LA・BAR・SOUL(ラ・バー・ソウル) 第1章 プロローグ

吉田真一

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第1章 憂鬱

第7話 タブレット

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 私は怒りに震える手で、財布が入ってるブリーフケースを持ち上げた。そして暗証番号四桁を揃えてチャックを開ける。ケーキ代だけは意地でも払いますからね! 誰があんたの慰めなんか受けるもんですか!

 因みに......最近社内で重要顧客情報が盗まれると言う事件が起こったばかりだった。そんな訳で、最近ブリーフケースをロック機能が付いたものに変えたところ。まぁ、現時点ではただの余談に過ぎないけどね。

 ところが......チャックを開けた途端、なぜだか妙な違和感を覚えてしまう。あれ? 

「えっ、なっ、なんで?!」

 財布はいつもの内ポケットにしっかりと入っている。そこは問題じゃ無い。問題は別にあったのである。その問題とは、

「タ、タブレットが無くなってる! ど、ど、どうして?!」

 私は慌ててブリーフケースの中に入ってる物を全て外へぶちまけた。無い! 無い! 無い! 私は家でも仕事するから、いつもタブレットは持ち帰ってる。毎日のルーティンだ。

 だから入れ忘れることなんか、絶対に有り得なかった。しかもチャックを閉めてカギが掛かってるんだから落とす訳も無い。ま、まさか......盗まれた?!

 一度は怒りで真っ赤になった私の顔が、信号機のように見る見る青ざめていく。するとマスターは、私の吐いた暴言なんか全く意中に無い様子で、実に自然体で語り始めた。

「どうやら、何か大事な物を無くしたみたいだな。焦ったところで無くし物が出て来る訳でも有るまい。まずはこれでも飲んで落ち着いたらどうだ。マ・ド・モ・ア・ゼ・ル」

 トクトクトク......マスターは可憐な手つきで、ミネラルウォーターをグラスに注いでいく。さすがにこの状況でアルコールは不味いと思ったんだろう。

 正直......喉がカラカラだった。もしかしたら身体中の水分が、全部涙になって出尽くしちゃってたのかも知れない。

 まずは落ち着かなきゃ......そこは悔しいけど、この憎たらしいマスターの言う通りだ。私は再びカウンター席に腰を下ろし、差し出されたグラスをゆっくり飲み干していく。

 ああ、美味しい......今日一番の幸せだ。こんな些細なことすら幸せに感じてしまう程、今日の私は不幸の連続だったんだろう。

 タブレット......それはもちろん会社から支給されたもの。仕事の情報、顧客情報、私の成果など、全てを記録したタブレットだ。そんな大切な物を無くしてしまった......

 その事実が私に取って、そして会社に取って、いかに重大なことであるかを私は知っている。

 どっ、どうしよう? 私はこれからどうなっちゃうの?! 

「大丈夫。直ぐに見付かるから安心するといい」

 顔面蒼白の私に対し、軽々しくもそんな言葉を投下する爆撃機マスター。私を力付けたいと思う一心で言ってくれたことには感謝するけど、あいにく今の私は少しばかり冷静じゃ無い。『逆撫で』以外の何物にも値しないわ。

「もう結構。タブレットは自分で探すから......ケーキ代と水代でお幾ら?」

 残念だけど、ここで長居することに対し何の価値観も見出せなかった。このマスターと喋ってたところで、魔法のようにボンッ! とタブレットが現れる訳でも無いし。

 正直、何をどうしていいのかも分からなかったけど、とにかく動かなきゃ何も始まらないと思ったわけ。直ぐに会計して店を出なきゃ!

 そんな私の焦りを知ってか知らずが、マスターは再び得意の推理を始めたのである。相変わらず、済ました顔して鼻高々。もう意地が悪いと言うか病気だ。腹が立つわ!

「こう言う時はだだ闇雲に動いたって時間を浪費するだけ。そんなに焦ってるところを見ると、きっと仕事の大事なタブレットなんだろう。顧客情報や企業機密をふんだんに溜め込んだサーバーにリンクしてるんじゃないのか? 

 マドモアゼルは賢い。故にそのブリーフケースに間違いなく入れたと言う確信を持ってるんだろう。なのに無くなっている......だったら一刻も早く情報を整理して、取り戻す為のプランを立てる必要が有ると思うんだが、違うか?」

 正直、この発言には少し驚いてしまった。まだ私は『タブレットが無い』としか言って無いのにも関わらず、ここまで想像を巡らし、尚且つ寸分の狂いすら生じていない。多分、私のマスターに対する見方が少しづつ変わって来たのもこの頃だったと思う。

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