【完結】のぞみと申します。願い事、聞かせてください

私雨

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エピローグ

第44話 餞別として、この名前を

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 目が覚めると、見慣れた病室が視界を埋め尽くした。
 つまり、私は現代に戻ってきた。
 それでも、違和感は微塵も感じない。最低限、多少の時差ボケを感じるはずだと思ったのに、ただ昼寝から目覚めたような感覚だった。
 欠伸あくびを漏らして、私は身体からだを起こした。
 視線を落とすと、いくつかの絆創膏が膝を巻いている。しかし、膝を動こうとしても全然痛まなかった。術後の痛みはやっと消えたようだ。

「おはよう、のぞみ

 と、かなえは笑みを浮かべて言った。
 ずっと私の側にいたのだろうか……。
 零士れいじはもう仕事に行ったのか、彼が突っ立っているはずのところに視線を向けると、そこには誰もいなかった。
 
「あのね、今日はやっと退院するよ! 一週間も寝てて、昏睡状態みたいだった。でも、わたくしは信じてたの。タイムスリップが上手くいくのを」
「うん、大成功だった! 私たちはのぞみの葬式に行って、無事で矢那華やなかを倒して……」
「あら、楽しそうだったわね」

 言って、かなえはうふふと笑った。
 でも、彼女は『楽しい』ではなく、『楽しそう』と言った。つまり、かなえは何も覚えていないのだろう。
 それに気がつくと、私は少し悲しくなった。

「叶《かなえ》……叶は本当に何も覚えていない?」
「いいえ。時間をさかのぼりたいという願い事を持ってたのはわたくしではなかったから。その思い出があるのは、のぞみだけだよ」
「そっか……」

 ーーなんでだろう……。なんで私だけはあんな楽しい思い出を覚えられることになったのか?
 
 かなえはあんなに活躍したのに……。彼女は警察に連絡したし、銃を壊したし、ここぞという時に背中を押してくれた。
 なのに、結局彼女にはそんな思い出がない。
 まるで夢を見ていたかのように……。
 
「ね、退院したらゆめゐ喫茶に行こう。お客様を待たせちゃうのよ」

 お客様……。そう、お客様が私を待っているんだ。一週間も待っているお客様がいるかもしれない。
 だから、私は立ち上がらなければならない。
 接客しないといけない。
 零士れいじと話して、これからのありふれた日々を楽しまないと……。
 
 ーー外が私の返り咲きを待っているから。

「では、早速行こうね!」

 言って、私はベッドから出て、背伸びする。
 しばらく裸足のままで歩いて、スリッパを履いた。
 私は窓から差し込む陽射しに身体からだを浴びる。今朝の陽射しは非常に美しく、木漏れ日のようだった。
 ややあって、私はかなえの鞄からくしを取り出して、髪をかした。
 私と入れ替わるかのように、かなえは窓からの景色を眺めている。多分、くしを借りたことに気づいていない。
 私はかなえの背中を軽くつつくと、彼女が我に返ったように「お!」と口に出した。

「ごめん……。この絶景に見惚れちゃって。ね、見てみな」

 私は言われるがままに窓に近づいていった。
 目に映ったのは絶景この上ない。
 病室の大きな窓のおかげで、私は初めてこの町を一望できた。
 秋葉原を見下ろすと言葉を失った。
 それぞれの街を行き交う人々は蟻のようだった。
 大きな商店街なのに、窓から見ると一、二畳ほど小さく見える。それでも、ゆめゐ喫茶ははっきりと見えた。
 他の人ならあのありふれたメイド喫茶に気づかなかっただろう。しかし、私にとってあの場所は家のように思った。私の居場所。

「綺麗……」

 それしか言えなかった。社会人なのに語彙力が足りなすぎる。
 私は視線を窓から剥がして、ドアに目を向けた。

「じゃあ、行こうか?」

 私はかなえに振り向いて、そう促した。
 ドアを開けてから、私は一週間ぶりに廊下を歩き始めた。
 病室以外の場所を歩いていると、心の底から解放感が湧いてきた。鳥籠から逃がした野鳥かのように。
 私は息を呑んで、かなえゆめゐ喫茶きろについた。

♡  ♥  ♡  ♥  ♡

「「「お帰りなさいませ、お嬢様!」」」

 ゆめゐ喫茶に入った途端、紙吹雪が大量に放たれた。

「ど、どういうこと?」

 困惑している私に誰も応えてくれなかった。
 紙吹雪が落ちていくと、四人の姿が見えてきた。

「よかったな、みおちゃん!」

 一つ目、零士れいじ

「入院したと聞いてホントに心配してたんだけど、無事でよかったです!」

 二つ目、さきさん。

「生きててよかったのぞみ! 次のライブが決まったら二つのチケットを無料で!」

 三つ目、水樹みずきさん。

「店長も来てくださいね!」

 そして四つ目、夢輝ゆめきさん。
 私とかなえに願い事を叶えられたお客様が全員揃っている。

「ではでは、退院パーティーを始めましょう!」
 
 ーー退院パーティー? 

 これはかなえ零士れいじの計画だったのか? どうりで零士れいじが病室にいなかったわけだ。私が起きる前に、ひたすら店内を飾っていただろう。

「みんな……本当にありがとうございます!」

 言いながら、私は幸せの涙を抑えようとした。でも、結局込み上げた感情が止められなかった。涙が溢れていて、私は鼻をすする。

「だ、大丈夫ですか?」
「だいじょうぶです。ただ、ほんとうに……うれしいよ……」

 零士れいじと会えて、皆を幸せにして、日々を楽しめる。
 すべてがかなえと故・のぞみのおかげだった。
 のぞみが私を見ているかな……?
 だったらいいなぁ。この世に居なくても、彼女を幸せにすることができるかもしれない。

 ーーあのね、のぞみ。私はいい跡継ぎですか? ちゃんと願い事を叶えてあげたんですか?

「素敵なメイドですよ!」

 その声は、まさか……!?
 振り向くと、亡くなったはずののぞみがそこに立っている。
 私は口をぽかんと開けて、目を見開いた。

「の……ぞ……みぃ!?」

 私の困惑に、彼女は口を手で押さえて吹き出した。
 そして、かなえは席から立ち上がって、こちらに向かってきた。お客様が聞こえないように少し声を潜めて、説明する。

「少しずるいかもしれないけど、わたくしは自分の願い事を叶えたんだ。それは、もう一度だけ、のぞみに会えることだった……」
「そんな願い事も叶えられるのか? っていうか……」

 私とのぞみは同時に口を尖らせて、かなえをにらみつけた。

「「もう、相談はどうなったかよ!?」」

 もちろん、実は怒っていない。

「ま、今日だけならいいでしょ」

 言って、のぞみはテーブルに席を引きずって座った。

「あのね、のぞみ。君が消える前に、この名前を返したいんです」
「……そうですか?」
零士れいじに『美於みおちゃん』と呼ばれてからそう思ってたんですよ。本当の私はのぞみじゃなくて、美於みおなんだ、と。それに、これからは自分なりに頑張って、もっと可愛いメイドになりたいです」
「なら、お譲りさせていただきました~!」

 私たちは軽く笑った。
 テーブルの向こう側で、零士れいじがこちらに笑顔を見せた。
 これから、私は美於みおとして精一杯頑張りたい。
 零士れいじの推し、いや、秋葉原のトップメイドになるまで。
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