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第13章 休戦会談と蠢く策謀編
第14話 英雄は復讐の堕天戦乙女(フォールン・ヴァルキュリア)へ
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・・14・・
「お前、今なんつった……?」
「そのままの意味だけど。あんたにとって、それが望みなんでしょ? ああごめんね、今離れるから」
先程までと打って変わって、まるで常人のように振る舞うフィリーネは馬乗りになっていたゾリャーギから離れソファに足を組んで座り、煙草に火をつける。
あまりに突拍子もないフィリーネの発言と振る舞いに、彼は倒れた態勢のまま動けずにいた。
「いつまで寝てんのよ。もしかして、ヤりたかったとか? 夢魔族だけに?」
「いやいやちげえよ!? お前な、自分が何て言ったか自覚してんのか!? 拉致しようとしてた俺が言うのも可笑しいけどよ、自分から寝返るって言ったんだぞ!?」
「うるせえなあ。外に聞こえたらどうすんのよ」
「どうせ防音魔法で聞こえねえだろ……。ちょっと待て、本当に待ってくれ……。事態がコロコロ変わりすぎて理解が追いつかねえ……」
「そんなに困惑しないでもいいじゃんか。あんたにとっては願ったり叶ったりでしょ」
「そらまあ、そうだけどよ……。いや、ええ……」
ゾリャーギは脳内が大混乱に陥っていた。
ほんの数分前まで自分は命の危機にあり、任務は失敗どころか命すらも尽きかけないと確信していたからだ。
ところがどうだ。目の前の女は自分が人類諸国の英雄が一人でありながら、平然とこう言ってのけたのだ。
私を妖魔帝国へ連れて行ってもいい。
と。それも、あっけからんと。
ゾリャーギには理解不能だった。
いくら英雄としての立場は今や失墜したとはいえ、フィリーネは莫大な資産を保有している。反対派閥が非合法的な手法で資産凍結を図るか強奪でもしない限り富裕層でも一生遊んで暮らせる程の財産が彼女にはある。
ただ、フィリーネにとって金銭など些末な存在だった。
彼女が欲するのはもっと単純なもの。地位でも名誉でもなく、ましてや金でもなかった。
「妖魔帝国は、戦争狂の皇帝は、理由はさておき私を必要としているんでしょ? だから私を拉致しにきた」
「ああ……。そうでもなきゃ遠路はるばる協商連合に来やしねえ」
「最悪でも身体だけって事は、つまり私を素材にして戦力化する。きっと、リチリアの成功品みたいに」
「…………」
「図星ね?」
「ご名答だよ。……なんで分かった、なんて今更愚問か。英雄が英雄たる所以の一つ。その末恐ろしいまでの洞察力なのはこの短時間で痛感したさ……」
「評価されるのは悪い気はしないわね。――妖魔帝国陸軍の総指揮官が自慢気に語ってたもの。どうせアレは魔法科学の人体実験の末に生み出されたものは戦いを通じて分かってたし、私が素材なら皇帝が期待するようなモンが完成する。でも、理想は違う」
「そうさ。無傷で手に入れるなら一番いい。魔法も使いこなせて、実力を十分に発揮しうる、今のままのお前をな」
「ふうん。ねえ、答えておいて今更なんだと思われるかもしれないけれど確認させて」
「答えられる範囲なら構わねえが」
先まで吸っていた煙草を灰皿に押して火を消したと思いきや、早速二本目に手を伸ばし再び紫煙をくゆらせながら言ったフィリーネに、ゾリャーギは少し言い淀みながら答える。
すっかり狂気は収まっていた。そこにあったのは、とても、とても悲しそうな表情だった。
「そこに私の居場所はある? 私は妖魔帝国に必要とされている? 私は人間だけれど、いてもいい存在なの? 私だから、選ばれたの?」
「…………」
「どうなの?」
じっとゾリャーギを見つめるフィリーネの瞳は光は失せどす黒く濁りきっていた。ここには希望なんてない。ひたすらな孤独と絶望。存在否定。
堕ちた戦乙女の、筆舌尽くし難い程に哀れな姿だった。
「ねえお願い。答えてよ」
「お前は……」
ゾリャーギは吸い込まれそうな彼女の瞳に心を揺らされた。女を誑かしこそすれ、今までこんな心境に陥ったことなど彼には無かった。
なんなんだよこいつ。どうして、どうしてそんな顔をするんだよ。
俺はお前に身分を偽って近付いたんだぞ?
