5 / 26
第1章 憂鬱
第5話 マスカラ
しおりを挟む
マスターは無言で飲み物メニューを差し出すと、再びテーブルへと戻って行った。まだ片付けが全然終わってない。かなりのひっ散らかりようだ。今また団体客でも来ようものなら、きっと収拾がつかなくなるだろう。
そんな状況を察した私は、カウンター席の上に『Paul Smith』とブリーフケースを置き去ると、ふぅ......溜め息一つ。トレイ片手に、気付けばマスターと一緒にテーブルを片し始めていたのである。
別に同情とか、人助けとか、そんな立派な心情から始めた行動じゃ無かった。多分、ぽっかりと空いてしまった自分の心を、何でもいいから埋めたかったんだと思う。相手にしてみれば、有りがた迷惑なのかも知れないけどね......
一方、そんな不審とも言える私の行動に対して、マスターの反応はと言うと、これまたかなり不審だった。と言うか絶対に変!
「いやぁ、中々慣れた手付きだ。その食器の重ね方は堅気じゃないな。経験者とお見受けしたが......居酒屋? いや、喫茶店のウェイトレスか?」ですって。しかもニヒルな顔して。
普通なら慌てて『カウンター席でお待ち下さい』とか、『お客様、困ります』とか、百歩譲っても『有り難うございます』だろう。しかもため口だし。でもまぁ、やりたくてやってる訳だから、別に構わないんだけどね。
「ええ......学生時代ずっと喫茶店でバイトしてたもんで」
私は何食わぬ顔してそんな風に答えた。別に嘘は言ってないし。するとマスターはことも有ろうか、更に飛んでも無いことを言い出したのである。
「今のOLなんかより、この仕事の方が向いてるんじゃないか? おっと、気に障ったら申し訳無い。俺は思ったことをそのまま言っちまう質なんでね」
なんて捨てセリフを吐きながら、たまにグラスがひっくり返ると、チッ! なんて私に舌打ちしてくる始末。それ、あたしのせいじゃ無いでしょ?!
なっ、何なの、このマスター? ため口どころか、完全な上から目線じゃない! どっちが客だか店員だか分からなくなってくる。正直、思いっきり気に障った。食器片しが上手いと誉めるのはいいけど『今の仕事は向いて無い』的な発言はさすがに腹が立つ。納得いかないから、シンプルにこう聞き返してみた。
「その根拠は?」
「モノトーンのスーツに、踵が減り切ったパンプス。見て直ぐにOL、しかも営業職だと分かる。あとスーツの襟元のバッジは、風紀に厳しい帝徳商事の社員であることの証。
恋人に振られて、傘も差さずに取り乱してるようじゃ、この会社じゃ成就しないだろう。だからそう言ったまでだ。外れてるか?」
見れば、片手で前髪をたくし上げながら、『してやったり』的な表情を浮かべてる。まじまじと顔を見てやると、鼻筋の通った顔立ちに切れ長の目。
一瞬ドキッとする程に整ってはいるけど、タランチュアって言うのかコブラって言うのか......とにかく『毒』が前面に現れたその表情に私の身体は思わずすくんでしまう。
「む、む、む......」
正直、そんなマスターの猛毒攻撃に、私はぐうの音も出なかった。だって全部当たってるんだから。
それはそうと......私が恋人に振られて取り乱してる? それも悔しい程に当たってるけど、どうしてそんなことが分かるの? 私なりに、心を落ち着かせてから店に入ったつもりよ。
一体なんで?
「唸ってるところを見るとやっぱ図星ってことか......でもなんで自分が振られたことを俺が知ってるか? その答えを聞きたいんだろう。そんなの簡単なことだ。
『Paul Smith』と言えば、男の必須アイテム。しかもリボンが付いてるとなれば、それはプレゼントに他ならない。更に今日はやたらと寒いから、身体の構造上鼻水は出るが、涙は出やしない。さぁ、これで拭いたらどうだ? 綺麗なお顔が台無しだ」
見ればマスターは、ペーパーナプキンを差し出している。ハッと思い、私はスマホ画面をミラーモードにしてみた。すると、
「あっ!」
なんとマスカラが涙で流れ落ち、パンダがビックリ顔してる。私、こんな顔で街歩いてたんだ......はっ、恥ずかしい!
知らぬが仏とは正にこう言う時に使う言葉。慌てて私が化粧直しを始めると、マスターは更なる飛んでも無いミサイル級の話を始めたのである。あっ、有り得ない!
