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間章『雨が故の仲違い』

第18話 小泉さんが見たやらずの雨

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 橋下はしもと彩香さやか。それが私の友達の名前でした。
 彼女は雨に濡らし、狂ってしまったのです。そして、雨上がりに早朝堤防に行って、飛び降り自殺しました。
 
⯁  ⯁  ⯁

 テーブルに置いた携帯が震えました。画面をつけてみると、橋下さんのお母さんからメッセージが来たことに気づきました。
 
『今日家に来ませんか。私たちは彩香の話をしたいんですが』

 私はしばらくそのメッセージをじっと見つめました。
 再び橋下さんの名前を目にすると、色々な思い出が頭に蘇りました。その思い出を、どうしても彼女のご両親に話したいと思います。
 
『お誘いありがとうございます。必ず来ます』

 返事を打ち込んで送信してから、私は携帯をテーブルの上に戻しました。
 母が買い物に、父が仕事に行ったので、家は不気味なほど静かでした。一人で家にいると、私は小さな音にでもびっくりしてしまうことが多いです。
 さっき数学の勉強として問題集の難問を解いてみたが、友達の飛び降り自殺のことで頭がいっぱいでした。他人には冷静沈着な女性に見えるかもしれないが、実は私はまだ今の状況を飲み込もうとしているのです。
 私は立ち上がって自室に向かいました。
 家に帰ったとき、私は疲れているので制服姿のままでうたた寝してしまいました。でも、そのせいで姿にたくさんのしわが出てしまい、このままでは橋下の家に行けません。
 自室に着くと、私は制服を脱いで喪服に着替えました。漆黒のブレザーとスカートに、黒いタイツ。髪も黒髪だから、私は完全に黒ずくめでした。
 ブレザーの襟元に両手を突っ込んで、挟まった髪の毛を引っ張りだしてから、私はきびすを返して自室を出ました。
 後はレインコートを着るだけ。私はコートハンガーからレインコートを手に取って、引っ掛けました。雨が降っていないので、フードを被りませんでした。
 準備万端。私は出かける前に再び髪を取って、姿見で容姿を確認してから玄関に行きました。
 しかし、一歩玄関に踏み出すと、母がそこにいました。
 私はびっくりして、危うく尻餅につきそうになりました。
「ただいま――あれ、大丈夫なの、三那子みなこ?」
「お、お帰り……」
 母は頭から爪先まで私のレインコート姿を見て、怪訝そうな顔をしました。
「あの……どこかに行くつもりなの?」
「それは――」
「ダメよ。数学の勉強をしなさい」
 私の言葉を遮った母はそう言いながら頭を左右に振りました。
 私はどう返事すればいいのか、さっぱりわかりません。もちろん、橋下の家に行きたいのですが、母と喧嘩したくないです。それでも、多少の喧嘩をしないと数学の勉強に戻させられてしまいかねない。
「問題が難しすぎるわ、ちゃんと考えられないわで、休憩しないと困るね」
 私がそう言うと、母はいぶかしげに首を傾げました。
「それはただの言い訳なんじゃないか? 休憩したいなら、家で休憩しなさいよ」
 埒が明かないことに不満を感じながら、私は思わず吐息を漏らしてしまいました。
 これ以上喧嘩したくないです。それなのに、母は頑固すぎて意地ばっています。
「でも、私は橋下の家に誘われたの……」
「何のために?」
「橋下さんの思い出話をするために」
「そんなのしなくてもいいのよ。辛い思いを思い出させちゃうだけ」
 母の言葉に、私は目を伏せた。
 彼女の言う通りかもしれません。いい思い出もあれば、辛い思い出もあるはずです。それでも、私はちゃんと橋下さんに別れを告げたり、冥福を祈ったりしたいのです。
 
 ――だから、私も意地を張りますよ。

「私はもう決めた。最後に、もう一度橋下さんの顔が見たい。だから、私は彼女の家に行って、遺影の前で祈りたいの」
「そんなにしたいなら、私は止まらないけど……辛くなったら、私を責めないでよ。それに、戻ったら数学の勉強をしなさい」
 私は無言で頷き、仁王立ちをしている母を通り過ぎました。
 ドアを開けて外に出ると、後ろから母の溜息がかすかに聞こえました。
 どんよりとした空に灰色の雲が流れています。
 私は少し緊張していたが、レインコートもあるし、雨に濡らすことはないと思います。多分。
 しかし、そう思った途端、冷たいものが私の頭の上にぶつかりました。
 私はすぐにフードを被って空を見上げました。
 すると、私は自嘲するようにわらいました。
 なぜなら、最悪のタイミングで、雨が降り始めたからです。

「三那子!!」

 母が叫び声で私に声をかけました。
 私がその声に振り返ると、母は口をぽかんと開けながら必死に家に帰るように手招いています。
 私は複雑な気持ちになりましたが、今は熟考するどころではありません。結局、引き返すことにしました。
 玄関にたどり着くと、母は素早くドアを閉め、安堵の溜息を吐きました。
「ふぁ、危なかったわ」
「でも、私はせっかくレインコートを買ったから、雨に出てもいいんじゃないの?」
 そう言うのは間違いだった。私の言葉に、母はこちらをにらみつけました。
「何を言ってるのかよ? 彩香と同じように雨病うびょうかかりたいのか!?」
「違う、そんな意味じゃなくて――」
 パチンッ、と母は平手打ちをしました。
 右頬が腫れて痛んでいます。私は頬に手を当てて、目を見開きました。
「なんなのよ!? なんで平手打ちしたの?」
 私はついに怒鳴り声を漏らしてしまいました。
 母は少し後ろめたそうな顔をしましたが、すぐに真剣な表情になりました。
「雨が降っているとわかっていたら、君を見送ってほっとくわけにはいかないでしょ! レインコートなんて知ったことじゃない!! ただ、君が無事でいてほしいのよ!!」
 母は声を振り絞るようにそう叫びました。
 そして、彼女の目から涙が溢れ出しました。
 私は喧嘩したくないと言ったのに、なんでこうなったのでしょうか……。
 母が私を守りたかっただけなのに、私はレインコートに執着して意地を張ってしまいました。
 私はどうしても橋下の家に行きたかったからです。でも、そのために母と仲違いしなければならないなら、やはり行かないほうがいい。
「ごめん、お母さん……。これは全部、私のせい」
 嗚咽おえつを漏らしている母を見ると、私も泣きたくなってきました。
 私はいたたまれない気分になり、どうすればいいのかわからず、自室に逃げ込みました。
 自室に入ると、窓を叩く雨が少し激しくなってきたことに気づきました。
 
 田仲さん、山口さん。どうか、無事に雨を凌ぎますように……。
 そして橋下さん。結局君の冥福を祈らなくて、本当にすみません。
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