拉致しようとしたんだぞ?
あの皇帝の事だ。欲するのはフィリーネの能力つまりは戦力であって、体良く利用されるに違いない。
こいつの推察力ならそれすらも勘づいているはずなのに。
なのにどうして。こいつが本当に欲しいのは。
仮にも人類の英雄が欲したものは余りにも幼い感情なんて。
居場所が欲しい。
存在を否定されたくない。
見捨てられたくない。
そして。
必要と、されたい。
求め、られたい。
フィリーネの言動が、表情がそれらを語っていた。
故に、ゾリャーギは諜報員らしくなく夢魔族らしくなく、ただ一人の男として言ってしまったのだ。
「俺達妖魔帝国はお前を、フィリーネ・リヴェットを必要としている。来るべき時に備え、お前を求めている。お前が必要不可欠だ。だから妖魔帝国には、お前の居場所がある」
「…………約束して。裏切られるのは、もう二度とごめんなの」
「約束してやる。例え皇帝陛下が約束せずとも、俺が約束してやる。居場所なら作ってやるし、お前の力があればいくらでも発揮する場所は作れるからな。当然、ある程度は言うことは聞いてもらうが、お前がそれを守る限り俺は裏切らねえ。皇帝陛下にも口添えしておく」
「本当に……?」
「本当だとも。今のお前だから信じられねえかもしれねえけどよ、ほんの少しだけでいいから俺を信じてくれ」
「…………分かった」
フィリーネはその外見には似合わず、子供のように小さく頷いた。
前世を含めて結局、彼女が大人になってからずっと空っぽで満たされることが無かったのは、誰か寄り添える人だった。
それこそが彼女の唯一の弱みであり、よりにもよって彼女はそれを敵国の重要人物であるゾリャーギに求めてしまった。
だが、仕方ない事でもあった。特にフィリーネであり前世の――にとっては、寄り添う人を渇望していたのだから。
ゾリャーギが騙すつもりで言ったのならまだ道筋は変わっただろう。確かに最初は騙すつもりでいただろうが今や違う。彼女のあんな表情を見てしまい絆されてしまった彼は偽りのない心で約束したのである。
その点において、この世界の人類諸国の歴史で、最も出会ってはいけなかった二人が出会い約束を交わした瞬間であった。
「だけどな、俺は念には念を入れてお前に最終確認をしたい」
「言って」
「お前は人類諸国の人間だ。軍人だ。英雄だ。堕ちた身とはいえ、後悔はしねえのか?」
「後悔なんてあるわけない。みんなみんな、私を見捨てたんだから」
「未練はないのか?」
「祖国は裏切り、私は一人ぼっち。どこにも未練なんて残ってないよ」
「…………人類諸国が、奴らが、憎いか?」
最後にゾリャーギが問うたのは、先の質問以上にフィリーネにとっては愚問だった。
そして、いかに彼女がもう手遅れだったのかの片鱗を見せることになる。
「ああ憎いよ。憎い憎い憎い憎い憎い! 富ませ強くさせた国は恩を仇で返しやがった! 好景気の一因になって恩恵を受けた国民共だってそう。あいつらに興味は無いけど、だけど私を罵倒し軽蔑してきやがるのだけは許せない!
