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第3章『契約』
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第3章『契約』
家に来い、そう言った高根に対して凛は随分長い事考え込んでいて、高根は決定を急かす事もせず、
「ゆっくり考えろ、料理ももう来るしよ、食いながら考えな」
そう言って優しく笑いかけ、やがて運ばれて来た料理に箸を伸ばし敢えて凛の方は見ないようにした。
男一人の家に来いと言っているのだ、如何に切羽詰っていたとしても普通の神経を持っている女なら即断出来るものではないだろう。高根自身には凛に対して何かをする気は全く無い、金さえ出せば後腐れの無い相手を買えるというのに、凛の様な女に手を出す理由が無い。しかしそれは高根の都合と考えで、真っ当な女なら警戒をして当然だ。
そんな重大な決断を丸投げされても当然直ぐに答えは出せず、凛の食事の進みはひどく遅く、二十分程経っても厚焼き玉子の一切れを半分程食べただけ。これは流石に手を引くか背中を押すかしないといつ迄経っても終わりそうにないな、そんな事を考えた高根はコップに残った焼酎の残りを呷った後、ゆっくりと、務めて優しい口調で凛へと一つの提案を口にした。
「まぁ男一人の家に来いって言ってるんだから警戒して当然だけどよ、そういう事は絶対にしねぇよ、約束する。俺にだって社会的立場ってもんも有るしな、何より嫌がってる女を無理矢理とか趣味じゃねぇし。まぁ、そういう『ごっこ遊び』とかは経験無いわけじゃねぇよ?正直。でも、そういうんじゃなきゃそんな趣味は無ぇから安心しな」
若干おどけてそう言って見せればずっと頑なだった凛の表情がほんの少しだけ和らいで口角が微かに上がる、満面の笑顔はきっとさぞかし綺麗で可愛らしいだろう、そう思いながら高根も笑みを深くして言葉を続ける。
「契約だよ、契約。住み込みの家政婦ってやつだ。凛ちゃんは労働力を俺に提供して家の中の事をやって、俺はそれを得る代わりに衣食住を提供する。それ以外の事は無し。な?」
「……家政婦、ですか」
「そう、家政婦」
「私、そういうお仕事やった事無いんですけど、あ、結婚前もしてた時も家の事はやってましたけど、お金を頂くお仕事としてはやった事無くて。それでも良いですか?大丈夫でしょうか」
「そんなに肩肘張らなくて良いさ、人間が住める程度に家の中保ってくれて、人間が食べられる程度の物を作って食わせてくれればよ。どうだい?」
穏やかな口調と眼差し、それが言葉の内容と相俟って安心感を与えたのか、凛は暫く考え込んだ後、意を決した様に顔を上げて
「お、お願いします……!」
と、真っ直ぐに高根の目を見てそう言って頭を下げる。漸く決めてくれたか、高根はそう思いつつ笑みを深くし、
「よし、決まりだな。ほら、さっさと食っちまえよ、追い出されてふらふらしてたってんなら碌に食ってねぇだろ、家に帰っても碌な物無ぇからよ、ここでしっかり食っておけよ」
そう言って凛に食事を勧めろと促した。
多少なりとも先の見通しが立てば人間やはり安心するものなのか、食べる速度が格段に速くなる。やはり碌に食べていなかったのだろう、時折喉を詰まらせそうになりながら食べるその様を見て、以前飼っていた猫を思い出すなとまた考えた。
子供だった頃の自分の掌に少し余る位の痩せこけた小さな小さな白猫、親が飼う事を許してくれて直ぐに餌を与えたが、やはり今の彼女の様に一心不乱に餌をがっついていて、うにゃうにゃうにゃとよく分からない鳴き声を上げながらも食べる事だけは決して止めなかったのが何ともおかしかった。
そんなに焦らなくて良い、誰も取ったりしないから、これが最後の食事でもないから、あの時猫の背を撫でながら言った言葉を胸中で繰り返し目を細める。
