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第四章『再会』
第27話 やなか部長はしつこい
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矢那華部長の冷房の効いた個人事務所。
俺は何回も行ったことがあるのに、来るたびに恐る恐るドアをノックする。
今日、彼女は特に機嫌が悪そうなので、俺はいっそう緊張している。
「どうぞ、入ってください」
ドアの向こう側から矢那華の声がかすかに聞こえる。俺は徐々にドアを開けると、矢那華の姿が目に入った。
彼女は背中を向けたままオフィスチェアに座っている。
個人事務所に入ると、矢那華は肩を竦め、溜息を吐いた。
俺がドアを閉めると、彼女は振り向き、俺に冷たい視線を送った。
「なんのようだ?」
その言い方だと、怒っているに違いない。だが、なぜなのか?
一応訊いてみたかったけど、「大丈夫ですか」と訊いたらクビになるかもしれない。
だから、これからは言葉を慎重に選ばなければいけない。
「俺と桜が開発しているアプリのことなんですが、依頼者がゆめゐ喫茶かなと訊きたかったんです」
俺の言葉に、矢那華は再び溜息を吐いた。
「あんたはこの会社で何年も働いてるのに、まだそんな質問を訊いてるのか? ったく、もう何回も言ったでしょ? 依頼者の名前を教えてはいけないんだって」
確かにそういうことは何回も言った。しかし説得したら、教えてくれるかもしれない……。
この会話を続けたら、俺はクビになる可能性が高い。なのに、続けるしかない。自分に誓ったから。
『クビになっても』と。
だから、俺は訊いてみた。
「……矢那華部長」
「はい?」
「……大丈夫ですか? なにか、気になってるようですけど」
矢那華は躊躇しているように黙り込んだ。
彼女は床と天井を交互に見て、視線をさまよわせる。しばらく考え込んだあと、矢那華は再び口を開いた。
「ゆめゐ喫茶に行ったことがある。だけど、あのメイド……。あのツインテールのメイド。彼女は私の願い事を断りやがって!」
ーーツインテールのメイドというのは、数年前に俺にチラシをくれた希というメイドのことかな。
「彼女に願い事を言ったら、下心があると言われた。結局、私は何も変わらないまま家に帰って、一人で泣いた。お酒のおかげで、朝が来たら気を取り直したけど、ずっと気になってたんだ」
ーー矢那華部長が素直に答えるとは!!
俺は言葉を失った。こんな返事は予測もつけなかった。だが、矢那華の機嫌が悪い理由が少しだけわかってきた気がする。
嫌な思い出が蘇ったのか、彼女は深々と泣き始めた。涙が頬を伝って、雨粒のように靴に振った。
「も、申し訳ございません矢那華部長!!」
クビにならないように、俺は必死に謝ろうとしていた。しかし彼女の顔を見ると、怒りは微塵もなかったことに気づいた。むしろ、嬉しそうだった。
「謝らなくてもいいよ……。ありがとう、聞いてくれて」
「ところで………依頼者はゆめゐ喫茶ですよね?」
俺が言うと、矢那華の表情が突然切り替わった。
口を尖らせて、ジト目で俺をにらみつける。
「もう、今すぐここを出ないとクビにしてやるよ!」
ーーああ、普通の矢那華がやっと戻ってきたな。
このやりとりのおかげで、俺は証拠を見つけた。依頼者はゆめゐ喫茶のはずなんだ。というわけで、いよいよ次の段階に進むべき。
出る前に、俺は矢那華にもう一度振り向いた。
彼女は席の背もたれにかけた黒いブレザーを手に取って、羽織る。後ろ髪を引っ張り出してから、矢那華は俺と一緒に出ていった。
♡ ♥ ♡ ♥ ♡
俺が矢那華とやりとりをしている間、桜はコードを推敲してくれていたらしい。
事務所に戻ると、彼女は俺に視線を向け、「見て見て!」と言わんばかりに笑顔を見せた。
心地よいオフィスチェアに座ってから、俺は桜の画面に目をやった。
「見てください! 全部のバグを直した!」