大切にしていた部下も見る目線を変えやがった。生きて帰れたのは私のお陰のはずなのに! 目をかけてきた奴らですら! なのに奴らときたら、どいつもこいつも! 私を裏切った! それがどうして、憎くないというの!」
「いい目をしてるぜ。あぁ、たまんねえよその憎悪と復讐に染まった瞳。すげえ魅力的だ。――なあ、フィリーネ。お前は何の心配もしなくていい。ただその怒りを、憎悪を、復讐を来るべき時が来たら奴らにぶつけてやればいい。お前が持つ力は、その為にあるんだからな」
「…………ひひっ、ひひひっ! ええそうよ、全部全部全部ぶっ壊して、全部全部全部ぶっ殺してやる! 協商連合のクズ共も、狂信者の法国共も、そしてあのクソ英雄がいる連合王国も、死すら生温い復讐を与えてやる!」
「ああそうだ。お前が受けた仕打ちを返してやれ。それは正当な権利であって、奴らは身を持って味合わねえといけねえんだ」
ドス黒い感情が発露し、それだけで人を殺せさそうな殺気を目の当たりにしたゾリャーギは平静を装いつつも末恐ろしさを抱き、そしてとんでもない化物をさらなる進化へと導いた事に悦楽を感じていた。
人類諸国は大きな過ちを犯した。取り返しの付かない過ちだ。
もし協商連合が彼女に対してこれ程までに苛烈な仕打ちなどしでかさなければ、彼女は終戦まで最前線で力を振るい国を守護する戦乙女であっただろう。
それはきっと、連合王国の英雄アカツキ・ノースロードと双璧を成す、人類諸国にとって最強の二対の剣であっただろう。
しかし、そうはならなかったのだ。
今ここに、堕天戦乙女は誕生してしまったのである。
人類諸国にとっては大いなる損失であり、妖魔帝国にとっては絶大な利益を得た運命の分岐点でもあった。
「さーてと。これにて交渉成立のようだな。フィリーネ・リヴェット」
「久しぶりにいい気分だよ、ゾリャーギ・エフセエフ」
「だがな、目出度くこうなったとはいえ俺が任務を達成してお前を妖魔帝国へ案内するのは生易しく進まねえ。お前自身がこっち側に付いたから目的は達成したが、ほら、お前の召喚武器があるだろ。あいつが手元にねえ。陛下もアレまでは高望みしてねえみたいだがどうするよ?」
「私にいい考えがある。ただ、コールブラック・カーシーズは諦めてもらえると助かるかな。アレは贋作にすり替えるのは不可能だから。どうせ私しか使えない呪いの武器扱いだから、誰も触れたがらない代物。置いていっても問題にはならないよ」
「まあ仕方ねえわな。召喚武器は後で取り返すなり出来るが、お前はそうはいかねえ。今必要だ。で、だ。いい考えってなんだ? こっちも作戦はあるがそれ以上のもんなら採用するのやぶさかじゃない」
とはいえ、彼女がゾリャーギ達と共に無事妖魔帝国へ向かう為のは並大抵の事ではない。
協商連合から妖魔帝国の長い道のりを辿り着くのは既に二人の会話で出ていたが、言うは易し。だが、実際に行うとなれば簡単ではない。
しかし、忘れてはいけない。転生者であり英雄だったフィリーネにとって、妖魔帝国へ向かう方策などいとも容易く考え付くことを。
特に、いかに姿をくらませ人類諸国たる法国まで着くに関しては。
「劇的な最期を演出してやるの。これなら絶対に上手くいくよ」
「おおそれは頼もしいな。是非聞かせてくれないか?」
「もちろんよ。ひひっ、連中がどんな報道をするか今から楽しみだよ」
・・Φ・・
時刻は既に午後五時半を過ぎ、間もなく太陽は沈もうとしていた。
夕焼け空と夜の空が同居する時間に、フィリーネの私邸を近くから監視している中年男性の曹長は欠伸をしながらぼんやりしていた。本来ならばもう一人部下として上等兵がいるのだが、今は買い出しを頼んであってここにはいない。近くには他の部下が三名いるので問題ないのだが、外へ出ようともしない屋敷の主の監視だからか緊張感は欠片も無かった。
というのも、フィリーネが一歩も外へ出なくなった今年の初めくらいまでは屋敷への監視に昼夜問わず三十名程いたのだが、今では日中のみとなり人数も五分の一以下にまで減っている。いくら協商連合とはいえ、引きこもりへの監視に人数は多分には割けない。反対派閥が危惧していた暴走の危険性も目に見えて無くなった今は尚更であった。
