ネコの涙

心符

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第八章

生きて!

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私たちは暫く、想い出に浸っていました。

すると、彼女は、私の首にあの鈴を結びつけたのです。

『カズ、今まで私を支えてくれてありがとうね。大好きだよカズ。』

私を抱き上げ、部屋を出たヒトミは、奥の部屋の襖を開けました。

電気を点けると、正面に、優しそうなお母さんが、写真の中で笑っていました。

その前には、今夜の晩御飯が並んでいたのです。


『お母さん。これがカズだよ。私のたった一人の味方。』

(お母さんは・・・死んでいたんだ・・・。ヒトミは、たった一人でここに・・・。)

『お母さん・・・。私はもうガマンできない。他人の言うことなんか気にしちゃだめって言ったよね?強く生きてって言ったよね?でも・・・もう無理だよ・・・。私そんなに強くなれない。』

涙は止まっていました。

『死んでいったお母さんや、お父さんには、残された私の気持ちなんかわからないよ・・・。小さい時から、どんなにイジメられても、お母さんがいたから、二人で頑張って来たけど、もう誰もいないじゃん・・・。』

小学2年生の時にお父さんが自殺し、それからヒトミに対する学校や友達の態度が変わったのでした。

(あの時の泥だらけの服も、鈴が壊れていたのも・・・。)

私は、鳴らなくなった鈴を、悔しそうな目で見つめていた少女を想い出していました。

イジメられながらも彼女は、お母さんと必死に生きていたのでした。

その辛さは、お母さんにしても同じでした。

周りから変な目で見られ、陰口を叩かれ、近場では落ち着いて働くこともできず、わざわざ離れた町まで、働きに行っていました。

娘のために・・・。

しかし、私がヒトミと再会する少し前に、苦労の末、病気でお母さんは亡くなってしまったのでした。

「親戚」という人たちが、彼女を引き取りにきましたが、それまで一度も助けてはくれず、そればかりか、いつも敬遠して離れていた彼らを、ヒトミは決して許さなかったのです。

結局、彼女は一人で、この家に残ったのでした。

『お母さんは、病気なのに私のために頑張ってくれたよね。だから、私も、どんなにイジメられても、辛くても、死にたくても、ガマンしてきたよ。精一杯頑張ったんだよ。でも、もうムリ。まだガマンしろって言うの、お母さん?』

「イジメ」というものが分からないまでも、酷く悪いものということは分かりました。


『今日私は・・・あいつらなんか死んでしまえばいいと思ったの。どうしても許せないと思ったの。このままじゃ、いつか彼女たちを傷つけてしまうかも知れない・・・。私は負けたの、お母さん。悔しいけど、ごめんなさい。私・・・これ以上は耐えられない・・・。』

(なんで・・・なんでヒトミみたいなイイ人が、こんなに苦しまなきゃいけないんだろう。人間って・・・わからないよ・・・。)

私は、もう何を信じていいのかわからなくなっていました。

ただ、彼女が可哀想で、悔しくて、悲しくてたまりませんでした。

その時、彼女の膝の上にいた私の顔に、冷たいものが落ちてきたのです。

(また・・・ヒトミ、そんなに泣かないで・・・・・・あれ?)

ヒゲに垂れてきた雫を舐めた私は、それが涙とは違うことに気付きました。

(これはっ!!ヒトミっ!!)

慌てて膝から飛び降り、見上げたヒトミの手首から、真っ赤な血が流れ落ちていたのです。

『カズ・・・。ごめんね。お前を独りぼっちにしちゃうね。約束したのに、許してね。カズ・・・』

(ダメだ!!ヒトミ!死んじゃだめだ!)

ゆっくりと畳に崩れていくヒトミに、私は必死で叫びました。

『カズ・・・さようなら。お母さん・・・お父さん・・・。カズ・・・キ君。』

(!?)

私の名前の理由が、その時分かりました。

(そうか!そうだったんだ!・・・ヒトミ、待ってて!!)

私は閉じられた襖に飛びつき、重たい襖を必死で引っかきました。

爪がいくつか飛んで、血が出てきましたが、その時の私は、痛みなんて感じませんでした。

(早くしないと、ヒトミが死んじゃう!)

やっとのことで、襖を開け、いつも開けてある、お風呂場の小窓の格子から、外へ出ました。


私は、あのマンションへと必死で走りました。

最後の角を曲がって、道路を渡ろうとした時です。

左から来た、眩しい光に私は一瞬立ち止まってしまったのです。

『君たちネコってね、車に轢かれそうになった時、固まって動けなくなるんだって。だから、カズは、ここから出ちゃだめだよ。』

ヒトミの声が、頭の中によみがえりました。

(しまったっ!!)

「キキキキーッ!」

「バンッ!!」

とっさに動こうとした時は、もう手遅れでした。

私はその車にはねられ、路上に転がってしまったのです。

暫くは、何が何か分かりませんでした。

(早くしないと・・・ヒトミが・・・ヒトミが・・・)

何とか立ち上がりましたが、体の感覚がなく、思うように歩けませんでした。

そこへ、彼が自転車で帰ってきたのです。

『お、お前・・・カズ・・・か?』

(あれ・・・誰?なんで・・・名前を?)

『カズじゃないか!大変だ!!』

彼は、自転車を投げ出し、私を抱えて、階段を駆け上がりました。

ドアを開ける時、その横に、あの写真で見た文字「和樹」が見えました。

(良かった、辿り着けた・・・。)

『お母さん!お父さん!カズが大変なんだ。助けて!』

私を自分の部屋に運んだ彼は、両親を呼びに行きました。

(ここが、ヒトミの彼の家・・・。)

不思議ともう痛みはありませんでした。

倒れたまま、部屋の中を見渡していた私の目が、ベッドの横の壁で止まりました。

(あ・・・あれは!)

それは、ヒトミが書いた私の絵でした。

破かれた絵は、たくさんのテープで丁寧に貼り合わされ、その壁に飾ってあったのです。

(ヒトミ・・・彼はまだ君を・・・忘れていないよ・・・。)

彼が両親を連れて、戻ってきました。

『瞳ちゃんちのネコか?』

『そうだよ、お父さん。車にはねられたみたいなんだ。医者なんだから、助けてあげてよ!』

『どれどれ・・・』


彼のお父さんが、私にさわり、診察をしてくれました。

『和樹、外傷はないようだが、目の様子がおかしい。恐らく、頭でも打ってるのかもしれないな。レントゲンを撮ってみないと・・・』

『えっ?傷はないの?でも、その血は?』

『さぁ・・・?もう少し良く診てみるか。苦しそうだから、とりあえず、これは外すよ。』

「バチン!」

おとうさんが、私の首輪を切りました。

「リンリン♪」

拾い上げた彼の手元で、あの鈴が鳴りました。

(ヒトミ!!)

その音で我に返った私は、彼に向かって、必死で叫びました。

『おいおい、急にどうしたんだ?このネコ。和樹、おまえにほえてるぞ。』

『この鈴は・・・瞳ちゃんの・・・・・・その血は・・・まさかっ!?』

私と彼の目が合いました。

(早く!早くヒトミを!!ヒトミを助けて!!)

『お父さん!車っ!!瞳ちゃんの家へ、早く!!』

お父さんも事の重大さに気付き、二人は慌てて部屋から飛び出して行ったのです。

(ヒトミ・・・もう少しだからね・・・もうすぐ大好きな彼が、もう一人の味方が助けに行くからね・・・死んじゃいけないよ・・・。ヒトミ・・・生きて!!)

私の意識は、そこで少しの間、途切れてしまいました。
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