言って、桜は証拠としてアプリを起動してみる。彼女の言う通り、そつなく起動した。問題児になると思っていたけど、彼女は逆に思ったより役に立っている。
俺は感心するしかできない。
「では、次は何をすればいい? 部長に見せる?」
「あの、ちょっと後回しにしたほうがいいと思う。矢那華が……」
「まだ怒っているの?」
さっきほどのやりとりを頭に繰り返し、俺は矢那華の冷たい視線をふと思い出した。そんなに早く表情を切り替えられる女性の気持ちはわかりにくい。語彙力の高い俺でさえも適切な言葉が思いつかない。
頭を掻きながら、俺はこう答えた。
「正直、彼女の気持ちはさっぱりわからない。嬉しそうだと思った途端、突然冷たくなった」
俺の拙い答えに桜はクスクスと笑い出した。
「まったく、女心がわからないタイプだよね」
「え? 俺、女心がわからないのか?」
「本人も言ったでしょ?『正直、彼女の気持ちはさっぱりわからない』って」
「いや、そんな意味じゃなかったよ! ただ表情はいつも変ってるし、顔を何回見ても気持ちが読み切れないんだ」
俺が言うと、桜は名案を思いついたようにいきなり立ち上がった。
「なら、私が矢那華を見せたらいいんじゃない? 新入りだし、怒らないでしょ」
ーーそうか。だが、彼女が一人で行ったら、俺は出張に行けないことになるかもしれない。
それでも、無難な選択だろう。だから、俺は桜の話に乗った。
「見せたいなら早速行ったほうがいい。矢那華は珍しく個人事務所を出たんで、休憩を取るところかもしれん」
「わかりました!」
言って、桜はドアを開けて走り出した。
彼女の遠ざかっていく姿を見ながら、俺は舌打ちした。
「おい、社内で走るな!」
と、俺は彼女を諭すように叫んだ。
ーーやっぱり問題児だな……。
俺は何回も行ったことがあるのに、来るたびに恐る恐るドアをノックする。
今日、彼女は特に機嫌が悪そうなので、俺はいっそう緊張している。
「どうぞ、入ってください」
ドアの向こう側から矢那華の声がかすかに聞こえる。俺は徐々にドアを開けると、矢那華の姿が目に入った。
彼女は背中を向けたままオフィスチェアに座っている。
個人事務所に入ると、矢那華は肩を竦め、溜息を吐いた。
俺がドアを閉めると、彼女は振り向き、俺に冷たい視線を送った。
「なんのようだ?」
その言い方だと、怒っているに違いない。だが、なぜなのか?
一応訊いてみたかったけど、「大丈夫ですか」と訊いたらクビになるかもしれない。
だから、これからは言葉を慎重に選ばなければいけない。
「俺と桜が開発しているアプリのことなんですが、依頼者がゆめゐ喫茶かなと訊きたかったんです」
俺の言葉に、矢那華は再び溜息を吐いた。
「あんたはこの会社で何年も働いてるのに、まだそんな質問を訊いてるのか? ったく、もう何回も言ったでしょ? 依頼者の名前を教えてはいけないんだって」
確かにそういうことは何回も言った。しかし説得したら、教えてくれるかもしれない……。
この会話を続けたら、俺はクビになる可能性が高い。なのに、続けるしかない。自分に誓ったから。
『クビになっても』と。
だから、俺は訊いてみた。
「……矢那華部長」
「はい?」
「……大丈夫ですか? なにか、気になってるようですけど」
矢那華は躊躇しているように黙り込んだ。
彼女は床と天井を交互に見て、視線をさまよわせる。しばらく考え込んだあと、矢那華は再び口を開いた。
「ゆめゐ喫茶に行ったことがある。だけど、あのメイド……。あのツインテールのメイド。彼女は私の願い事を断りやがって!」
ーーツインテールのメイドというのは、数年前に俺にチラシをくれた希というメイドのことかな。
「彼女に願い事を言ったら、下心があると言われた。結局、私は何も変わらないまま家に帰って、一人で泣いた。お酒のおかげで、朝が来たら気を取り直したけど、ずっと気になってたんだ」
ーー矢那華部長が素直に答えるとは!!