故に曹長はこの任務が退屈で仕方がない。これで三食給与付きなのだから有難い話ではあるのだが。
今日の晩飯はなんだろうかと考えていると、私邸から一人の男が肩を落として出てきたのが見えた。
毎週二回、いつもこの屋敷に訪れるその人はフィリーネの心の病の治療にあたるカウンセラーのアッシュ。無論、彼等はその正体がゾリャーギなど知る訳もなく曹長は彼に声を掛ける。
「ようカウンセラーさん、お疲れ様。今日はいつもより長かったみたいだな?」
「ロイ曹長もお疲れ様です。ええ、色々とありまして……」
「色々って、屋敷の主は元々曰く付きの人間だからなあ。黒い話題にゃ事欠かさないだろうて。で、何があったんだ? 随分と暗い顔つきしてっけど」
「……実は、今日限りでフィリーネ様のカウンセラーをクビになりまして……」
「クビとは穏やかじゃないな。何があったんだ?」
「どうせお前も裏では私の悪口を言ったりカウンセラーの仕事で得た事をペラペラ喋ってるんだろと……。職務上そんな事をする訳ありませんし、悪く言ったこともないんですが……」
「はぁ……。そいつは災難だったな……。なんつうか、あの人も疑心暗鬼ここに極まれりって感じだからよ……」
「フィリーネ様は誰も信じておられません。せめて、私は信じてほしかったのですが残念です……。もっと、尽力したかったのですが……」
「やめとけやめとけ。あの人もかつては、辛辣で汚いやり方も辞さないながらも部下だけは大切にするいい軍人だった。打ち出した改革は国を富ませ、俺らも恩恵を受けてた。けどよ、リチリアの一件が全てを変えたさ。噂の真偽は分かんねえけどよ、部下を殺そうとしたってのが本当なら大問題だ。疑われるのは、あの人の今までの噂と裏での行いによるものだ」
「ですが、噂がほとんどだと聞いてますよ」
「俺も詳しくは知らねえよ。だがよ、疑われるような事をしてきたのは確かだろうよ。軍にいりゃあの人の色んな話が流れてくっからな。まあなんつうの、皆言ってるけどよ、自業自得ってやつじゃねえのか?」
「世の中は、厳しいのですね……。一度の失敗で英雄は今や酷い仕打ちを受けるとは……」
アッシュはゾリャーギとしての本音を語った。戦争狂の粛清帝ですら、余程でなければ一度の失敗で処刑や極地送りにはしないというのに、協商連合の者達は彼女に対してこのような行いをするなんて、と。
いや、彼等にとっては余程なのかもしれない。もしくは、恨みを買いすぎたからか。
「気持ちは分かっけどよ、カウンセラーさん。今の発言は街中では控えておけよ。俺はお前さんの気持ちも察するから聞いてなかったことにする。まあ、世の中は優しく作られてねえってことだ。互いに気をつけようぜ?」
「すみません、ご配慮ありがとうございます……」
「いいってことよ。カウンセラーさんとは今日で最後になっちまうが、元気でな」
「ロイ曹長もお元気で」
そうやって彼等は別れの挨拶を交わす。
だが、アッシュであるゾリャーギは誰もいない事を確認すると歩きながら笑いを堪えきれなかった。
「くくくくっ。どいつもこいつも、人間共は愚かだなあ。お前らが持ち上げ突き落とした英雄とやらはとっくに堕ちてるさ。その代償は、きっとでかいぜ?」
この日を最後に、フィリーネはカウンセリングは終わりその報告はラットン中将にも伝わる。
ラットン中将はこの件こそ予期していたものの、翌週に入った報告で彼は、ついに彼女が軍人として終わりなのだと悟った。
彼の前に並べられたのはいくつかの封筒と報告。
そこにはこう書いてあった。
「フィリーネ少将は一方的に軍への退官届けを提出し、これまで得た勲章全てを返還。これらを国防大臣はフィリーネ少将反対派閥に押し切られ承認。さらにフィリーネ少将はロンドリウムの屋敷を退去し、南西部の半島の端の町ペンザンシーにある、本人所有の小さな別荘へと居を移した。これを機に国防大臣など首脳陣の中でも擁護していた者は彼女諦め見限り、監視も一切付けないこととした。今後フィリーネ少将は軍人ではなく、一市民として扱う事とする」