「逆にそんな顔を『琢磨』に見られなくて良かったんじゃ無いか? もっとも、『琢磨』がちゃんと待ち合わせに来てれば、パンダ顔にもならなかったか......おっと、これも余計なことだな。失敬」
た・く・ま ??? !!!
今あなた......何てことを言ったんですか? 私の空耳じゃ無ければ、確か......『琢磨』って言いましたよね?
そんな状況を察した私は、カウンター席の上に『Paul Smith』とブリーフケースを置き去ると、ふぅ......溜め息一つ。トレイ片手に、気付けばマスターと一緒にテーブルを片し始めていたのである。
別に同情とか、人助けとか、そんな立派な心情から始めた行動じゃ無かった。多分、ぽっかりと空いてしまった自分の心を、何でもいいから埋めたかったんだと思う。相手にしてみれば、有りがた迷惑なのかも知れないけどね......
一方、そんな不審とも言える私の行動に対して、マスターの反応はと言うと、これまたかなり不審だった。と言うか絶対に変!
「いやぁ、中々慣れた手付きだ。その食器の重ね方は堅気じゃないな。経験者とお見受けしたが......居酒屋? いや、喫茶店のウェイトレスか?」ですって。しかもニヒルな顔して。
普通なら慌てて『カウンター席でお待ち下さい』とか、『お客様、困ります』とか、百歩譲っても『有り難うございます』だろう。しかもため口だし。でもまぁ、やりたくてやってる訳だから、別に構わないんだけどね。
「ええ......学生時代ずっと喫茶店でバイトしてたもんで」
私は何食わぬ顔してそんな風に答えた。別に嘘は言ってないし。するとマスターはことも有ろうか、更に飛んでも無いことを言い出したのである。
「今のOLなんかより、この仕事の方が向いてるんじゃないか? おっと、気に障ったら申し訳無い。俺は思ったことをそのまま言っちまう質なんでね」
なんて捨てセリフを吐きながら、たまにグラスがひっくり返ると、チッ! なんて私に舌打ちしてくる始末。それ、あたしのせいじゃ無いでしょ?!
なっ、何なの、このマスター? ため口どころか、完全な上から目線じゃない! どっちが客だか店員だか分からなくなってくる。正直、思いっきり気に障った。食器片しが上手いと誉めるのはいいけど『今の仕事は向いて無い』的な発言はさすがに腹が立つ。納得いかないから、シンプルにこう聞き返してみた。
「その根拠は?」
「モノトーンのスーツに、踵が減り切ったパンプス。見て直ぐにOL、しかも営業職だと分かる。あとスーツの襟元のバッジは、風紀に厳しい帝徳商事の社員であることの証。
恋人に振られて、傘も差さずに取り乱してるようじゃ、この会社じゃ成就しないだろう。だからそう言ったまでだ。外れてるか?」
見れば、片手で前髪をたくし上げながら、『してやったり』的な表情を浮かべてる。まじまじと顔を見てやると、鼻筋の通った顔立ちに切れ長の目。
一瞬ドキッとする程に整ってはいるけど、タランチュアって言うのかコブラって言うのか......とにかく『毒』が前面に現れたその表情に私の身体は思わずすくんでしまう。
「む、む、む......」
正直、そんなマスターの猛毒攻撃に、私はぐうの音も出なかった。だって全部当たってるんだから。
それはそうと......私が恋人に振られて取り乱してる? それも悔しい程に当たってるけど、どうしてそんなことが分かるの? 私なりに、心を落ち着かせてから店に入ったつもりよ。
一体なんで?
「唸ってるところを見るとやっぱ図星ってことか......でもなんで自分が振られたことを俺が知ってるか? その答えを聞きたいんだろう。そんなの簡単なことだ。
『Paul Smith』と言えば、男の必須アイテム。しかもリボンが付いてるとなれば、それはプレゼントに他ならない。更に今日はやたらと寒いから、身体の構造上鼻水は出るが、涙は出やしない。さぁ、これで拭いたらどうだ? 綺麗なお顔が台無しだ」
見ればマスターは、ペーパーナプキンを差し出している。ハッと思い、私はスマホ画面をミラーモードにしてみた。すると、
「あっ!」
なんとマスカラが涙で流れ落ち、パンダがビックリ顔してる。私、こんな顔で街歩いてたんだ......はっ、恥ずかしい!
知らぬが仏とは正にこう言う時に使う言葉。慌てて私が化粧直しを始めると、マスターは更なる飛んでも無いミサイル級の話を始めたのである。あっ、有り得ない!
「逆にそんな顔を『琢磨』に見られなくて良かったんじゃ無いか? もっとも、『琢磨』がちゃんと待ち合わせに来てれば、パンダ顔にもならなかったか......おっと、これも余計なことだな。失敬」
た・く・ま ??? !!!
