大和―YAMATO― 第二部

良治堂 馬琴

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第106章『決壊』

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第106章『決壊』

『タカコさん、起きて、起きて。もう朝だよ、急いで』

 夢現を行き来している様なぼんやりとした意識の中、不意に夫の声がした気がした。もうそんな時間かと目を開けて起き上がれば、そこはこの二年で見慣れた大和海兵隊営舎の自室、やはり夢かと僅かに落胆して一つ伸びをして起き上がり、寝台脇へ脱いだ靴へと足を突っ込み立ち上がり歩き出す。
 丁度起きる時間直前だったのか鳴り始める目覚まし、夢とは言え律儀な性格は変わらないなと小さく笑って音を止め、手拭いと歯ブラシを手に洗面所へ向かおうと部屋を出る。
 今日は出撃の日、実戦での散弾銃の試験が行われる、気合を入れて行かなければと頬をピタピタと軽く叩きながら視線を上げれば、タカコの歩みはまるで足が縫い付けられたかの様にその場へと停止した。
『何故』
 先ず頭に浮かんだのはその言葉、目の前に在る『それ』は本来であれば決してこの場には在ってはならないもの、そして、数ヶ月前に一度だけこの場で、正確には研究棟で目の当たりにした状況。
 濁り澱んだ双眸、肌はどす黒く変色し髪は抜け落ち、きちんと着込まれた海兵隊の迷彩戦闘服が逆説的に禍々しさを際立たせている。目の前のそれ――、活骸の双眸が自分を捉えていると察知したタカコはそのまま飛び退り、耳障りな奇声を聞きながら自室の扉へと手を掛けその中へと飛び込み扉を閉めて鍵を掛けた。
「どういうこったド畜生が……!」
 思わず口を開き毒を吐くが、直ぐに今はそんな事をしている場合ではないと気を取り直し、窓へと駆け寄り開け放ち正門の方へと向かって声を放る。
「基地内で活骸発生!直ぐに封鎖しろ!!一体たりとも外へ出すな!!」
 声量に自信は有るが警衛に聞こえたかどうかは分からない、警衛自体が気付いても直ぐに封鎖行動には出るだろうが早い方が良い、届いていれば良いがと室内へと戻ろうとすれば、隣室の敦賀がそれに気が付いたのか窓を開けこちらへと顔を向けて来た。
「おい、今何て言った?」
「聞こえただろう、そのままだ。ここの廊下で活骸に出くわした、基地内で発生した様だ」
「本当か、それ」
「ああ……しかも、どうやら感染者は海兵の様だぞ……ここの戦闘服を着てた……嫌な戦いになる」
「……分かった、直ぐに態勢を整えろ……打って出る」
「……了解、出る時は合図を、時機を合わせよう」
「ああ」
 それだけの遣り取りで双方引っ込み室内へと戻り、タカコは洗顔と歯磨きを済ませてからにしようと思っていた着替えへと取り掛かる。出撃の日だからと準備していたのは大和海兵隊の戦闘服、それの下を穿き髪を雑に編んでからその上から上着を着込み、半長靴を履き紐をきつく締め上げた。
 廊下での戦闘という事になれば太刀という長物は不利になる、それしか扱えないであろう敦賀の身の安全を考えれば長物は彼に譲り自分は、と、調整と研磨を終えた後に机上へと置いておいた銃とナイフを手に取り、先ずはナイフを腰へと差す。残るは銃、基地内に活骸がどれだけ発生しているかは分からない、弾薬は有りっ丈持って出ようと棚を開け中から弾薬の箱と空の弾倉を十本取り出して中へと弾を詰め始めた。
 急げ、急げ、時間が無い、他の無事だった隊員達も次々に起き出しているのだろう、営舎のあちこちから聞こえ始めた怒号、悲鳴、絶叫、それ等を聞きながら全てに弾込めを終えて戦闘服中のポケットへと弾倉を突っ込んで立ち上がれば、敦賀も気が急いているのか隣室から壁を叩いて急かして来る。
「おい馬鹿女!まだなのか!」
「今出来た!扉の前に立て!」
「もう立ってる!早くしろ!」
「よし!三つ数えたら一気に出るぞ!ヒト!」
「フタ!」
「「サン!!」」
 先ずは拳銃での射撃、敦賀の部屋から階段の方向へと向けては一旦彼へと預け自分は背後を、そう考えつつ鍵を外し扉を開き廊下へと出れば、敦賀も同じ時機で廊下へと飛び出したのが視界の隅に映る。その向こうから押し寄せて来る数体の活骸を視認しつつも、タカコは予定通りに彼に背を向け彼とは反対方向へと銃口を向けた。
 敦賀の部屋と反対側には空き室ばかりが五室程並び、廊下は十五メートル程続きその先は行き止まりになっている、そちらにも活骸は進んでいるだろうと踏んでいたがやはりその通り、二人が廊下へと出て来た事により一斉にこちらへと向かって襲い掛かって来た活骸数体を見据え、タカコは活骸の喉元、その奥に存在する脳幹へと向けて続け様に拳銃を発射する。
 室内でイヤープロテクターも無し、慣れていない敦賀には酷だろうが今回ばかりは我慢してもらうしか無い。こんな乱戦状態で拳銃を使用しての活骸との戦いは自分ですら未経験だ、どう事を運ぶかが最善かは分からないが、それでも良いと思った事は端から試すしか無いだろう。
 一体の脳幹に綺麗に決まったのか活骸が崩れ落ちる、やはり拳銃ではいつも以上に精密な銃撃が要求される、活骸との戦いには滅法向いていないなと思いつつ次へと狙いを定め撃ち、横から襲い掛かって来た活骸には肩から体当たりをかまし床へと転がした。
 戦端が開かれてから五分程、目の前にいた活骸の全てを何とか無力化し振り返れば、こちらも同じ様に全てを片付けたのか敦賀が僅かに肩で息をしながら武蔵を手に歩み寄って来る。
「おい、怪我はしてねぇか」
「大丈夫、今のところは無傷だ……それよりも早く階下に急ごう、どうやら大規模に発生しちまってるらしい」
「……ああ、行くぞ」
 あちこちから聞こえる絶叫も怒号も今尚止む事は無い、海兵隊の戦闘服を身につけている活骸ともなれば隊員達の攻撃も鈍るに違い無い。急がなければ、二人は顔を見合わせて走り出し、飛び降りる様にして階段を降りて行った。
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