「お前、今なんつった……?」
「そのままの意味だけど。あんたにとって、それが望みなんでしょ? ああごめんね、今離れるから」
先程までと打って変わって、まるで常人のように振る舞うフィリーネは馬乗りになっていたゾリャーギから離れソファに足を組んで座り、煙草に火をつける。
あまりに突拍子もないフィリーネの発言と振る舞いに、彼は倒れた態勢のまま動けずにいた。
「いつまで寝てんのよ。もしかして、ヤりたかったとか? 夢魔族だけに?」
「いやいやちげえよ!? お前な、自分が何て言ったか自覚してんのか!? 拉致しようとしてた俺が言うのも可笑しいけどよ、自分から寝返るって言ったんだぞ!?」
「うるせえなあ。外に聞こえたらどうすんのよ」
「どうせ防音魔法で聞こえねえだろ……。ちょっと待て、本当に待ってくれ……。事態がコロコロ変わりすぎて理解が追いつかねえ……」
「そんなに困惑しないでもいいじゃんか。あんたにとっては願ったり叶ったりでしょ」
「そらまあ、そうだけどよ……。いや、ええ……」
ゾリャーギは脳内が大混乱に陥っていた。
ほんの数分前まで自分は命の危機にあり、任務は失敗どころか命すらも尽きかけないと確信していたからだ。
ところがどうだ。目の前の女は自分が人類諸国の英雄が一人でありながら、平然とこう言ってのけたのだ。
私を妖魔帝国へ連れて行ってもいい。
と。それも、あっけからんと。
ゾリャーギには理解不能だった。
いくら英雄としての立場は今や失墜したとはいえ、フィリーネは莫大な資産を保有している。反対派閥が非合法的な手法で資産凍結を図るか強奪でもしない限り富裕層でも一生遊んで暮らせる程の財産が彼女にはある。
ただ、フィリーネにとって金銭など些末な存在だった。
彼女が欲するのはもっと単純なもの。地位でも名誉でもなく、ましてや金でもなかった。
「妖魔帝国は、戦争狂の皇帝は、理由はさておき私を必要としているんでしょ? だから私を拉致しにきた」
「ああ……。そうでもなきゃ遠路はるばる協商連合に来やしねえ」
「最悪でも身体だけって事は、つまり私を素材にして戦力化する。きっと、リチリアの成功品みたいに」
「…………」
「図星ね?」
「ご名答だよ。……なんで分かった、なんて今更愚問か。英雄が英雄たる所以の一つ。その末恐ろしいまでの洞察力なのはこの短時間で痛感したさ……」
「評価されるのは悪い気はしないわね。――妖魔帝国陸軍の総指揮官が自慢気に語ってたもの。どうせアレは魔法科学の人体実験の末に生み出されたものは戦いを通じて分かってたし、私が素材なら皇帝が期待するようなモンが完成する。でも、理想は違う」
「そうさ。無傷で手に入れるなら一番いい。魔法も使いこなせて、実力を十分に発揮しうる、今のままのお前をな」
「ふうん。ねえ、答えておいて今更なんだと思われるかもしれないけれど確認させて」
「答えられる範囲なら構わねえが」
先まで吸っていた煙草を灰皿に押して火を消したと思いきや、早速二本目に手を伸ばし再び紫煙をくゆらせながら言ったフィリーネに、ゾリャーギは少し言い淀みながら答える。
すっかり狂気は収まっていた。そこにあったのは、とても、とても悲しそうな表情だった。
「そこに私の居場所はある? 私は妖魔帝国に必要とされている? 私は人間だけれど、いてもいい存在なの? 私だから、選ばれたの?」
「…………」
「どうなの?」
じっとゾリャーギを見つめるフィリーネの瞳は光は失せどす黒く濁りきっていた。ここには希望なんてない。ひたすらな孤独と絶望。存在否定。
堕ちた戦乙女の、筆舌尽くし難い程に哀れな姿だった。
「ねえお願い。答えてよ」
「お前は……」
ゾリャーギは吸い込まれそうな彼女の瞳に心を揺らされた。女を誑かしこそすれ、今までこんな心境に陥ったことなど彼には無かった。
なんなんだよこいつ。どうして、どうしてそんな顔をするんだよ。
俺はお前に身分を偽って近付いたんだぞ?