今あなた......何てことを言ったんですか? 私の空耳じゃ無ければ、確か......『琢磨』って言いましたよね?
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
マクデブルクの半球
ナコイトオル
ミステリー
ある夜、電話がかかってきた。ただそれだけの、はずだった。
高校時代、自分と折り合いの付かなかった優等生からの唐突な電話。それが全てのはじまりだった。
電話をかけたのとほぼ同時刻、何者かに突き落とされ意識不明となった青年コウと、そんな彼と昔折り合いを付けることが出来なかった、容疑者となった女、ユキ。どうしてこうなったのかを調べていく内に、コウを突き落とした容疑者はどんどんと増えてきてしまう───
「犯人を探そう。出来れば、彼が目を覚ますまでに」
自他共に認める在宅ストーカーを相棒に、誰かのために進む、犯人探し。
virtual lover
空川億里
ミステリー
人気アイドルグループの不人気メンバーのユメカのファンが集まるオフ会に今年30歳になる名願愛斗(みょうがん まなと)が参加する。
が、その会を通じて知り合った人物が殺され、警察はユメカを逮捕する。
主人公達はユメカの無実を信じ、真犯人を捕まえようとするのだが……。
月夜のさや
蓮恭
ミステリー
いじめられっ子で喘息持ちの妹の療養の為、父の実家がある田舎へと引っ越した主人公「天野桐人(あまのきりと)」。
夏休み前に引っ越してきた桐人は、ある夜父親と喧嘩をして家出をする。向かう先は近くにある祖母の家。
近道をしようと林の中を通った際に転んでしまった桐人を助けてくれたのは、髪の長い綺麗な顔をした女の子だった。
夏休み中、何度もその女の子に会う為に夜になると林を見張る桐人は、一度だけ女の子と話す機会が持てたのだった。話してみればお互いが孤独な子どもなのだと分かり、親近感を持った桐人は女の子に名前を尋ねた。
彼女の名前は「さや」。
夏休み明けに早速転校生として村の学校で紹介された桐人。さやをクラスで見つけて話しかけるが、桐人に対してまるで初対面のように接する。
さやには『さや』と『紗陽』二つの人格があるのだと気づく桐人。日によって性格も、桐人に対する態度も全く変わるのだった。
その後に起こる事件と、村のおかしな神事……。
さやと紗陽、二人の秘密とは……?
※ こちらは【イヤミス】ジャンルの要素があります。どんでん返し好きな方へ。
「小説家になろう」にも掲載中。
【R15】アリア・ルージュの妄信
皐月うしこ
ミステリー
その日、白濁の中で少女は死んだ。
異質な匂いに包まれて、全身を粘着質な白い液体に覆われて、乱れた着衣が物語る悲惨な光景を何と表現すればいいのだろう。世界は日常に溢れている。何気ない会話、変わらない秒針、規則正しく進む人波。それでもここに、雲が形を変えるように、ガラスが粉々に砕けるように、一輪の花が小さな種を産んだ。
伏線回収の夏
影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。某大学の芸術学部でクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。かつての同級生の不審死。消えた犯人。屋敷のアトリエにナイフで刻まれた無数のXの傷。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の六人は、大学時代にこの屋敷で共に芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。グループの中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。
《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》
この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―
至堂文斗
ミステリー
ーーこれが、匣の中だったんだ。
二〇一八年の夏。廃墟となった満生台を訪れたのは二人の若者。
彼らもまた、かつてGHOSTの研究によって運命を弄ばれた者たちだった。
信号領域の研究が展開され、そして壊れたニュータウン。終焉を迎えた現実と、終焉を拒絶する仮想。
歪なる領域に足を踏み入れる二人は、果たして何か一つでも、その世界に救いを与えることが出来るだろうか。
幻想、幻影、エンケージ。
魂魄、領域、人類の進化。
802部隊、九命会、レッドアイ・オペレーション……。
さあ、あの光の先へと進んでいこう。たとえもう二度と時計の針が巻き戻らないとしても。
私たちの駆け抜けたあの日々は確かに満ち足りていたと、懐かしめるようになるはずだから。
彼女が愛した彼は
朝飛
ミステリー
美しく妖艶な妻の朱海(あけみ)と幸せな結婚生活を送るはずだった真也(しんや)だが、ある時を堺に朱海が精神を病んでしまい、苦痛に満ちた結婚生活へと変わってしまった。
朱海が病んでしまった理由は何なのか。真相に迫ろうとする度に謎が深まり、、、。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる