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第二百十二話 大好きだよ

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「『これは、こ、じゃないわね』そう言われてみると、間隔が狭い気がしたんだ。シノさんは赤のクレヨンで斜めに線を足したんだ。するとね、カタカナのキになって、その後にもう一本線を足したんだよ。そしたらひらがなの、き、になったんだ。シノさんはさらに、きの下に、て、という文字を足したんだ。その時僕は、もう一度ステーキ屋さんの事を思い出したんだ……」

 ノブの目は一点を見つめた。
 俺にまで、ステーキ屋さんの中の風景が見えてきた。
 窓際の席に楽しそうに親子が三人座っている。

「僕はお父さんとお母さん、そしてノゾミを残したまま、あの時席を立ったんだ。三人は、お替わりを注文して、綺麗な店員さんが丁度お替わりを運んで来たところだったんだ。ノゾミも今度はちゃんと大人用のハンバーグだったよ。熱い鉄板の上でジュウジュウ言っているんだ。ソースはデミグラス、それが鉄板に流れてジュワアーって音を立てて、デミグラスソースの良い香りがあたりに広がっていた。ノゾミはね、手をパチパチして喜んだんだ。僕は、いつまでも見ていたかったけど、そこで席を立ったんだ。店のドアで振り返ったら、三人が僕の方を見て笑顔で手を振っているんだよ。ノゾミの顔もあの時のまま、ふっくらしているんだ」

「そうか、よかったな」

「うん、そして、ノゾミの口がパクパク動くんだ。声は聞こえないけど言っていることは何故だかわかったんだよ。『お兄ちゃんありがとう。いきて』そう言っている。だから、シノさんの言っていることがあっているとわかったんだ。床で寝ているノゾミの顔はその時の表情なんだ。僕に手を振っている時の顔のままさ、痩せてしまっているけどね。きっと手を振っている時ノゾミは、こことステーキ屋さんの両方にいたんだよ。そして、ステーキ屋さんのノゾミは最後に『お兄ちゃん大好き』って言ったんだ。こっちのノゾミはそれを書く前に眠ってしまったんだね」

「うん、そうだ。きっと、そうだ」

 俺にも嬉しそうに手を振っている、クリーム色のワンピースの少女の姿が見えた気がした。

「『こんな所で眠ったら、風邪をひいちゃうのに』僕が言うと、『ノブ君言いにくいけど、この子は……』シノさんの声は、最後小さすぎてわからなかったんだ。でも、僕にはわかっちゃったんだ。きっとステーキ屋さんにノゾミは本当に来ていたんだ。そして、お父さんもお母さんも来ていたんだ。だから、三人とも死んでしまったって解ったんだよ。ノゾミは、飲めない水を無理して飲んだんだ。そうさ、僕を安心させるためにね。そして、ステーキ屋さんに行かせたかったんじゃ無いのかな。シノさんに会わせるために……」

「そうか、きっとそうだ」

「『この子、とても良い表情だわ。でも、何でこんなに吐いているのかしら、苦しかったでしょう』シノさんはノゾミを抱き上げてベットに寝かせてくれたんだ。その後、庭に穴を掘って、そこにノゾミを埋めたんだ。シノさんは、両手を合せて目をつむり、その後『さあ、行きましょう』って言ったんだよ。『ちょっと待って下さい。すぐに戻ります』僕は二階の子供部屋に戻ったんだ。ノゾミのいない部屋の中は、とても暗くて寂しく感じたんだ。僕はノゾミが好きだった黄色のクレヨンを持って『お兄ちゃんありがとう。いきて』の横に、『お兄ちゃんもノゾミが大好きだよ』って書いたんだ。ちゃんと見てくれたかなあ」

「あー、見たさ。きっとな」

「その後、シノさんに連れられて、神社に行ったんだよ。そこには大人が十人、子供が五十人位いたんだよ。大人は警察官や消防士で、シノさんは元自衛官って言っていたんだよ。災害用の食糧が集められていて、僕は久しぶりに温かいご飯が食べられたんだ。そして僕は、そこで健康を取りもどしたんだ」

「よかったな」

 俺の言葉を聞くとノブは暗い表情になり首を振った。

「僕が、やっと元気になった頃、あいつらが来たんだ。『な、何だ! 貴様らは?』警察官の人が腰の拳銃に手を伸ばして、突然やって来た人相の悪い男達に声をかけたんだ。パスッ、パスッ! って音がしたんだ。男の人は全員胸を撃たれてしゃがみ込んだんだ」

「なっ、なんだって」

「銃を撃った男は少し笑うと、胸を押さえている男の人達の頭を次々撃ったんだ。僕は銃で人が殺されるところを、初めて目の前で見たんだ。『何てことを!』シノさんが男に掴みかかろうとすると、その男の部下が小さい子供に銃を突きつけたんだ。『ひっひっひっ、動いたら殺すぞ!』脅しなんかじゃないことは、僕にもわかった。僕達子供は、ガタガタ震える事しか出来なかったんだ。シノさん達大人の女の人は、動けなくなるまで痛めつけられたんだ。ぐったりしたシノさん達は、髪を引っ張られて連れて行かれたんだ。

『森永班長! ガキも殺しますか?』
『馬鹿野郎! 弾がもったいねえだろう。首でも締めて殺すのかー! あー!』
『す、済みません』
『放っておけば勝手に餓死する。行くぞ!』

 男の人は全員殺されて、大人の女の人は全員連れて行かれたんだ。集められていた食糧も全部持って行かれたんだ」

「な、なんだって」

「次の日になると、神社には十五人の小さな子供と、最近来たばかりの子供だけになっていたんだ。僕も置いていかれちゃったんだ。また、俺は食糧探しをしなくてはならなくなったんだ。でもね、今度の食糧探しは簡単だったんだよ」

「なぜ?」

 ノブはここから自分のことを俺と言った。
 目から、弱々しい子供らしさが消えた。
 ここから先は、もっと厳しい現実があったのだろう。
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