拉致しようとしたんだぞ?
あの皇帝の事だ。欲するのはフィリーネの能力つまりは戦力であって、体良く利用されるに違いない。
こいつの推察力ならそれすらも勘づいているはずなのに。
なのにどうして。こいつが本当に欲しいのは。
仮にも人類の英雄が欲したものは余りにも幼い感情なんて。
居場所が欲しい。
存在を否定されたくない。
見捨てられたくない。
そして。
必要と、されたい。
求め、られたい。
フィリーネの言動が、表情がそれらを語っていた。
故に、ゾリャーギは諜報員らしくなく夢魔族らしくなく、ただ一人の男として言ってしまったのだ。
「俺達妖魔帝国はお前を、フィリーネ・リヴェットを必要としている。来るべき時に備え、お前を求めている。お前が必要不可欠だ。だから妖魔帝国には、お前の居場所がある」
「…………約束して。裏切られるのは、もう二度とごめんなの」
「約束してやる。例え皇帝陛下が約束せずとも、俺が約束してやる。居場所なら作ってやるし、お前の力があればいくらでも発揮する場所は作れるからな。当然、ある程度は言うことは聞いてもらうが、お前がそれを守る限り俺は裏切らねえ。皇帝陛下にも口添えしておく」
「本当に……?」
「本当だとも。今のお前だから信じられねえかもしれねえけどよ、ほんの少しだけでいいから俺を信じてくれ」
「…………分かった」
フィリーネはその外見には似合わず、子供のように小さく頷いた。
前世を含めて結局、彼女が大人になってからずっと空っぽで満たされることが無かったのは、誰か寄り添える人だった。
それこそが彼女の唯一の弱みであり、よりにもよって彼女はそれを敵国の重要人物であるゾリャーギに求めてしまった。
だが、仕方ない事でもあった。特にフィリーネであり前世の――にとっては、寄り添う人を渇望していたのだから。
ゾリャーギが騙すつもりで言ったのならまだ道筋は変わっただろう。確かに最初は騙すつもりでいただろうが今や違う。彼女のあんな表情を見てしまい絆されてしまった彼は偽りのない心で約束したのである。
その点において、この世界の人類諸国の歴史で、最も出会ってはいけなかった二人が出会い約束を交わした瞬間であった。
「だけどな、俺は念には念を入れてお前に最終確認をしたい」
「言って」
「お前は人類諸国の人間だ。軍人だ。英雄だ。堕ちた身とはいえ、後悔はしねえのか?」
「後悔なんてあるわけない。みんなみんな、私を見捨てたんだから」
「未練はないのか?」
「祖国は裏切り、私は一人ぼっち。どこにも未練なんて残ってないよ」
「…………人類諸国が、奴らが、憎いか?」
最後にゾリャーギが問うたのは、先の質問以上にフィリーネにとっては愚問だった。
そして、いかに彼女がもう手遅れだったのかの片鱗を見せることになる。
「ああ憎いよ。憎い憎い憎い憎い憎い! 富ませ強くさせた国は恩を仇で返しやがった! 好景気の一因になって恩恵を受けた国民共だってそう。あいつらに興味は無いけど、だけど私を罵倒し軽蔑してきやがるのだけは許せない!
