【完結】赤き花の呪いと奇跡

私雨

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第一章 赤き花の群生

第7話 赤き花の呪い②

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 視界は瞑目めいもくしたかのように暗闇に包まれている。
 しかし、目はつぶっていないはずだ。
 しゃくねつの炎に触ったような凄まじい熱さが身体中に走る。それなのに、全然痛くない。
 真っ暗だった視界が突然真っ赤になると、私は視覚を取り戻した。
 視線を埋め尽くしている赤色なのは、見渡すかぎりの彼岸花。
 ――これは夢なのか? それとも、私は本当に彼岸花畑にいるのか?
 わからない。
 私は立ち上がり、澄み渡る秋空を見上げる。雲一つない、真っ青な空が視線を埋め尽くす。
 視線を前方に戻して周りを見渡しても、彼岸花しかなかった。
 ああ、私はまた一人きりになったのだ。それは、少し嬉しかったかもしれない。
 正直、私はみんなの前で指を切ってしまったときから、ずっと恥ずかしい思いをしている。見苦しいところを見せてしまったし、クラスメイトを怖がらせてしまったかもしれない。
 だから、しばらく一人きりになれるなら、そんなに悪いことではないと思う。
 とはいえ、気になる点がいくつもある。例えば、一体何があったっけ?
 記憶を辿たどってみると、看護婦の声が脳裏に蘇った。
 ――そう、私は保健室で救急車を待っていたっけ。
 思い出してすぐに指の切り傷を確認すると、私は血が止まったことに気づき、胸を撫で下ろした。
 そして、もう一つの疑問がある。私はどうやってここに来たのか?
 私が救急車でここに来たとは考えにくいので、無意識に病院を脱出したのか?
 否、それもあり得ない話だろう。私だったら、罪悪感に打ちのめされて途中で諦めるに違いない。
 とにかく、私は病室に戻らなければならない。どうやってここに来たのかはさっぱりわからないが、医者に私を捜させたくない。
 じゃあ行こうか、と一歩前に進んだところで、ある問題に気づいた。
 ――私は、どの病院に入院したかわからないのだ。
 しかも、入院するのは初めてなので、最寄りの病院がどこにあるのかもわからない。
 今は家の近くにいるはずだが、このことは絶対に母に言えない。
 それなら、自分で何とかするしかないだろう。
 そう思った途端、まさかの声が聞こえた。
『来たよ、彩夏さやか
 その朗々として大人びた声の持ち主は、紛れもなく恵梨華えりかだ。
 しかし、彼女の声はなぜかくぐもっている。彼女が手の届かない、遥か彼方にいるかのように。
 『お見舞い』と言っていたので、私の病室にいるのだろう。
 が、いくらなんでも彼岸花畑から彼女の声が聞こえるはずがない。今のは摩訶まか不思議と言っても過言ではない怪奇現象だ。
「うん、聞こえているよ」
 私はそう言ったが、返事は来なかった。
 声が風に掻き消されたかと思ってもう一度言ってみたが、結果は同じだった。
 つまり、私は恵梨華の声が聞こえるのに、彼女は私の声が聞こえないのか?
 数秒後、誰かさんの甲高い声が聞こえてきた。
『もっと大きな声で言ったほうがいいかも』
 奈波の声も潮騒しおさいのように遠くで聞こえる。おそらく恵梨華と一緒にいるのだろう。
「奈波、私の声が聞こえているの?」
 イエスと答えると期待したのに、残念ながら奈波も返事してくれなかった。
 まあ、二人とも遠くにいるようだから理にかなっているのだが。
『まあ、疲れているでしょうね』
『でも、なぜあたしたちの声が聞こえないの?』
 ――これは困る。非常に困る。
 私には歩き回って病院を見つけるほど体力が残っていない。というか、筋トレなどは全然やっていないので、そもそもなかったかもしれない。
 しかも、私は本当に一人きりのようで、待っていても誰も来ないだろう。
 どうしたものかと悩んでいると、自分の不器用さを痛感した。
 自分だけでは何もできない。いつも他人に助けられてばかりだ。
 もし母が、恵梨華が、奈波が、そして看護婦がいなかったら、私はここまで来れたとは思わない。
 私は観念したように溜息を漏らし、彼岸花のじゅうたんに横たわった。背中は少しくすぐったいが、意外と心地良い。
 彼女たちの会話をBGMに、私は瞑目して風音に耳を澄ます。
『ま、当然なんだけど料理部はもうあたしだけになっちゃったね。だから、早く元気になってまた来てほしいの』
『患者にわがまま言ってはいけないのよ……。あと、いつから料理部あったの?』
『へー? 恵梨華は生徒会役員だから、てっきり部の名前を全部空で覚えたと思っていたんだけど』
『もちろん、全部は覚えていない。……部だけに、ね』
 恵梨華は自分の冗談に爆笑する。
 奈波がその駄洒落に言葉を失ったのか、束の間の沈黙が訪れた。
 寂寞とした彼岸花畑に、私は自分の寂しさを痛感せずにはいられなかった。
 恵梨華と奈波が家に帰ったら、私は誰の声も聞こえなくなる。
 いくら私の居場所とはいえ、独りでここで夜を過ごすのが怖い。
 あの都市伝説のせいか、わけのわからない出血多量が起きたせいか、私は彼岸花が本当に不吉な花だと次第に信じてきた。
 だから、もしかしてここで寝たら、二度と起きないかもしれないと思った。それが何よりも嫌だ。
 私は元気になりたい。またななみと一緒にいろんな料理を作ってみたい。
 彼岸花が不吉な花だとしても、私が都市伝説の言う通りに呪われているとしても、これだけは絶対に諦めない。
 そう思った途端、やる気が突然湧いてきた。
 私は再び立ち上がり、愛しかった彼岸花を蹂躙じゅうりんしながら走る。
 眼前の彼岸花は必死に藻掻もがく私を嘲笑あざわらっているように見えるが、どうでもいいいじめだ。なぜなら、そのうるさいわらい声が私の靴にすぐ鎮められるから。
『大丈夫よ、彩夏。君なら、この病気は克服できるはずよ』
 奈波の声がより近くで聞こえる気がする。
 もう少ししたら、病室にたどり着けるのだろうか? 
 いや、ここには彼岸花しかないのだ。何回周りを見渡しても、病院は見当たらない。
 それでも、私は果敢に声の元へと疾走し続ける。
『そうそう! あたしたちは毎日見舞いに来るから安心してね!』
『あのね奈波、生徒会でやり残したことがあって、そろそろ学校に戻らなければいけないんだけど……。彩夏の面倒を見てもらっていい?』
『あ、実はあたしもこのあと用事があって……』

 ――待って! まだ行かないでください!
 君たちがいなければ、私は――……。

 その瞬間、靴紐が一本の花茎に絡まってしまった。足がもつれ、重力にしたがって顔が地べたにぶつかる。
 意識のつながりは薄い糸のように容易く切れ、視界はまた真っ暗になってしまった。
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