彼氏彼女の大冒険

紅美

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山が動いた?

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  彼女から新しい住まいに遊びに来て欲しいと誘われて来てみたら、最寄り駅は東京との県境にある街で、体力がない上に歩くのが遅いのを自覚してるらしく、駅から近い建物(本人によると約10分)だった。エレベータなしの三階建アパートの三階で、玄関のドアを開けて入ってみたら
「えっ、部屋の中に2階があるのか⁈」
   とハシゴで登って上がるフロアが部屋の奥に見えるのに驚き、声を上げてしまったら、笑われた。
「やぁね、ロフトっていうのよ」
「屋根裏部屋⁈」
「うん、ふた間の物件を1人で借りる余裕はなかったからね、はしごの上のスペースをベッドルームにしてるの」
  とドヤ顔してる。
   駅まで迎えに来てくれたついでに、駅前のドーナツショップで買って来たテイクアウトの箱をダイニングテーブルに置き、保温ポットに入れて買って来たコンビニのアイスカフェラテを自宅の金属製のマグに移して、お茶の支度をしてくれる。
  目の前に差し出してくれる、和柄のキモノガウンの短いのみたいな薄手のジャケットと、開襟シャツを見せながら
「どっちが良い?」
  と言う。
「どう違うの?」
「右のは甚平と呼ばれている日本の伝統的な夏の部屋着なの。もう一つ、シャツもあるから、どっちでも好きな方に着替えて? 部屋の中でエアコンを効かせるのは、寒いし電気代がかかるから、着るモノを涼しくして欲しいと思って」
  キッチンとつないでいるリビングのソファーに座るように勧められ、持って来た荷物(大きめのリュック)を足元に置いた。で、ジンベエとやらを受け取って、着ようとしてると、はおらせてくれる。
 ついでに、Tシャツ脱いだ肌を汗拭きシートで端から端まで吹き上げてくる。シトラスにメントール系を混ぜたみたいな香りで爽やかだし、スーッとする。さらにスプレーのシーブリーズを身体中に吹きつけ、白いパウダーが肌に残ってるのを見て笑う。ジンベエを着せられ終わってみると、風通しの良いデザインとサラサラした生地で随分と快適だった。
「これ、ここに来た時だけじゃなく、自分のアパートでも着たいなぁ…ウチも電気代節約したいし」
と言ったら
「もちろん、持って帰って。こっちで着る分は、また買っておくから大丈夫」
 と笑ってくれた。
  トレイに載せたステンレス製のマグカップとドーナツの皿を洗って来た彼女が隣に座って、近くのコーヒーテーブルを引き寄せる。
   2人で座るとちょうどの幅のソファに並んで座り、彼女の膝に乗ったトレイからおやつを手に取って口に運ぶ。一口だけ口をつけたマグを目の前のローテーブルに置いた彼女に従って、自分のマグをテーブルに置き、彼女に向き直り、口を開いた。
「1人で部屋を借りたってことは、離婚した?」
「彼と離れて暮らしてみたいって思って……一人で住んでるとダメになっちゃうことがあったから不安だったし……」
「正式な離婚ではないんだね?  一人で住んでみる、お試し期間?」
「そんな感じ」
「きみは欲しいものが多いからなぁ……」
   そう、だからこそ、安定した生活を与えてくれる男から離れられなくて、ずるずると意に染まない結婚生活を継続していたんだし、既婚なのに俺と関係を持っ
 たんだ。
    外国人である自分に比べて、稼ぎの良い日本人の旦那さんと別れる気になるとは思わなかった。
    前から、この人の部屋に来ると、奥から色々引っ張りだしてきて、アレコレともらっちゃうことが多く、寒い季節に乾燥して粉を吹いた手を見てハンドクリームをくれたり、現場仕事に持って行けるように保温のステンレス水筒をプレゼントしてくれたりした。それも、ダンナが稼いでるんから、自分たちの生活には困ってなかったからこそのことだと遠慮なく受け取ることが出来てたんだけど、これからは、そうもいかないのかもなぁ…。
  こちらのアパートに来てくれたときに必要だと感じたらしく、夏場は麦茶のパックや梅昆布茶の小袋をくれて、水分補給をし易くさせてくれたり。ウチでシャワー浴びてカラダを拭くバスタオルが足りないとなって、
「今度自分のバスタオル持ってくる」
 と言い出したから、こちらで彼女の為のバスタオルを用意することになったり。
   ま、お互い様って感じだ。
   彼女に寄り添うとふわりと香る海の香りが、制汗剤を兼ねた夏のボディローションと知ったのは、ちょっと前の夏にウチに来てくれた時のことだった。シャワー浴びて火照った身体に冷たいスプレーミストを吹きかけているのを見て、「それなぁに?」と問い掛けたら、俺の身体にも吹き掛けてくれながら、説明してくれた。
    当時は虫除けスプレーも持たない外国人だった時期を知ってる人として、色々教えてくれる機会が多かった気がする。
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