大切にしていた部下も見る目線を変えやがった。生きて帰れたのは私のお陰のはずなのに! 目をかけてきた奴らですら! なのに奴らときたら、どいつもこいつも! 私を裏切った! それがどうして、憎くないというの!」
「いい目をしてるぜ。あぁ、たまんねえよその憎悪と復讐に染まった瞳。すげえ魅力的だ。――なあ、フィリーネ。お前は何の心配もしなくていい。ただその怒りを、憎悪を、復讐を来るべき時が来たら奴らにぶつけてやればいい。お前が持つ力は、その為にあるんだからな」
「…………ひひっ、ひひひっ! ええそうよ、全部全部全部ぶっ壊して、全部全部全部ぶっ殺してやる! 協商連合のクズ共も、狂信者の法国共も、そしてあのクソ英雄がいる連合王国も、死すら生温い復讐を与えてやる!」
「ああそうだ。お前が受けた仕打ちを返してやれ。それは正当な権利であって、奴らは身を持って味合わねえといけねえんだ」
ドス黒い感情が発露し、それだけで人を殺せさそうな殺気を目の当たりにしたゾリャーギは平静を装いつつも末恐ろしさを抱き、そしてとんでもない化物をさらなる進化へと導いた事に悦楽を感じていた。
人類諸国は大きな過ちを犯した。取り返しの付かない過ちだ。
もし協商連合が彼女に対してこれ程までに苛烈な仕打ちなどしでかさなければ、彼女は終戦まで最前線で力を振るい国を守護する戦乙女であっただろう。
それはきっと、連合王国の英雄アカツキ・ノースロードと双璧を成す、人類諸国にとって最強の二対の剣であっただろう。
しかし、そうはならなかったのだ。
今ここに、堕天戦乙女は誕生してしまったのである。
人類諸国にとっては大いなる損失であり、妖魔帝国にとっては絶大な利益を得た運命の分岐点でもあった。
「さーてと。これにて交渉成立のようだな。フィリーネ・リヴェット」
「久しぶりにいい気分だよ、ゾリャーギ・エフセエフ」
「だがな、目出度くこうなったとはいえ俺が任務を達成してお前を妖魔帝国へ案内するのは生易しく進まねえ。お前自身がこっち側に付いたから目的は達成したが、ほら、お前の召喚武器があるだろ。あいつが手元にねえ。陛下もアレまでは高望みしてねえみたいだがどうするよ?」
「私にいい考えがある。ただ、コールブラック・カーシーズは諦めてもらえると助かるかな。アレは贋作にすり替えるのは不可能だから。どうせ私しか使えない呪いの武器扱いだから、誰も触れたがらない代物。置いていっても問題にはならないよ」
「まあ仕方ねえわな。召喚武器は後で取り返すなり出来るが、お前はそうはいかねえ。今必要だ。で、だ。いい考えってなんだ? こっちも作戦はあるがそれ以上のもんなら採用するのやぶさかじゃない」
とはいえ、彼女がゾリャーギ達と共に無事妖魔帝国へ向かう為のは並大抵の事ではない。
協商連合から妖魔帝国の長い道のりを辿り着くのは既に二人の会話で出ていたが、言うは易し。だが、実際に行うとなれば簡単ではない。
しかし、忘れてはいけない。転生者であり英雄だったフィリーネにとって、妖魔帝国へ向かう方策などいとも容易く考え付くことを。
特に、いかに姿をくらませ人類諸国たる法国まで着くに関しては。
「劇的な最期を演出してやるの。これなら絶対に上手くいくよ」
「おおそれは頼もしいな。是非聞かせてくれないか?」
「もちろんよ。ひひっ、連中がどんな報道をするか今から楽しみだよ」
・・Φ・・
時刻は既に午後五時半を過ぎ、間もなく太陽は沈もうとしていた。
夕焼け空と夜の空が同居する時間に、フィリーネの私邸を近くから監視している中年男性の曹長は欠伸をしながらぼんやりしていた。本来ならばもう一人部下として上等兵がいるのだが、今は買い出しを頼んであってここにはいない。近くには他の部下が三名いるので問題ないのだが、外へ出ようともしない屋敷の主の監視だからか緊張感は欠片も無かった。
というのも、フィリーネが一歩も外へ出なくなった今年の初めくらいまでは屋敷への監視に昼夜問わず三十名程いたのだが、今では日中のみとなり人数も五分の一以下にまで減っている。いくら協商連合とはいえ、引きこもりへの監視に人数は多分には割けない。反対派閥が危惧していた暴走の危険性も目に見えて無くなった今は尚更であった。