暫くすると飢えも満たされたのか落ち着いて箸を置き
「御馳走様でした」
と手を合わせる凛、その所作にそれなりに良い育ちをしたのだなと感じ取りつつ、もう帰ろうかと立ち上がった。
「あ、私、お金全然持ってなくて……」
「は?奢るって言ったろ、気にすんな。美味しそうに食べてるところ見せてもらったしな。金出すならやっぱり美味しい美味しいって言って食べて欲しいだろ?」
「……御馳走様でした」
「良いよ良いよ、さ、帰ろうぜ」
勘定を済ませて店を出れば冷気を多分に含み始めた夜風が肌を撫で、着の身着のままで放浪していたのであろう凛は薄手のシャツ一枚しか身につけておらず、それではもう寒かろうと高根は自らの上着を脱いで彼女の肩に掛けてやる。
「……すみません」
「風邪ひかれても困るしな、暖かくしとけ」
「……ですよね、すみません」
口を開けば謝罪の言葉を口にする凛、どうも気になった高根は立ち止まり、何事かと見上げて来る凛を見下ろし、その頭を数度優しく撫でながら、諭す様に話し始めた。
「契約条件追加。『すみません』とか『ごめんなさい』とか言うな。いや、そう言うべき時も有るけどよ、何かしてもらったとかそういう時は『有り難う』って言うもんだぜ?」
「あ……すみま」
「ほら、また。別に謝る事じゃねぇだろ?会ったばっかりでお互いの事何も知らねぇけどよ、あんまり卑屈になるなよ?おどおどしないで、しゃんと背筋伸ばして前向いて、笑ってれば大抵の事はうまくいくから、な?」
そう言いながら肩に掛けた上着の釦を留めてやれば
「ごめ……あ、有り難う、御座います」
一瞬謝罪の言葉を言い掛けて、そして慌てて言い直す。その様子が何とも可愛らしいなと笑ってまた頭を撫でてやればどう反応すれば良いのかと言いた気な視線を向けられて、それに笑みを深くしつつ
「さ、帰ろう」
そう言って凛を促しつつ、高根はゆっくりと自宅へと向けて歩き出した。
家に来い、そう言った高根に対して凛は随分長い事考え込んでいて、高根は決定を急かす事もせず、
「ゆっくり考えろ、料理ももう来るしよ、食いながら考えな」
そう言って優しく笑いかけ、やがて運ばれて来た料理に箸を伸ばし敢えて凛の方は見ないようにした。
男一人の家に来いと言っているのだ、如何に切羽詰っていたとしても普通の神経を持っている女なら即断出来るものではないだろう。高根自身には凛に対して何かをする気は全く無い、金さえ出せば後腐れの無い相手を買えるというのに、凛の様な女に手を出す理由が無い。しかしそれは高根の都合と考えで、真っ当な女なら警戒をして当然だ。
そんな重大な決断を丸投げされても当然直ぐに答えは出せず、凛の食事の進みはひどく遅く、二十分程経っても厚焼き玉子の一切れを半分程食べただけ。これは流石に手を引くか背中を押すかしないといつ迄経っても終わりそうにないな、そんな事を考えた高根はコップに残った焼酎の残りを呷った後、ゆっくりと、務めて優しい口調で凛へと一つの提案を口にした。
「まぁ男一人の家に来いって言ってるんだから警戒して当然だけどよ、そういう事は絶対にしねぇよ、約束する。俺にだって社会的立場ってもんも有るしな、何より嫌がってる女を無理矢理とか趣味じゃねぇし。まぁ、そういう『ごっこ遊び』とかは経験無いわけじゃねぇよ?正直。でも、そういうんじゃなきゃそんな趣味は無ぇから安心しな」
若干おどけてそう言って見せればずっと頑なだった凛の表情がほんの少しだけ和らいで口角が微かに上がる、満面の笑顔はきっとさぞかし綺麗で可愛らしいだろう、そう思いながら高根も笑みを深くして言葉を続ける。
「契約だよ、契約。住み込みの家政婦ってやつだ。凛ちゃんは労働力を俺に提供して家の中の事をやって、俺はそれを得る代わりに衣食住を提供する。それ以外の事は無し。な?」
