高根は声を出して笑い出した。
「ほらほら……じっとして、付けるのも俺がやってやるから」
「す、すみません……」
「いやいや、良いよ、可愛いもん見られたしな……はい、出来たぜ?」
きっと留め方結い方は色々と有るのだろうが、生憎とそんな事には興味が無かったし知る必要も無かったから、何も知らない。そんな自分が出来る事と言えばただ単に髪を纏めて髪留めで挟むだけ、それでも今迄の輪ゴムよりは余程良いだろうと留めてやれば、凛は俯いたままで高根へと向き直り、そして、機嫌を窺うかの様に恐る恐る
「あの……有り難う、御座います……ど、どうでしょうか……変じゃ……ないですか?」
と、真っ赤な顔をして上目遣いで高根を見上げて来る。
小さな身体、僅かに潤んだ眼差し、上気した顔――、その一つ一つに、自分の中で何かが弾けた気がした。
「……高根さん?あの……変、ですか?」
「……ああ、いや、似合うよ、凄く似合う」
「本当ですか?」
「うん、やっぱりちゃんとしてた方がずっと良い、可愛いよ」
「有り難う……御座います……大切にしますね」
「うん、こっちこそ有り難う。さ、飯にしようか」
「……はいっ……!」
自分の中で起きた小さな、しかし確実な変化。その意味は分からないまま、気付かなかった事にして高根はそれを流し、凛へと笑顔を向ける。高根の様子に漸く安心したのか小さく笑顔を向ける凛、その彼女の頭をそっと撫でながら、高根は居間へと向かってゆっくりと歩き出した。
「お帰りなさい、高根さん。お仕事お疲れ様でした」
「うん、ただいま。腹減ったよ、飯出来てる?」
「はい、直ぐに温め直しますね」
「ありがとな」
列車は翌日の夜に博多駅へと入り、高根は駅前で黒川とは別々に迎えの公用車へと乗り込み、高根は海兵隊基地へ、黒川は博多駐屯地へと向かう。そう遅い時間でもないが既にとうの昔に課業明けの時間帯、京都から持ち帰った仕事の割り振りや成果の報告等をする気も起きず、執務室に入って直ぐに私服に着替えて帰宅の途に就いた。
やがて帰り着いた自宅、ポケットから出した鍵で扉を開けて中へと入れば、凛がいつもの様に台所から顔を出し、とてとてと高根の方へとやって来る。普段と違うのは弁当の包みが無い事程度で、そのいつもの様子に何とも言えない穏やかな心持ちになりながら靴を脱いで上がり、彼女の後をついて廊下を歩く。ふと彼女の背中へと視線を落としてみれば、髪はやはり輪ゴムで括られていて、それを見た高根は立ち止まり、手にしていた鞄から包みを取り出し立ち止まった。
「高根さん?どうかしましたか?」
不意に立ち止まった高根の気配に凛も立ち止まり、高根へと向き直る。小首を僅かに傾げて見上げて来る所作に頬を緩ませながら、高根は手にしていた包みを彼女へと差し出した。
「お土産。髪、いつもそんなんだからさ、ちゃんとした方が良いと思って」
「……え、お土産って、そんな」
「いいからいいから、開けてみな、ほら」
凛の性格であれば遠慮する事は分かっていた、予想通りの彼女の言葉を無視し更に彼女へと向けて包みを差し出せば、無碍にするのも悪いと思ったのか、彼女は恐る恐るといった風情で包みを受け取り、その後はどうしたものかと固まってしまう。
「開けてみろよ、凛が気に入ってくれると良いんだけど」
事を思った通りに運ぶ為の駆け引きなら慣れたもの、何か言いた気にこちらを見上げる凛へと向かい笑みを深くし、わざと呼び捨てにして一歩前へ出れば、高根のその様子に根負けしたのか、凛は包みの封へと手を掛け、そっと中身を取り出した。
「どうだい?」
「あの……これ」
「うん、さっきも言ったけど、髪、輪ゴムなんかじゃなくてちゃんとしたやつ使いな。そんなに綺麗な髪なのに、輪ゴムなんかで傷めちゃ勿体無ぇよ。ほら、付けてみな」
「えっと……あの」
「ほら、折角買って来たんだから、早く付けてみなって」
反論の機会は与えない、凛が自分からは動けない性格なのであれば、こちらが引っ張るなり押すなりして動かしてやるしか無い。言葉を遮る様に高根が畳み掛ければ、勢いに押された凛は包み紙を脇に挟み、自らの髪を纏めている輪ゴムへと手を掛ける。しかし、剥き出しのゴムはやはり人間の髪に馴染むものではなく、解こうとしてもするりと外れる筈も無く、凛の髪が根元から抜けているのかそれとも途中で切れているのか、何とも嫌な音が高根の鼓膜を小さく叩く。
「ほら、じっとして、俺がやってやるから。そんなに綺麗な髪なのに、ぞんざいに扱っちゃ駄目だぜ?」
見かねた高根が凛を制止し彼女の髪へと手を伸ばせば、指先が彼女の手に触れ、そして、それが退いていった後に露わになった項へと触れた。
びくりと小さく震える身体、その様子に一瞬手を引っ込めるが、それきりじっと動かなくなったのを見て再び手を伸ばし、輪ゴムへと手を掛けそれを丁寧に丁寧に解いていく。
「ほら、出来たよ。付けてみな」
三分程掛けて綺麗に解いてやり促せば、真っ赤な顔をした凛は
「……はい」
と小さく答え、左手で髪を一つに纏め、右手に持った髪留めをそこへと近付けていく。しかし、こういった類の物は使った事が無いのかそれとも手にしたのが暫く振りだったからなのか随分と手間取っている様子で、遂にはその場でくるくると回り出してしまったのを見て高根は声を出して笑い出した。
「ほらほら……じっとして、付けるのも俺がやってやるから」
「す、すみません……」
「いやいや、良いよ、可愛いもん見られたしな……はい、出来たぜ?」
きっと留め方結い方は色々と有るのだろうが、生憎とそんな事には興味が無かったし知る必要も無かったから、何も知らない。そんな自分が出来る事と言えばただ単に髪を纏めて髪留めで挟むだけ、それでも今迄の輪ゴムよりは余程良いだろうと留めてやれば、凛は俯いたままで高根へと向き直り、そして、機嫌を窺うかの様に恐る恐る
「あの……有り難う、御座います……ど、どうでしょうか……変じゃ……ないですか?」
と、真っ赤な顔をして上目遣いで高根を見上げて来る。
小さな身体、僅かに潤んだ眼差し、上気した顔――、その一つ一つに、自分の中で何かが弾けた気がした。
「……高根さん?あの……変、ですか?」
「……ああ、いや、似合うよ、凄く似合う」
「本当ですか?」
「うん、やっぱりちゃんとしてた方がずっと良い、可愛いよ」
「有り難う……御座います……大切にしますね」
「うん、こっちこそ有り難う。さ、飯にしようか」
「……はいっ……!」
自分の中で起きた小さな、しかし確実な変化。その意味は分からないまま、気付かなかった事にして高根はそれを流し、凛へと笑顔を向ける。高根の様子に漸く安心したのか小さく笑顔を向ける凛、その彼女の頭をそっと撫でながら、高根は居間へと向かってゆっくりと歩き出した。
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