俺は言葉を失った。こんな返事は予測もつけなかった。だが、矢那華の機嫌が悪い理由が少しだけわかってきた気がする。
嫌な思い出が蘇ったのか、彼女は深々と泣き始めた。涙が頬を伝って、雨粒のように靴に振った。
「も、申し訳ございません矢那華部長!!」
クビにならないように、俺は必死に謝ろうとしていた。しかし彼女の顔を見ると、怒りは微塵もなかったことに気づいた。むしろ、嬉しそうだった。
「謝らなくてもいいよ……。ありがとう、聞いてくれて」
「ところで………依頼者はゆめゐ喫茶ですよね?」
俺が言うと、矢那華の表情が突然切り替わった。
口を尖らせて、ジト目で俺をにらみつける。
「もう、今すぐここを出ないとクビにしてやるよ!」
ーーああ、普通の矢那華がやっと戻ってきたな。
このやりとりのおかげで、俺は証拠を見つけた。依頼者はゆめゐ喫茶のはずなんだ。というわけで、いよいよ次の段階に進むべき。
出る前に、俺は矢那華にもう一度振り向いた。
彼女は席の背もたれにかけた黒いブレザーを手に取って、羽織る。後ろ髪を引っ張り出してから、矢那華は俺と一緒に出ていった。
♡ ♥ ♡ ♥ ♡
俺が矢那華とやりとりをしている間、桜はコードを推敲してくれていたらしい。
事務所に戻ると、彼女は俺に視線を向け、「見て見て!」と言わんばかりに笑顔を見せた。
心地よいオフィスチェアに座ってから、俺は桜の画面に目をやった。
「見てください! 全部のバグを直した!」
言って、桜は証拠としてアプリを起動してみる。彼女の言う通り、そつなく起動した。問題児になると思っていたけど、彼女は逆に思ったより役に立っている。
俺は感心するしかできない。
「では、次は何をすればいい? 部長に見せる?」
「あの、ちょっと後回しにしたほうがいいと思う。矢那華が……」
「まだ怒っているの?」
さっきほどのやりとりを頭に繰り返し、俺は矢那華の冷たい視線をふと思い出した。そんなに早く表情を切り替えられる女性の気持ちはわかりにくい。語彙力の高い俺でさえも適切な言葉が思いつかない。
頭を掻きながら、俺はこう答えた。
「正直、彼女の気持ちはさっぱりわからない。嬉しそうだと思った途端、突然冷たくなった」
俺の拙い答えに桜はクスクスと笑い出した。
「まったく、女心がわからないタイプだよね」
「え? 俺、女心がわからないのか?」
「本人も言ったでしょ?『正直、彼女の気持ちはさっぱりわからない』って」
「いや、そんな意味じゃなかったよ! ただ表情はいつも変ってるし、顔を何回見ても気持ちが読み切れないんだ」
俺が言うと、桜は名案を思いついたようにいきなり立ち上がった。
「なら、私が矢那華を見せたらいいんじゃない? 新入りだし、怒らないでしょ」
ーーそうか。だが、彼女が一人で行ったら、俺は出張に行けないことになるかもしれない。
それでも、無難な選択だろう。だから、俺は桜の話に乗った。
「見せたいなら早速行ったほうがいい。矢那華は珍しく個人事務所を出たんで、休憩を取るところかもしれん」
「わかりました!」
言って、桜はドアを開けて走り出した。
彼女の遠ざかっていく姿を見ながら、俺は舌打ちした。
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