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第三章『情熱』

第22話 臨時休業

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 いよいよライブの日が来た。
 意外なことに、かなえは今日を臨時休業にしてくれた。客足が少ないし、臨時休業する余裕もないのに、私がライブに行きたいという気持ちを察したのだろう。
 昨日、私は店先の掲示板に『臨時休業』の張り紙を貼って、戸締りしておいた。
 さく別れを告げる前に、かなえは明日店先で待ち合わせると約束した。
 そして、今日ーー
 私はいつも通り通勤して、今は集合場所ーーつまりゆめゐ喫茶の店先で待っている。
 休みなので、メイド服もOL服も着ていない。今日は珍しく私服を着ているんだ。
 髪はいつも通り下ろしたままだけど、ジャージを着ていて、タイツは履いていない。
 そろそろライブが始まるのに、かなえの姿はまだどこにもない。ライブに遅刻したくないし、私は焦り始めた。
 うろついたり髪をいじったりしながら、頻繁に腕時計に視線を落とした。
 彼女は今一体何をしているのか……。
 化粧している? それともまだ着替えている? 
 なんにせよ、本当にむかつく。彼女を怒鳴りつけたい。
 もう一度腕時計を見ると、ライブが始まるところだと気づいた。
 もちろん一人で行ってもいいけど、かなえが出席しなければ満席にはならない。だから、彼女が来るまで待つしかない。
 
 ーーまさか、この期に及んで欠席するつもりなのか?
 
 しかし、彼女は夢輝ゆめきの願いを叶えたからには欠席するわけにはいかない。そもそもかなえは頼もしそうだし、約束を破るタイプではないだろう。
 諦めようかと思った途端に、誰かが私に声をかけてきた。

のぞみぃー! こっちだよぉー!」

 腕時計から顔を上げると、かなえの姿が目に入った。
 私は唇を尖らせて、ジト目で彼女をにらみつけた。

「何をしてたんだよ!! もう間に合わないでしょ!」
「あら、今日は態度がかなり無礼だね」

 言って、かなえはうふふと笑った。
 無礼とはいえ、彼女はよほど怒っていないだろう。
 とにかく、誰かを怒鳴りつけるのは意外と楽しい。私はOLだったころ、どうしてもくずの上司を怒鳴りつけたかったんだ。しかし、そんなことをしたら必ずクビになるから我慢した。

「休みだもん! 今日だけかなえは上司じゃないし、私は店員じゃないんだね」
「そうか。まあ、そんなのぞみもかわいいから許してあ・げ・る~」

 言って、彼女は私の頭から爪先まで視線を落とした。

「そういえば、今私服を着ているよね。本当に似合うと思うよ」

 どんな服を着ても、かなえはいつも「似合う」と褒める。しかし、彼女にはいろいろな決まり文句があるので、本音か建て前か区別がつかない。だから、かなえに褒められるたび、少し嫌な気持ちになってしまう。

「ありがとうございます」

 私は思わず仕事モードに戻ってしまって、そう言ってから一礼した。
 私服の話に気を取られて、ライブのことをすっかり忘れてしまった。
 今は何時なのか、と私は腕時計に視線を落とした。

 ーーやばい。

「と、とにかく雑談する暇がないよ。ライブの会場に早く行かなきゃ!」

♡  ♥  ♡  ♥  ♡

 幕の向こう側で、衣装に着替え終えた私と水樹みずきは舞台裏で準備している。

「ね、大丈夫ですよ」

 緊張している私に、水樹みずきはそう呟いてくれた。
 私は深呼吸をして、気を取り直した。路上ライブの時は全然緊張していないのに、なぜか今はすごいプレッシャーを感じている。

「うん。ありがとう、水樹みずき

 そう答えて、私は少し落ち着いた。
 ドアの開ける音がして、会場に重なる足音が聞こえてきた。音からすると、かなりの人数が来てくれたようだ。
 まあ、満席だから当然だろう。そういえば、今まで青いドリーマーのライブは満席になったことがなかったっけ。
 とにかく、そろそろ一曲目を歌う時間だ。
 その前に、私は水樹みずきと向き合って手を重ねた。