故に曹長はこの任務が退屈で仕方がない。これで三食給与付きなのだから有難い話ではあるのだが。
今日の晩飯はなんだろうかと考えていると、私邸から一人の男が肩を落として出てきたのが見えた。
毎週二回、いつもこの屋敷に訪れるその人はフィリーネの心の病の治療にあたるカウンセラーのアッシュ。無論、彼等はその正体がゾリャーギなど知る訳もなく曹長は彼に声を掛ける。
「ようカウンセラーさん、お疲れ様。今日はいつもより長かったみたいだな?」
「ロイ曹長もお疲れ様です。ええ、色々とありまして……」
「色々って、屋敷の主は元々曰く付きの人間だからなあ。黒い話題にゃ事欠かさないだろうて。で、何があったんだ? 随分と暗い顔つきしてっけど」
「……実は、今日限りでフィリーネ様のカウンセラーをクビになりまして……」
「クビとは穏やかじゃないな。何があったんだ?」
「どうせお前も裏では私の悪口を言ったりカウンセラーの仕事で得た事をペラペラ喋ってるんだろと……。職務上そんな事をする訳ありませんし、悪く言ったこともないんですが……」
「はぁ……。そいつは災難だったな……。なんつうか、あの人も疑心暗鬼ここに極まれりって感じだからよ……」
「フィリーネ様は誰も信じておられません。せめて、私は信じてほしかったのですが残念です……。もっと、尽力したかったのですが……」
「やめとけやめとけ。あの人もかつては、辛辣で汚いやり方も辞さないながらも部下だけは大切にするいい軍人だった。打ち出した改革は国を富ませ、俺らも恩恵を受けてた。けどよ、リチリアの一件が全てを変えたさ。噂の真偽は分かんねえけどよ、部下を殺そうとしたってのが本当なら大問題だ。疑われるのは、あの人の今までの噂と裏での行いによるものだ」
「ですが、噂がほとんどだと聞いてますよ」
「俺も詳しくは知らねえよ。だがよ、疑われるような事をしてきたのは確かだろうよ。軍にいりゃあの人の色んな話が流れてくっからな。まあなんつうの、皆言ってるけどよ、自業自得ってやつじゃねえのか?」
「世の中は、厳しいのですね……。一度の失敗で英雄は今や酷い仕打ちを受けるとは……」
アッシュはゾリャーギとしての本音を語った。戦争狂の粛清帝ですら、余程でなければ一度の失敗で処刑や極地送りにはしないというのに、協商連合の者達は彼女に対してこのような行いをするなんて、と。
いや、彼等にとっては余程なのかもしれない。もしくは、恨みを買いすぎたからか。
「気持ちは分かっけどよ、カウンセラーさん。今の発言は街中では控えておけよ。俺はお前さんの気持ちも察するから聞いてなかったことにする。まあ、世の中は優しく作られてねえってことだ。互いに気をつけようぜ?」
「すみません、ご配慮ありがとうございます……」
「いいってことよ。カウンセラーさんとは今日で最後になっちまうが、元気でな」
「ロイ曹長もお元気で」
そうやって彼等は別れの挨拶を交わす。
だが、アッシュであるゾリャーギは誰もいない事を確認すると歩きながら笑いを堪えきれなかった。
「くくくくっ。どいつもこいつも、人間共は愚かだなあ。お前らが持ち上げ突き落とした英雄とやらはとっくに堕ちてるさ。その代償は、きっとでかいぜ?」
この日を最後に、フィリーネはカウンセリングは終わりその報告はラットン中将にも伝わる。
ラットン中将はこの件こそ予期していたものの、翌週に入った報告で彼は、ついに彼女が軍人として終わりなのだと悟った。
彼の前に並べられたのはいくつかの封筒と報告。
そこにはこう書いてあった。
「フィリーネ少将は一方的に軍への退官届けを提出し、これまで得た勲章全てを返還。これらを国防大臣はフィリーネ少将反対派閥に押し切られ承認。さらにフィリーネ少将はロンドリウムの屋敷を退去し、南西部の半島の端の町ペンザンシーにある、本人所有の小さな別荘へと居を移した。これを機に国防大臣など首脳陣の中でも擁護していた者は彼女諦め見限り、監視も一切付けないこととした。今後フィリーネ少将は軍人ではなく、一市民として扱う事とする」
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