「……家政婦、ですか」
「そう、家政婦」
「私、そういうお仕事やった事無いんですけど、あ、結婚前もしてた時も家の事はやってましたけど、お金を頂くお仕事としてはやった事無くて。それでも良いですか?大丈夫でしょうか」
「そんなに肩肘張らなくて良いさ、人間が住める程度に家の中保ってくれて、人間が食べられる程度の物を作って食わせてくれればよ。どうだい?」
穏やかな口調と眼差し、それが言葉の内容と相俟って安心感を与えたのか、凛は暫く考え込んだ後、意を決した様に顔を上げて
「お、お願いします……!」
と、真っ直ぐに高根の目を見てそう言って頭を下げる。漸く決めてくれたか、高根はそう思いつつ笑みを深くし、
「よし、決まりだな。ほら、さっさと食っちまえよ、追い出されてふらふらしてたってんなら碌に食ってねぇだろ、家に帰っても碌な物無ぇからよ、ここでしっかり食っておけよ」
そう言って凛に食事を勧めろと促した。
多少なりとも先の見通しが立てば人間やはり安心するものなのか、食べる速度が格段に速くなる。やはり碌に食べていなかったのだろう、時折喉を詰まらせそうになりながら食べるその様を見て、以前飼っていた猫を思い出すなとまた考えた。
子供だった頃の自分の掌に少し余る位の痩せこけた小さな小さな白猫、親が飼う事を許してくれて直ぐに餌を与えたが、やはり今の彼女の様に一心不乱に餌をがっついていて、うにゃうにゃうにゃとよく分からない鳴き声を上げながらも食べる事だけは決して止めなかったのが何ともおかしかった。
そんなに焦らなくて良い、誰も取ったりしないから、これが最後の食事でもないから、あの時猫の背を撫でながら言った言葉を胸中で繰り返し目を細める。
暫くすると飢えも満たされたのか落ち着いて箸を置き
「御馳走様でした」
と手を合わせる凛、その所作にそれなりに良い育ちをしたのだなと感じ取りつつ、もう帰ろうかと立ち上がった。
「あ、私、お金全然持ってなくて……」
「は?奢るって言ったろ、気にすんな。美味しそうに食べてるところ見せてもらったしな。金出すならやっぱり美味しい美味しいって言って食べて欲しいだろ?」
「……御馳走様でした」
「良いよ良いよ、さ、帰ろうぜ」
勘定を済ませて店を出れば冷気を多分に含み始めた夜風が肌を撫で、着の身着のままで放浪していたのであろう凛は薄手のシャツ一枚しか身につけておらず、それではもう寒かろうと高根は自らの上着を脱いで彼女の肩に掛けてやる。
「……すみません」
「風邪ひかれても困るしな、暖かくしとけ」
「……ですよね、すみません」
口を開けば謝罪の言葉を口にする凛、どうも気になった高根は立ち止まり、何事かと見上げて来る凛を見下ろし、その頭を数度優しく撫でながら、諭す様に話し始めた。
「契約条件追加。『すみません』とか『ごめんなさい』とか言うな。いや、そう言うべき時も有るけどよ、何かしてもらったとかそういう時は『有り難う』って言うもんだぜ?」
「あ……すみま」
「ほら、また。別に謝る事じゃねぇだろ?会ったばっかりでお互いの事何も知らねぇけどよ、あんまり卑屈になるなよ?おどおどしないで、しゃんと背筋伸ばして前向いて、笑ってれば大抵の事はうまくいくから、な?」
そう言いながら肩に掛けた上着の釦を留めてやれば
「ごめ……あ、有り難う、御座います」
一瞬謝罪の言葉を言い掛けて、そして慌てて言い直す。その様子が何とも可愛らしいなと笑ってまた頭を撫でてやればどう反応すれば良いのかと言いた気な視線を向けられて、それに笑みを深くしつつ
「さ、帰ろう」
そう言って凛を促しつつ、高根はゆっくりと自宅へと向けて歩き出した。
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