「じゃ、最高のライブにしましょうね」
「きっと大成功だと思います!」

 言って、私たちは重なった手を上げた。
 
「さあ、行きましょう! 次のドリームへ!」

 幕が開くと、会場から眩しい光が私たちを照らす。
 目がくらんで、しばらく何も見えなかった。
 しかし目が慣れると、視界に入ったのは空席のない会場だった。しかも、最前列の席に座っているのはゆめゐ喫茶の店長とのぞみ
 私はぽかんと口を開けた。
 
「ほら、大丈夫だって言いましたよね?」

 ーー本当に満席になったんだ!

 願い事を叶えるメイド喫茶。
 正直、そんな店があるなんて信じられなかった。しかし、身をもって体験したからには、私は信じている。
 願い事とは夢だけではなく、本当に叶えるということをーー

「皆様、青いドリーマーのライブに来ていただいて本当にありがとうございます!」

 その言葉に観客が歓声を上げた。

「最近、青いドリーマーの将来が暗そうでした。お金があまりなくて、このライブが最後かなぁー、と私はずっと悩んでました。一人では何も変わらないだろうと思った途端、新しいメンバーが入ってくれました。彼女のおかげで、私はもう一度気合を入れて頑張ることができたんです!」

 そう言うと同時に、水樹みずきが舞台に入って、観客が再び歓声を上げる。

「これはまだ序の口です! 本日皆さんが来てくれたおかげで青いドリーマーはきっと存続できると思います。これからはもっともっとライブしたいんですので、お見逃しなく!」

 と、水樹みずきは言って頭を下げた。

「それでは、一曲目を聴いてください……!」
「「新たなドリーマーズ!」」
 
 言って、私たちは舞台ステージで背中合わせになって見上げた。
 目配せをすると、会場が暗くなってきて、音楽が流れ始めた……。

♡  ♥  ♡  ♥  ♡

「あおいちゃん! あおいちゃん! あおいちゃん!」

 最後の曲が終わると、皆が私のあだ名を唱和する。
 私は埋め尽くした客席を見渡して、すごく嬉しくなった。満席のライブはこういう感じなんだ、と初めて実感した。
 ファンの人波が声援を送って、皆が喜んでいる。
 こんな楽しい時間を終わらせたくなかった。しかし、そろそろ別れを告げる時間だとわかっている。
 皆が解散したら、私はのぞみともう一度話したい。ちゃんとお礼を言いたい。

「ということで全曲を披露したので、終わりの時間が来ました……。皆の応援のおかげで今日はとっても楽しかったです!」

 と、水樹みずきは観客に笑顔を見せて言った。

「「本日は、ありがとうございました!」」

 言って、私と水樹みずきは一礼した。
 皆は最後の歓声を上げて、解散し始める。
 そして、ゆめゐ喫茶の二人が近づいてきた。

「お疲れ様でした」

 そう言ったのは店長だった。
 のぞみとは対照的に、彼女はかなり落ち着いていた。

「さ、最高でしたわ! 次のライブはいつですか?」

 と、のぞみは元気な声で訊いてきた。

「あの、まだわかりませんけど……」
「あ、すみません。調子に乗りすぎたんですね」

 その言葉に私はくすくすと笑った。
 のぞみは接客している時とはまったく別人だ。しかも、私服姿を見るのは初めて。

「いやいや、大丈夫ですよ。そんなにハマってくれるファンがいるのはとっても嬉しいです」
「それでは、明日は仕事なので……」

 と、店長はコホンと咳払いをして言った。
 彼女は空色の髪を場内に吹き込んだ隙間風になびかせる。振り向かず、のぞみとともに出口に向かっていった。
 私と水樹みずきは笑顔で二人の後ろ姿を見送った。
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