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第174章『腐臭』

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第174章『腐臭』

 梯子を昇り切り甲板へと上がった時に眼前に広がった光景、タカコはそれを然して驚きもせず、寧ろ懐かしさすら感じつつ見詰めていた。
 銃撃戦、血、遺体、腐敗臭、二年以上遠ざかっていたが実に懐かしい。落ち着いて仕事が出来そうだと他には気取られぬ様に薄く笑った後振り返り、そこにいた高根へと声を掛ける。
「司令、申し訳有りません、ちり紙をお持ちでしたら頂いても宜しいですか?」
「は?ちり紙?有るけどよ、何に使うんだよ?」
「あ、すみません、自分のは揚収作業で濡らしてしまいまして。これをこうして……ですね、こうします」
 高根から受け取った紙を小さく丸めて両の鼻の穴に詰めるタカコ、突然の行為にぎょっとする周囲を見て恥ずかしそうに笑い、
「恥ずかしいんでそんな見ないで下さい。腐敗臭には催吐性が有るので、臭いだけでも遮断しておかないと現場がゲロ塗れになるんですよ。口から呼吸で入る分はどうしようもないですが、臭いを遮断すれば随分違います」
 そう言ってポケットから取り出した手拭いを固く絞り、それで口元を覆う様にして後頭部で結ぶと遺体へと向かって歩き出した。
「すみません、どなたか手袋持ってないですか?あ、どうも有り難う御座います」
 手渡された防水性の手袋をして遺体の傍にしゃがみ込み様子を見てみれば、手の指にはやはり特徴的な胼胝、手首や肘や肩の関節もしっかりとしており、やはり自分達と同じ『本職』が出て来た様だと目を細める。この遺体だけではないだろう、恐らくは転がっている遺体の全てがそれなりの訓練と経験を積んだ兵士だった筈だ、その兵士達をこうも徹底的に殺しきるとは、一体どんな相手なのか、そして、何がここで起こったのか。
「どう見ても大和人じゃないのが相当混じってますし、持ってる銃も大和のものじゃないです。やはり国外からの侵入を試みようとしていた勢力と考えて良いんじゃないでしょうか」
「それはまぁ分かるんだが……これ、どういう状況なんだと思うよ」
「大和にはここ迄の対人制圧の技術は無いですよね……だとしたら、殺した奴も外国人で、仲間割れでもしたと考えるのが一番自然じゃないでしょうか」
「それで全滅したという事か?」
 高根を遮って口を挟んで来た黒川、タカコはその問い掛けには直ぐには答えず、足元に散らばる空薬莢を拾い集めそれを掌の上に乗せ確かめながら歩き回り、やがて歩みを止めて黒川へと向き直り、ゆっくり、しかしはっきりと言葉を紡ぎ出す。
「いえ、全滅ではないと思います。仲間割れしたのが何人か迄は正確には分かりかねますが……最低でも一人は生き残っている筈です」
「……どういう事だ?」
「これを見て下さい」
 そう言ってタカコが差し出したのは掌へと乗せた数個の空薬莢、一体何を、そう思い顔を見合わせた高根と黒川と横山の三人がそれを覗き込む。やがて何かに気付き声を上げたのは、黒川の優秀な『草』であり、博多駐屯地司令でもある横山だった。
「……薬莢の種類が違うな、全滅しているのなら複数の種類の銃がここに残されていないとおかしいという事だな」
「はい、そうです。それなのにこの甲板に転がっている銃器は一種類、自動小銃のみです。この空薬莢は拳銃のもの、こちらは散弾銃に使用する単発弾のもの……じゃあ、その銃は何処に消えたんでしょうか?弾だけじゃありません、遺体には鋭利な刃物で付けられた傷も有ります、その刃物自体も見当たりませんし、傷はいずれも深さや箇所からして致命傷、揉みあった様子も有りませんし傷は深く的確に急所を突き刺しています。それ程の技術を持つ人間が共倒れとは考え難いかと。銃も刃物も隠れたところに転がっているか海中に落ちたかも知れませんが、全てがそうなったというのも不自然だと思います」
「では……その生き残りは何処に?」
 横山のその言葉に黒川と高根は顔を見合わせ、次に揃ってタカコの方を見る。
「可能性としては足元……艦内じゃないですかね。甲板以外の臨検終わってるんですか?」
「いや、まだの筈だが」
「そうですか、それでしたら私が行きます。高根司令、許可を」
 言葉と共に高根へと向けられる真っ直ぐなタカコの眼差し、高根はそれを黙したまま受け止めつつ、一旦彼女から視線を外し周囲を見渡してみる。
 沿岸警備隊は海兵隊の管理区域の海域への漂着という事で、一応は海兵隊を立てて事が動くのを待ってはいるが、それでもこれ以上臨検に関わらせずに事を進めるとなれば体面を潰す事になる。今後に控えているであろう戦いを出来るだけ支障無く進める為には、彼等と対立する事は得策ではない。
 しかし、内部にまだ生き残りがいるのだとすれば、その反撃を受けたとして制圧出来るかは分からない。大和軍自体が活骸との戦いと防衛に特化しているのだ、沿岸警備隊だけではなく海兵隊も陸軍も対人戦闘に発展した場合に損害を出さずに制圧出来るかは微妙なところだろう。
 大和陣営に損害を出さずに臨検を終えるにはタカコに任せるのが一番だが、そうすると沿岸警備隊の体面を潰す事になる、どうしたものかと考え込んでいた高根が出した答えは、至って単純で無難なもの。
「結城少佐、内部の臨検だが、うちの清水を同行させてもらっても良いか?こいつは銃の扱いに慣れてる、内部に生き残りがいて攻撃して来たとしてもこいつがいれば対応しきれるだろう。主導権はそちらが持ってもらって構わない」
 沿岸警備隊主導で援護名目でタカコを付ければ、そう考えて沿岸警備隊の士官へと持ち掛ければ、相手も妥当な線だと判断したのか是の返答を返し、高根はそれに小さく頷くとタカコの頭を軽く叩いて促した。
「ほれ、行って来い。俺に恥掻かせるなよ。臨検隊の援護、きっちりこなして来い」
「了解しました」
 高根のその言葉を受け、タカコは力強く笑って頷き腰に差していた拳銃を抜いて臨検隊の方へと向かって歩き出す。狭い場所での襲撃はするも受けるも慣れている、誰もいないのであればそれに越した事は無いが、それでも楽しい事になりそうだと思いつつ、安全装置を解除し薬室へと初弾を装填した。
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